第4話 出会い-2
「如月、合図を頼む」
「それでは……始め!」
如月の声と同時に、不知火は翠月を使うため小さく息を吸った。しかし、それは無駄に終わる。目の前で小さな火が上がり、驚いた不知火は思わず反射的に背後へ跳躍する。だが、着地した地面はいつの間にか凍っていた。
「きゃ!」
不知火は踏ん張りが効かずに仰け反って倒れ尻餅をつく。
すぐに立とうと顔を上げたとき、九十九の悪食が不知火の眉間に突き付けられているのを自覚し、自分が負けたのを悟る。あまりの早業に、一筋の冷や汗が頬を伝わったのが分かった。
如月が大きくため息を吐いて首を振った。
「全く大人げない。まだ憑いたばかりの初心者に本気でかかるなんて」
「うるせえ。
末期の一振りの超常的な力を使うには二つの方法がある。
一つは正謳。刀の持つ力を最大限に引き出す事ができるが、それなりに長い文言を唱え無くてはならない。
もう一つが短謳。発現する力は小さいが、僅かな言葉で使える。あの時、不知火は火と氷の力を使われた。つまり、不知火が一言目を発する前に九十九は少なくとも既に二つの短謳を終えていたのだ。
九十九は刀を引き、自分の右肩に乗せる。
「つっても、まあやっぱ悪かったな。種明かしすると、俺の悪食は大量の能力を持つ代わりに、その一つ一つの力が弱すぎるんだ。つまり、正謳しようが短謳しようがあんまり変わらんという訳。お前が正謳を発動させることができれば、まず間違いなく俺は逃げ回るしかできなくなるだろうな。だがそこは先輩の意地として阻止を……」
「つまりはカモにしただけです。不知火、そこの所は履き違えないよう。貴方が弱い訳ではありませんから」
うぐっと九十九が押し黙る。如月の言葉は的確に的を得ていたようだ。別に不知火は力の優劣など気にはしていなかったが。
如月がこちらへ歩き、体制が崩れて尻餅をついたままの不知火に手を差し出した。不知火は素直にその手を取って立ち上がる。
「改めて、翠月がどんな力を持っているか見せてもらっていいですか?」
「あ、はい。では一つ」
立ち上がった不知火は翠月を構え直した。
「
不知火がそう呟くと翠月は碧く光り、次の瞬間に不知火は九十九の背後を取って切っ先がうなじを捉えていた。
九十九はすぐに自分の置かれた状況に気付いたようで、まいったというように両手を上げる。
「凄いな。左から
「正しくは右からの突き刺しも入ってます。そして今のは短謳なので、それはただの幻です。これが正謳になれば、今の幻は全て実体となって同時に襲いかかります」
「そいつは怖え。短謳でも使われてたらやばかったかもな」
ぶるっと何だかわざとらしく九十九が身震いする。不知火は翠月を下ろすと、元いた場所に歩いて戻る。
「如月さんはどんな刀を持っているんですか?」
「私ですか? 私はただの一般人です。多少、護身の心得がある程度で。なので主な仕事は組織全体のスケジュール調整などの事務周りです」
「え? でも、九十九先輩とチームを組んでいるんじゃ?」
「ええ。末課は必ず末期の一振りを持った二人一組でチームを組むのですが、今は奇数のため仕方なく。それに、この人がさぼらないように監視が必要なので」
ジロリと如月が九十九を睨むが、当の本人はどこ吹く風か。まるで気にする様子もなく、話を進め始めた。
「さて、使ってみて改めて思うと思うが、末期の一振りは一般社会じゃとんでもない力だ。絶対数の少なさと力の規模からまともな国じゃ軍事的利用はあまりされていないが、裏社会では十分切り札と成り得る。だからヤクザ辺りの厄介な奴が躍起になってこの力を欲しがるんだ。それをしっかり自覚してくれ」
「はい」
こうして使う事で改めて思う。こんなのを持った人間が身近にいたら、と。言葉の
すると突然、背後からぱちぱちと拍手の音が聞こえた。不知火が振り向くと四人の人影が拍手をしながらこちらに近づいてきていた。
「凄いな。期待の新人じゃないか」
一番左端の男は丸眼鏡が印象的だった。風体は優男で長身の割には童顔ぽく整った顔立ちをしており、女性の母性をくすぐるのはきっとこういうタイプを言うのだろう。
「ですなあ! はっはっはっ!」
その隣で豪快に笑い飛ばす巨体の男。シャツの上からでも分かる、まるでボディビルダーのような隆々とした筋肉の上に乗っているのは、絵に描いたような満面の笑みを湛えた人柄の良さそうな顔だった。目尻に出来た深い笑い皺が、彼の人柄を雄弁に語っているかのようだ。
「うわー、ほんとに女子高生なんですねえ。これでついにボクにも後輩ちゃんができました!」
さらにその隣で無邪気に笑う少女が一人。日本人と全く遜色ない日本語で喋る彼女だが、その容姿は金髪碧眼と明らかに西洋圏だった。髪型は緩くパーマのかかったショートボブ。フリルの付いた空色のワンピースにあどけない童顔と相まって、まるで西洋人形のようだ。
彼女は不知火の事を後輩と言っているが、背など元々低めの不知火の肩までしかなく、とても自分より年上には全く見えない。
「
そして一番右端にいるこの男だ。いや、発せられた爽やかな優しい男のような声から判断したが、そもそも男かどうかも分からない。
この真夏だというのに深いベージュのトレンチコートに目深帽子。しかしてそこから覗く顔は、どこからどう見ても兎だった。円な瞳に時折ヒクヒクとしっとりした鼻を動かす動作は、着ぐるみでは到底なしえないクオリティ。まさに人間大の大きさの本物の兎が二本足で立っているとしか思えない状況だった。
だが、驚愕している不知火とは裏腹に周囲はさもそれが当然といった感じの空気を醸し出している。
困惑した不知火を察したのか、如月が一歩進んで彼らの自己紹介を始める。
「不知火、彼らは私達の上司と同僚になります。左から組織犯罪対策部・
「よろしく、不知火さん。私は立場上あまり合う事は少ないと思うけど、名前と顔くらいは覚えておいてくれると嬉しいね」
「よろしくお願いします」
差し出されたすらっとした女性のような右手を握って握手する。染み入るように柔らかな声が耳に心地いい。容貌と言い物腰と言い九十九とは完全に真逆の存在だ。紹介順からこの中で一番階級は高いはずだが年齢は多分三十半ばぐらいに見える。おそらく、キャリア組というものなのだろう。
「次に末課・
「おう! うちは色々と変わった奴らが多いが、まあ基本は良い奴らばかりだ! 頑張れよ!」
「よ、よろしくおねが、いします……!」
右手を掴まれた瞬間、ブンブンと大振りに振り回されて体が宙に浮きかけた。見た目イコール性格を体現したような人物だ。人柄は良いのだろうが、この豪快すぎる性格は正直、自分との相性はあまり良くないように思えた。
「そして同僚の
「結城、神……もしかしてあの天才外科医の!?」
不知火は最後に紹介された兎の名前に心当たりがあった。
今から五年ほど前に世間を賑わせた天才外科医がいた。手術の腕もさることながら、彼が縫合するとどんなに酷くとも、まるで傷などなかったかのように綺麗さっぱりと傷跡が消えるのだ。
名の通り神の指を持つと評された彼は連日報道やインタビューで世間を賑わせていたが、ある日を堺に急にメディアから姿を消してしまった。不知火はまだその頃小学生であったが、今でもしっかりとその頃の事を覚えている。だが、テレビに映る結城神は間違いなくただの人だった。こんな兎であるはずがない。
「へえ、嬉しいね。こんな若い子が僕の事を覚えてくれているとは。ちなみに君の頭の手術をしたのも僕だ。経過は良さそうで何よりだよ」
しかし彼は弾んだ声で肯定した。つまり、間違いなく彼はあの結城神その人なのだ。
「多分ですが昔、テレビとかで良くお見かけしました。あの、でもなぜそんな姿に?」
「うん、自分を見ると皆そう言うよ。原因はこれだ」
そう言って結城は右手を上げた。そこには十cmぐらいの何の変哲もない針が握られていた。
「これが僕の末期の一振り、ワンダーニードル。稀だけど、末期の一振りは憑いた相手の容姿とかを変えてしまうものがあるんだ。僕のはそれでね、この通り兎の人形にされてしまったよ。そんな訳で表立つ事は出来なくなってしまったけど、今でもこっそりと医師は続けているよ。役柄、末課では基本的に前線には出ず負傷者の治療を行ってる。怪我をしたらいつでも訪ねてくると良い」
「あ、はい。ご迷惑をかけるかもしれませんがよろしくお願いします」
差し出された兎の手と言うにはあまりに大きすぎる右手を握手する。ふわふわもこもこの毛とその上から感じる肉質。これを握れば完全に彼が兎そのものである事を理解できる。何だかテーマパークのマスコットと握手をしているようで、ほんの少しだけ不知火の頬が緩んだ。
その瞬間、寒気を覚えるような視線が自分を射抜いている事に気付いて、不知火は総毛立つ。視線の主はすぐに分かった。隣にいた鈴森が、先程の親しげな態度とは打って変わり、上目遣いにこちらを値踏みするような目でこちらを見ていたのだ。
「な、何か?」
「……今、先生に対して変な事を考えてませんでしたか?」
「変な事って、具体的には?」
「あー癒やされるなあとか、うちにお持ち帰りたいーとか、そういった
「べ、別にそんな事思ってません!」
本心から言えばそれに近いのは浮かんでいたが、正直に話すのはまずいと不知火は
「嘘です! 絶対嘘です! ボクの目は……むぐ!」
「いい加減になさい。すまないね不知火君、この子はこうしたどうでもいい事にムキになってしまう悪い癖があってね」
見かねたように結城が、大きく開いた鈴森の口に自分の手をねじ込んだ。鈴森は慌てて両手で結城の手を自分の口から引き抜く。
「ど、どうでも良くありません! 例え後輩ちゃんでも先生に付く悪い虫であればボクが払わなきゃいけないのです!」
今の一連を見て不知火はおおよその見当がついた。とどのつまり、鈴森は結城に対して並々ならない執着心があり、自分が結城に対してつい見せてしまった表情を、結城に対して気があるという風に取ってしまったのだろう。
誤解を解くため、不知火は膝を折って鈴森と目線を合わす。
「鈴森先輩。私は結城先生を尊敬していますが、それ以上の感情は持ってません。だから心配しないでください」
「……ほんとにほんとですか?」
「はい。ほんとにほんとです」
それでもしばらく警戒しているかのように鈴森はこちらを見ていたが、不知火は目を逸らさずに向き合った。すると、鈴森はふっと表情から警戒心を解き、自身の両手で不知火の両手を握る。
「分かりました、信用します! これからよろしくね、後輩ちゃん!」
「はい。よろしくお願いします。先輩」
鈴森は屈託の無い笑顔で不知火を受け入れてくれたようだ。不知火も合わせて微笑むが、内心はようやく折れてくれた事にほっと胸を撫で下ろしていた。今後、彼女の前では軽率な行動は控えたほうが良さそうだ。どんな事が遺恨になって、またこういう事態になってしまうか分かったものではない。
しかし、なぜ鈴森はここまで結城に固執するのだろうか?
「でも先輩。どうして結城先生の事をそこまで?」
「えっとね、ボクが後輩ちゃんぐらいの時にトラックとの交通事故があって、全身ズタボロになって右腕なんて千切れかけた事があったの。命も危ない状態で病院に運ばれたされた時、偶然その病院に先生がいてね。先生はボクの命を救うだけじゃなくて右腕を元の動きができるまで治してくれたんだ。そしてボクが末期の一振りに憑かれて末課に入ると、同じ日に先生も末課に入ってきたんだよ! これって運命だよね、運命じゃない!? その日からボクは身も心も先生にお仕えする覚悟でここにいるのです!」
両手をギリギリと握ったまままくし立てる鈴森に気圧され、不知火は苦笑いを浮かべる。
「あ、はは。それは凄いですね。流石は結城先生」
「僕の力だけじゃない。本質は美麗愛自身の生命力の強さだ。右腕だって、彼女の決死のリハビリの成果で元通りになったんだ。僕にできたのは、表向きを綺麗に見せる事だけだったんだよ」
「そんなことありません! 何と言おうと先生はボクの先生なんです!」
何だか微妙に話がずれてきているが、何とか収まったようだ。不知火は立ち上がり、九十九に向き直った。
「末課はこの四名の方だけなんですか?」
「いや、課員は正式には十一名で構成されてる。けど、今は仕事で忙しい奴もいるし、一度に来られても覚えるのが大変だろ? そんな訳で今回は上司と良く会う事になるだろう結城チームに声をかけたって訳だ。残りのメンツはまた後日な。という事で今日はここまで。さあ不知火の歓迎会って事で飲みに……ぐふ!」
九十九の脇腹に、目にも留まらぬ速さで繰り出された如月の蹴りが突き刺さる。鈍い音が鳴り、ピンヒールが根本までめり込んだ。その場に九十九は倒れ込み、突かれた場所を抑えてのたうち回る。
「こんな昼間に、しかも女子高生を連れて酒を飲もうなんて馬鹿なんですかあなたは。でも、この機会に歓迎会はいいですね。不知火、皆とランチでも食べましょう。とは言っても外で食べる訳にはいかないので、ここで私が何か適当に作ります」
「気を使わせてしまってすまないね」
そういえばすっかり馴染んでしまったが、結城は兎の姿をしていたのだった。外を歩く分には遠目から見ればまだギリギリ着包みで通せるかもしれないが、食事となればそのまま食べるのだからアウトだ。普段の結城の苦労が伺えた。
「いえ、それでは行きましょう。そこに転がっているのは放っておいて」
「ま、まて……」
こんな事は日常茶飯事とばかりに、その場にいた面々は九十九を置いてその場を去ってしまう。
不知火は少しだけ後ろ髪引かれる思いはあったが、小さく頭を下げると九十九をその場に取り残し、皆の後を追った。
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