第2話 選択

 平日の午後だというのに、病院の受付前は多くの人でごった返していた。誰も彼も表情は暗く、顔はうつむきがちでいかにも体調が悪いという雰囲気を醸し出している。病院なのだからそれが当たり前なのだが。


(これだから病院ってのは苦手なんだよな)


 その群を物見するかのように、男は少し離れた比較的空いているスペースにある柱に背中を預けて眺めていた。見たくはないのだが暇を潰せるものはなく、かといって待ち合わせ場所はここなので迂闊に離れることも出来ず、ただうんざりしながらそれを見ている事しか出来なかった。


 そんなこんなで時間を潰して約十分後、落ち着いた紺色のスーツを来た女性が玄関から入ってきた。辺りを見回してすぐに男に気付いたようで、少し驚いたように目を見張り、静かな足取りでこちらに近づいてきた。


「いつも遅刻寸前のあなたが、今日は随分と早いんですね」

「ん、ああ。今回は色々と思う所があるからな」


 男は小さくため息を吐き、バツが悪そうに右手で後頭部を軽く掻く仕草をする。


「病室の場所は聞いてある。いこうぜ」

「ええ」


 二人は病院の奥へと歩を進めた。


「あの子には何から……話したもんかな」

「気が進まないなら私が話しますが? 同じ女性の方が安心するかもしれませんし」

「……いや、今回は俺がやる」


 そう言った男の表情は、それでもためらいが見えた。

 二人は階段を二つ上がり、病室が並ぶ通路をかつかつと音を立てながら歩いていく。


「なあ、もっと早く踏み込めば憑く前に助け出せたりしたか?」

「残念ながらそれはないでしょう。捕らえた者達の話では攫った後にすぐに憑けられたということでしたから」

「……そうか」


 そして二人は502と書かれた表札の病室前に辿り着いた。男は小さく深呼吸して病室の引き戸をノックする。


『どうぞ』


 返事を確認して男は引き戸に手をかけて引いた。扉は音もたてずに滑らかに開く。

 病室の中は鮮やかに真っ白で、真夏の光差す窓際には一つのベッドがおかれていた。その上に身を起こした少女が外を眺めていたが、すぐにこちらを振り向いた。

 頭頂部には包帯が巻かれている。そしてひと際長い前髪が完全に少女の顔の上半分を覆っていて、こちらが見えていないのではないかとさえ思える。そのせいか、少女を覆う雰囲気は影を感じるものになっていた。正直、同年代なら近寄りがたいかもしれない。


 二人はベッドの前に歩を進め、あらかじめ置いてあった椅子に腰かける。


「こんにちは、不知火紗雪しらぬいさゆきさん。君は俺達の事を覚えているか?」


 男の問いに、少女は小さく頷いた。


「はい。私を助けてくれた時の人ですよね」

「ああ、そうだ。俺は九十九景つくもけい、こっちは同僚の如月美沙きさらぎみさだ。よろしく」


 九十九に紹介され、如月は小さく頭を垂れた。反射的に、少女の方もお辞儀をする。


「今回の事は本当にすまなかった。末期の一振りが君に憑く前に助けられなかったのは俺達の責任だ」


 九十九と如月は深々と頭を下げて少女に謝罪した。それを見た少女は落ち着いた様子で語る。


「そんな事ないです。あの人達からこれを無理やり握らされた時、すぐに自分の体の一つになったような感覚に陥りました。きっと、どれだけ早くても無駄だったと思います」


 抑揚なくそう呟き、少女は自分の右手を男の前に差し出した。すると少女の手にはいつの間にか深緑色をした短刀が握られていた。

 九十九は顔を上げ、それを見て僅かに眉間に皺をよせて話を続ける。


「最初から説明していこうか。君が今持っている末期の一振り、それは昔の刀鍛冶が文字通り自身の魂を込めて生涯最後の作として打ったものだ。それはまるで意思を持つかのように持ち主を選び、そして憑く。自分の意志で刀を手放す事は出来ず、おそらくそれは生涯、君と共にあるだろう」

「はい、知っています。そして、これを持つ事がどういう事なのかも」


 前髪で表情は分かりづらいが、落ち着いた声で少女が答える。まるで何もかも悟っているような。言いようのない違和感を覚えながらも九十九はさらに話を進める。


「末期の一振りは世間的に忌むべきものとして扱われている。一つは何もないところから自由に出し入れが出来る事、二つに末期の一振りには人知を超える力を持ち主に与える。自分を簡単に殺せる得物を隠し持った化け物となんか一緒にいられない、何かあったらすぐに殺される、なんてのは良く言われる話だな。だが、末期の一振りに憑かれた者にも今は人権が法律で保障されている。さて、本題はここからだ。君はもう手術しているな?」

「はい。同意書にサインをして、三日前に」


 手術というのは、不知火の脳内にあるチップを埋め込む事だ。末期の一振り保有者には必ずこの手術を受けなければいけない義務がある。用途はGPSセンサーによる位置の特定、そして犯罪及び幇助ほうじょに加担し危険と判断された場合はチップが脳を焼く。つまり末期の一振り保持者の保護及び犯罪抑止の為に付けられるのだ。

 そんなものを年端もいかない少女が受け入れるのはさぞ抵抗があったはずだろう。だが、不知火の顔からは悲しみも嫌悪も読み取れない。彼女が何を考え、何を感じているのか、九十九には全く分からない。それが、何だか恐ろしくさえ感じ始めてきた。

 だが、平静を装いながら九十九は話を進める。


「これから君は警察の管理下に置かれる事になる。そして、君が取れる選択肢は二つだ」


 九十九は不知火の前に人差し指を立てる。


「一つはこのまま全てを隠して日常を過ごす事だ。ただし、常に君及び周りが監視下に置かれる。ただし、過度にプライバシーが侵害される事は決して無い。君が自ら周りに末期の一振りを使ったり持っていると触れ回りでもしない限り、人並みの人生は送れる事を保証しよう。俺個人としてはこっちを勧めたい。そして……」


 九十九は一旦言葉を切り、右手を自分の膝の上に置く。


「もう一つは警察の末期の一振り対策課に所属する、つまり俺達の仲間になるという事だ。俺達の仕事は末期の一振りが人に憑く事を阻止、そして末期の一振りを悪用する集団や組織を取り締まる。末期の一振りを持つ者にしか出来ない危険な仕事だ。だが、今選べと言われてもすぐには答えられないだろうから、しっかり考えてまた後日に……」

「分かりました。私を入れてください。あなた達の仲間に」

「……なに?」


 虚を突かれ、九十九は気の抜けた返事を返してしまった。こんな二択、普通なら即答できるはずがない。それを彼女はまるで待っていたかのように敢えて危険な道へ進むと答えたのだ。九十九は何だか彼女が自分を大切にしていないように思えてつい声色に苛立ちを含めてしまう。


「言っただろう、危険な仕事だと。入ったら今回君をさらった奴らみたいのと命がけで戦う事だってザラにある。一時の感情に流されるな。ちゃんと時間をかけて考えるんだ!」

「……分かりました。返事はもう少し待ってください。ごめんなさい、怒らせてしまって」

「……はあ。いや、こっちもすまなかった。名刺を渡しておこう。答えが決まったらここに電話してくれ」


 九十九は冷静さを取り戻し、懐から名刺を一枚取り出すとベッド脇の机に置いて、九十九は席を立った。


「今日はこれで。あまり気分の良い話ではなかっただろうが、聞いてくれてありがとう」


 九十九と如月は不知火に改めて一礼し、踵を返して病室を出た。次の瞬間、どっと得体のしれない何かが九十九の中からこみ上げ、深い深い溜息を吐いた。


「お疲れ様です」

「……全くだ。本当にあの子はただの女子高生なのか? 何かこう、そうだ。境地に達しているみたいな感じで掴み所がないというか」

「……もしかしたら二回目だからかもしれません」

「二回目?」


 如月から不穏な言葉が飛び出し、九十九は思わずオウム返しに聞き直した。


「彼女、一年前にもさらわれているんですよ。ただ、今回とは違って行き当たりばったりの営利誘拐でしたが」


「……初めてじゃなかったから、あんなに落ち着いていられるってのか? 俺からしてみれば逆だと思うんだが」


 二度も誘拐に遭えば、何で自分ばかりこんな目に遭うのかと自暴自棄になりそうなものだ。それが九十九にとっては普通に思えてならなかった。だが現に、彼女は全くそんな素振りは見せなかったのだ。それは演技にはとても見えない。会話した者だけが分かる。あれは本当の彼女なのだと。


「とにかく、彼女から連絡が来るのを待とう。出来れば考え直してくれると良いんだけどな」

「そうですね。私も本心を言えば彼女には普通の生き方をして欲しいです」


 そう言って、二人は病院を後にした。

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