27 ▽図書室▽




暇なので、僕は少し宮廷内を探検してみることにする。この宮廷には何度も来たことがあるが、いつも帝国兵にしょっぴかれて地下に直行というパターンだったので、中を自由に歩きまわれるのは実はこれが初めてだ。この際どこに何があるのかだいたいでも把握しておくのも悪くない。


ちょっとうきうきする。


僕は一階の端の方の一室を居室として貰っている。もとは来客用だったようで、綺麗なステンドグラスの窓のある、なかなかいい部屋だ。それなりに家具や調度品も良い物が揃えられている。自由に外に出れないのは不便だけど、こういった自分の部屋があるのは気分がいい。僕はそこを出て長い廊下を歩いて行く。


先の戦闘で所々壊れたり痛んだりしている部分もあるが、一通り修復はされていて一応宮廷らしい雰囲気を保っている。柱や扉、窓枠など、豪奢な装飾のある所もあって、いかにも宮殿といった感じ。自分の意思でゆっくりと歩くと想像以上に気分がいい。ルシーダにとっては当たり前なんだろうけど。絨毯の敷かれたエリアもいくつかあり、おそらくこれも稀少なものだ。他にも壺や彫像、絵画などの芸術品の類も所々に飾られていたりする。ニキータが欲しがっていたやつ。1つぐらいあげてもよかったのかもしれない。たぶん少しの間は気づかれない…たぶん。


勝手口のような所もあり、外を覗くと数人の使用人が粗末なベンチで休憩していた。仕事をサボっているのかもしれない。こういうちょっと人目につかない場所は意外と重宝される。僕もコルフィナを吸うのに通わせてもらおう。宮廷内は禁煙。コルフィナといえば奴隷やスラムといった下層民の代名詞みたいなもんだから、そもそも吸う人間自体がこういう場所にはいないのだ。そんなわけで実はここに来てからけっこう肩身の狭い思いをしている。


しばらく廊下を進んで、二手に分かれた階段の所まで来た。一方は上階へ、もう一方は地下へ続いている。


…地下はうんざりだ。できれば二度と近づきたくない。


僕は2階へ上ってみることにする。




▽  ▽  ▽




少しうろうろした後、広そうな部屋の前に来た。扉が大きくて、装飾が施されている。部屋の前の札には、図書室と書かれてある。


図書室か。


鍵はかかってないかな? 扉を押してみる。


…ギイイ。


開いた。せっかくなので、僕は図書室の中へ入って行く。どうせ時間はたっぷりあるのだし、何か役に立つ本があるかもしれない、数冊拝借していこう。一応扉を閉め直して、僕は部屋の中を見て回ることにする。


やはり広い。大きな本棚がずらりと並んで、部屋の奥まで続いている。アイリス皇族もなかなか立派なコレクションを持っているようだ。リコリス皇族から略奪したものもあるかもしれない。だとしたらそれらは僕のものだ。いずれにせよ、アイリス皇族にとって都合のいい資料しか残されていないだろう。他は全て焼却されてしまったに違いない。


しんとしている。静かだ。誰かいるだろうか? 僕は部屋の中を探索していく。一通り部屋の隅々まで歩いて、窓際、閲覧用の机が並べられた場所も見てみたが、誰もいないようだ。


何か今後の計画に役立ちそうな本を探す。難しい専門書は読めない。もしくは暇を潰せる娯楽でもいいかも。


本棚をざっと見てまわる。薬学関連の棚で、『よく分かる身近な猛毒』と書かれた本を見つけた。


…あ、これ役に立つかも。


ギイッ。


僕が本に手を伸ばしかけたその時、部屋の扉が開いて誰かが入って来た。足音からして、おそらく2名。聞き慣れた軍靴の足音だ。軍人か。何の用だろう?


どうしよう、見つかったら少し面倒だ。一応僕のことはルシーダ公認だし、特に咎められることもないとは思うけど、軍人からいろいろ質問されるのはいい気分ではない。僕は『よく分かる身近な猛毒』を手にすることができないままこの図書室を去るはめになるだろう。


じっとしていると、彼らは僕のいる本棚の真後ろへ来た。本棚の向こう側は見えないので、僕の存在も気づかれていないはず。1つ分の本棚を隔ててすぐ向こうなので、会話が丸聞こえだ。どうしよう、立ち聞きするつもりはないんだが…


「…それで、あの小僧にはちゃんと言ってあるのか? 貴族育ちだからな、こちらが手を緩めるとすぐ調子に乗ってくるだろう。身の程をわきまえさせておけよ」


軍人の1人が小声で話す。何か内密の話でもしようというのだろうか。だとしたら困った。ますます出て行けなくなってしまった。


「十分警告してあります」


もう1人が返答する。女の声だ。


「全然不十分だ。もっと、あの小僧が倒れ込むくらいやらねばならん。お前は育ちのせいかどうもぬるいところがあるからな。ここからが肝心というところで責めを止めてしまう」


「…その、大佐、ルシーダにもう少し、優しくしてやることはできませんか?」


「何だ? 俺に指図しようというのか?」


「い、いいえ、決してそのようなことは」


男の軍人の方は随分威圧的だ。大佐と呼ばれているから上層部だな。女の方は話し方からして部下のようだ。


「…王室の直接のご指示であるからしかたないとはいえ、本来お前ごときが領主の側近を任されていいはずがないのだからな。貴様、まさか今回の一件で調子に乗ったりしてないだろうな?」


「そ、そのようなことは決してありません」


「勘違いするなよ? 俺が司令部へ報告すれば、お前の首など簡単に飛ばせるのだからな?」


「…虚偽報告するおつもりですか」


「人聞きの悪い…まあ、お前の態度次第では、逆に俺が融通を利かせてやってもいいぞ?」


衣服が擦れる音。2人が何かもぞもぞ動いている。


「大佐!」


「お前、今の待遇で満足か? どうなんだ? ん?」


「大佐、止めてください!」


「お前、軍ではなかなか美人だと評判だぞ? 体つきもそそる」


2人が何かじたばたと動いている。これは…完全なパワハラセクハラの場面に遭遇してしまったようだ。女の軍人の方は規律上逆らえないのだろう。エグい組織だな…闇が深い…


パシン!


叩く音。


「…ほう? 俺を叩くのか?」


「…申し訳ありません。ですがもうこんなことは止めてください、大佐」


「ふん…まあいい。紅のサメ、海賊海軍エレノアがあっさり落ちる女であってはおもしろくないからな」


動く様子が止まる。男はセクハラを止めたようだ。


「だが忘れるなよ? いつまでもこんな調子なら、お前のあの赤い海賊船が、ピンクの商船になる日もそう遠くはないのだからな? ハハハハッ」


歩き出す音。男の軍人が本棚から離れて、部屋の中央の通路を歩いて行っているらしい。扉が開閉する音。遠ざかる軍靴の足音。


…上官の男の軍人は図書室を出て行ったようだ。



「…ちっくしょう!」


ガン!


1人残された女の軍人が、突然僕のいる方の本棚を激しく攻撃する。おそらく蹴り上げたに違いない。


ドサドサドサッ!


「うわあ!」


棚から落ちた本が僕に襲い掛かってくる。


「あ? 誰かいるのかい?」


僕の叫び声を聞いて、女の軍人が本棚を回って僕の所まで歩いて来る。


「ど、どうも…」


気まずい。僕はなるべく笑顔を取り繕う。


「聞くつもりはなかったんですが、出て行くタイミングを失っちゃって…」


「…あ。アンタは確か…」


僕の顔を見た女の軍人が、何か心あたりがあるというように声をあげる。


…あ。僕も見覚えがある。確か奴隷館にルシーダと一緒に来ていた海賊風の人だ。


「ああ、お久しぶりですね」


「ええと…アナスタシア、だっけ?」


「そうです。その節はどうも」


「海軍のエレノアだよ。悪いね、怪我してないかい?」


本棚から落ちかけていた『よく分かる身近な猛毒』が落下して、背表紙が僕の頭頂部に直撃する。


コツン!


「イタッ!」




▽  ▽  ▽




僕はエレノアの事務室まで案内される。宮廷の一室、どことなく地味で殺風景、僕がもらった居室より狭い。まあ一軍人の作業部屋なんてこんなものだろう。ここで寝泊りしている様子もないし、本当にただの仕事部屋って感じだ。僕とエレノアは机を挟んで向かい合って座る。いかにも軍用って感じの簡素で実務的な机と椅子。傍で女性のメイドが紅茶を淹れている。


「アンタ、ぼうや…ルシーダがレンブルフォートから亡命する時に手助けしてくれたんだって?」


「ああ…そんな感じです。あまり大したことはしてないですけど」


「アンタ何者? 他に詳しいことは聞いてないんだけど、随分熱心に探してたからね…本当にただの奴隷かい?」


「え、ええまあ…」


王国軍の方はリコリス皇鉱石やリコリス皇族についてはあまりよく知らないらしい。上層の一部には情報が渡っている可能性があるが、ともかく機密事項みたいだ。軍関係者でも、このエレノアのように、知らされていない人間もいるようだ。


「…まあ命の恩人なら納得もいくか」


「僕も、軍に占領された奴隷館から助けてもらって、感謝してます」


「そりゃよかったね。お互いさまか」


エレノアが微笑む。クールビューティのこのやわらかい表情はちょっとズルいな。


「…どうぞ」


女性のメイドが僕に紅茶を差し出してくれる。いい趣味の高級なティーカップだ。


「ありがとうございます」


メイドはエレノアにも紅茶を渡す。それにしてもエレノアって紅茶飲むんだな。


「下がっていいぞ」


「失礼いたします」


メイドは頭を下げて、部屋を出て行った。


「…軍人もメイドに紅茶を淹れさせたりするんだな、って思ってるだろ」


「い、いいえ、そんな風には」


実はちょっと思っていた。見た目のわりに上品な趣味だなーって。


「…おかげで周りからよくバカにされんのさ。でもなかなか習慣は変えられなくてね」


エレノアは紅茶の入ったティーカップに軽く口をつける。なかなか優雅な手つき。



…?


なんだか、少し違和感。さっきのメイドに対する態度もそうだ。慣れている。


あ、この人って、もしかして…


「…嫌なところを見られちまったね。アンタがいるって分かってりゃ、少し自重したんだが」


「僕の方こそすみません。聞かれたくない内容でしたよね。軍人の方も、いろいろ大変なんですね」


「まあいつものことさ」


「でもいいんですか? あんなハラスメント受けて、報告とかしなくても」


「軍にハラスメントなんて概念ないよ。あんなのはまだ全然マシな方さ。新人の頃なんかそりゃまあひどかったよ。でもそういうのもいなせるようになんないと、女が軍でやっていくことはできないのさ」


王国軍なんてみんな横暴で嫌なやつばっかりだと思ってたけど、軍の中でもいろいろあるんだな…少し世の中を知った…


「それに、そんなことして結局親父に泣きついたって思われても癪だからね。軍に入隊した時から、アタシはアタシの力でやっていくって決めてんだ」


「…お父様、ですか?」


「ああすまない。こっちの話さ」


エレノアが紅茶を一口。僕も飲んでみる。柑橘系にちょっとベリーっぽい甘みを感じる。リラックスできるいい香り。女の人が好きそうな紅茶だな。


「…一応言っておくけど、アタシに夜這いをかけてきたバカ共は、全員1人残らず叩きのめしてやってるからな?」


「そ、そうですか…さすがですね…」


この人に夜這いとか、勇者だな…軍という組織に若い女が1人いればそういうことになるわけか…さすが軍…なんて荒々しいんだ…


「…アタシはいいんだよ。問題はルシーダの方さ。あの子はこっちに来てからずっとアタシの上司共に脅されて続けているからね。あの子の精神がまいってないか、ちょっと心配なんだよ」


そうだったのか。ルシーダも大変なようだ。


「…ルシーダはそんなこと、僕に一言も言ってくれていないです」


「あの子なりに、周りに迷惑かけないように気をつかってるのさ。水くさいよねえ…女の子みたいな見た目してるくせに、そういうとこは妙に男気あるんだから…あんた、ルシーダと仲いいのかい? もしそういうことだったら、たまに相談のってやってくれよな」


「ええ。そういうことでしたら、僕にできることなら何でも」


ルシーダに今倒れてもらっては僕も困る。今度それとなく、悩みとか、聞いてみてもいいかもしれない。ただルシーダって意外とそういうとこタフだったりするんだよね…


…っていうか、鈍感なだけ?


…本人には言わないでおこう…


それにしても、自分のことを差し置いてルシーダのことを気にかけたり、エレノアは案外優しい人らしい。


「エレノアさんは、何か気分転換にすることとかあるんですか?」


「アタシかい?…んー、陸の上では、そんなに無いかなあ…」


海の上で何をするんだ?


…釣り?


なわけないか。


「まあ軍人なら気晴らしくらいいくらでもできるさ」


「奴隷館で働いていた時、王国軍の人がたくさん憂さ晴らしに来てましたけど…なんだかちょっと彼らの気持ちも分かったような気がします」


「アンタは確かそうだったね…アタシは生憎、そっち方面は全然。酒も飲めないし」


意外だ。こう言っちゃなんだが誰よりもお酒飲みそうな見た目なのに。


「まあイケメン遊びは少々嗜むけどね」


…そーですか…


「…そういえば、アンタと一緒にいた、浅黒い肌の子、あの子いい男だね」


「ニキータですね。見た目もですけど、中身もいい人ですよ。僕仲がいいんです」


「そうなのかい?…仲がいいなら、今度ちょっと紹介してもらえる? ああいうの見るとついいじめたくなっちゃうんだよね」


!!


エレノアが悪い顔をしている。サキュバスのような不敵な笑み。


セクハラされてて同情したのに、この人もまあまあ同族じゃん…軍人ってやっぱサドが多いんだろうか…



なんだかよく分からないけど、めちゃくちゃイラッとする。


「…ニキータにそういう趣味はありませんよ」


僕は感情をさとられないように満面の笑みで言葉を続ける。


「エレノアさん? くれぐれも、ニキータに変なまねはしないでくださいね?」


イライラ。


いかんいかん。


にこにこ。


「…ん? 何だい? 怖い顔して」


怖い顔? 僕今めっちゃ笑顔のはずなんだけど。


「…はーん、そういうことね。安心しなって。冗談だよ冗談。手出しゃしないよ」



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