28 ▼眠る者たち▼
緑が生い茂る鬱蒼とした森。帝都からは少し離れた場所。
樹齢が何百年はあろうかという木々に囲まれて、大きな石製の墓石がある。人型の巨人のような石像だ。
「…これがリコリス皇族の墓か」
俺は目の前の巨像を見上げる。自分の国の、こんなにも重要な存在の1つを、皇子という立場でありながら今まで全く知らずにいたことに少し歯がゆさのようなものを覚える。
イスカールが墓の前に歩み寄り、跪く。うなだれて、少しの間祈るようにした後、再び立ち上がり、こちらを振り向く。
「…もういいのか?」
「はい。ルシーダ殿下にはお手数をおかけしました。レンブルフォートを離れる前に、どうしても立ち寄っておきたかったものですから」
「構わないよ。俺もリコリス皇族のことはもっと知りたかったし」
実際に墓を見てみれば、話でしか聞いたことのなかったリコリス皇族の存在が、より実感をもって感じられる。
イスカールはもともとリコリス皇族に使える兵士だったらしい。途中で両皇族の政争に巻き込まれ、やむを得ずアイリス皇族に利用されながら、特別にアナスタシアの護衛の任務を許されていたとのことだ。
そのイスカールは今回王国軍の命令で、フランタル本国に徴集され王国軍の剣術の指導にあたることになった。拒否はできない。イスカールはリコリス皇族に対する忠誠心が強いから、一度この場所を訪れておきたかったのだろう。
「…アナスタシア殿下、お傍でお仕えできなくてまことに申し訳ございません」
「いいえ、僕は大丈夫だよ。イスカールの方こそ、気をつけてね。フランタル人は何を要求してくるか分からないから」
同行していたアナスタシアが、イスカールに答えて微笑む。アナスタシアはイスカールとの付き合いが長いから、今回のことでいろいろ思うことがあるかもしれないな。たぶん家族よりも長い時間を一緒に過ごして、そして守ってもらってきたのではなかろうか。きっと誰よりも信頼しているはずだ。離れるのは今回が初めてだろう。心細いかもしれない。俺だったらそうだ。でもアナスタシアの様子を見る限り、あまり不安そうには見えない。まあただ、こいつはいつ見ても何を考えているのか分からないんだが。
「お父上との約束だったのですが。殿下の傍に居て、お守りすると」
「イスカールはよくやってくれたよ。僕なら大丈夫。それにもう1人じゃない」
鳥が木から飛び立って、空の方へと飛んでいく。木々の葉の間から、光が漏れている。ここはちょうど森の中の隠れ家のような場所になっている。
約束、か…やはりいろいろあったようだな。
イスカールはアナスタシアに歩み寄り、手を取る。
「…必ず殿下のもとへ戻ります。それまで、どうぞご無事で」
「ありがとう」
数日後、イスカールはフランタル本土へと出発した。
▼ ▼ ▼
宮廷近く、緑の丘の上。よく晴れていて、空が青い。
1つの簡素な十字架。その前の、地面の墓石には、オフィーリアの名前が刻まれている。他には何も無い。
俺は持ってきた百合の花束を供える。オフィーリアが好きだった花だ。
レンブルフォートに帰ったら、まず真っ先に来たかった場所だ。忙しくてつい数日過ごしてしまったが、ようやく来ることができた。
「…素敵な所だね。君のお姉さんは、とてもいい所に眠っているんだね」
アナスタシアも持ってきた花束を供える。他には誰もいない。
「…お花でいっぱいになっちゃったね」
「喜んでくれるといいな」
「花が好きな人だったの?」
「宮廷の中庭の花は、ほとんどオフィーリアが選んで植えたんだ。庭師も驚いてたよ」
「そう。きっと優しい人だったんだね」
「ああ。とっても優しい人だった。オフィーリアより優しい人を、俺は知らない。俺にとって、一番大事な人だよ」
「じゃあここも君にとってとても大事な場所だ。僕を連れてきてくれてありがとう。でもよかったのかな? 僕なんかが」
「リコリス皇族の墓を見せてくれたからな。だから今度は俺も、お前に俺の大事な人を紹介したくてね。まあお礼だよ」
ちなみに、エリオットもいつかこの場所に連れて来たいと思っている。実はエリオットにはまだオフィーリアのことを話せていない。何度か機会はあったのだが、そのたびにうやむやになって、結局話せないままになっているのだ。彼女には何と話せばいいのだろうか。君が、俺の死んだ姉に、とてもよく似ているんだ、それで…
でも、エリオット自身は、俺のそんな話を聞かされて、どう感じるんだろうか? 困惑しないことなどあるだろうか? あまり身勝手なことはできないとも思っている。
…
「…海が見えるね」
アナスタシアが、遠くを眺めて呟く。視界の遥か先、穏やかな海が広がっている。今日は雲の具合で王国の大陸は見えない。
「いい海さ。向こうの王国まで往復したけど、船旅は快適だ」
まあ、途中で海賊的なものに出会わなければだが…なお海賊的とは合法のものも含む…
「いいなあ、羨ましいよ。僕もあの海を渡ってみたい」
「いずれお前も王国に行けるさ」
「いい所?」
「まあそれなりに」
いろいろあるけどね…詳しいことは今は省くが…
「じゃあ楽しみにしてようかな」
微風が吹きぬける。草が揺れて、さらさらと心地良い音を立てる。
「…ところで、お兄さんの所には行かなくてもいいのかい?」
「ジラードか…」
ジラードは宮廷での戦闘中に自殺したとだけ聞いている。遺体は王国軍によって、結局レンブルフォート皇帝の墓、アイリス帝の墓に簡潔に埋葬されたらしい。
「…正直俺は、その必要を感じない」
「会いたくないんだね」
「冷たい弟だな」
「いや、殺されかけたんでしょ? 無理もないよ」
「お前も相当酷い目に遭わされているよな」
「ある意味君に負けず劣らずね。でも君にとっては実のお兄さんだから、やっぱり一度はお墓参りしておきたいのかなと思ってさ」
「…実は、ジラードが死んだって聞いた時、ほとんど何も感じなかったんだ。俺にとってヤツがどういう存在だったのか…なんとなく分かったよ」
俺はオフィーリアの墓石に、語りかけるように手を添える。彼女の返事を聞きたくて。
「…姉さん、俺はひどい弟だな」
「そんなことないよ、ルシーダ」
アナスタシアが代わりに答えてくれる。
「ジラードが死んで悲しくないのは、僕も同じさ。君は冷たい人じゃない。ルシーダ…僕たちは勝ったんだよ。なぜなら、彼が間違っていて、僕たちが正しかったから」
…そう、なのだろうか。俺にはよく分からない。ただ、結果として、ヤツに殺されかけた俺とアナスタシアは生き残り、ヤツ自身は死んだ。
…
これから、俺たちは、そしてレンブルフォートは、どうなっていくのだろうか。俺は今この地の領主だが、俺自身に何か力があるわけではない。全て周囲の思惑のままに、俺はただ人形のように利用されているにすぎない。この大きな時代の流れに呑み込まれていくだけだ。大海に浮かぶ小さないかだのように、頼りなく。
…オフィーリア。一度は死を覚悟したけど、俺はまだ生きていたよ。俺にはまだやることがあるらしい。もう少し、見守っていてくれないか。
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