A第一二話 万屋
そいつは初めて見る虫だった。種類で言うならハサミムシだ。尾部に巨大なハサミを持ち、獰猛に襲いかかってくる。
「ウルクス、凍結球を使え!」
ケーラが素早く立ち回りながらハサミムシに矢を射掛ける。正確な攻撃はハサミムシの関節の隙間を狙っていくが、数本刺さった程度では堪えないらしい。
「わかった!」
俺はケーラの後方で距離を取りながらスリングを引き絞る。ハサミムシは左右に体を振り、巨大なハサミで襲ってくる。動きが大きい分狙うのは難しいが、しばらく観察したおかげで動きの癖はつかめた。凍結球を放つ。
ハサミムシの頭部に凍結球がぶち当たる。盛大に冷却液が噴出し、ハサミムシは一気に霜に覆われる。そして目に見えて動きが鈍くなった。
「とどめだ!」
ケーラが言い、
「ふう、終わったか」
ケーラが弓を背中に掛け、額の汗を拭った。
「大した腕前だな」
俺は息をつきながらケーラに歩み寄る。
「この辺はハサミムシが多い。結構凶暴だから普段は近づかないんだ。久しぶりに相手をした」
「そうか。確かに結構強そうな虫だった。一人じゃ相手はしたくないな」
俺は振り返り、木の陰に隠れていたアクィラに声をかける。
「おい、もういいぞ」
木の陰からちょこんと顔を出し、アクィラがこっちに走ってくる。
「死んじゃったの?」
「ああ、殺した。結構しつこいやつだからな。生かしたままだと厄介だ」
ケーラが言うと、アクィラは神妙な顔で返事をした。
「ふーん……でもちょっとかわいそう」
「機械に情けをかけるなよ。こっちがやられちまうぞ」
俺が言うと、アクィラは不思議そうに言い返してくる。
「でもウルクスは……あんまり機械虫を殺したがらないでしょ?」
「そりゃまあ、殺さずに済むならそれに越したことはないけどな。今は慎重に行かないといけない。お前もいることだしな」
「ふーん、そっか」
まだ少し納得行かないようだったが、アクィラは一人で頷いていた。
「さて……関所まではもう少しか」
俺が木々の向こうに目を凝らすと、ケーラが言う。
「ああ。もうじき森が途切れて草原になる。ハベスの関所はその先だ」
「道に沿って進めばいいんだな」
「そうだ。ここからは迷うこともないだろう」
「なら、案内はここまででいいぜ。ここから先は二人で行く」
「そうか。森が途切れれば虫と出会うこともないだろう。それに、お前なら一人でも大丈夫だろうさ」
「だといいが」
ケーラが俺に向かって手を差し出す。俺はその手を握り返した。ケーラの手袋越しに熱が伝わる。
「幸運を祈る。おじょうちゃんもな」
「はい、ありがとうございました」
「あんたも達者でな。近くに来ることがあったらまた寄らせてもらうぜ。ジェイムスンにもよろしく言っといてくれ」
「ふん。また来る時か……その時まで私が生きていればいいがな。じゃあな」
不吉なことを言い残し、ケーラは踵を返し来た道を帰っていった。その背が木々の向こうに消えるまで俺たちは見送っていたが、ケーラは振り向くことはなかった。
「行っちゃったね」
「ああ、国境までという約束だったからな」
「でも、かっこよかったね。やっぱり弓は強いんだ」
アクィラは腰から提げたスリングに触れながら言った。まだ球を扱わせていないが、どうしても俺の真似をしたいらしく、格好だけスリングを提げている。
「なんだ、弓の方がいいのか。どっちにしても扱うのは簡単じゃないがな」
弓は当然正確に矢を射ることができなければ効果が薄い。甲羅に当てたところで弾かれるだけだから、ちゃんと関節や基部を狙う必要がある。そしてスリングはというと効果範囲が広いからその分狙いは甘くてもいいが、速度が矢ほど早くないから撃つ
「ふうん……でもやっぱりスリングがいいかな。ねえ、私にも教えてよ」
全く、また始まったぜ。教えて教えて。何度言っても諦めない。
「いつかな」
「いつかっていつよ」
「お前が大きくなってからだ。今はとにかくキャスハに行くぞ。モーグ族を探さなきゃいけない。アレックスがいてくれれば話は早いんだが」
「アレックスさん……大丈夫なのかな」
心配そうにアクィラが言う。あの時聞いた、途中で途切れた無線のことを思い出しているのだろう。昨日のアクィラの一件もそうだが、デスモーグ族が何かを企んでいるのかもしれない。こうしてキャスハを目指している間も、不安は増すばかりだ。
「考えても仕方ない。とにかく行くぞ」
「うん」
一時間ほどで関所につき、特に問題なく通過することができた。
そして虫車に乗りキャスハへ向かう。三日間揺られながら退屈を持て余し、そしてキャスハについた。
まず驚いたのは、人が多いことだった。街自体もアキマよりでかい。俺が見た中で一番大きな街だった。祭りでもやっているのかと思うほど人がいるが、特にそういうことではないらしい。キャスハではこれが普段のことのようだった。
「お店を探すんだっけ」
アクィラが後ろから声をかけてくる。はぐれないように気をつけながら道を進んでいるが、人垣に呑まれてしまいそうだった。そうなれば探し出すのは難儀なことだろう。
「万屋だったな。看板にそう書いてあるらしいが……」
俺は周囲を見渡すが、道沿いにずっと店が並んでいる。食い物の店、服屋、野菜や果物を売る店、機械虫の部品を扱っている店もある。とにかくなんでもある。無いものは無いのではないかと思えるほどだ。
「ケーラは街の外縁部だと言っていた。とにかく……探すしかないな。行くぞ、アクィラ」
「うん」
俺たちは人の波をかき分けるように街の中を探した。しかし万屋だけでもいくつもあり、途方に暮れてしまった。手がかりは店主がシャイケンという老婆ということだけ。シャイケンという名を聞いてみても知っている奴はいなかった。
ため息をつきながら見つけた一〇軒目の万屋。看板にはよろず、商いとだけ書いてある。他の店は何かしらの名前がついていたが、ここはなんとも飾り気の無い店だった。軒先には食い物や反物、日用品や機械虫の部品まで色々だった。
「はあ……ここだといいね」
何回目かのアクィラのつぶやき。
「まったくだな」
俺も何度目かの答えを返し、店の中に入る。
店の中には店が所狭しと並んでいた。通路は人がひとり通れるだけで、店の奥を見通せない。得体のしれない草や昆虫……機械中じゃなくて本物の虫だ。薬にでもするのだろうか。怪しげなものもたくさん並んでいるが、とにかく店主を探す。
品物に触れないように注意して奥に歩いていくと、一番奥に人がいた。女性……老婆だった。俺はぬか喜びにならないことを祈りながら近づいていく。
「はいはい、いらっしゃい。なにかお探しですか」
老婆が笑いながら話しかけてくる。俺は意を決して尋ねる。
「あんた……シャイケンか?」
「あん?」
俺が聞くと、老婆はとたんに不機嫌そうな顔になった。俺は不安になったが、確認しなければ始まらない。
「実は物じゃなくて人を探している。シャイケンという女性だが……心当たりはあるか?」
「そのシャイケンに何の用だい?」
言うべきかどうか迷ったが、答えないわけにもいかない。適当に誤魔化しながら答える。
「人を探している。その為にはシャイケンという人に会わなくちゃいけないんだ。ケーラからの紹介だ」
「ケーラ?!」
老婆は驚いたように目を見開く。
「久しぶりに聞いたね、その名前……元気なのかい、あいつは」
「ああ、達者でやってるよ。ハサミムシを殺せるくらいに」
「はっ、そうかい! ケーラの紹介ねえ……誰に会いたいんだい?」
「それはシャイケンにしか言えない。知っているのか、シャイケンを」
「ふうん……シャイケンは私だけどね。ひょっとして……」
老婆、シャイケンは部屋の中を見回す。俺たち以外に誰もいないことを確認しているようだった。
「……白い鎧の連中かい」
俺は息を呑み答える。
「そうだ」
「ふむ……」
老婆は視線を左右に動かす。左手の親指の爪を噛みながら、何事か考えているようだった。
・予告
シャイケンの案内でクリストファー氏族を探すウルクス。出会ったのは、しかし意外な姿だった。モーグ族の一族に一体何があったのか。そしてアレックスの行方は。
次回「暗雲」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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