B第九話 クリストファー氏族
街の東、アレクサンドラの言う辺りまで虫車を回す。俺には初めて来たこの街のことが何も分からないが、アレクサンドラには分かっているようだった。地図が鎧の中にあって、それで何がどこにあるかも大体わかるらしい。
街の外れには俺達のように虫車を停めている連中が少なくなかった。金を払えば宿屋の駐機場に停めさせてもらうが、金をけちる連中はこのまま虫車で野宿する。俺達もその予定だったが、寝る前に目的を果たさなければならない。
「その店は遠いのか?」
客車で何事か調べているアレクサンドラに俺が尋ねる。アレクサンドラはややあって答えた。
「ここから遠くはない。街の外縁部にある店のようだ。情報は十年以上前のだから少し古いが……その店は残っているはずだ」
「そうか。で、どうする? 一旦俺だけで行くか? それとも……」
「一緒に行く。暗いから外套をかぶっていればそれほど目立たないだろう。それに、お前だけで言っても相手してくれない可能性がある。モーグ族の知り合いだなどと言っても警戒されるだけだ」
「ああ、そうかもな」
アレクサンドラが客車から降りて虫車の前に出る。俺もオサムシの停止信号を出してから御者台から降りる。スリングは一応持っていく。街中で使うような真似はしたくないが、何があるか分からない。用心するに越したことはないだろう。
「では行くぞ」
「ああ。道案内は頼むぜ」
アレクサンドラは外套のフードをかぶり直し歩き始め、俺もそれについていく。
まばらだった人垣が密度を増し、通りの雑踏を抜けて俺達は進んでいく。食い物の店や甘酒屋、その他土産物なんかを売っている露店が並んでいる。アキマにもあるが、この時間になると閉まっていることが多い。それを考えるとこのキャスハという街の方が活気があるようだった。
もっとも、店が多くて人も多いのはいいことだが、その分変な連中も増える。薄暗い路地の影には何やら怪しげな連中がたむろしていた。
デスモーグ族とつながりのある連中……アサシンの仲間という事はなさそうだったが、そうだったとしてもさほど意外ではないような容貌の連中だ。せいぜい問題を起こさないようにしなければ。
漂ってくる食い物の匂いを我慢しながら五分ほど進む。人の数は減るどころか増す一方で、祭りの最中かと思うほど人でごった返している。だが恐らく、これがキャスハの日常なのだろう。でかい街に行ったことがないわけではないが、夜でもこれだけの人が出歩いているというのは少々面食らう。
「……ここだ」
アレクサンドラが歩速を緩め、左右を確認して足を止めた。右手にある店に視線を移しながら、俺の方に目配せをする。
「よろず屋か……」
看板によろず、商いとだけ書いてある。店先には乾燥させた果物や茶が並んでいて、機械虫の部品なんかも置いてある。ドアは閉まっていたが店の中の明かりはついているようで、人の気配があった。
俺とアレクサンドラは顔を見合わせて頷き合い、そしてアレクサンドラを先頭に店に入った。
店内には棚が所狭しと並んでおり、店の奥の方は見えないほどだった。よろず屋というだけあって何でも扱っているようだが、乱立する商品に触れないように注意しながら進んでいくと、店員の姿が見えた。五十歳ほどの女性が退屈そうな表情で座っていた。
「何か御用で?」
店員はあまり興味もなさそうに俺達に声をかける。
俺が黙っていると、アレクサンドラが前に出て店員に言った。
「ここでは特別なものを扱っていると聞いた」
「特別? えーそうですよ。どれもとびっきりの上物ですからね。お手ごろなものもありますけど品質は折り紙つきです」
判で押したような商売文句。店員はまだアレクサンドラがモーグ族だとは気づいていないようだった。
「私は白い鎧を着ている……」
「白い鎧? そりゃーご立派で。なんの虫のですか」
とぼけたような店員の反応に、アレクサンドラは外套のフードを脱いだ。すると、店員の表情がハッと変わる。
「ケーラかい? 久しぶりだねぇ~!」
見知った顔を見つけたというように、店員は破顔した。
「ケーラではない。アレクサンドラという」
「アレクサンドラ? えっ? どちらさまです? 聞かない名前だね?」
「この地域のモーグ族ではないからな」
「へぇ……」
店員は値踏みするようにアレクサンドラを見た。そしてちらりと俺の方にも視線を移し、手元の茶を飲んでから口を開いた。
「表からくるなんて変な奴だと思ったけど、クリストファーの所のじゃないのかい? どこだい」
「アレックスだ。南方のラカンドゥの者だ」
「ラカンドゥ? そりゃあ……私は知らないねえ。まあいいさ。モーグ族がここに来たって事は、クリストファーに渡りをつけたいってことかい」
「そうだ。事態は急を要する。クリストファー氏族の所に案内してほしい」
「ふうん。急ねぇ……まあちょっと待ちな、店じまいするから。その辺に座ってな」
店員は席を立つと俺達の脇を抜けて玄関の方に向かった。そしてガタガタと片付けるような音が聞こえ始めた。
「ここで当たりだったわけか。すんなりいって良かったぜ」
「ああ、そうだな。違っていたらどうしようかと思った……」
緊張の糸が切れたようにアレクサンドラが言う。その様子に俺も思わず口元が緩む。
数分して店員の女性は戻ってきて、再び番台に座った。そしてアレクサンドラに向き直る。
「クリストファー氏族の所に案内してほしい。至急だ」
「至急って言われてもね……一応事情を聞かせてもらえるかい。私も何でもかんでも素通りさせるわけにはいかないからね」
「そうか……実は……」
少しためらいながら、アレクサンドラは店員に説明を始めた。
「我々の施設がデスモーグ族に襲われた。私達は逃げてきたが、状況がどうなっているか分からない。情報を得るためにモーグ族に接触したい」
アレクサンドラの言い方はかなりぼかした言い方だが、このくらいの方がいいだろう。このばあさんを疑る訳じゃねえが、何でも詳しく言えばいいというものでもない。
「わざわざラカンドゥからここまで? 」
「他の場所は監視されている可能性が高かったからな。ここまでくればその可能性は低い」
「あらあら、やだよまったくおっかないのは。うちの店にまで変なの連れてこないでよ」
迷惑そうに店員が言うが、アレクサンドラは気にせず言葉を続ける。
「クリストファー氏族の大まかな位置は分かっているが、探している時間がない。案内してくれ」
「大至急、ね。でもねえ、あいつらの住処は私も知らないんだよ。でもこういう時はこれを渡せって言われている」
店員は番台に置いてある金の入った箱を開き、奥をごそごそと探り始めた。そして何かを摘まみだす。
「これ、はい」
そう言い、店員はアレクサンドラに何かを渡した。
「これは……」
「何なのか知らないけど旧世界の道具だろ? 中にデータとかいうのが入ってるってさ」
「そうか。調べてみよう」
アレクサンドラは右腕の装置にその小さな四角い板のようなものを差し込み、左手で装置を操作し始めた。三十秒ほど無言だったが、やがて視線を上げて何かを見ているようだった。
「これは確かに、モーグ族の暗号データだな。ここにいるわけか。分かった」
アレクサンドラが俺の方を見て言う。
「行こう。ここから少し離れた森の中だ」
「そうか……じゃあ急ごうぜ」
「おっと。出ていくんなら裏口からにしとくれ。目立つからね」
「ああ、分かった。世話になったな」
店員の脇を抜けてアレクサンドラが店の奥に進んでいく。ついていくとそこにも商品が山になっていたが、突き当りにドアがあり外に続いていた。屋根付きの廊下を進んでいくと人気のない裏路地に続いていて、そこから街の中へ戻っていった。そして元来た道を戻り、街の外に出る。
雑踏から離れて声が聞こえにくくなったあたりで、俺はアレクサンドラに聞いた。
「どうする、このまま行くのか」
「ああ。待つ理由はない。居場所も分かったし、すぐに行くぞ。何か気になる事でもあるのか?」
「いや……そういうわけじゃない」
「なら行くぞ。時間が惜しい」
アレクサンドラは街から離れ足早に森の方へと歩いていく。遠目にいくつか青い光が見えるが、移動していないから機械樹のようだった。機械樹の多い豊かな森のようだった。
ほとんど真っ暗な森の中を俺達は進んでいく。機械虫が踏み荒らして下草はそれほど茂っていないが、地面を木の根が覆っていて歩きにくい。アレクサンドラも時々足を滑らせながら進んでいく。
そうして三十分も歩いただろうか。街の明かりはとうに見えなくなり、虫の声だけが森に響いている。闇にも目離れてきたがせいぜい
「この近くだ……」
アレクサンドラが足を止めて呟く。
「悪いが、俺には何も見えないぜ。真っ暗だ」
「そうだな。しかし表面に目印はないだろう。全部地下にあるからな」
「地下ね……基本的に埋まってるわけか」
周囲を見回すが何も見えない。しゃがんで地面をつついてみるが、何の変哲もない地面だ。入口のような痕跡は見当たらない。
「信号を出す。近くにあれば反応があるはずだ」
そう言い、アレクサンドラが右腕を地面に向ける。信号と言っても何の音もしなかったが、やがて地面から振動が伝わってきた。
「当たりだ。開くぞ……」
地面から光が差して思わず目がくらむ。見慣れた白い光だ。地面が
「勝手に……入っていいのか?」
「さっき信号を出した時点で私のことは伝わっている。もし問題があればそもそも開かない」
「なるほどね。じゃ、邪魔させてもらおうか……」
しゃがみ込んで入口に体を滑り込ませる。内部からはひんやりとした乾いた風が吹いていた。
白い通路をしばらく進むと、突き当りに大きな戸があった。しかし近づくと勝手に開き、どうやら入っていいという事らしかった。
戸が上に持ち上がって開いていく。するとその向こうに、人の姿が見えた。二人立っているようだった。
「まさかアレックス氏族がここを訪ねてくるとはな」
戸の向こうから声が聞こえた。そして戸が持ち上がり、姿が見える。だがその姿は、想像していたものとは違うものだった。
「……何があった?」
アレクサンドラが聞いたのは、まずそのことだった。俺も同感だった。
そこにいたモーグ族は白い鎧を着ていなかった。仮面もつけていない。一人は折れた腕を三角巾で吊り、もう一人は車椅子に座っていた。戦士というよりも怪我人だった。
「襲撃を受けたのさ、ここもね」
車椅子の男が苦々し気に言った。その様子に、俺は言葉を失った。助けを求めに来たはずが、こりゃあ当てが外れたのか。
・予告
傷ついたクリストファー氏族の戦士たち。何が起きたのかアレクサンドラは説明を受ける。そしてアレックスの行方は――。
次回「折れた剣」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます