B第八話 湿った風
旅の支度を整え、アレクサンドラにも身を隠すための外套を着せる。フードを目深にかぶらせれば白い仮面も目立ちにくい。仮面は外した方がいいかとも思ったが、白い肌を見られると説明が出来ない。仮面であればまだ、大道芸の芸人だとでも言い逃れる事が出来そうだった。役人の類に
俺とアレクサンドラはそれぞれの荷物を持ち、ドアの前に立った。
「じゃあ……行くぜ」
「ああ。だが……本当にいいんだな、ウルクス」
「いいさ。お前を放っておくことはできないし、デスモーグ族を野放しにもできないからな」
言いながら、俺はもう一度自分の家の中を振り返った。親父が若い頃に建てた家だ。もう三十年くらいは経っているだろう。ボロイが、しかし思い出のある場所だ。どこで足をぶつけたとか、ナイフを落として傷がついたとか、しょうもない記憶ばかりだが、それでも懐かしく思う。だがそれを持っていくことはできない。ここに置いて、そして二度と戻ることはできないのだ。
だが一つだけ持っていけるものがある。それは親父の弓だ。俺達がサーベルスタッグに遭遇したあの日、壊れてしまった親父の弓。今も壊れたままだが、これだけは持っていくことにした。なんの役にも立たない。しかし、こいつを置き去りにするのはあまりにも親不孝な気がしていた。
「……いいんだ。行こう、アレクサンドラ。じきに人通りも多くなる。なるべく早い方がいい」
「分かった……では、行こう。すまない……ウルクス」
俺はゆっくりとドアを開けて外の様子を窺う。武装しているような怪しい連中は見当たらない。カシンダがうまく誤魔化してくれているおかげだろうか。
家の外に出て、通りを抜けて森に進んでいく。雑踏が遠ざかり人の姿も消えていく。あまり使われることのない林道を通って北東に進んでいく。
「まずはサルカウに向かう。ざっと
周囲を確認しながら歩いていくが、今の所すれ違う人の姿はない。遠くに機械虫の青い目が見えるが、それ以外に注意を払うべきものはいないようだった。
「ハベスの関所までは一一〇タルターフ……順調に行って三日ほどか」
アレクサンドラの声が少しくぐもっている。フードでほとんど顔が隠れているせいだ。前も見にくいだろうに、しかし迷うことなく足を運んでいく。それも仮面や鎧の機能かも知れなかった。
「そこから先の道は俺は知らない。お前の地図が頼りだぜ」
仕事でハベスの国境近くまで行ったことはあるが、その先にある関所までは行ったことがない。ラカンドゥにせよハベスにせよ、外国に行くという事は普通の身分の人間には縁遠い事だ。しかしこんな形で再び外国に行くことになるとは。
「任せておけ……と言ってもデータがあるだけで私も行ったことはないが……何とかなるだろう。キャスハという町の周辺にクリストファー氏族がいる。そこに兄さんもいるはずだ」
「関所からキャスハって所まではどの位なんだ」
「
「関所まで三日、関所から目当ての町まで五日。八日間もかかるのか……追手が来る可能性は高いのか」
「ああ。私を追って来ているはずだ。しかし走ってタバーヌにまで行くとは思っていないだろうからな。今頃はラカンドゥ国内を探しているはずだ。現に、お前の家に行っても追っては来なかった」
その言葉に俺はぎょっとする。
「おいおい、そんな事を確認するために俺の所に来たのかよ」
「それは……すまない。意識がもうろうとしていたのもあってな。今思うと迂闊な行為だった……」
申し訳なさそうにアレクサンドラが言う。俺の記憶にあるのは口やかましいこいつの姿だけだったから、どうにも調子が狂う。
「いいさ。とにかく行こうぜ。アレックスの事も気がかりだ。向こうで面倒なことに巻き込まれていないといいが……」
不安を胸に抱えたまま俺達は道を進んでいった。幸いにも追手には出くわさず、その他の通行人にもほとんどすれ違うことはなかった。そして夕方にはサルカウに辿り着き、俺は首尾よく虫車を調達する。借りるのではなく買い取りだ。サルカウに戻ることも、恐らくもうないのだろうからだ。
「これで少しは楽が出来る。体を休めておけ、アレクサンドラ。もしデスモーグ族が来たらお前が頼りだからな」
御者台から荷台に話しかけると、荷台の小窓を開けてアレクサンドラが顔を出した。今は仮面を外していて、懐かしい顔が覗いていた。前に怪我していた鼻もいまは何ともないようだ。
「分かっている。何か不審なものが見えたらすぐに言えよ」
「だが……」
俺はちらりとアレクサンドラの方を振り返る。
「……武器はないんだよな。弩も何も」
「……それは、そうだな。武器を持ってくる余裕はなかったんだ。この古いグローブ以外は」
「ふむん。しかしまあ、白い鎧があれば何とかなるだろう。それに万一の時は、俺もそのグローブを使わせてもらうぜ。素手よりはましだからな」
「そうだな。今の所アクティベーションはお前だし、お前に預けた方が安心かもしれんな」
「そうかもな。まあ、そんなもんを身につけていると余計に狙われるかもしれないから、そいつは最後の手段にしておくぜ。ところで聞きそびれたんだが……」
「何だ」
「お前たちの施設を機械虫が襲ったといったな。それは……今までの攻撃とは違ったってことか」
「ああ、違っていた。虫の鍋の戦いの時にも機械虫は送り込まれてきたが、あくまで機械虫の機能での攻撃だった。内部に隠されていた武装を使っている個体もいたが、ある程度予想の範疇だった。しかし、今回の攻撃に使用されたのは……恐らく爆弾だ」
「爆弾? 爆裂球……みたいなものか?」
「そうだ。お前たちの使う爆裂の武器に似ている。それは危険な技術だから、我々は見つけ次第封印をしているのだが、封印を免れたものを奴らが使ったという事なのだろう。数も限られているはずだが……」
爆裂の武器を使えるのは軍隊と一部の許可を持った虫狩りだけだ。理由は危険だから。機械虫であっても容易に吹き飛ばし殺すことのできる武器であるため、一般には禁制品として出回ることはない。モーグ族たちにとっても同じような扱いらしい。
「その貴重な爆弾を使ったって事は、奴らよほどそのグローブを欲しがってたってことか」
「そう推測することが出来る。私たちが思っている以上に危険な遺物なのかもな。或いは、もっと別の機能が秘められているのかもしれない……」
「別の機能ね……」
虫の鍋で使った
「しかし……今はそんな事を考えてもしょうがないな。とりあえず急ぐだけだ」
「ああ……そうだな。私は休ませてもらう」
「ああ、そうしてくれ」
細い三日月が俺達の進む道を照らしている。この光の下で、また何か邪悪な企みが動いているのだろうか。月を睨んでも答えは出ない。俺は前を見つめ、虫車を進めた。
無事に関所を越え、ハベスに入った。しばらくはタバーヌと代わりのない風景だったが、進むにつれて森の植生が変わっていく。そして空気も変わっていく。ラカンドゥでは乾いた風を感じたが、ハベスは逆だ。湿ったぬるい風が吹いている。湿気が強く、気温もいくらか高いようだった。
森の植生が違うのもそのせいなのだろう。時折道沿いで見かける機械虫にも見知らぬ種類がいる。よく見るとカマキリやバッタのようなのだが、周囲の植物に溶け込むような姿をしている。背中が葉の形をしていたり、花のような顔をしている。タバーヌでは見た事のない機械虫たちだった。
虫車を昼は俺が、夜はアレクサンドラが運転し、そして五日ほどで目的地のキャスハに辿り着いた。
目の前に広がるのは立派な街だった。アキマよりでかそうだったし、すぐ近くの森も木が大きく立派なように見えた。行きかう人の姿も様々だ。色々な模様、形の装束。かなり多くの部族がまぜこぜに生活しているようだった。アキマよりも人種が多様なようだ。
「ここに……お前の仲間がいるのか?」
荷台のアレクサンドラに聞くと、返事が返ってくる。そして小窓からフードをかぶった顔を覗かせた。
「この周辺にいるが、街の中じゃない。森だ。私達と同じように旧世界の施設に住んでいる」
「つまり森の中を探さなきゃいけないのか……そいつは骨だな」
「心配ない。アセット……協力者がいるんだ。その人に会えば、クリストファー氏族の所まで案内してもらえるはずだ」
「ふうん……ところで、そいつらも肌は白いのか?」
「クリストファー氏族か? ああ、そうだ。白人……私達と同じ人種だ」
「じゃあ見分けるのは簡単か。といっても隠れ住んでいるから、そう簡単には見つけられないか。案内人ってのはどこにいるんだ」
時間は夕方、腹の減るころだ。まだ夜じゃないから、どうせなら今日のうちに会って話を進めておきたいところだ。
「よろず屋を営んでいる女性だ。町の東の方だ」
「東ね。じゃあ向こうか」
俺は虫車を再び動かし、人込みを避けながら東の方へと向かう。クリストファー氏族、それとアレックスにようやく会えるのか。この八日間の間にやばい事になってなければいいのだが。
・予告
クリストファー氏族に接触するべく協力者を探すウルクスたち。そして森に進み氏族を探す。分け入った森の中で見つけたのは、氏族の意外な姿だった。
次回「クリストファー氏族」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます