B第七話 帰らぬ旅路
翌朝、俺はほとんど眠れないままだった。硬い床の上で寝ていたせいもあるが、デスモーグ族が再び行動を開始したというのが気がかりでならなかった。こうしてのんきに寝そべっている間にも、あいつらは何かをしでかそうと画策しているに違いない。
しかし気が急いてばかりいても無意味だ。今やらなければならないのは、安全にアレクサンドラを逃がすことだ。
遠くで一番鶏の声が聞こえる。早い屋台はもう開いているだろう。旅に必要なものも調達しなければならない。行動が早いに越したことはない。そう思い、俺はベッドのアレクサンドラを起こさないようにゆっくりと体を起こす。ベッド脇のスツールに昨日買って手を付けなかった軽食と水差しを置いておく。
俺がいない間に目を覚まして、勝手に一人で行っちまうんじゃないだろうな。そんな不安もよぎったが、わざわざ俺を訪ねてきたくらいだ。それはないだろう。
そう思い、俺は必要なものを買いに出かけた。
「食い物とスリング球。外套も買ったな……こんなところか」
一通り買い物を済ませ、空き家の軒下で買ったものを確認する。前のラカンドゥへの旅の時に買ったものが使えるから、追加で買うものは少なかった。必要なものは食料と消耗品くらいだ。アレクサンドラが身を隠すのに外套も必要だった。
何か足りないのではと考え始めるときりがない。しかし時間は限られているから、この辺で切り上げてそろそろ戻ったほうがいいだろう。
「早起きだな、急ぎの用か」
背後からの声に俺は心臓が止まりそうになる。カシンダの声だった。
「カシンダ……尾けてやがったのか」
振り返ると、カシンダがいつもの細い目で俺を見ていた。腰には剣を帯びている。その気になれば、俺の首は胴と泣き別れだろう。
「これ以上関わるなと言ったはずだ」
そう言い、カシンダの手が剣の柄にかかる。俺は息を呑みながら答える。
「……向こうから飛び込んできたんだ。俺のせいじゃねえさ」
「そんな言い逃れが通用するような相手ではない。私も含めてな……さて、お前はどうするんだ」
「どう、とは」
「関わる……手を貸すのか? それとも見捨てるか、だ」
「見捨てることは……」
できない。あの状態のアレクサンドラを見たら、とてもそんな事はできない。それにルーカスたちもやられてしまったのかもしれないのだ。短い間だったが世話になった連中だ。その死をないがしろにすることはできない。
「行くのなら……どこに行くにしろ、もう二度と戻っては来られないぞ」
「アキマにか」
「ウルクスとしての一切を捨てることになるぞ。アキマ、虫狩りの立場、寄り合い所。友人知人……家族」
親父は、ザリアレオスはとうに死んでいる。しかしガブレス親方は親代わりのようなもので、その恩はまだ返しきっていない。他にも色々だ。チンケな人生だが、俺なりに培ってきたものはある。その一切を、捨てなければならないのか。
「その価値があるか。意味があるか。よくよく……考えた末の行動か? 情に流されて軽はずみな選択をしているんじゃないのか」
剣の柄を握るカシンダの手に力が込められたように見えた。それは怒りのように思えた。
「捨てる……それがどういうことなのか、俺はいまいちわかってないかもな。でもな、俺は……あいつを放っておけない。見過ごすことはできないんだ」
「自分の人生と引き換えてもか」
少し考え、俺は答えた。
「……そうだ。俺の人生と、引き換えてもな」
自分でそう言って、本当にそれでいいのかという気持ちもあった。だが旧世界の技術を見て、そしてモーグ族の戦いに関わり、俺は……変わったらしい。守らなければならない。今の、この世界を。大したことのない世の中だが、それでも、それが悲惨な世界に変わるのは許すことのできないことだ。それに今俺がここで手を引いたら、そのせいでなにかが変わってしまうかもしれない。それは思い上がりかもしれないが、それが今の俺の気持ちだった。
俺は、アレクサンドラを助ける。必要とあればもう一度戦う。きっとどれだけ考えても、その答えは変わらない。
「俺は所詮根無し草だ。いなくなっても大したことはないが……今のあいつには俺が必要らしい。親方には、お前から謝っておいてくれ」
「御免被る。代わりに殴られてはかなわんからな……」
そう言い、カシンダは空き家の薄い壁に背中を預けた。その手が剣の柄から離れる。
「二時間だ。俺が止めておけるのはそのくらいだ。行くのなら、その間に行け。もし心変わりしたら……いつも通り寄り合い所に行くことだな。夕方、お前が帰った頃には全てなかったことになる。あのモーグ族の奴は、お前の家になど来なかったとな……」
「二時間か。分かった……恩に着る」
「ふん。返せもしない恩など今更無意味だがな。さらばだ、ウルクス」
カシンダはそう言い残し、足音も立てずに歩き去っていった。俺は命拾いしたことに息をついた。早く戻らなければならない。カシンダは二時間と言ったが、それが早まらない保証はない。
家に戻り、戸を叩いて声をかける。
「ウルクスだ。開けるぞ」
数秒待つが答えはない。ひょっとしてもう行ってしまったのか。あるいはカシンダが何かしたのか。そう思ったが、戸を開けるとベッドに腰掛け身構えているアレクサンドラが見えた。
「どこへ行っていた」
「買い物だよ。旅に必要なものをな」
背後を確認しながら家に入り戸を閉める。安心できるというほどでもないが、俺はひとまず息をついた。
「私は……もう行く。世話になった」
アレクサンドラはそう言い、仮面を手に立ち上がった。スツールに置いておいた食い物と水はちゃんと摂ったようだった。表情も昨日の死にそうな顔に比べればいくらかましに見える。
「行くって……また走って行く気か? 無茶だ。距離的には可能でも、どうやってハベスでアレックスを探す気だ。お前一人じゃ目立って無理だ。すぐにデスモーグ族に見つかるぞ」
「それは……!」
アレクサンドラは口を結び険しい顔を見せる。一人では無理なことはわかっているはずだ。それでも、俺を巻き込みたくはないのだろう。
「俺も行く。虫車を調達して裏道を進む。少し時間はかかるが、その方が安全だ」
「しかし……」
「しかしも案山子もあるか。行くぞ。もう決めた」
「だが……私がしっかりしていれば、こんなことにはならなかった。兄さんがいない間、私がちゃんと施設を守らなければいけなかったのに……その上お前にまで迷惑を……」
「奴らは機械虫で攻めてきたんだろう? アレックスがいたって防げたかどうかなんてわからねえ。そんなことより、これからのことだ。これ以上先手を取らせる訳にはいかない。お前はお前の役割を果たせ」
「そう……そうだな……!」
アレクサンドラの目に決意が見える。腹が決まったようだった。
「本当にいいんだな、ウルクス。今度も……危険な旅になるだろう」
「気にするな。退屈な仕事にも飽きてきたところだ。ちょうどいい退屈しのぎになるさ」
すべてを捨てて……そう、俺はもうこの街には戻れない。ギンガマス虫狩り寄り合い所の虫狩りには戻れないのだ。それでも、行くと決めた。
「行こう、ウルクス。ハベスにいるアレックス兄さんと接触しなければ」
もはやアレクサンドラに迷いはなかった。俺もあらためて覚悟を決めた。片道の旅……帰ることのない旅に出るのだ。
・予告
隣国のハベスへと旅立ったウルクスとアレクサンドラ。無事に関所を越えてクリストファー氏族を探すためキャスハの町に向かう。
次回「湿った風」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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