B第五話 宵闇の再会

 以前までの生活が普通に始まった。だが親方が俺に雑用をやれといったのは本気のようで、俺はタルカス爺さんの手伝いをさせられた。

 マギーとマーガレットの体を磨き、他の連中が使った仕事道具の掃除と手入れ。虫狩りになって初めてやらされた仕事だ。まったく、今更こんな下働きのようなことをやらされるとは。

 そう思って文句の一つも言いたくなったが……長旅の間に気持ちが緩んでいたような気はする。それを考えると、しばらくこうやって体を慣らす時間はあったほうが良かったのかもしれない。親方がそこまで考えていたのかは分からないが……ともかく、俺は一週間を下働きとして過ごし、そして次の週から正式に虫狩りの仕事を再開した。

 カシンダはあれから何も言ってこない。寄り合い所で顔を合わせることはあるが、素知らぬ顔をしている。草の者という身分を隠しているのだから当然ではあったが……こうしている間もこいつは俺を監視している。あるいは、他の奴らが。それを考えるとどうにも気味が悪いが……俺がモーグ族たちと関わりすぎていたというのはその通りだろう。

 アクィラを救う旅……それに対する後悔はない。アクィラを助ける事が出来て本当に良かった。だが、モーグ族とデスモーグ族の戦いに首を突っ込むのはこりごりだ。モーグ族の使命は俺達普通の連中の生活を守る事にも繋がっているのかもしれないが、せいぜい俺達に関係のない所でやって欲しいものだ。少々薄情な気もするが、しかし関わり合わないのがお互いの為というのは本当だろう。

 俺はそんな事を考えながら、テントウムシに向かって帯電球を撃つ。球はテントウムシの少し後ろの地面に当たって青白い電撃を発し、テントウムシのケツを叩く。テントウムシは驚いたように足早に前に進んでいく。向かう先は森。俺は更にもう一発帯電球をテントウムシの後部の地面に向かって撃ち、更にテントウムシを歩かせる。

 今日の仕事はテントウムシの駆除だ。サイズは一ターフ一.八メートルを超えているが、テントウムシとしては中型だ。しかし体の重さは三デンス一八〇キロ近い。一人で荷車に乗せて運ぶのは無理だから、こうやってスリング球で森の方に追い込んでいく。

 殺してひっくり返して引きずっていく方法もあるがそこまでの悪さをしているわけでもないので、畑から離れた別の草場に誘導する。

 テントウムシは大人しい。スリング球で撃たれて目が赤くはなっているが、俺に襲い掛かってくるようなことはない。

 だがもし……俺の心の中には一抹の不安がよぎる。この何の変哲もないテントウムシですら、内部には戦うための武器が隠されている。前に見た時は高速で飛んで体当たりをする装置だったが、危険な炎の弾を打ち出すような装置が入っているかもしれない。

「一体……こいつらは何なんだろうな……」

 俺は遠ざかっていくテントウムシを見つめながら呟いた。答えのない独り言だった。

 機械虫は生き物だ。体こそ鉄でできているが、俺達人間と同じように生きている。普通の昆虫が硬い殻で体を覆っているように、機械虫も鋼鉄で体を覆っているだけの事だ。

 そう思っていた。それが普通だと……信じていた。

 しかし虫の鍋で見たのは、解体され作り直される機械虫の姿だった。ばらばらにされ、小さな部品になり、熱い炉で溶かされて新しい形に作り変えられていく。それは命というより、工芸品や装置といった方が正しいように思える。機械虫……まさしく、ただの機械だ。

 機械虫には心がある。怒り、怯え、時には人に対して友愛を示すこともある。普通の昆虫以上に、その心は豊かだと思っていた。

 信じていた。思っていた。全ては過去形の話だ。俺は虫狩りとして復帰したが、どうも……以前のように機械虫を見る事が出来なくなってしまっていたようだ。

 こいつらは……一体何なのだろうか。心があって動いているのではない。千年前に作られ、その時受けた命令のままに生きているだけだ。そしてそれは書き換える事が出来る。アクィラの頭の装置……ああいうもので勝手に書き換え、暴れさせたり、機械虫同士で戦わせることも出来る。

 犬も飼いならせば人にけしかける事が出来るし、犬同士で戦わせることも出来る。だがそれとは少し違うように感じる。機械虫は……その心のつくりは人間や犬や、他の生き物とは根本的に違うような気がする。

 作り物……そう、作り物なのだ。たまたま今ある形に作られているだけで、それは機械虫の意志ではない。人を襲えと命令されれば、機械虫は躊躇なくそれに従う。人を守ることも出来るのだろうが……どう使うかはこの際問題じゃない。人間の意思で好き勝手に動かせることが……なんて言えばいいんだ? つまるところ俺は、その事実が気に食わないんだ。

 テントウムシは遠くに歩いていった。これでもう畑を荒らすことはないだろう。仕事は終わりだ。

 小さくなったテントウムシの背を見つめる。ヨタヨタとどこか頼りのない足取り。以前は愛嬌があると思えたものだが、今はそうは思わなかった。命じられ、そう動いているだけに過ぎない。そんな風に思ってしまう。

「まさかこんな風に思うようになっちまうとはな……」

 虫狩りとして生きるなら、機械虫への敬意は必要だ。時には命を奪う事になるのだから。それをぞんざいに扱うようなことはあってはならない。だが……その敬意が揺らいでいた。俺は作り物の命とどう向き合えばいいのか分からなくなっていた。


 悩んでいても、迷っていても、お天道様は変わらず動き続ける。今日も日が暮れて、夕方になれば腹が減る。

 だが今日はどうも食欲がない。軽食を買ったはいいが、どうにも食う気にならなくてそのまま家に持ち帰った。明日の朝飯にすればいいだろう。

 薄暗い家の中で、照明をつけずに俺はぼんやりと考えていた。

 こうして一人でいると、いつまたカシンダがやってくるかと、無意識に身構えてしまう。何も起きていないから、奴が来ることはないだろう。だが見張られている可能性はあるから、なんとなく気は休まらない。最近の妙な気疲れはあいつのせいかもしれない。

「あーあ。まったく、どうしちまったんだ、俺は……」

 深く悩むなんて俺らしくない。酒を飲んで次の日には忘れているのがいつもの事だった。しかし、今はその酒すら飲む気にならない。そんな事でごまかせるような事でもなかった。

 機械虫は生き物じゃない。そしてカシンダは普通の奴じゃない。当たり前だと思っていたことが当たり前ではなく、みんなが何かを隠して生きているような気がしていた。

 俺が信じていた世界は何だったんだろうか。

 こうしている間にも……どこかでまたデスモーグ族とモーグ族は戦っているのだろうか。またどこかで子供がさらわれているのだろうか。そしてカシンダのような者たちが闇の中で動いているのだろうか。

 俺は……知るべきではないことをいろいろと知ってしまったらしい。面倒ごとから解放されたと思ったが、まだその絡み合った糸の中に囚われているような気分だ。或いは最初から……気付いていないだけで、蜘蛛の巣に引っかかった虫のように、俺は最初から囚われていたのだろうか。

 世界が俺の知らない力で動いている。そんなことは知りたくもなかった。知らずに、気楽に生きていきたかった。だが知ってしまった今となっては戻れない。

 そんな愚にもつかないことを考えながら、俺は無為に時を過ごした。答えの出ない問い。解決する見込みのない難題。考えるべきなのか、忘れるべきなのか。このまま何事もなく暮らしていれば、やがて以前のように、気楽に生きられるようになるだろうか。

 気が付けばもうすっかり暗くなっていた。俺は照明をつけようとしたが、なんだかとても面倒だった。もういい。今日はこのまま眠るとしよう。起きていたって、無駄に悩むだけだ。

 不意に、ドアを叩く音が響いた。俺は思わず驚き、ドアの方へ視線を向ける。

「ウルクス……いるか、ウルクス」

 ドア越しに声が聞こえる。誰だ? またカシンダが来たのかと思ったが、どうも違う。声は女のもののように聞こえた。

 俺は返事をせず、ゆっくりと立ち上がり足音を殺してドアに近づく。俺の家に用がある女……皆目見当もつかなかった。

 再びドアを叩く音が響く。

「ウルクス……いないのか」

 ドアの向こうで声が呟く。どこか疲れ切ったような声……それは、あいつの声に似ていた。しかし、まさかな……。

「誰だ」

 俺はドアの向こうに呼びかける。返事はすぐに返ってきた。

「ウルクス……! 助けてくれ……私だ、アレクサンドラだ……」

「アレクサンドラ……本当かよ……」

 声は確かにアレクサンドラのものだ。しかし、何故あいつがこんな所に? 国境を越え、何故アキマに? 何故俺の家に? 疑問がいくつも生まれたが……追い返すわけにもいかない。助けてくれというからには、よほど切迫した状況なのだろう。俺は意を決しドアに近づき、そして閂を外してドアを開ける。

 そこには外套をかぶった人影があった。暗いが、しかし外套の中に白い鎧、仮面が見えた。そいつは、アレクサンドラは、倒れ込むように俺の方に近づいてくる。アレクサンドラの膝が折れ、そして体が俺の胸に倒れ込んでくる。俺はその体を支え、外に誰もいないことを確認してドアを閉じた。

「ウルクス……良かった、いてくれて……」

 アレクサンドラの声には力がなかった。かなり弱っているようだった。

「おい、大丈夫か? 何があった……とにかく、こっちに座れよ」

 椅子を引いてアレクサンドラを座らせる。アレクサンドラは外套のフードを下ろし、そして仮面を外した。

 暗くてはっきりとは見えないが、その輪郭は施設で見慣れたあいつの顔だった。間違いなくアレクサンドラだった。

「水を……くれないか」

「ああ……」

 か細い声にこたえ、俺は水差しの水をコップに次いで差し出す。アレクサンドラはコップを受け取ると、一息に水を飲み干した。

「一体何があったんだ、アレクサンドラ? なんで……タバーヌにいる? また何かあったのか」

 そりゃそうだろう。何もないのに来るわけがない。こんな時間に、しかも俺の家に。俺はもうこいつらとは関わってはいけない。ひょっとすると、アレクサンドラの姿はカシンダや他の連中に見られてしまっているかもしれない。そうなると俺も……余りいい状況ではないだろう。

 だからと言ってアレクサンドラを追い返す気にはならなかった。こいつは……俺の所に助けを求めに来たのだから。

「全てを奪われた……」

「何?!」

「施設が襲われた。みんなも……生きているかどうかは分からない」

「何だと?!」

 疲れ切ったアレクサンドラの声が闇に吸い込まれていく。聞くべきではない。関わってはいけない。そう考えながらも、俺はどこかで覚悟を決めていた。

 また、戦わなければならないかも知れない。たとえ、二度とここに戻る事が出来なくなったとしても。



・予告

 アレクサンドラは何が起きたのかをウルクスに説明する。それはデスモーグ族との新たな戦いの始まりだった。一人逃げ延びたアレクサンドラはある場所へ向かおうとする。アレクサンドラを助けるためには再び今の生活を捨てなければならない。ウルクスは決断を迫られる。


 次回「守るべきもの」 お楽しみに!



※誤字等があればこちらにお願いします。

https://kakuyomu.jp/users/ulbak/news/16816700429113349256

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る