B第四話 草の者
「お前が帰ったと聞いてな……顔を見に来たのさ」
カシンダは発光器を消して部屋の中に入ってくる。俺は奥から客用の椅子を持ってきてカシンダの方に置いた。部屋の明かりをつけると、カシンダは椅子に座り、俺もベッドに腰掛けた。
「お前にも迷惑をかけたな。だが……おかげで用は済んだ。終わったよ、きれいさっぱりな」
「そうか。なら俺の忠告も無駄に終わるかもしれないな」
「忠告?」
思わせぶりな言い方に俺は聞き返す。虫狩りの許可証のことで小言でも言われるのだろうか。俺はそんな事を思ったが、カシンダが口にしたのは思いもよらない事だった。
「ウルクス、モーグ族と関わるのはもうやめろ。それを言いに来た」
「何……何だって……?」
モーグ族。それは一般には知られていない事柄だ。現に俺も護衛任務で関わるまでは聞いた事もなかった。しかしそんなモーグ族の事をカシンダが口にしている。突然の事に、俺は言葉を返せずにいた。
「何で知ってるんだという顔だな。全部知っているぞ。お前が四か月前、モーグ族と共に戦ったことも。今回の旅でも、またモーグ族とつるんで戦ったな」
「……何の……事だ、カシンダ……?」
俺は精一杯の落ち着いた声でしらばっくれた。だがその声は半分裏返っていて、いかにも苦しい言い逃れのように聞こえた。カシンダは俺をいつもの細い目で見つめ、そして微かに笑った。
「この国も昔はけっこう争いが絶えなかった。いくつもの部族や王の血族が争い、騙し合い、血を流していた。ここ五十年ほどは落ち着いているが、昔の慣習というのはなかなか消えないものだ。俺達は……草と言われている」
「草……?」
「草の者。どこにでも生えているような雑草。そんな存在さ。どこにでもいて、目と耳となり、色々な情報を集める。それが俺の仕事だ。寄り合い所の仕事もやっているが、それは世を忍ぶための仮の姿に過ぎない」
「間者ってことか? 王国の……?」
「そんなところだ。しかし俺の事はどうでもいい。問題はお前の事さ」
「俺を……どうする気だ? 軍にでも突き出すのか?」
時々野党などが軍に征伐されていることがある。凶悪な犯罪者なんかも軍が捕まえることもある。俺もそう言う連中と同じように扱われるという事だろうか。モーグ族と関わったという事で……?
「今の所、情報は俺の所で止まっている。最初に気付いたのも俺だった。モーグ族の動向を追っている連中が別にいるが、そいつらが四か月前の騒動に虫狩りが関わっていることを突き止めたんだ」
四か月前と言えば、アクィラを助けに行った時のことに間違いない。あれでも目立たないように気を使ったつもりだったが、どうやっても痕跡は残る。姿を見られていたという事らしい。
「モーグ族達にはアセットと呼ばれる協力者がいる。最初はそいつかと思ったが、どうも違う。これまでの情報には無い男だった。で、気になって俺も調べたが、なんとなんと……アキマから旅立ったという話だった。シャディーンとタナーン……あの二人がうちに来た時点で怪しいとは思っていたが、やはりモーグ族にまつわるもの達だったというわけさ。お前はそれに巻き込まれてしまった……」
カシンダは言葉を切り、俺の反応を窺っているようだった。今更とぼけても無駄だ。かといって馬鹿正直に話すのも危険だろう。どう切り返すべきか俺が悩んでいると、カシンダが再び口を開いた。
「モーグ族関連の事案はかなり重要事項なんだ。関わったものは尋問を受ける。かなり厳しくな……そして俺の仲間は、関わっていたとされる虫狩りに話を聞きたくてしょうがないんだ」
まるで脅迫のような言葉だったが、カシンダの真意はそこにはなさそうだった。一体ここに何をしに来たんだ?
「……お前が情報を止めている理由は何なんだ? 何でそんな事を、わざわざ俺に言いに来た」
「言っただろう、忠告に来たと。今ならまだなんとか誤魔化せる。俺の所で情報をうやむやにして、見つかりませんでしたと報告すればいい。アセットを見失う事は少なくないからな。そのうちの一つというわけさ」
「……俺を見逃すって事か」
「そうだ。これでも……俺はお前の事が気に入っている。少々いい加減な所はあるが、虫狩りとしてよくやっている。客からの評判も悪くはない。機転も利くしな。ガブレス親方もお前には目をかけている。だからお前には、これからもうちの寄り合い所で働いていてほしい」
「……そいつは、俺もそう願ってるよ。もうモーグ族に関わって命を懸けるような真似は御免だ。いくら頼まれたってな……俺は所詮、ケチな虫狩りに過ぎない」
「そうだ。お前はケチな虫狩りだ。だからこれ以上モーグ族には関わるな。関わるならば……」
カシンダの細い目が更に細められ、まるで刃物のような冷たさを帯びる。これ以上関わればどうなるのか。それは聞くまでもない事だった。
「……ラカンドゥに行って、用は済んだ。きれいさっぱりな。俺がモーグ族と関わることは、もう二度とない」
俺の言葉を噛みしめるように、カシンダは黙したまま視線を落とし床を見つめていた。
「……それが事実であることを願う」
カシンダは立ち上がり、俺を見下ろす。
「今日の用はそれだけだ。良く帰ったな、親方も喜んでいた。また明日から、よろしく頼む」
「ああ……」
「邪魔をしたな。ゆっくりと休むがいい……」
そう言い、カシンダは踵を返して俺の家から出ていった。残された俺は、カメムシに鼻でも摘ままれたみたいな気分だった。カシンダが王の間者? 俺はずっと……見張られていたのか? まさかそんなやばい状況になっていたとは。嫌な汗がじわりと額に浮き出てくる。
だが、カシンダは忠告に来ただけだ。その言葉を丸ごと信じていいのかは分からないが……俺をしょっぴいて尋問……拷問かも知れない。そういう風に情報を聞き出すことは出来るはずだ。しかしそれをやらないというのは、カシンダが情報を止めていてくれるからなのだろう。
その事に何かいい事があるのかと言うと、分からない。カシンダが、単に俺が知り合いだからという理由で守ってくれている……そう考えるのも不自然なことではない。カシンダとは友というほど親しいわけでもないが……寄り合い所での仕事の付き合いは長い。信頼のできる同僚だ。向こうもそう思ってくれているというのは、おかしな話ではない。
だが……本当にそんな単純な話なのだろうか。カシンダの話には何か裏があるのかもしれない。何かさらに情報を掴もうと俺を刺激した……それで俺がどう反応するか見ているのかもしれない。
だが全ては推測だ。そしてカシンダにそれを問いただすことも出来ない。俺にできるのは……カシンダの忠告通りにこれ以上モーグ族に関わらないことだ。
「……これで良かったのか」
アクィラをモーグ族に任せる事には少し抵抗があった。あいつを見捨てるような気分がして、心に引っかかっていた。しかし、結果からするとこれで良かったわけだ。まだ中途半端にアクィラと縁が残っていれば、俺はまたモーグ族とも関わることになる。そうなればカシンダたちは俺を捕らえるのだろう。それだけじゃない。アクィラやアレックス達にまで累が及ぶかもしれない。それだけは避けたいところだった。
だから、あれで良かったんだ。今はそう思える。アクィラと二度と会うことはない。しかし、それで良かったのだ。迷惑をかけることもない。
「王の……間者ね……」
俺は部屋の照明を消し、ベッドに横になる。まさかカシンダがそんな立場だったとは。妙なことに詳しい奴だとは思っていたが、そういう身の上だったからなのか。
どっと疲れが湧いてくる。旅の疲れと、カシンダの言葉が重くのしかかる。とても眠れそうにない。
そう思ったが、やがて俺は眠っていた。夢は見なかった。ただ暗く、どこまでも深い闇の中で眠った。
・予告
カシンダの忠告を受けてから、悶々としながらもウルクスは虫狩りとしての生活に戻っていった。全ては遠い昔の事……そう思い始めた頃、夜に何者かが訪れる。予期せぬ来訪。それは余りにも危険な再会だった。
次回「宵闇の再会」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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