B第三話 硬い拳

「なるほどな……確かにモーグ族に守ってもらう方が安心かもしれんな。そうなるとお前は、自分で引き取るわけでもない子供の為に命を張ったっちゅうことか。まったく……」

 ザルカンが腰を上げ、俺に近づいて大きなその手を振り下ろしてくる。いつもの強い力でバシバシと叩かれる。

「男じゃのう、貴様は! がははは!」

「いてえよ、馬鹿! お前は力が強すぎるんだよ! ったく……」

 俺が肩をさすりながら答えると、ザルカンは楽しそうに笑いながら言った。

「はははは! 聖戦士様はご立派じゃのう!」

「聖戦士? それはお前の事だろう? 一族を追放されてよそ者として村を救う……変な風習だぜ」

「おう、わしの株も上がったがな、お前はそれ以上じゃ」

「何? なんで俺が?」

「族長に今回の顛末を説明したがよ、もちろんお前やモーグ族の事も話した。そんで言われたのよ。お前こそが真の聖戦士じゃとな」

「俺が? よそ者だから……って事か?」

「おうよ。いい伝えでは旅の戦士が村を救った。今回の一件も正にそう。お前がおらなんだらわし等とモーグ族は仲違いして、お互いに足を引っ張り合ってデスモーグ族にいいようにやられとったじゃろう。虫の鍋は滅びておったかも知れん」

「別に俺がいなくっても……何とかなったんじゃねえか? お前だってビートルを一人で倒してたじゃねえか」

 俺が言うと、ザルカンは獣のように歯を剥いて微笑んだ。

「まあな! やっぱり一番頑張ったのはわしじゃな! はははは!」

「ちっ、なんだよ。調子のいい奴だぜ」

 俺も笑いながら皿の上の鶏肉を取って口に放り込んだ。


 一時間ほど腹ごしらえしながらザルカンと話した。こいつとのめぐり逢いも奇妙な縁だった。途中でこいつと出会っていなければ、アクィラを救うことも出来なかったかもしれない。

「今度ラカンドゥに来る時は酒を持ってこい。お前とは一度酒を酌み交わしたい」

「土産持参でかよ。ま、そん時があれば考えておくぜ。じゃあ……行くわ。世話になったな、ザルカン」

「おう、達者でなウルクス」

 門の外でザルカンに見送られながら俺はカイディーニ山を下りて行った。熱い山、暑苦しい男、何とも面白い国だった。

 麓の関所には虫車の受付があり、夕方の便に乗って出発した。路銀の心配はないので、乗り合いの中でも少し上等な虫車を選んだ。個室というほどではないが一人分ずつ仕切られていて、横になって休むことが出来る。

 こいつに揺られながら大体一週間でタバーヌに戻れる。ガブレス親方に言われた一か月の期日にも十分間に合う。俺は晴れ晴れとした気分で横になり、しばらく呑気な旅を味わうことにした。


 五日目にタバーヌとの国境を超え、六日目の夜にアキマに着いた。約二十日ぶりのアキマ……当然のことながら何か変わっているわけでもなく、かと言って懐かしいというほどの感慨もなかった。だが風がラカンドゥとは違っていて湿っている感じだ。ああ、タバーヌに帰ったのだと実感する。

「あーあ……本当に帰って来ちまったぜ」

 頭の中にあるのは気楽な虫車の旅だった。ガブレス親方との約束の日まで、またどっかに遊びに行こうか。そんな考えが頭をよぎる。

 だがここまで来たからには帰らないわけにもいかないだろう。ああ、憂鬱だ。またせっせとカメムシを駆除する毎日が始まる。

 しかしアクィラのことも片付いたし、これで晴れ晴れと適当な生活を送る事が出来る。切った張ったなんてもうこりごりだぜ。

 自分の家に帰る前に寄り合い所に向かう。もう閉まっている時間だが、誰か残っているだろう。ノーマンか、カシンダ辺りが。親方は……帰ってるかな。今から会うのはちょっと嫌だな。明日にしたいところだ。

 寄り合い所に近づくと、駐機場にタルカスじいさんがいた。

「おう、タルカスさん! 帰ったぜ! ウルクスだ!」

「おー」

 俺が声をかけるとタルカス爺さんは手を挙げて返事をする。しかし分かっているのかちょっと怪しい。まあ、あんまり気にしないでいいだろう。

「さて、誰が残っているかな……」

 明かりはついていて戸の鍵もかかっていない。中に入ると誰もおらず、ノーマンも姿が見えなかった。

「おーい、ウルクスだ! 帰ったぜ!」

 声をかけてみるが誰も出てこない。耳ざといカシンダも出てこないところを見ると、誰もいないのかもしれない。

「あー?! 誰か何か言ったか!」

 地響きのような声が二階から聞こえた。おっと……一番面倒臭いのが残ってやがったか。

「誰の声だ? 何を騒いで……おっ?」

 二階の部屋から出てきたガブレス親方が廊下から俺を見つける。ぎょろりとした目が俺を睨みつける。

「おう、親方……帰った――」

「ウゥルクス!」

 どんと親方が床を蹴り、二階から階段の手すりを越えて飛んでくる。気でも狂ったのか。そう思って呆気にとられていると、俺の目の前に派手な音を立てて着地した。

「うわあっ!」

 俺が驚いてのけぞっていると、親方の右腕が高く振り上げられる。嫌な予感がする。

「帰ってくるのが……遅いんじゃあ!」

 拳骨がすごい勢いで俺の頭に振り下ろされる。脳天から衝撃が爪先にまで突き抜け、俺は膝をつく。そして激痛に襲われる。

「いっってぇぇ! 何しやがるんだよ、親方……!」

「うるさい! 何をちんたらやっとんたんだ!」

「ちんたらって、約束は一か月だろ! まだ一週間は日があるぞ! 早く帰ってきた方じゃねえか!」

「馬鹿か! そういう時は半分くらいの期日で帰ってくるもんだろうが!」

「聞いた事ねえよ、そんな話! くっそ、思い切り殴りやがって」

「まったく出来の悪い奴だ……」

 俺が頭をさすっていると、親方は鼻息も荒く言葉を続けた。

「明日は一番に出勤しろ! 寄り合い所の掃除から始めて、周りの草むしり! マギーとマーガレットもピカピカに磨いておけ!」

「なんだよその下働きは? 俺は正規の虫狩りだぞ!」

「約束は一か月だったからな。一か月が過ぎるまではお前は見習い扱いだ! せいぜいしっかり働け!」

 そう言って俺の頭をはたくと、親方は踵を返しまた二階へ戻っていく。

「くそ……やっぱりあと一週間どっかで遊んで来ればよかった」

「何か言ったか?!」

「言ってねえよ!」

 まだ頭がジンジンする。こうやって親方に殴られるのも久しぶりの事だ。明日にはたんこぶになっていることだろう。格好悪い。

 親方への挨拶は済んだ。他に誰もいないようだし、俺は自分の家に帰る事にした。明日は早い。一番で出勤しなかったらまた殴られそうだから、早寝しないと駄目だ。

「おい、ウルクス」

 二階の廊下からまた親方の声がした。自分の部屋の方を向いていて、背中が見える。

「よく生きて帰った」

「あ……? まあ、何とかな。野暮用も片付いたぜ」

 アクィラの事はもう心配ない。全て片付いた。これで元の生活に戻れる。

「そうか」

 それだけ言うと、親方は部屋に戻っていった。俺も寄り合い所を出て、自分の家に戻る。

 腹が減っていたが、もう遅いからやっている店はない。あっても酒を頼まないと食わせてはくれない。酒を飲む気分ではなかったから、今日の所は大人しく寝る事にしよう。明日の朝になれば、何か屋台が出てるだろうからそこで朝飯を食えばいい。

 久しぶりの我が家に帰る。戸は縄で縛っておいたが、特に解かれることもなくそのままだった。別に金目のものもないし、開けたままでも良かったくらいだ。

 中に入り、荷物を降ろしてベッドに腰かける。ケツが痛くなるような薄っぺらい布団。ああ、俺の家だ。

 喉が渇いた。しかしかめの水も古くなっているから飲まない方がいいだろう。明日汲んでくるとして、とりあえず水筒に残っていた水を飲む。モーグ族の施設で飲んだ冷たく冷えた水が懐かしい。まるで夢のような時間だった。

 不意に、戸をノックする音が聞こえた。

「ん……誰だ、こんな時間に」

 家にはまだ明かりもつけていない。ずっと留守だった家に、しかも俺の家に誰かが訪ねてくるとは妙な話だった。まさか借金の取り立てじゃないよな。記憶にある分は全部清算してから出発したはずだ。

 俺が妙に思っていると、もう一度ノックが聞こえた。ドアの隙間から光が見える。発光器を持っているようだった。盗人の類ではなさそうだ。

「誰だ? 開いてるぜ」

 俺が答えると、ドアが開いた。そして発光器の光が差し込み、俺は眩しさに目がくらむ。人影……男のようだった。

「久しぶりだな、ウルクス。無事帰ったようだな」

 聞き覚えのある声……それはカシンダの声だった。

「カシンダか? 何か……用か?」

 今までカシンダが家に来たことはない。虫狩りの集まりで酒を飲むようなことはあったが、カシンダは早々に切り上げて帰っていくやつだった。誰かの家に行って飲み直すことはしないし、自分の家に招くこともない。

 仕事の話か? しかし、こんな夜中に仕事もないだろう。特にカシンダは、その辺はきっちり分ける男だ。ノーマンには負けるが。

 一体何の用だろうか? 発光器の光の中で、カシンダの顔がぼんやりと浮かぶように見えていた。



・予告

 ウルクスの家を訪れたカシンダは衝撃的な事実を打ち明ける。秘密だったはずのウルクスの戦い……それを知る者はいないはずだった。カシンダは冷酷な声で、ウルクスに決断を迫る。


 次回「草の者」 お楽しみに!



※誤字等があればこちらにお願いします。

https://kakuyomu.jp/users/ulbak/news/16816700429113349256

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