B第二話 槌の音

「お前……いや、あなたはウルクス様ですね?」

 急に口調が変わり、様と来たもんだ。だが剣を抜かれるよりはずっといい。

「ああ。ウルクスだ……様だなんて呼ばれる程のもんじゃねえが……」

「ザルカン様よりお名前は伺っています! ザルカン様に御用ですか?」

「ああ、そうなんだ。これから国に戻るんだが、ザルカンには世話になったからな。挨拶ぐらいしておきたくてな。会えるか?」

「はい、お取次ぎします! おい、お前は先に行って伝えてこい!」

「分かった!」

 言うが早いか、もう一人の戦士がすごい勢いで坂道を駆け上がっていった。どうやらザルカンに取り次いでくれるようだ。良かった。ザルカンが俺の事をとりなしてくれていたようだ。

「ではご案内します!」

「ああ、頼む」

 力強い足取りで男が進んでいく。俺は遅れないようにせっせと脚を動かした。

「悪かったな、見回りの途中だったんだろ?」

 俺が男に声をかけると、俺の方を振り返りながら答えた。

「いえ、これも大事な御用です。お気になさらず」

 慇懃な様子に俺は何だかおかしくなる。獣のように気性の荒い連中だが、こういう時は意外なほど礼儀正しい。恐らく村の中でも規律や序列が厳しいのだろう。その点で言うとザルカンは豪放磊落と言うか、かなり適当な感じだ。あいつも敬語を使ってかしこまる時があるのだろうか。

「あれから様子はどうだ? デスモーグ族は見かけたか」

「いえ、見回りは強化していますが、今の所発見できていません。残党がいる可能性も考えてはいるのですが、恐らくもう撤退していったのだと……」

「そうか。ならいいが……」

 ルーカスたちの方でもデスモーグ族の事は探していたが、もう近隣にはいないだろうという事だった。トンボで逃げて行ったジョンとローガンとか言う男……あいつらも見つかっていない。途中までは追えていたらしいが、ぷっつりと足取りが途絶えている。虫の鍋を守りはしたが、すっきりとしない決着だった。

 ローガン……あいつのことはルーカスたちも多くは教えてくれなかった。武門という組織の棟梁ということらしいが、それ以上の事は俺には分らない。

 奴は強かった。アレクサンドラはジョンとの戦いで多少消耗していたとはいえ、一撃でやられていた。白い鎧を通してそれだけの痛手を与えたという事だ。

 武門というからには戦闘に長けた連中なのだろう。その棟梁なのだから腕前も推して知るべしだ。もし奴があの時その気になっていれば、俺はあのでかい剣でなますにされていたはずだ。ザルカンなら互角に戦えるかもしれないが……やはり鎧を着た連中を相手にするのはきついだろう。

 そんな事を考えていたが、俺は頭を振って考えを追い出す。何を考えている。俺はもうモーグ族とは関わりのないただの虫狩りだ。モーグ族の戦いの事で頭を悩ませる必要なんかない。そう、全てはもう終わったことなのだ……。

 十分ほど坂道を上がると門が近づいてきた。槌の音も大きくなり、それに交じって人の声も聞こえてくるようになる。少々うるさいが、殺伐とした様子はない。デスモーグ族に襲われて間もないが、そこまでひりついた空気は残っていないようだった。

 集落の門の外には数人の戦士が並んでいたが、その中に覚えのある顔があった。ザルカンだった。服装は前と同じだったが、今は剣を帯びていなかった。

「おう、ウルクス! よう来たのう!」

 大きな声でそう言うと近づいてきて、いつもの調子でバンバンと俺の肩を叩く。

「もう帰ったんかと思っとったが、まだカイディーニ山にいたとはな。モーグ族の所におったんか?」

「そうだ。だが用も済んで国に帰る所だ。お前に礼だけ言っておきたくてな」

「おう、そうかい! 歓迎するぞ!」

 牙を剥いた獣のような笑みを浮かべザルカンは笑った。また俺の肩を叩いてくるが、何度もやられたせいで痺れるほどだった。相変わらず大した馬鹿力だ。

「まあ入ってくれ! 中はまだ騒がしいが、お前が座る場所位ならちゃんとあるからの」

「ああ。ちょっと休ませてもらうぜ」

 ザルカンは振り向いて門を通っていく。俺もそれに続くが、立ち並ぶ戦士たちが頭を下げている。妙な気分だった。まるで自分が偉くなったかのようだ。

 集落の中に入ると、ザルカンの言葉通りに慌ただしく大勢の人間が働いていた。防塁を修復する者。板や布張りの家を直す者。怪我人に肩を貸して歩いている者もいる。この集落が元に戻るには、もう半月か、一月くらいはかかりそうだった。

「結構やられたのか?」

「まあな。集落はほかにも三つあるが、ここが一番ひどかった。目が青いままの変な虫が大挙して押し寄せてきたからの……四二人が死んだ。怪我人はもっと多い。他の集落はここほどじゃないが、まあやられた……」

 答えるザルカンの言葉にも力がない。きっと死んだ人の中にはザルカンの知り合い、友人がいたのだろう。あるいは家族か。

 勝つには勝ったが、失ったものも大きい。それもこれもすべてデスモーグ族の企みのせいだ。そしてこいつらボルケーノ族は、ひょっとすると今後もデスモーグ族にちょっかいを出されるかもしれない。俺のように、もう終わったと知らぬ顔をすることはできない。虫の鍋を守る宿命を背負った一族である以上、これからも戦いに備え、血を流しながら守り抜いていくのだろう。

 ザルカンの背中は大きかった。この背中で一族の命運を背負っていくのだ。死人の数を数え、涙と血を刻んで生きていく。俺のような根無し草には想像もできないことだ。

「わしも虫の鍋でやりあったが……目の青いまま襲ってくる虫は滅法てごわかったらしい。そいつらが地面の下からやってきたんじゃ」

「下から? どういうことだ?」

「あれじゃ。見えるじゃろ」

 ザルカンが前方を指さすと、そこには土砂や岩が小さな山になっていた。てっきり防塁の一部かと思っていたが、そういうわけではないらしい。

「カイディーニ山の中には細い道がある。大昔に熔けた石が通った跡と言われとるが、そう言う細い道が隧道のように続いとる。そこを使ってこの集落の内側にまで入り込んだんじゃ。ほれ、穴が続いとるじゃろ?」

 歩いて土砂の山に近づくと、反対側は窪んでいた。そして奥の方は確かに地中に続いているようだった。機械虫が通れるほどの結構大きな穴だ。デスモーグ族はこの穴の存在を突き止め利用したらしい。まったく、悪知恵の働く連中だ。

「こいつもその内埋めにゃならん。二度と入ってこれんように石を詰めんといかんから結構な大仕事じゃ。さて、上がってくれ」

 着いたのは、前に案内されたのとは違う立派な木の屋敷だった。外壁に煤がついたり傷がついているが、ここでも戦闘があったらしい。だが大きく壊れるような被害ではなかったようだ。

 ザルカンに続いて中に入ると、玄関の広間で何人かが集まって話をしていた。ザルカンを見るとみな目礼をする。

「おう、ちっと邪魔するぞ! 客人じゃ! あのウルクスじゃ!」

 ザルカンが言うと、小さなどよめきが聞こえた。周りにいる連中がみんな俺を見て何事か囁き合っている。あのウルクス? 何だ? ザルカンは俺の事をどう紹介しているんだ?

 俺の困惑をよそにザルカンは廊下を通り階段で二階に上がっていく。すると仄かに甘い香りが漂ってきた。炊事場があるようだった。アクィラを見ると、腹を空かせた犬のように鼻をひくつかせていた。

「ここでちっと待っとれ。茶と食い物を持ってくる」

 部屋に案内され、ザルカンは戻って別の部屋に向かっていった。俺はリュックを下ろし、息をつきながら座布団に腰掛ける。

 部屋に一人。外の喧噪もいくらか静かに聞こえる。つい一時間ほど前まではアクィラが隣にいて、モーグ族の連中もいた。だが今は一人だ。

 アクィラと会う事はもうない。今更ながらに、それを実感する。後悔……後悔なのだろうか。一緒に来いと言うべきだったのだろうか。だが……俺に何が出来る? 俺は嫁もいないような半端ものだ。子供を引き取って養うなど……それも女の子だ。ちゃんと育てて嫁に生かせる自信なんてなかった。

 俺はただ……そう、ただ単に寂しいのだ。アクィラの笑顔が消えたことが寂しい。もうあの笑い声を聞くこともない。

 だがこの気持ちを後悔と呼ぶ気はなかった。まだしっくりと気持ちが落ち着いてはいないが、これは間違った選択じゃない。モーグ族と一緒に生きるのが、アクィラにとっては一番いい事のはずなのだ。

 家族を失い、記憶さえなくし、寄る辺のない子供。しかも頭には旧世界の技術が埋め込まれている。普通に生きることはできないだろう。モーグ族の下で生きるしかない。それしかなかったんだ。

 それはアクィラの幸せを願う心だったのだろうか。それともただ自分を納得させるためだけの言葉なのか。自分でもよく分からない。

 しばらくするとドタドタとやかましい足音が聞こえ、我に返る。ザルカンが大きなお盆を持って戻ってきた。

「待たせたな」

 床に置かれたお盆には茶器と皿に盛られた料理が乗っていた。鶏肉と香辛料の炒め物のようだった。それと別の皿には茶色っぽいどろりとしたものが盛られている。

「まあ食ってくれ。ちょっと辛いかも知れんがな」

 そう言いながらザルカンは皿の肉に手を伸ばし、手づかみで肉を取って食べ始めた。この辺では食器を使わないようだ。

 俺もザルカンにならって鶏肉を口に運ぶ。確かにちょっと辛いが、味は悪くない。

「この茶色いのはなんだ?」

「粥じゃ。トウモロコシの粉を練ってある。こうして匙で団子にして、食う」

 言いながら匙を使って粥をすくい、小さな団子のようにして切り離す。それをザルカンは一息に口に放り込んだ。

 俺も真似して匙で粥を団子状にする。口に運ぶとほんのりと甘い。しばらく食べてから茶を飲むと、その渋さがちょうどよかった。

「ほんで、これからどうするんじゃ? お前はあの……ちっこいのを助けに来たんじゃろ? 帰って一緒に暮らすんか?」

 そう聞かれ、アクィラの顔を思い出す。だがもう終わったことだ。いつまでも引きずってはいられない。

「いや、あいつはモーグ族と一緒に暮らすことになった。普通の子供じゃないからな……モーグ族に面倒を見てもらうのが一番だ」



・予告

 ザルカンと別れの挨拶をかわしウルクスはタバーヌへと帰っていく。一週間ほどの旅の後、ギンガマス虫狩り寄り合い所に帰ったウルクスはガブレス親方から手荒い歓迎を受ける。そしてその夜。珍しい客がウルクスの家を訪れる。


 次回「硬い拳」 お楽しみに!



※誤字等があればこちらにお願いします。


https://kakuyomu.jp/users/ulbak/news/16816700429113349256

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