第三章B 銀鱗の鋼樹

B第一話 出発の時

 アクィラは決意した表情で言った。

「私は……モーグ族の村で暮らすよ。何も覚えてないし……そこで生きていくのが、多分一番いいんでしょ?」

 アクィラの表情には堅い決意があった。それと同じくらいに悲しみが。

「だが……いいのか? お前の故郷……お前の家族の事は?」

「気にならないわけじゃないけど……何も思い出せないから。悲しくもなんともない。薄情かもしれないけど……私はここで、モーグ族の人たちと生きていくよ」

「そうか。お前がそう言うのなら、もう言う事は何もない。なら……任せていいか、ルーカスさん?」

 ルーカスは笑みを浮かべ頷く。

「もちろんだ。アクィラ……君を我々の新たな仲間として迎えよう」

「はい、ありがとうございます」

「これでお前も私達の仲間か。よろしくな、アクィラ」

「うん、アレクサンドラも」

 アレクサンドラとアクィラは手を握り合い微笑みをかわした。

 ああ……これで、ようやく、やっと肩の荷が下りる。元の故郷で生きるというのならきっとつらい生活になるだろうが、ここで生きていくのなら、少なくとも食い物に不自由することはないだろう。アクィラが生きていくには、恐らく一番安全な場所だ。

「良かったな、アクィラ。これで俺も、憂いなく帰る事が出来る」

「うん……帰るんだよね、ウルクスは。タバーヌに……」

「そうだ。俺には俺の生活がある。親代わりの恩人がいるからな……不義理な真似はできない」

「そっか。でも平気だよ、ウルクスがいなくても。あたしは大丈夫……」

「ああ。天下のモーグ族が揃ってるんだ。心配はないさ」

「すぐ発つのか?」

 ルーカスに聞かれ、俺は少し考えて答える。

「……実は一か月以内に帰らないといけない。半月経ったから……帰りの行程を考えてもまだ数日は余裕がある。できればそれまでここにいさせてもらえないか? アクィラの検査って奴もまだ終わっていないんだろう?」

「ああ。あと三日ほどかかる。君がここで滞在することについては何の問題もない。期日が決まっているのであればそうゆっくりもしていられんだろうが、時間の許す限りここで寛いでいってくれ」

「何だ。まだ居座る気か、虫狩り」

 アレクサンドラが不満そうに言う。

「うるせえな。アクィラを任せるとは言ったが、お前には任せらんねえな。他の奴に頼むぜ。気の強いじゃじゃ馬に育っちまう」

「何だと! 誰がじゃじゃ馬だ! この虫の殻(馬の骨の意)!」

「もう、ふたりともいい加減にしなよ」

 アクィラが呆れた様子で溜息をつく。

 こんな馬鹿なことをやってるのもあと数日の事だ。俺はアクィラの髪の毛をくしゃくしゃと撫でた。


 検査の日々は過ぎ、ひとまずアクィラの体には問題がないという事だった。頭に埋め込まれた感応制御装置を抜き取ることはできないが、アクィラ自身にも痛みや違和感はない。当面はそのまま様子を見るしかないという事だった。

 そして、四日後、旅立ちの日。俺の周りにはアクィラ、ルーカス、アレクサンドラ、デンバー、ナイジェルがいた。

「行っちゃうんだね、ウルクス……」

 アクィラはアレクサンドラに寄り添い立っていた。その目は赤く、泣きはらした後のように見えた。昨日までは普通にしているように見えたが……ずっと我慢していたのだろう。その様子を見ていると俺も目頭が熱くなってくる。

「ああ。俺は帰る。お前と過ごした月日はそれほど多くはないが……その日々の事は忘れない。俺の事も忘れないでいてくれ」

「うん……うん、忘れないよ、絶対……」

 うるんだ瞳で俺を見つめ、アクィラが頷く。

「さて……世話になったなルーカスさん」

「それはこちらこそだ。君がいなければ虫の鍋を守ることも出来なかった」

「思えば長い旅だった……アレックスと出会い、デスモーグ族と戦い……こんな南の国にまで来る羽目になろうとはな」

「君には感謝している。だがその戦いも終わりだ。これからの戦いは、我々だけで戦っていく。以前のようにね」

「そうだな。俺ももう関わりたくはない。命を張って戦うなんざ性に合わない。俺にはその日暮らしの虫狩りの生活が似合っている」

「ふん、確かにな。さっさと帰るといい、虫狩り」

「お前の悪態も今日限りかと思うとせいせいするぜ。アレックスにはよろしく伝えておいてくれ。ついでに、お前もしっかりやれよ」

「うるさい! お前にとやかく言われる筋合いはない!」

「もう、やめてよ二人とも! こんな時くらい仲良くできないの?!」

 アクィラが怒った声で言う。しかし文句はアレクサンドラに言ってくれ。何かと突っかかってくるのはこいつなんだから。

 しかし、アクィラだけでなく、こいつらモーグ族ともこれで今生の別れだ。本来こいつらは隠れ忍んで戦っていた一族だ。俺のように深くかかわるようなことは、普通ならあり得ないことだ。その例外的な戦いも終わり、ここからは元の通り、俺とは関係のない世界での出来事になる。アクィラの顔を見るのもこれで最後だ。

「アレックスには私から言っておくよ。だから安心して、ウルクス」

「ああ、そうだな。お前から言っておいてくれ。じゃあこれで……行くぜ」

 俺は足元のリュックを背負い、もう一度アクィラたちを見る。

「みんな、世話になったな。じゃあな、アクィラ。元気で暮らせよ。パンばっかり食うなよ」

「うん。ウルクスも気を付けてね」

「アレクサンドラ、アクィラを頼む」

「……ああ、分かっている」

「じゃ、行くぜ」

 白い通路を抜けて進んでいく。途中一度だけ振り返ると、アクィラが泣きながら手を振っていた。俺も小さく手を振り、そしてもう振り返らずに外に出た。

 偽装された施設の扉が閉まるのを確認し、洞窟から外に出る。涼しかった施設の空気から一転して灼熱の熱さに変わる。空は青く、灼熱の太陽が強い日差しを落としている。乾いた風が喉を焼くようだった。

 背負っている荷物は重いが、しかし俺はすっかり身軽になっていた。ずっと気にかかっていたアクィラの事が片付いたからだ。全て丸投げするようで心苦しくはあるが、しかしこれ以上俺のような一介の虫狩りにできることはない。モーグ族に任せた方があいつにとっても幸せというものだ。

「さ……どうするか」

 頭の中にはさっさとタバーヌに帰らなければならないという思いがあるが、このどこまでも青い空の下ではつい心が軽やかになってしまう。いっそすべて放り出して、このままラカンドゥで虫狩りとして生きようか。風は暑いが乾いている。じめじめとした感じがなく心地いい。この国の気候は俺にあっているのかもしれない。

「……なんてな。馬鹿言ってないで帰ろう」

 俺を育ててくれた親方には恩がある。それはまだ返せてない。それが残っている内は、俺はあの寄り合い所で虫狩りをやるしかない。しがらみってのは全く、厄介なもんだ。

「とは言えこのまま帰るのもな。さすがにザルカンには挨拶していくか……」

 俺は棘のような岩の生えた山道を進んでいく。しばらく歩いているとじりじりと陽光に焼かれた肌に汗の玉が浮く。ここのところずっと快適なモーグ族の施設に中にいたから、久しぶりの日差しが体に応えていた。やはり楽をしていると体はなまってしまうものだ。

 小一時間も歩くと整備された道が見えてきた。左手、斜面の上の方を見ると丸太で作った要害がみえる。アトゥマイ氏族の集落だ。今も修復中らしく、大勢の人が張り付いて何か作業をしているようだった。

「さて……俺はお尋ね者なんだよな」

 最初にザルカンと集落を訪れた時、俺は副族長の勘違いでデスモーグ族の仲間と思われて牢に入れられてしまった。ザルカンの手引きで無事抜け出すことはできたのだが、つまり俺は逃げた犯罪者と同じというわけだ。その辺のいざこざがデスモーグ族との戦いの中でうやむやになってくれていればいいのだが……まあ仮に捕まったとしても、ザルカンの名前を出せばなんとかなるだろう。

 などと都合のいい事を考えていると人影が見えた。二人、剣を帯びている……アトゥマイの戦士のようだった。

「さて、向こうもこっちに気付いたよな……」

 今更逃げるわけにはいかない。ここは堂々と名乗るしかない。

「そこの男! 止まれ!」

 剣士の二人は鋭い視線を俺達に向け近づいてくる。俺は深呼吸して気を落ち着ける。

「旅人か? 許可証は?」

「許可証? ああ……」

 そう言えばこの山はボルケーノ族が仕切っていて、勝手によそ者が木や機械虫を獲ったり出来ないように見張っているんだった。入山するときには受付で身分を改められ、発行される許可証が無ければ山の中で行動することはできない。来た時はアトゥマイ氏族のザルカンと一緒だったからその辺の面倒な手続きはなかったんだが……参ったな。何も持っていない。

「あー……許可証はない。ないんだが……俺はウルクス。虫狩りのウルクスだ。訳あって山に入ったが……ザルカンに取り次いでくれないか? ザルカンに聞けば分かる。俺の事も知っている」

「何?! ザルカン様? 何でお前のような虫狩り風情が……!」

「待て。ウルクス……?!」

 剣士の一人が懐から丸めた紙を出す。それを広げて俺の顔を見て、そして小声で何か話している。ひょっとして犯罪者の手配書じゃないだろうな?


・予告

 見回りの戦士に誰何されるウルクスだったが、無事ザルカンの下へと案内される。招かれた集落は復興の途上でまだ戦いの傷跡が消えてはいなかった。


 次回「槌の音」 お楽しみに!



※誤字等があればこちらにお願いします。

https://kakuyomu.jp/users/ulbak/news/16816700429113349256

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