A第四話 静かな牙

 翌日の昼頃、俺達は出発することにした。門の前にはザルカンと、他に何人かの戦士たち。それに女衆もいる。聖戦士のお見送りという事で集まっていた。

「じゃあな、ウルクス! 今度来るときはお前の国の酒を持ってこい!」

「酒ね。お前ら全員に呑ませようと思ったら甕ごと持ってこなきゃいけなくなるぜ」

 俺が言うと、ザルカンは愉快そうに笑った。

「がははは! おう、甕ごとのみつくしてやるわい! おう、アクィラ! お前も元気でな」

「うん、ありがとうございました」

 アクィラが答えると、女衆たちも声をかける。昨日の食事の時に仲良くなったようだ。一日限りだったが、アクィラにもいい思い出が出来ただろう。

「じゃあ……行くぜ」

「ああ、達者でな」

 ザルカンが手を振る。俺は戦士たちに別れを告げ、そしてカイディーニ山を下っていく。

 しばらくすると門の方から歌が聞こえてきた。何と言っているかは聞こえなかったが、旅立ちを祝う歌なのだろう。

「楽しい人たちだったね」

 アクィラが嬉しそうに言う。その手にはいつのまにかパンが握られていて、早速一つ目を平らげようとしているところだった。

「いい奴らだった。色々あったが、なかなか楽しい国だったな」

 アクィラを探し出すという目的がなければこうしてラカンドゥに来ることもなかった。ルーカスやアレクサンドラ達と知り合うことも。

 我ながら奇妙な人生を生きている。ただの虫狩りだったはずが……だが、それももう終わりだ。これからは普通の虫狩りとして……アクィラを普通の子供として生活させなければならない。

「ひょっとしてそっちの方が難題なんじゃねえか……?」

 隣を歩く小さな背中を見つめながら、俺は呟いた。とうのアクィラは知らぬ顔で、よく知りもしない道を先頭に立って歩いている。

 しかしまあ、人生なんてそんなものだ。正解の道なんて、自分で見つけ出すしかない。


 カイディーニ山の麓で乗り合いの虫車に乗ってタバーヌに向かう。

 国境の関所を超える所までは五日間。アクィラは狭い虫車の中で退屈を持て余していたが、俺が空のスリング球を与えたら一日中それをいじって遊んでいた。大して複雑な構造でもないが、それの分解と組み立て日がな一日繰り返していた。

 そんな姿を見ていると、虫狩りよりも解体屋の方が向いているのではという気もする。捕まえたり死んだりした機械虫を解体して部品にしたり燃料や油を取る仕事だ。

 アクィラは機械虫が好きなようだが、解体屋なら生きている機械虫とやり合うわけじゃないから危険がない。家の中で仕事できるし、女でもなんとか務まるんじゃないだろうか。

 そんな事を言うとまた意地になって虫狩りになるとか言い出しそうだが…折を見て話すとしよう。

 予定通りの五日後に、国境を越えてタバーヌに入った。そこからまっすぐ北上すればアキマの町に帰ることになるが、このまま北西の首都タービルに向かう。そこまで更に五日間。そして虫車を乗り換えて、セム川を越えてさらに北上すると、ラテナという町を経てアクィラの故郷、カリカスの村に辿り着く。

 それまで、何事もなければいいが。


 長い……長い虫車の旅だった。合計で二〇日くらい乗っていたことになる。何事もなかったのはいいが、退屈で死ぬかと思った。アクィラもスリングの弾で遊ぶのにとっくに飽きて、毎日狩りの話をさせられた。しまいにゃ近所に住んでいる奴の事まで教えろと言われた。いまでは俺より詳しいくらいだ。

 だが快適で退屈な虫車の旅も終わり……ラテナからカリカスまでは歩きだ。大人の足で一日と半分。アクィラがいるからざっと二日。途中で野営して進むことになる。

「あー! なんか歩くのが久しぶりな気がする」

 荷物を背負い背伸びしながらアクィラが言う。リュックのかさがちょっと減っているが、入っていたパンを全部食いつくしたからだ。野営するような時の為に残しておけと言ったのだが、早く食べないと腐ると言って全部食べてしまった。俺は一個ももらえなかった。

 道中ですれ違う人はいない。カリカスは元々それほど人の多い村でもなく、通う人も少なかったそうだ。村がなくなればいよいよ人が通う理由はなくなる。

 それでも木が生えているなら何かと役に立つが、この辺は岩山でほとんど木がないし草も生えていない。そのせいで機械虫もいないから安全でいいが、水場も少ないので進む道は間違えるわけにはいかない。事前にラテナで聞いた水場をたどりながら進むのだ。そうでなければ喉が渇いて、死ぬという事はないかも知れないが、ひどく難儀をすることになる。

 日が暮れ始め、四つ目の水場につく。アクィラもだいぶ疲れているようだし、今日はここで休むことにした。

 日が暮れてもまだそれほど寒い時期じゃない。毛布が一枚あれば足りるので、アクィラといっしょにかぶって岩の上で寝る。

「本当にいっしょなんだね……」

「何が?」

「空の星。アトゥマイで見たのと一緒だ」

「一緒……そうだな……と言うか俺には全部同じように見える」

 空の星に居場所があるなんて言ったが、実際のところたくさん光ってるだけでどれがどれなんて分かる訳もない。

「違うよ! ほら、あっちが北で、あそこにあるのが北極星でしょ」

「ああ、それはわかる」

「あれが……北斗七星。こっちがカシオペア座」

「……なんだそれ? 聞いたことないぞ」

「星座だよ、知らないの? ルーカスさんに教えてもらった。昔の人は星座の位置で自分の場所を割り出していたんだって」

「星座……ああ、聞いた事はあるな。旅の一族は星を読んで旅するとか……そう言う事だったのか。まじないかと思ってた」

「違うよ。これもブンメイなんだって」

「ブンメイね……」

 大昔に存在したとされる技術や知識の総称、ブンメイ。モーグ族が言う所の禁忌ってところか。自分の居場所を調べる技術くらいなら残してもよさそうなもんだが、何かまずい理由があるのかもしれない。

「あれは……サーベルスタッグ座! あれはオサムシ座! ねーウルクスも探してよ」

「分かった分かった、今度暇なときにな。今日は疲れたから寝ろ。明日も早いんだぞ」

「えー詰まんない……」

 不服そうに唇を尖らせアクィラが言う。しかしほどなく眠りに落ち、安らかな寝息を立て始めた。俺もそれを見届け、星の下で眠りについた。


 翌日も朝から歩き通し、カリカスを目指す。行けども行けども岩の道。本当にこの道であっているのかと何度も思ったが、日暮れ前にようやくカリカスについた。

 門や柵がないから、虫に襲われたり野党の心配もないような所だったのだろう。治安がいいのか、それとも貧しすぎるのか。どうやら後者だったらしいというのは、滅びた村の跡を見回った感想だった。

「ひでえな、こりゃ……」

 疫病の跡ということで一応口と鼻を布で覆っておく。しかし村は焼け落ちた後で、何もかもが燃え、乾いたあとだった。

 疫病で人が死ぬと家ごと焼く場合があるが、これはそれを村全体でやったらしい。結局全ての家を焼くことになり……そして村は滅んだのだろう。最後に火をつけたやつは、燃えていく村を見てどんな気分になっただろうか。

 黒く炭になった家。家畜の骨。機械虫の部品の残骸。中には燃えた家の下に人の骨が見えているようなところもあった。

 アクィラにはとても見せられないが……そうも言ってはいられない。

「何か、思い出したか」

 ひどく残酷なことを聞いている気がした。しかし、これも覚悟の上だったはずだ。だがアクィラは、意外と平気そうな顔をしていた。ただ沈痛な表情を浮かべ、哀れむような視線を見せていた。

「何も思い出せない。私、本当にここに住んでいたの?」

「そう言う話だ。お前はここで攫われて、タバーヌの西にあるデスモーグ族の研究所に連れていかれた。そこでシャディーンとタナーンに助けられた」

「それでウルクスに会って……そこからは覚えているけど、研究所より前の事は、やっぱり思い出せない」

「そうか……もう少し、見て回るか」

 焼け落ちた廃墟を見回しながらそうは言ったが、あまり長居したい場所ではなかった。

「うん……その為に来たんだもんね」

 その後、日が暮れるまで村を歩き回った。家の並びにも、周囲に見える山にも、アクィラは何も思い出すことはなかった。

 村から少し下った水場に戻り、俺達は野営することにした。明日の朝になったらもう一度村を見て回り、それでも何も思い出せなかったら……アキマに帰ることにした。

 陰鬱な雰囲気のまま歩き出す。村に関係のない俺ですら気が沈む。人が大勢死んだ後というのは悲しいものだ。自分の村だというアクィラの立場ならなおのことだろう。

 二〇日間かけてやってきて、収穫は無しか。なんとも惨い話だ。だが……下手に思い出すよりは、悲しみは少なくていいのかもしれない。そうも思った。

「……待て」

「ん?」

 ふと足を止めると、自分が道を間違えていることに気付いた。とっくに水場についているはずだが、どこかで曲がる所を間違えたようだ。

「参ったな。道を間違えた……」

「どうする、戻る?」

「そうだな……分かる所まで戻る。悪いな」

「ううん、いいよ」

 考え事をしながら歩いていたのがいけなかったようだ。見知らぬ土地でこれをやると危ない。

 だが悪い時には悪い事が重なるものだ。おかしいと思った時には、そいつはもうすぐそこにまでやってきていた。

「うおっ……!」

 後ろを歩いているアクィラを手で制し、俺達は止まった。岩の陰にハンミョウが三匹いる。五ターフ九メートル程の距離だ。

 まずい。岩山でこの二日間一度も機械虫を見ないからすっかり油断していた。全くいないというわけではなかったようだ。

 ハンミョウの一匹が俺達に気付く。そして目が途端に赤く変わっていく。それにつれて、他の二匹も俺達に気付いて反応し始める。ハンミョウはそこまで人に危害を加える種類ではないが、なわばりを侵されることをひどく嫌う。五ターフ九メートルの距離というのは十分その縄張りの中だ。

 まずい。スリングはあるが……この距離で三匹か。しかもアクィラもいる。完全に油断していた……!

「ゆっくりと下がれ、アクィラ」

 アクィラも事態の危険性に気付いたのか、何も言わずゆっくりと下がっていく。ハンミョウは牙を鳴らしながら、足早にこちらに近づいてくる。

 俺は烈火球をスリングに番えながら、ハンミョウに向けて引き絞る。

 遠くで低く鈍い音が響いた。その音で、ハンミョウたちは動きを止める。俺も思わずスリングを引く手を止める。

 その音は三度ほど鳴り響いた。徐々に近づいてくるように聞こえた。その間、ハンミョウたちの目は赤かったが俺に襲い掛かることはしなかった。まるで待てと指示されているかのように。

 足音が聞こえた。それは機械虫の……それも大型の足音だった。驚いて視線を向けると……二〇ターフ三六メートル程向こうから、スタッグが近づいてくるのが見えた。

 どうなってやがる……余計まずい状況だ。あんな大物、仕留められる気がしない。

 スタッグはハンミョウたちのすぐ隣まで歩いてくる。だが奇妙なことに、スタッグの目は青いままだった。そしていつのまにかハンミョウの目も青くなっている。

 スタッグが合図するように角を振る。すると、ハンミョウたちは反転し歩き去っていった。まるでスタッグが追い払ったかのようだった。

「どういう……ことだ?」

 青い目のままのスタッグに、俺は驚きを隠せなかった。思わずアクィラを見るが、頭の装置で機械虫を操っているわけではない。俺の視線を受けて、顔を横に振っている。

 スタッグがゆっくりと俺達に向き直り、威嚇でもなく静かに小さく角を左右に振る。かなり年季の入ったスタッグだった。角や装甲にも傷が多い。数十年以上生きている個体かも知れなかった。だがどれほど年経たといっても、機械虫が人に慣れることはない。飼いならせるのはオサムシやテントウムシのような極めて温厚な種族だけだ。スタッグが人を見ても興奮しないというのは……何ともおかしな話だった。

「命拾いしたな、旅人」

 不意にかけられた声に振り向くと、そこには女がいた。白い鎧を身につけた、しかし肌の色は褐色の女が。モーグ族?!

「ジェイムスンがいなければ大地の肥やしになっていたぞ。こんな辺鄙な所に何の用だ?」

 女……モーグ族のような恰好をした女が言う。俺は突然の事態に、言葉を失った。



・予告

 突如現れたスタッグ、そして白い鎧の女。ウルクスはモーグ族かと問いかけるが、白い鎧の女は意外な事実を告げる。女の正体とは。そして青い目のままのスタッグの秘密とは。



※誤字等があればこちらにお願いします。

https://kakuyomu.jp/users/ulbak/news/16816700429113349256

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