A第三話 星の下で
「これから……こいつの、アクィラの故郷に行くところだ。こいつは何も覚えてないんだが……その村に行けば何か思い出すかもしれないと思ってな」
「ほう、覚えてない……しかしまあ、家族の顔を見れば嫌でも思い出すじゃろう」
「それがな、こいつの家族は……村ごと疫病で亡くなったんだ。だから会いに行ける家族はいない。空っぽになった村があるだけだ」
ザルカンが粥を食べる手を止めてアクィラを見た。そし、いつになく悲しげな表情で言った。
「そりゃあ……気の毒じゃな。せめて記憶だけでも戻ればいいが」
「ああ。だがそこから先の事は考えていない。こいつ一人をそこに置いていくわけにもいかないしな……まあ何とかするさ」
ウルクスがアクィラを見ると、肯定するように小さく頷いていた。
「お前、子供は何人いるんじゃ」
「あぁ……何だよ急に。いや……結婚すらしてねえけど」
「はぁ?」
呆れた様子でザルカンが口を開く。
「お前、嫁さんもおらんのにこんな子供を引き取るつもりじゃったんか?」
「そうすると決まったわけじゃねえ。知り合いに頼むとか……いくつか考えてはいる」
それは実際に考えている事ではあったが、全ては帰ってからの事だ。何とかなるだろうと高をくくっていたが……ザルカンにまでこんな事を言われると自信がなくなってくる。俺はひょっとして無謀なことをしようとしているのだろうか。
「私、虫狩りになる。ウルクスに教えてもらう」
「何? 虫狩りになるだ?」
突然のアクィラの言葉に俺は驚く。アクィラを引き取って育てることも考えてはいたが、あくまで普通の子供としてだ。料理や繕い物なんかは覚えてもらう必要があると思っていたが、虫狩りとして育てるというのは考えていなかった。
「虫狩りなんて……危ねえから駄目だ」
「ウルクスは平気じゃない。他の人だってそうでしょ」
「そりゃそうだが女の虫狩りなんて……」
「いないの? 女の虫狩りって?」
「いや、いないわけじゃないが……」
ウルクスの知り合いの中にも女の虫狩りは三人いる。しかし三人とも背が高く体格も男と遜色がないほど鍛えている。こう言っちゃなんだが、全然女って感じがしない。アクィラもまだ少しは背が伸びるのだろうが、とてもそいつらと同じくらいにでかくなるとは思えなかった。
だが走ったり木や岩場を登るだけの体力は必要だが、強い力が絶対に必要かと言うとそうでもない。強弓を引くなら力もいるが、俺のようにスリングを使うなら力はあまり関係ない。俺のようにカメムシの駆除だのでちまちま生きていくだけなら……アクィラのような小柄な女でも何とかなるのかもしれない。
などと納得する所だったが、やはり思い直した。駄目だ。女が虫狩りなんてやはり危ないに決まっている。特にアクィラの頭には装置が埋まっているのだ。戦いで怪我をするようなことがあればどうなるか分かったものじゃない。アクィラは普通の女として生きるべきだ。
「……駄目だ。お前に虫狩りをやらせるわけにはいかない」
「何で?」
アクィラが鳥の骨をかじりながら俺を睨む。何だよ、心配して言ってやっているのに。
「お前の頭には機械が入っている。虫とやりあってぶつけたり転んだりしたら危ないだろ」
「大丈夫よ、気を付けるから」
「いいか。虫は強くて、人は弱いんだ。舐めるなよ、虫を。小さい奴だって怒れば怖いんだぞ。気を付けていたってやられる時はやられる」
「ウルクスは生きてるでしょ! デスモーグ族とだって戦って生きてるじゃない!」
「いやまあ、それはそうだが……とにかく駄目だ! お前は普通に生きて稼ぎのいい男とでも結婚すればいいんだ」
「やだ! 虫狩りになる!」
「駄目だ!」
「はははは! 前途多難じゃのう、ウルクス! 先の話は旅の途中ですればいいわい。ここで言い合ったって、そのチビにうんと言わせることは出来んじゃろう」
「チビじゃない! アクィラ!」
アクィラはザルカンにまで噛みつきそうな視線を向けた。まったく、こいつはこんなに気が強かったのか? デスモーグ族のせいで変な人格が頭に残っているんじゃないだろうな。
「ウルクス、旅は急ぐんか?」
「ん? いや、特に急いではない。本当はタバーヌにあと二週間以内に帰る必要があるんだが……どんなに急いでもこいつの故郷に寄ってからじゃ間に合わないからな。諦めてのんびり行くことにした。路銀もあるしな」
「ふむ。じゃあ今日はここに泊っていけ。お前とは酒を酌み交わしたいと思っていた」
ザルカンがにやりと笑いながら言う。
「お、いいねえ! こっちにきてから酒は飲む機会がなかったからな。お前もいいよな。今日はここで厄介になるぞ」
「……うん」
アクィラはまだ不機嫌そうな顔をしていた。しかし腹いっぱいになれば機嫌もよくなるだろう。
日中は部屋の中で過ごしていた。外に出て集落を見せてもらおうかとも思ったが、やめた。忙しく働いているところをよそ者が呑気な顔で歩いているのは面白くないだろうと思ったからだ。せいぜい窓から外を眺めるだけだったが、これじゃまるでモーグ族の施設の中にいた時と変わらない。
しかし何かと忙しい数日だったし、このくらいのんびりしていても罰は当たらないだろう。そう思い、気兼ねなく昼寝していた。
アクィラはというと俺と同じように暇を持て余していたが、どこからかスリングを取り出して遊んでいた。モーグ族にもらったものらしい。奴らの武器らしく真っ白なスリングだった。
そいつをスリング球無しで引っ張って空打ちしている。狙いをつけているようだったが、腕がぶれているからあれでは当たらないだろう。やり方を教えてやろうかとも思ったが、そんな事をしたら余計にその気にさせてしまう。
やれやれと思いながら、俺は寝返りを打って眠り直した。
夜になるとザルカンがやってきて、別の小屋に連れていかれた。そこは客人用の建物らしく柱や板が綺麗な黒塗りになっていた。中に入ると大勢の戦士たちが座っていて、俺達は歓迎されていた。だが余りの勢いに、アクィラは逆にビビってしまっていた。
ザルカンが俺の隣に座り、周りは他の戦士が囲んでいる。アクィラは女衆の方に席が用意され、俺とは別で食うようになっていた。
「よう、聖戦士殿! もう一杯!」
「あ、ああ。もう飲めねえよ……」
ぐったりとしながら盃を出すが、持ってる腕が震えてきていた。だが戦士の男は構わずになみなみと酒を注いでくる。
聖戦士……こいつらの伝承に出てくる、村を救った英雄の事だ。数百年も昔のことになるが、カイディーニ山に危険な機械虫の群れが現れたらしい。ボルケーノ族は勇敢にたたかったが力及ばず、機械虫にやられそうになっていた。そこに旅の戦士が現れ虫を倒し村を救ったという。
それ以来ボルケーノ族は、村の危機が訪れる度に聖戦士に希望を託した。そういつも都合よく旅の戦士が来ることはないから、村の戦士を追放して他人扱いにして、そいつになんとかさせるという風習が残ったのだそうだ。
虫の鍋が襲われた件でも、ザルカンが聖戦士の任を負う事になった。ザルカンは村一番の剣士だが、村を追放され、さすらいの戦士となったのだ。そこで俺と出会い結果として虫の鍋を守ったのだから、伝説の再来となったわけだ。
だが聖戦士は一人ではなかった。ザルカンが俺の事を村人たちに伝えたせいで、俺まで聖戦士という事になったのだ。何せ俺は正真正銘のよそ者……伝承の通りの旅の戦士だったというわけだ。
集落の外で会った見回りの連中が俺の事をウルクス様なんて呼んでいたが、それも俺が聖戦士だったからという事らしい。
おかげで死ぬほど酒を飲む羽目になった。俺は適当な所で抜け出して、少し頭を冷やすために外に出た。
「くそ、調子に乗って飲み過ぎたぜ……」
火照った体に夜風が気持ちいい。いっそこのままその辺で寝てしまいたいくらいだ。
「よう、聖戦士。人気者じゃな」
声に振り返るとザルカンがいた。手に酒瓶を持ってこちらに近づいてくる。
「おいおい、外にまで追っかけてきたのかよ。もう飲めないぜ」
「安心せい。水じゃ」
そういって差し出された酒瓶を受け取り匂いを嗅ぐ。酒の臭いはしなかった。恐る恐る飲むと冷たい水だった。
「お前らは酒が強いんだな。どいつもこいつも飲み続けてる」
「はははは! まあ久しぶりじゃからな。襲撃があって以来満足に葬式も出来んかった。客人が来たからと飲むいい言い訳ができたわけじゃ」
「ふうん、そういうもんか」
「親を亡くした奴、子をなくした奴、連れ合いをなくした奴……やり切れんが、酒を飲んで笑って忘れる事じゃ。わしらはそうやって生きとる」
「なるほどね……何だ、何か言いたいことでもあるのか」
ザルカンが俺をじっと見つめていた。その目は、何か言いたげだった。
「……あの娘、うちで引き取ってもいいぞ」
「何? アクィラをか?」
「おう。孤児院があるからの。親のいない奴をみんなで育てとる。一人増えたって変わらんわい」
「ボルケーノ族の仲間か。それもいいかもな……しかし、今そんな事を言っても聞かないだろうな。あんだけ息まいてる様子を見ると」
「じゃろうな。まあ無理にとは言わん。選択肢の一つじゃ。いつか大人になった時にでも、このカイディーニ山を思い出したら来ればいい」
「暑い国だ……嫌いじゃない。アクィラにも伝えておく」
「おう。それと、お前はこのまま帰れ」
「いいのか? 勝手に抜け出しといてなんだが……」
「あいつらは勝手に朝まで飲んどるわい。お前がおらんでもな。明日発つんなら、さっさと寝ておけ」
「おう、じゃそうさせてもらうぜ」
俺はザルカンに手を振り、そして俺達用の小屋に戻っていった。酔って千鳥足になりながら階段を上り、先に帰ったアクィラを起こさないように静かに部屋に入る。
「ウルクス、お帰り」
「何だ、起きてたのか……」
アクィラは窓の脇に座り空を眺めていた。月は天頂を回った頃だろうが、ずっと起きていたようだ。
「何だか寝つけなくて……」
「なれない枕だとそんなもんかもな。冷えるぞ。毛布をかぶっておけ」
言いながら、俺は倒れ込むように布団に横になった。
「……お酒臭い」
「そいつは悪かったな。お前の分まで飲んできたんだよ」
「星は……どこでもいっしょなんだね」
「ああ……遠くにあるからな。国が違っても同じに見えるさ。居場所は決まってるんだ」
アクィラは窓の外、遠くの星空を見上げているようだった。乾いた空に星が燦燦と輝く。それはタバーヌでも変わらぬ星空だった。
「ねえウルクス……」
「なんだ? 腹が減ったとか言うなよ」
「私、虫狩りになっちゃ駄目?」
そう聞かれ、俺は体を起こしてアクィラに向き直る。アクィラは真剣なまなざしで俺を見つめていた。
「……俺は気楽に虫狩りをやっているからな。お前がそうなるのも悪くはないと思う。だが……今決める事じゃない。故郷を見てから決めろ。お前がどこへ行くのか、何をなすべきなのか。焦る必要はないさ」
「うん……分かった……」
俺の曖昧な答えにごねるかと思ったが、アクィラは毛布をかぶって布団に横になった。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
やがて、アクィラは静かに寝息を立て始めた。俺も酒臭い息を吐きながらもう一度横になり、大の字になって天井を見上げた。
「どこへ行くのか、何をなすべきなのか……」
自分の言葉を小声で呟いてみる。アクィラに偉そうに言ってはみたが、そんな事は俺自身にだってまだ分からない。何となく虫狩りとして一生を終えるつもりだった。何か御大層な理由がある訳じゃない。生業として選んだだけの事だ。
ふと、アレックスの事を思い出す。奴はアレックス氏族の戦士として生まれ、今では族長にまでなっている。自分で望んだことなのか、それとも立場としてしょうがなかったのか。奴に普通に生きるという道はなかったはずだ。モーグ族の戦士として生まれた瞬間に、一族を背負って戦うことが決まっていた。
アクィラはどうなのだろうか。デスモーグ族に攫われ、装置を埋め込まれ、そして普通ではなくなった。もう普通の子供として、女として生きることはできないのだろうか。
それが運命なのだろうか。
決めなければならないだろう。アクィラと一緒に。どこへ行くのか、何をすべきなのかを……。
・予告
タバーヌの西へにあるアクィラの故郷へと旅を続けるウルクス達。旅は順調に進み、ようやく故郷の村へとたどり着いた。滅びた村を見て回るウルクスたち。そこで二人は思いがけないものに出会う。
次回「静かな牙」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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