第三十五話 束の間の安息

 ジョンに逃げられてから二日が経った。俺とアクィラはモーグ族の住処で厄介になっていた。

 虫の鍋に関して言えば、防衛には成功したと言える。ジョンに支配権を奪われることもなく、壊されることもなかった。洞窟から繋がる入口は、結局ナイジェルとデンバーが爆破して崩落してしまったが、虫の鍋の機械虫たちがせっせと掘り返し復旧作業中らしい。

 火の切っ先アトゥマイ氏族を始めとするボルケーノ族は、デスモーグ族の機械虫攻撃で小さくない被害を受け、虫の鍋につながる洞窟が壊されたこともあって怒り心頭らしい。

 だがザルカンが、アクィラの持っていた黒い仮面を持って凱旋したことで一応の決着を見た。デスモーグ族はやっつけた……ザルカンは見事聖戦士としての責務を全うしたというわけだ。ついでに虫の鍋で倒したビートルの角も持って帰ったおかげで、村一番の勇士として更に名を上げたそうだ。

 そして俺は……特にすることもなく会議用の部屋で椅子に座り、茶を飲んで果物やおやつを食っているだけだ。

 アクィラの方は、体調や記憶の事を調べるとかで昨日から奥の診察室で色々な検査を受けていた。脳や内臓を透かして見るような機械もあるらしい。全く、信じられない。

 現時点でのアクィラの所見は、多少疲労がたまっているが健康状態はおおむね良好ということだった。

 良かった……本当に良かった。虫の鍋の中で大立ち回りをしていたのが嘘のようだ。だがそれのおかげでアクィラを助ける事が出来た。取り戻すことが出来たのだ。俺一人では到底無理だった……アレクサンドラ達モーグ族の力が無ければ、それにザルカンもいなければ、アクィラを取り戻すどころか、今こうして呑気に茶を飲むことさえできていなかっただろう。

「虫狩り」

 アレクサンドラが開け放した会議室のドアから顔を覗かせた。こいつの方から俺に声をかけてくるなんて珍しい。

 顔には仮面をつけておらず素顔で、鎧も身につけていない。モーグ族はみんなそろいの白い服を着ているが、アレクサンドラも例外ではなく同じ服を着ていた。鼻には白い金具を付けている……黒い剣士、ローガンに蹴られたせいで鼻が折れており、それを固定するためものだった。少々痛々しい姿で、声も鼻声になっていた。

 顔はよく見ると目元なんかが特にアレックスに似ている気がする。しかしあまり見ていると睨まれるので、じっくり確認する機会はまだ訪れていない。

「暇そうだな」

 言いながら、アレクサンドラは俺と対角線の反対側の席に座った。持っていたコップをテーブルに置き、何か腰を据えて俺と話す気のようだった。

「暇だが……しかし俺に出来る事なんざないだろ?」

「それはそうだ……」

 何か言いたいことがあるのだろう。或いは聞きたいのか。しかしアレクサンドラは何も言わず、ただ手元のコップを見つめていた。

「何か用があるんじゃないのか?」

 俺がそう聞くと、アレクサンドラは視線を上げて俺の方を見た。どこか迷っているような、いつもの口調からは想像できない弱気な表情に見えた。

「……お前から見て、ローガンはどんな男だった?」

「どんなって……話した通りだよ。掴みどころのないような、奇妙な男だった」

 アレクサンドラが気絶した後も、白い鎧は周囲の状況を保存していた。だから俺とローガン、ジョンとの会話も記録されていて、その内容は他の連中も確認している。俺も聞かせてもらったが、記憶の通りの内容だった。特に抜けもない。だから今更俺に聞くことなどないはずなのに……アレクサンドラが何を考えているのか、俺には分りかねた。

「……何か気になるのか? あのローガンって男が」

「何故……お前を生かしたままにしたのかが理解できない。奴が言っていた……ジョンが私に負けたからだというのは、それはそれで一応の理屈だが……武門の棟梁がそんな理由でそんな決断を下すとは思えない」

「俺を生かしたままにした方が……奴にとって何か得になるとか?」

「それは考えてみたが、何が得になるのか思いつかなかった。兄さんがいれば何か思いついたかもしれないが……」

「ルーカスは何て?」

「父さんは……戦いを拡大させるためではないかと言っていた」

「戦いを拡大? モーグ族とデスモーグ族のか?」

「そうだ。武門もまた千年前の崩壊から生き残った者たちの末裔だ。奴が言っていたように、武門は傭兵のような存在で、デスモーグ族から要請があった場合に兵士を貸し与える。見返りに旧世界の技術や武器を受け取るそうだが、立場としては対等の存在だと聞く。奴らの存在意義は、戦いそのものにある。現時点では武門の介入はほとんど確認できていないが……これからもしモーグ族とデスモーグ族の戦いが激化すれば、武門が前に出てくることもあるだろう」

「俺を生かすことで戦いが激化する……って、俺はそんな大層な人間じゃねえだろ」

 俺はただの虫狩りだ……デスモーグ族、特にジョンにとっては目障りな存在かもしれないが、しかしそれだけの話だ。俺がいてもいなくても大して影響はないだろう。

「そうだ。だから、分からない」

 アレクサンドラは再び手元に視線を落とす。俺にわざわざ相談しに来るなんて、相当行き詰っているようだった。単に奴が偏屈な男だった……そう考えればそれだけの話だが、しかし何か大きな意味があるのなら、それを明らかにしなければならないだろう。ひょっとすると、本当に今後の戦いを左右するようなことかもしれないのだ。

「アクィラの事だが……」

 アレクサンドラが言い淀み、数秒の間を置いて言葉を続けた。

「……分かったことが二つある」

「何だ?」

 なるほど、こっちが本題だったか。しかし顔を見る限り、いい話ではなさそうだ。

「彼女の脳に埋め込まれた感応制御装置……あれはここの施設では取り外すことが出来ないことが分かった」

「……そうか」

 予想していたことではあったが……現実となるとやはり堪える。普通の人間には戻れないという事だ。

「しかし、ここの施設では……って事は、他の施設なら可能って事か?」

「いや……今我々が管理しているどこの基地や施設でも不可能だ。医療関係の設備に関してはどこも似たり寄ったり……一般的な怪我の治療などは可能だが、脳に入り込んだあの装置の端子を安全に除去することはできない。まだ発見されていないどこかの施設に高度な医療設備が残っている可能性はあるが……望みは薄い」

「今から探してどうこうって話じゃないんだな……」

「そうだな。明日見つかるかもしれない。一週間後、一か月後……いつか見つかるかもしれないが……その可能性は低い」

 モーグ族は千年の間色々な場所で旧世界の施設や技術を探し歩いている。それで見つかっていないものが、そうそう都合よく今から発見できることはないってわけか。

「そしてもう一つ。アクィラの家族の件だが……疫病で亡くなっている。住んでいた村も現在では放棄されているらしい」

「疫病か……」

 流行り病で村一つ滅ぶってのはそれほど珍しい事ではない。だがこうも悪い事に悪い事が重なるとは……つくづくアクィラのことが不憫になる。生きているだけましかもしれないが、しかし、とてもやり切れる事ではなかった。

「アクィラの記憶は約一年前からしかないから、その頃に誘拐されたと考えられる。近くの町に人別帳が保管されていたが、アクィラという名の少女が一年ほど前に行方不明になり、その一か月後に死亡扱いになっていた。時期的にも合致する」

「それで、親兄弟はみんな死んじまったのか」

「そうだ。アクィラの家族はもういない。離れた町に父親の弟がいるそうだが、直接アクィラとの面識はない。その人に家族として預かってもらう事も難しいだろう」

 俺は絶句した。天涯孤独の身か……親のない子供なんざそこら中にいるが、だからと言ってそれで問題がないわけじゃない。しかし……もしアクィラがその村に残っていたら、家族と同じように死んでいたのか。攫われたから命を拾った……そんな考えが浮かんだ自分に腹が立った。だが、幸も不幸も、決めるのはアクィラだ。しかし受け止められるのか、あいつに?

 お前の頭には機械が埋まったままで普通の人間として生活はできない。家族は死に村も滅んだ。そんな事をどうやって伝えればいいのか……アレクサンドラが浮かない顔をしている理由がよく分かった。

「助ければ……万事うまく解決すると思っていたが、そう都合よくはいかないな」

 俺は組んだ手を頭に載せ、椅子の背もたれによりかかる。

「……私達と暮らせばいい」

「モーグ族としてか?」

「違う。ここは基地で技術の捜索やデスモーグ族との戦闘のためにあるが……隠れ里があるんだ。別の場所に。そこにはもっとたくさんの人が住んでいる。非戦闘員の村だ。アクィラのような被害者が他にも数組いる。そこでなら安全に暮らせるはずだ……」

「そうか。確かにここにいる連中だけで一族ってのは数が少ないとは思ってたが……問題は、それをアクィラが受け入れるかどうかか」

「そうだな。結局そういう事になる」

 モーグ族に混ざって生活する。少なくとも頭の機械の事で不自由することはないだろう。奇異に思う連中は周りにいないのだから。しかし、外に出ることは恐らくできないのだろう。その隠れ里がどんな場所かは分からないが、その中で一生を終えるのだ。

「アレクサンドラ、ウルクス君! 来てくれ!」

 ルーカスの大声でハッと我に返った。何だ? あのおっさんがこんなでかい声を出すなんてよほどの事か?

 俺とアレクサンドラは小走りでルーカスの場所に急ぐ。ルーカスは壁に据え付けられたガラス板の機械の前で座っていた。ガラス板にはアレックスの顔が映っていた。

「アレク――ラ。ウ――スも来たか」

「ああ、何だ? 俺に用なのか?」

「きを――だ、そ――ローブには――」

 何か切迫しているような様子だったが、アレックスが何を言っているのかさっぱりだった。ざーざーと耳障りな音が混ざってよく聞こえない。

「何?! 聞こえねえぞ、アレックス!」

 画面に映るアレックスの顔が乱れる。声も相変わらず途切れ途切れで聞き取れない。

「グ――げろ、グローブを――渡すな!」

「どうなっているんだ、父さん!」

「さっきからずっとこの調子だ。アレックスは攻撃を受けているが、何らかの情報を送ろうとしている」

「グローブを、渡すな? 誰に渡すなって? おい、アレックス!」

 画面の乱れが激しくなり、アレックスが映っているのかどうかも分からなくなる。音も雑音だけになり、そして途絶えた。

「一体どうなってる、アレックス。 グローブ……あのグローブが何だってんだ?」

 機械は何も答えない。ただ黒いガラスに俺達の姿が映っているだけだった。






・予告

 途切れたアレックスからの通信は何を意味するのか。言い知れぬ不安が募っていく。

 一方、検査を終えたアクィラは、ウルクスから自分の家族も故郷も最早失われていることを告げられる。アクィラは悩みながら自らの生きる道を考え始める……。


次回 「選択」 お楽しみに!



※誤字等があればこちらにお願いします。

https://kakuyomu.jp/users/ulbak/news/16816700429113349256

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