第三十四話 もう一つの影
「残念だったな、ジョン。ジェーンとやらは消えた……アクィラは取り戻させてもらったぜ」
俺はアクィラを支えながら立ち上がる。
「馬鹿な……人格を呼び戻すなど……その力はまるで……!」
俺に向かって身を乗りだそうするジョンを、アレクサンドラが棒で払う。
「動くな。お前には聞きたいことが山のようにある……大人しくついてきてもらうぞ」
不意に影が差した。上から……鳥か? そう思った。気が抜けていたのもあっただろう。俺は全くその動きに気付くことが出来なかった。
後方から飛び掛かる影。アレクサンドラは素早く振り返り棒を頭上に掲げる。何だ?人――黒い鎧、剣を――アレクサンドラが。
振り下ろされる剣。剣と棒がぶつかり合い火花を散らす。
辛うじて剣の一撃をアレクサンドラは棒で受けていた。しかし追撃が来る。
ザルカンの剣ほどではないがでかい剣だ。反りの入った幅の広い片刃の剣。斜め下から跳ね上げ、さらに横に薙ぎ、アレクサンドラに突きを入れる。
そのどれもをアレクサンドラは受けきる。しかし剣の勢いは強く、一太刀ごとに押されアレクサンドラは背後の岩の壁に追い詰められていく。
黒い鎧の男は剣を顔の横で持ち切っ先を頭上に向ける。そして思い切りアレクサンドラに向かって振り下ろす――。
金属の打ち合う音が再び響く。アレクサンドラは受けたが、完全に力負けしていた。黒い剣士は剣をでそのまま棒を押し始め、アレクサンドラはじりじりと下がり壁に押し付けられていく。
こいつは一体誰だ? ジョンの仲間か。いや、誰でもいい。何とかアレクサンドラを助けないと!
スリングはだめだ。予備で持ってきた折り畳みの弓がある。それなら……しかし取り出すまでに時間がかかる。
俺は腰の後ろの雑嚢から弓矢を取り出そうとした。しかし、その間にも黒い剣士は動いた。
アレクサンドラを剣で押したまま、右の膝を跳ね上げる。それがアレクサンドラの腹に叩きこまれた。
「ぐうっ!」
アレクサンドラのうめき声が聞こえた。そして間髪入れず黒い剣士は左脚を跳ね上げ、アレクサンドラの顔面を正面から蹴り抜いた。岩を打つ鈍い音が響き、アレクサンドラの後頭部が岩壁にめり込む。岩にひびが入るほどの衝撃。
アレクサンドラの腕から力が抜け棒を取り落とした。そして黒い剣士が脚をどかすと、アレクサンドラはくずおれるように膝をつき動かなくなった。
「アレクサンドラ!」
俺は雑嚢から弓を出したが、それ以上動くことが出来なかった。
黒い剣士はアレクサンドラの方を向いて俺に背を向けているが、まるで後ろに目でもついているかのように俺は威圧されていた。ザルカンの放つ気配と同質のもの……こいつはいつでも俺を殺せる。それが分かった。
「ウルクス! あの人が!」
「……動くな、アクィラ。後ろに……下がれ……!」
俺はアクィラの肩を押して俺の後方に下がらせる。あまり意味のない行為かもしれないが、少しでもあの黒い剣士からアクィラを遠ざけておきたかった。
「お前は……ローガンか」
立ち上がり、ジョンが呟くように言った。名前を呼ばれ、黒い剣士、ローガンはゆっくりとジョンの方を向いた。
「勝手にうちのアサシンを使ったな? お前にそんな権限はないだろう」
「……元老院は許可したぞ、ローガン」
食い下がる様にジョンが言った。
「分かってるだろう? 俺は元老院やお前たちの下部組織ではない。それと……俺を呼ぶならせめて殿をつけてもらおうか。ジョン殿」
ジョンはローガンの方を見ながら、苦々しい声で答えた。
「……何の用だ、ローガン殿」
「はははは! 冗談だよ、ジョン。ローガンで構わん。それはともかく……」
ローガンは俺を一瞥し、再びジョンを見た。奴の仮面の目の部分にあるスリットがギラリと光を反射する。
「何なんだ、この体たらくは?」
ローガンの問いに、ジョンは何も答えなかった。そのまま十秒ほどの沈黙が続き、ローガンが言葉を続ける。
「結構な人数を動かして、うちのアサシンまで使っている。成果は上々だろうといくらか期待してきてみれば……何だ? お前はモーグ族の戦士相手に尻餅をついている」
「……感応制御装置は複写できた。当初の目的は達成している……!」
「ふん。それも駄目だったら、お前をそこの火口にでも放り込んでいるところだ」
ジョンは怒りを押し殺したような声でローガンに言う。
「……何をしに来たんだ、お前は。私を笑いに来たのか……?」
「俺がそんな暇に見えるか? まあ、暇は暇なんだが……元老院の爺の命令だ。でなければこんな所に、しかも俺が来るわけないだろう」
「元老院がお前に……俺に協力しろと?!」
「違う。お前が持ち帰るはずのそれ……感応制御装置って奴を確実に持ち帰れと言われている。まあ結果的には、お前に協力するという事にはなるがな。足も用意してきた」
そう言うと、ローガンは仮面の左耳の部分を押さえながら、誰かに話しかけるように言った。
「ステュー、位置は分かるな? 送れ。さて……」
ローガンはゆっくりと俺達の方に向き直った。殊更に威圧している様子ではないが、感じるのは強い殺意だった。俺は呼吸するのさえ息苦しく感じた。こいつがその気になれば、俺はもうすでに何度も殺されていることだろう。アクィラ諸共に……。
「ジョン、こいつらは何なんだ? モーグ族ではないようだが」
「こいつは……虫狩りはモーグ族のアセットだ。そして……その子はジェーン。我々の仲間だ」
「虫狩りのアセットに、仲間? ああ、そうか。こいつが例の子供か。しかし……随分とその虫狩りに懐いているようだな?」
「記憶が混濁しているんだ。基地に戻って再調整すれば治る……」
「嫌よ……!」
ジョンの言葉を聞いて、俺の後ろからアクィラが言った。
「もうあんたたちの仲間になんかならない。私はジェーンじゃない! アクィラよ!」
アクィラは俺の腕にしがみつきながらそう言った。そうだ。お前はアクィラだ。二度とデスモーグ族のいいようにはさせない。だが、今のこの状況はかなりまずい……。虫の鍋の中に逃げ込むか? それともそこの崖から逃げるか……いずれにせよ生身の俺達は圧倒的に不利だ。鎧を身につけた二人に勝てる見込みはない。
頼みのアレクサンドラもやられてしまった。俺が戦ってどうにかできる相手ではあり得ない。打つ手がなかった。
「あんたは一体何者なんだ……?」
俺はひとまず時間を稼ぐために、どうでもいい事を聞くことにした。その間にアレクサンドラが目を覚ますかもしれない。ザルカンも来れば、あるいは勝機が見える。
「ローガンだよ。武門の人間だ」
「武門……?」
答えないかと思ったが、ローガンは意外にもすんなりと教えてくれた。だが武門とは? デスモーグ族の仲間なのか?
「おい、何を喋っているんだ。余計なことを教えるな!」
ジョンが苛立ちながらローガンに言う。こいつらの力関係が分からないが、少なくともローガンは下っ端の戦士などではないようだ。勝手に喋る内容を決める程度の裁量は持っているって事だ。
「いいじゃないか。直に帰投用のトンボが来るが、それまでの暇つぶしだ……お前は武門を知らないようだな」
ローガンはジョンの言葉を気にかけずそのまま話を続ける。俺も質問を続けた。
「デスモーグ族の内部組織って事か? アサシンもあんたらの仲間か……?」
「内部組織ではない。我々はデスモーグ族とは別の独立した組織だ。アサシンは我々の配下ではあるが、世の中全てのアサシンがそうだというわけではない。我々の飼っている戦士の群れを、便宜上アサシンと呼んでるだけにすぎん」
「……独立している組織? だが、随分とデスモーグ族と仲がいいみたいだな」
俺は言葉を選びながら質問を続けた。このローガンという奴は一応は聞く耳を持っているようだ。だからといって俺を見逃してくれるわけではないだろうが、少なくともまだしばらく会話を続けることはできそうだった。
「技術供与を受けているからな。我々は戦力を提供し、デスモーグ族は我らに技術を提供する。こいつらの代わりにモーグ族と戦ったこともある。そう言えばこの辺はアレックス族の縄張りだったな……そこで伸びてる奴は誰だ?」
こちらの情報を与えていいのか。迷ったが、黙っているという選択肢はない。そして嘘をついてもジョンがいるからばれる可能性もある。下手に刺激しないように、ここは普通に答えるしかなさそうだ。
「……アレクサンドラだ」
俺の答えを聞いて、ローガンは顎に手を当て考えるような仕草をする。
「……アレクサンドラという事は族長の補佐か。アレックスは不在なのか? しかしアレックス族は武闘派でもないからな……つまらん。どおりで歯ごたえがないわけだ。おっと……来たようだ」
ローガンが右の崖下の方を見る。つられて俺も視線を向けると、そこにはトンボがいた。目の赤いトンボが二匹……そいつらが崖の縁辺りで止まりその場で滞空している。よく見ると腹の下には見慣れないものがついていた。どうやら掴まる為の取っ手らしい。
「さ、行くぞ。喋っている間にアレクサンドラが目覚めるかとも思ったが、そういう事もなかったな。残念ながらここでお開きだ」
「待て、ローガン。この虫狩りには恨みがある。始末する」
そう言ってジョンは俺の方に足を踏み出したが、ローガンはその喉元に剣を付きつけ動きを制した。そして何度か舌打ちをして、話し始めた。
「それは駄目だな、ジョン。お前は負けたんだ。あのアレクサンドラにな。そこで終わりだ」
「何だと?! 何を馬鹿なことを! この虫狩りは前の作戦でも我々の邪魔をした! 有害なアセットだ!」
激したジョンの言葉にも、ローガンは飄々とした態度で答える。
「その喧嘩はお前らの中での話だ。武門は関知しない。お前が突っ立っているのは俺の気まぐれでしかない……お前の首を落として、その装置だけを持ち帰ってもいいんだぞ? 命令されたのは、その装置の確保だけだからな……」
ジョンとローガンの間に異様な緊張が走る。ジョンの義手がキリキリと小さな音を立てた。
「……分かった。だがその子だけでも連れ帰る」
その言葉で、俺にしがみつくアクィラの手に力が入る。しかしローガンが言葉を続ける。
「だから、無しだって。お前が尻餅をついた時に、負けて、全部失ったんだ。いいからトンボに掴まれ。従わないのなら本当に斬るぞ。俺はこれでも苛ついているのを我慢しているんだ」
ローガンが剣の峰でジョンの喉をコンコンと叩く。ジョンの握りしめた左手がギリギリと音を立てていた。
「……分かった」
ジョンはローガンに従い、崖の方へと歩いていく。だが一度振り返り、俺達を睨みながら言った。
「虫狩り。お前は必ず殺してやる。そしてジェーン。お前は……取り戻してみせる。お前はもうジェーンなんだからな……」
「はいはい、分かったからさっさとしろよ。取っ手に掴まるなんて簡単なことが、何故さっさと出来ないんだ」
ローガンは剣を腰の鞘に納めると、トンボの腹の下の取っ手に掴まった。取っ手からはロープが垂れ、足元の辺りに輪っかが来るようになっていた。それに片足を入れると体重を支えられるようだ。ジョンも同じように掴まり、そしてトンボは急加速し飛んでいった。おおよそ北の方角……だが雲に隠れ、やがて姿は見えなくなった。
・予告
虫の鍋を守り、アクィラを取り戻したウルクス達。モーグ族の施設で休息をとるが、ウルクスの心から不安は消えなかった。早くアクィラを故郷に返してやらねば……そう考えるウルクスに、再びアレックスから通信が入る。
次回「束の間の安息」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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