第三十三話 重なる碧光
「やめろアクィラ! いや、ジェーン! お前はその男に、デスモーグ族に騙されているんだ! ナイフなんか捨ててこっちに来い!」
いくら言っても無駄だろうと分かってはいる……それでも言い続けるしかない。ジェーンはナイフを構えたまま俺を睨み、そして答えた。
「黙れ! 騙されているのはお前の方だ! モーグ族はすべての人間を根絶やしにしようとしている……モーグ族に与するのなら、お前も同罪だ!」
「何言ってるんだ?! モーグ族は俺たちを……人間を守っている! お前、一体何を吹き込まれたんだ!」
激するジェーンは更に反論を続けようとしたが、ジョンが一歩前に出てジェーンを制する。そして代わりに言った。
「何を言っても無駄だ。本当のことを知っている人間は少ない……デスモーグ族も、モーグ族もな……」
ジョンは右手を胸の高さに上げ手を開いた……いや、手じゃない。そいつは武器のようだった。三本の鉤爪が放射状に開き、中心からは鋭い杭が飛び出す。信じられないことに、肩から手までが全て金属製になっているようだった。義手……ということだろうか。これも旧世界の技術なのかもしれない。
「お前たちと私達は相容れない。問答は無用……ジェーン、お前は虫狩りをやれ。私はモーグ族の相手をする」
「はい、兄さん!」
そう答え、ジェーンは一気に俺の方へと駆け出した。手にはナイフ。親の敵でも見るような顔で俺に襲いかかってくる。ジョンはアレクサンドラの方に近づいている。あっちはアレクサンドラに任せて、俺はジェーンをなんとかしなければ。
「やめろ、ジェーン!」
「黙れ!」
順手に持ったナイフでジェーンは俺に斬り掛かってくる。めちゃくちゃに振り回しているわけじゃない。ちゃんと俺の急所、首や脇の下、股や顔を狙ってくる。だがこっちには刃を通さないモーグ族のグローブがあるし防護服もある。俺は両手でナイフを受け捌きながらジェーンとの距離を保つ。
動きはそれなりに速いが、しかし力はただの子供のままのようだった。ジェーンもジョンのような黒い鎧を身につけているように見えるが、本物の鎧ではないらしい。力を強くする機能がないのなら、それほど怖い攻撃ではない。
そうは言っても本物の刃だ。受けているうちに何度か体をナイフが掠める。防護服のある場所はいいが、関節などの継ぎ目は隙間がある。そこをやられれば十分に危険だ。
動きを見る限り、ジェーンは何かしらの訓練を受けているようだ。ナイフ術や体術を教わったのかもしれない。ジェーンなどという名を与え、その上戦士として教育をしている。デスモーグ族は一体何を考えているんだ?
「死ねぇっ!」
ジェーンがナイフを腰だめに構えて突っ込んでくる。くそ、止められない! 俺は咄嗟に平手でジェーンの顔をはたいた。
「ぐっ?!」
軽くやったつもりだったが、グローブのせいで力が入っていたらしい。思った以上にジェーンの体は吹っ飛んで地面に転がる。
「お、おい……大丈夫か?」
うつ伏せになったアクィラは手をついて体を起こし、そして顔を上げた。口の端から赤い血が滲み、目には今まで以上の憤怒が浮かんでいる。まずい。火に油を注いじまったか……?!
「うわぁっ!」
ジェーンが叫びながら立ち上がり、そして再び俺に向かって襲いかかる。
このままでは同じことの繰り返しになるだけだ。言葉でいくら言っても通じない。ジェーンの人格をなんとかしなければ何も変わらない。しかしどうやって?
ジェーンのナイフが左右から襲ってくる。さっきよりも踏み込んだ攻撃で、力も速さも上がっている。だが、止められないわけじゃない。
俺は何度目かの攻撃で、意を決してナイフの刃を掴みジェーンの動きを止めた。
「放せっ!」
ジェーンは腕を振って俺の手を振りほどこうとするが、白いグローブで強化された俺の握力は刃を放すことはない。そしてジェーンの反対の腕も掴み、俺の正面で動きを止めさせる。
「ジェーン! お前の名前はアクィラだ! ジェーンもエルザも本当のお前じゃない! お前はアクィラなんだよ!」
「エルザを……知っている?! くそ、黙れ! 私はジェーン、デスモーグ族の戦士だ! お前を殺してやる!」
ジェーンは暴れるが単純な力はこっちのほうが上だ。しかしジェーンは足を跳ね上げて俺の顎を真下から蹴り上げた。
「ぐっ!」
そして更に−−!
「ぐあっ!」
き、金玉を蹴りやがった! くそ!
「この手を、離せっ!」
ジェーンの左手が俺の左腕を掴む。そしてジェーンは姿勢を低くして俺に背を向けた。
「うおっ!」
投げ技だった。姿勢を低くして俺を背負うように、そして左肘を極めながら投げを打ってくる。まずい。下手にこらえると腕を折られる! 俺はジェーンの動きに合わせ、腕を折られないように前方に転がった。
不完全な投げだったが俺はナイフを放してしまい、ジェーンは自由になってしまった。そしてジェーンはその隙を見逃さなかった。
「死ねっ!」
ジェーンはナイフを逆手に握り直し、地面に倒れている俺の首に向かってナイフを振り下ろしてきた。
刃が
俺はジェーンの手を押し返しながら考える。どうすればこの無益な戦いを終わらせられる?
ジェーンになにか言ってやめさせるのは不可能だ。アクィラの人格を引っ張り出さない限り、こいつは俺を殺そうとするのをやめないだろう。
ぶん殴って気絶させれば? 気絶させること自体は恐らく可能だろう。だが……殴ってもし万一頭に埋め込まれた装置に異常が出たら? アクィラは……最悪の場合死んでしまうかもしれない。さっきみたいに殴るような真似はできない。
「お前を……殺してやるっ……!」
息を詰めながらジェーンが言う。そして後頭部の装置が青い光を放ち、二つの瞳にも青い光が宿る。
機械虫を呼ぶ気か?!
近くに機械虫の気配はない。しかしここは虫の鍋の真上だ。呼べばいくらでも出てくるだろう。この装置がどの程度の距離まで効果を及ぼすのかはわからないが、過小評価するのは危険だ。恐らく、機械虫はここに来てしまう。
そうなれば……終わりだ。アレクサンドラはいるが……どの機械虫かにもよるが、ビートルやスタッグを一人で相手するのは難しいだろう。しかも来るのは一体とは限らないし、ジョンもいる。圧倒的に不利……はっきり言って負けるのは確定する。
ジェーンの怒りに呼応するように、放たれる青い光が強さを増していく。
どうする? 止める方法はわからない。殴って気絶させれば可能だろうが、それはできない。しかしそれ以外に装置を止める方法は思い浮かばない。
青い光……この青い光を止めなければ……!
俺はふと、自分のグローブに気づいた。青い光なら、こっちにもある。
グローブの力で、ジェーンの、アクィラの頭の装置を止められるかもしれない?! 本当にできるのか、そんなことが? しかしもう迷っている時間はない。
「おおぉっ!」
俺は腰を跳ね上げ上に乗っていたジェーンの姿勢を崩す。そして一気にナイフを押し返しジェーンを地面に引き倒す。ジェーンは仰向けになり、今度は俺がその上にまたがる。左手でナイフを持つジェーンの腕を押さえ、俺は右手でジェーンの後頭部、装置のある場所に手を当てる。
「どけっ! この、薄汚い虫狩りがっ!」
ジェーンは暴れるが、俺の体重を跳ね返すことはできない。俺は息を呑み、右手に意識を集中させる。出来る……のか? いや、出来る。このグローブならば、きっと。俺は自分にそう言い聞かせた。
「装置を止めろ! アクィラの人格を出せ!
右手のグローブが青い光を放つ。そして光はジェーンの頭の装置に吸い込まれていく。
「ああぁぁっ!」
ジェーンが悲鳴を上げた。苦痛に耐えるように身を捩る。だが、俺は右手で頭部を押さえ続けた。その間もグローブは薄っすらと青く光り、その光がジェーンの頭部に吸い込まれていく。
アクィラの両目の光が消えた。そして装置の放つ光も消え、ただ俺のグローブだけが光っていたが、それも五秒ほどで消えた。
「アクィラ……?」
ジェーンは薄目を開け気絶しているようだった。だが目が動き、ゆっくりとまぶたが開いていく。目が合う。その目は、いつか見たアクィラの目だった。
「ウルクス……? 私……」
「アクィラ? アクィラなのか?!」
俺はアクィラの上から降り、支えながらアクィラの体を起こさせる。
「私ずっと……閉じ込められていた……。エルザに……違う、もっと別の強い誰かに……?!」
「ああ、ジェーンてのがいたらしい。だがもう、いいんだ。お前はアクィラだ……アクィラだ!」
アクィラが困ったように俺を見ていた。食い意地の張ったただのガキ。悲運を背負った哀れな少女。俺が必ず家に返してやると約束をしたのはこいつだ。
ようやく、見つけることができた。別の国まで来た甲斐があったというものだ。
「ジェーン、何をやっている!」
ジョンの声が後ろから聞こえた。振り返るとアレクサンドラとやり合っている最中だった。あっちはまだ決着がつかないらしい。
「何をやっている! その虫狩りを殺せ! お前はデスモーグ族の戦士だ!」
そう言い、ジョンはアレクサンドラに飛びかかり右手の武器を振り回す。アレクサンドラはどこから出したのか長い棒を構えていて、それでジョンの攻撃を受けて反撃する。
「アレクサンドラ! こっちは片付いた! アクィラは取り返したぞ!」
「分かった! こっちもすぐ片付ける!」
言いながらアレクサンドラは棒で地面を突き、自分の体を浮かせて両足でジョンを蹴り飛ばした。ジョンは尻餅をつき、起き上がろうとした所で顔面を棒で突かれる。
「ぐうっ!」
ジョンは尻をついたままの姿勢で動きを止めた。目の前にはアレクサンドラの棒がある。突くも叩くもアレクサンドラの思いのままだ。
「勝負あったようだな、ジョン」
アレクサンドラが言った。そう、これで終わりだ。虫の鍋は守った。そしてアクィラも取り返した。あとはジョンを叩きのめすだけだ。
「アクィラ、これで帰れるぞ。お前の家に……」
「私の家に……?」
アクィラは訳が分からないと言った顔で呟いた。無理もない。アクィラの記憶は恐らく、ずっと前から途絶えてしまっているのだから。
ようやく約束を果たせる。長いようで短かったこの旅も終わりだ。ようやく普通の生活に戻れると、俺はほっと胸を撫でおろした。
・予告
アクィラを取り戻し、ウルクスとアレクサンドラはジョンを追い詰める。戦いが終わる……そう思った矢先、もう一つの黒い影がウルクスたちに襲い掛かる。影の正体は? その目的は一体……?
次回「もう一つの影」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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