第三十話 火花
扉は通路に繋がっていて、そこには光がなかった。だが進んでいくとずっと奥の方にぼんやりとした光が見えた。
何となく見覚えがあった。三か月前の戦いで最後に機械虫と戦ったあの部屋……一階上から見下ろせるような構造に似ている。嫌な予感がしてきた。
正面の壁の上、その向こう側で光が明滅し動く影が見えた。
「ジョン! お前か!」
俺が大声を張り上げると、影が動きガラスの壁の方に近づいてきた。黒い鎧の姿……だが右腕の様子が変わっている。何か武器を持っているように見えた。
「アレクサンドラに……あの時の虫狩りか。妙なところで出会うものだ。アセットにでもなったのか?」
どこか狂気を孕んだような神経質そうな声……ジョンの声に間違いなかった。
アレクサンドラが俺を止めようと肩に手をかけるが、それを無視して俺は前に出る。
「アクィラはどこだ! そこにいるのか!」
「アクィラ……知らんな。ここにいるのは私の妹だけだ」
「妹だと?!」
俺達を見下ろすジョンの隣に、もう一つの影が近寄る。黒い鎧と仮面を身につけてはいるが……身長が異様に低かった。まるで子供だ。
「……アクィラ?! お前なのか!」
状況から考えてそうに違いなかった。虫の鍋を支配するにはアクィラの機械の力が必要……だがアクィラがいう事を聞くわけがない。なのにジョンの隣に立って大人しくつき従っているように見える。だが妹とは?
「ジェーン、あの者たちに見覚えがあるか?」
ジョンが傍らのアクィラに聞く。ジェーン?! アクィラじゃないのか?
「白い鎧はモーグ族。剣を持っているのは
その声はアクィラのものだった。だがどこか人間離れしたような、冷酷さをまとった声音に聞こえた。アクィラなのに、アクィラではない。
そう、確か……エルザと言った。あの時最後に施設で話したとき、アクィラは自分をエルザだと言った。旧世界の人間の人格が流れ込んだのだとアレックスは言っていたが……今度はジェーンだと? アクィラがジョンのせいで更におかしくなったって事か?!
動揺する俺を尻目に、ジョンはゆっくりと話し続けた。
「そうだ。モーグ族、ボルケーノ族、虫狩り。奇しくも、このカイディーニ山を代表する三者と言うわけだ」
「殺すの?」
アクィラの声が聞いた。だが、アクィラなどではなかった。
「殺すまでもない。この虫の鍋とやらが全てを葬ってくれる。山も森も、すべて終わりだ……」
「おうコラ! てめえ、このディスモーグが! わしらの聖地で勝手なことをしやがってるのは貴様か! 叩っ切ってやるからこっちに降りてこい!」
ザルカンが剣先でジョンを差す。だがジョンは反応せず、俺達を見ているだけだった。
「お前たちの企ては我々が阻止する。何を企もうと無駄だ!」
アレクサンドラもジョンに弩を向ける。だがジョンは、どこか呆れたような声で言った。
「分かっていないな、アレクサンドラ。アレックスなら私を見つけ次第即座に撃っていただろう。この会話は全て無駄なものだ。全てはもう決している……」
「何だと……?!」
「もう終わったんだ。目的だった虫の鍋の支配は叶わなかったが、代わりに感応制御装置を複写することはできた。ある意味では予想以上の成果だ。そして既に虫の鍋の自壊プログラムは起動させた……もうすぐここは崩壊する」
「貴様……!」
アレクサンドラが弩を撃った。しかしそれはジョンの前にあるガラスの壁に突き刺さり、ジョンには届かなかった。
「ノイズ鍵を突破してこうまで早くお前たちがここに来ることは想定外だったが……結果的にはお前たちの負けだ。お前たちは間に合わなかったんだ。それに……」
ジョンの足元、俺達の正面の壁が大きな音を立てて動き出した。壁面が床下に下がり、その内部の空間が見えてくる。
「くそ……やっぱりこうなるのかよ……!」
俺は自分の嫌な予感が当たったことにうんざりした。
壁の向こうには機械虫がいた。大型のスタッグ……いや、ビートルだ。真ん中の角の他に頭部の左右からもスタッグのように角が伸びている。しかし刃ではなく、動くわけでもない。三本の角を持ったビートルだった。
その目はうっすらと赤い。動きもどこか緩慢で、今目覚めたばかりのように見えた。
逃げ場はない……そう思ったが、後ろを向くと今さっき通ってきた通路は閉ざされてはいなかった。入ってきたときと同じように壁面が下がったままになっている。
逃げようと思えば逃げられる?!
「逃げたければ逃げるがいい。だがその場合は、もっと面倒なことになるだろうな。ジェーン、やれ」
「はい、兄さん」
ジェーンはそう答えると黒い仮面を取り外し素顔を見せた。
「アクィラ……やっぱりアクィラじゃねえか! おい、俺が分からないのか?!」
仮面の下の素顔はアクィラに間違いなかった。髪の毛は丸刈りになっているがその顔を見間違う事はない。だが、アクィラは俺の声には反応せず、ただ冷たい視線で俺達を睨んでいるだけだった。
不意にアクィラの目が青く光った。そして後頭部の機械からも青い光が迸る……青い光、機械虫を操る光だ。
正面の壁は全て下がってビートルの姿があらわになっていた。そしてアクィラの目の光の力か、そのビートルの目の色が青く変化していく。静穏状態の青よりももっと深い青……黒に近い青色だ。そして三本の角のうち、真ん中の角までが青い光を帯びていく。
「これが感応制御装置……? 青い光で操るのか?」
アレクサンドラがジョンに弩を向けたまま、誰に言うともなくつぶやいた。
「なんじゃあ……これは? 虫が青く光っとる……」
ザルカンも初めて見る光景に驚いているようだった。
「そのビートルは特別製でな、今しがたここの機能で作ったものだ。感応制御装置を組み込んであり、ジェーンの力を介して他の機械虫を操れるようになる。お前たちが逃げればそれを追い、更に近くにいる機械虫は操られることになる」
ビートルに操られる……なるほど、退路を断たれていないわけが分かった。俺達がこの通路を戻ってさっきの機械虫の作業場に入ると、そこにいる機械虫は全部操られて俺達の敵になるという事か。くそったれ。さすがジョンは性格が悪い。
「アクィラ! エルザか? ジェーンでも誰でもいい! このビートルを止めてくれ!」
「エルザを知っているの?」
俺の言葉にジェーンは反応し、首を傾げた。
「知っている! 俺はお前を知ってるし、お前も俺を知っているはずだ! 三か月前にお前はそこにいるジョンに殺されかけて、俺と一緒に逃げた! そしてお前は研究所でエルザって人格に飲み込まれた! だがお前はアクィラだ! 思い出せ! シャディーンとタナーンを! アレックスのことを忘れたのか!」
「シャディーン……? うっ、頭が……」
ジェーンは左手で頭を押さえよろめいた。思い出したのか?
「戯言で妹を混乱させるのはやめてもらおうか。私たちは行く。虫に殺されるか、虫の鍋と共に滅びるか。いずれにせよお前たちは死ぬ」
ジョンはジェーンの肩に手をかけ、後ろに下がらせた。そしてジョンもそのまま奥に歩いていき、二人の姿は見えなくなった。
「おう、ウルクス。どうなっとるんじゃ? 虫の鍋の崩壊がどうとか……?」
戸惑った様子でザルカンが俺に聞いた。その剣は正面の青い目をしたビートルを向いていたが、いつビートルが動き出してもおかしくない状況だった。
「……旧世界の施設には自分で自分を破壊する機能がある。それが動き出している……虫の鍋が死ぬって事だ」
「何?! 虫の鍋が死ぬ?!」
「もしそうなれば……この地域の生態系システムが崩れる……山も森も……どれだけの範囲に影響が出るか分からない」
アレクサンドラも弩でビートルを狙いながら言った。
「ついでに俺達も生き埋めか。止める方法はないのか、アレクサンドラ?」
「方法があるとすれば一つだ。お前のグローブの権限で……自壊プログラムを解除して上書きする。可能だな、ドンキー?」
「可能です」
「じゃあまずこのビートルを片づけないといけないわけか……」
ビートルはようやく体が温まったのか、六肢を踏ん張り体を持ち上げた。そして周囲に視線を巡らせ、正面にいる俺達を睨み始めた。
「いや、駄目だ……こいつの相手をしている時間はない。今すぐ上の階に行って止めないと……」
アレクサンドラはそう言うが、しかしビートルを放置することも出来ない。
「こいつを放っておくと、そこらじゅうの虫が操られちまうぜ? 崩壊を止めても、虫の鍋がめちゃくちゃになっちまう……」
さっきの作業場にいる機械虫が、箱に入って寝ている奴も含めて一斉に暴れ出すことを想像した。数百を超える機械虫の乱闘……虫の鍋の施設が無事で済むわけがない。
ビートルのコンプレッサーが体の左右から蒸気を噴出した。そして背面、頭部の付け根の内部から何かの装置が上に出てきた。内部に隠されていた旧世界の兵器に違いない。俺達を敵だと認識したらしい。
「来るぞ、アレクサンドラ! どうすればいい?!」
「わしがこいつの相手をする!」
ザルカンが俺とアレクサンドラを見て言葉を続けた。
「スタッグは一人で仕留めた。ビートルも仕留めてみたいと思ってた所じゃ……わしに任せい!」
そう言うと、返事も聞かずにザルカンは駆け出した。ビートルも迎え撃つように前に出る。剣と角が交錯し、火花が散った。
※誤字等があればこちらにお願いします。
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