第三十一話 赫灼たる咆哮

 火の切っ先アトゥマイの剣士に二の太刀はない。相手が誰であろうと、それが機械虫であろうと、己の何倍も巨大なビートルであろうと、そこに例外はない。

 初太刀で仕留める。

 ザルカンは加速した。鉄の床を蹴り、身を沈め、右肩の剣を握り、渾身の力で剣を振り下ろす。鬼神の如き一撃がビートルの頭部、その中央の集積回路を両断しようと襲い掛かる。

 だが剣は振り抜けず受けられた。ビートルの中央の角、その根元は剣の鍔のように分厚く膨れ上がっており、ザルカンの剣はその箇所に僅かに食い込んだだけだった。 

 おう、受けやがるか。

 ぞくぞくとした感動のようなものがザルカンの背筋を貫いた。でかい機械虫は賢い。その事はザルカンも経験的に知っている。だがこうまで的確に自分の剣を受けるとは信じられなかった。このビートルは太刀筋を見切った上で受け切っている。それは恐ろしい事であると同時に、心がときめくことでもあった。

 ビートルが頭を振り角で殴りかかってくる。ザルカンはその動きに合わせ大きく右に飛ぶが、ビートルは即座に頭部を逆に振る。今度は左の側角がザルカンに叩きつけられようとしていた。側角はサーベルスタッグの様に動くわけでもなく、刃の無いただの節くれだった鉄の棒だが、それでも人間の体なら簡単に二つに折る事が出来る武器だった。いくらザルカンの体が強靭でも、まともに受ければただでは済まない。

 そして速度。速い。ザルカンは横に飛ぶのを諦め、真上に跳ね脚を畳んでかわした。そのすぐ足元を側角が通り抜ける。着地と同時にザルカンは大きく後ろに飛び、ビートルとの距離を取った。

 さて、どっから斬るかい。

 殺すには頭の真ん中を斬る必要がある。それ以外の箇所を切っても、弱りはしてもそうそう死ぬことはない。それに、これほど大物のビートルともなればそう何度も斬ることはできない。剣は鋭く硬いが、まともに斬れるのはせいぜい一度か二度。さっき受けられた部分も刃が欠けてしまっている。出来れば次の一太刀で仕留めたいところだった。

「ザルカン、死ぬなよ!」

 横手で何か声が聞こえたが、ザルカンはほとんど認識していなかった。意識の全てが眼前のビートルに向けられていた。集中しなければ殺される。そしてそれ以上に、このビートルと言う相手の動き、呼吸をこの身で味わいたかった。それ以外に意識を割くなど考えられないことだった。

 お前はどうやってわしを殺す?

 ビートルが咆哮した。口器から勢いよく吸気し、胴の側面の排気口から勢いよく蒸気を吐く。何かが来る。ザルカンはそう感じた。

 次の瞬間、ビートルの背面、頭部の上にある見慣れない機械が動いた。それは背中の内側から生えた箱のようなものだった。その前面、つまりこちらを向いた面に二つの丸い蓋が見える。それが回転し開いた。それが何かは分からない。しかしザルカンの戦士としての経験が体を動かした。

 ザルカンが倒れるように大きく横に飛ぶ。一瞬遅れ、さっきまでザルカンが立っていた場所に炎が降り注いだ。

 粘り気のある炎の弾丸。発火したゲル化燃料が床に飛び散り、炎を撒き散らす。それは燃え尽きるまで消えることはなく、人体に触れれば致死性の熱傷をもたらす。

 おうおう、どうなっとるんじゃこのビートルは。

 ビートルは移動したザルカンを追い脚を動かす。その間も炎は間断的に吐き出され、ザルカンに迫る。黒い油と炎。触れればただでは済まないことがザルカンにも感じられた。

 だが左には壁。右からは炎が迫る。かと言って後ろに下がれば追いつめられるだけ。ザルカンは炎が近づいてくる数瞬の間に、言葉にならぬほどの短い思考をした。

「ぬう!」

 ザルカンは姿勢を低くし、思い切り前方に転がった。正面に行く。それがザルカンの出した答えだった。炎がその身を掠めるがすんでの所でかわし、ザルカンはビートルの体の下を腹ばいのような姿勢で通り抜けた。そして立ち上がる動きに合わせ剣を振り、ビートルの左中央の脚関節に思い切り斬りつけた。

 鋼と鋼が打ち合い火花が散る。浅い……がビートルの姿勢が僅かに崩れた。すぐさまザルカンの方へと方向転換を始めるが、それには数秒の時間がかかる。それは好機だった。

「おぉ!」

 無防備な胴の側面に向かって体重を乗せた突きを入れる。コンプレッサーの排気口目掛けたその突きは剣身の四分の一ほどまで突き刺さる。

 堅い。並の機械虫であれば剣の半ばほどまで突き入れる事が出来、それで仕留めることも可能だ。だがこのビートルは大きい分だけ基部構造も厚く堅いようだった。

 もうちっといけるか?!

 さらに剣を押し込むか、それとも退くか。一瞬の迷いが反応を遅らせた。

 すぐ脇にあるビートルの左中央の脚が跳ね上がる。蹴りが飛んできたと分かった時には、ザルカンは後方へと大きく蹴とばされていた。

「ぐ、うぅ!」

 ザルカンは背から床にしたたか叩きつけられた。辛うじてビートルの脚を剣の腹で受ける事が出来たが、そのせいで両手が痺れていた。骨は折れていない。しかし内臓の受けた衝撃がザルカンの体から機敏な動きを奪っていた。

 左手をついて体を何とか起こす。その間にビートルはザルカンの方を向き、威嚇するように角を高く掲げた。

 これで仕切り直しかい……。

 こちらが与えた傷は浅い。そしてこちらの受けた傷は浅いとは言い難い。五分も大人しくしていれば呼吸は整うはずだが、このビートルがそんな暇をくれるわけがない。この状態で、仕切り直し。

 そして状況はさっきよりも悪くなっていた。さっきビートルが吐いた炎は向こう側でまだ燃えている。火勢は弱まっているが黒い油が燻っている。恐らく、あの油が飛び散った場所では脚の踏ん張りがきかないだろう。炎を避けるのはいいが、そのうちに踏める床がなくなり、最後にはまともに浴びることになる。

 戦いを長引けば圧倒的に不利……もとより長引かせることは考えていなかったが、しかし、活路は見いだせなかった。

 暗く青い瞳のビートルが近づいてくる。ザルカンはこれまで恐怖らしい恐怖を感じたことはなかった。だがこのビートルは……怖い相手だった。力が強い、炎を吐く……それも怖さだが、それ以上に冷静であるという事が怖かった。赤い目の機械虫のように荒ぶるわけでなく、淡々と己に備わった武器で相手を追い詰める。それはまるで……どこか人間の動きを思わせるものだった。これが同じ機械虫なのか? この目の色は一体? 自分は一体何を相手にしているのか?

 疑問は尽きなかったが。しかし、ザルカンは深く息をつき、その呼気と共に余計な考えを体の外に出した。考える事は後で出来る。戦う事は、今しかできない。

 一歩ずつゆっくりとビートルは近づいてくる。

 どこをどう攻める?

 ザルカンはあらゆる角度からの打ち込み頭の中で試行した。しかし、結局必要なのは頭部の集積回路を破壊することだ。それ以外の部位を破壊して動きを鈍らせても、こいつには炎の武器がある。中途半端な攻撃では結局こちらが不利になるだけだ。

 なら、やるしかないのう……。

 ビートルの前進に合わせ、ザルカンは後方へと下がる。十歩ほどで壁に背が付き、ビートルはいよいよ迫り、三本の角が巨大な爪のようにザルカンを掴み取ろうとしている。そしてビートルの背中の機械の蓋が開いた。来る……!

 必要なのは速度。力。そして覚悟だ。ザルカンは剣を後方へ大きく振りかぶり、身を沈め壁に足をつけた。そして、蹴る。ビートルは炎を放った。

「おおおおぉぉぉぉ!」

 ザルカンの全身の細胞が叫んでいた。今度はビートルの腹の下をくぐって避けるわけではない。正面からビートルを斬る。その為の動きだった。

 もはや退路はない。逃げることはできない。この太刀が外れれは次の太刀はない。炎か角でザルカンの命は消えてしまう。それを覚悟したうえでの一撃だった。

 いや……覚悟すら、今のザルカンの頭の中にはなかった。ただ斬る、ただビートルを倒す、その意志だけがあった。

 放たれたビートルの炎がザルカンの頭を掠める。その炎を斬り裂き、剣が加速する。

 青く、暗い目が見えた。ビートルの瞳。静かな殺意のこもった瞳だった。そしてザルカンは見た。その瞳に映る自らの姿を。炎を裂き、白刃を閃かせる自らの姿を。

 ここだ。

 ザルカンはそれを確信した。言葉にできぬ感覚。だが、これ以上確かなものはないと感じられた。ただ、今、この瞬間にだけ、見えた。鋼を断ち切る線。青く暗い瞳に映る自らの姿に導かれるように、ザルカンは剣を振り下ろした。


 地に倒れ伏すビートルが見えた。そして僅かな間、ザルカンは己が意識を失っていたと気づく。それは戦いの最中にあってはならないことだったが、同時にそれほどの事態だったのだと思った。

 目の前にビートルの顔がある。その中央に、角の脇から伸びる細い筋が見えた。それが自分の剣で斬った後だと気付くのに数秒を要した。ビートルの目からは光が消え、既に事切れていた。

「斬った……んか? ははっ……」

 ザルカンの体から力が抜け、がくりと膝をついた。

「無事か、ザルカン!」

 声が聞こえた。視線を動かすことさえ億劫だったが、声の方を見上げる。ウルクスが破れたガラスの壁の向こうから身を乗り出して覗いていた。

「……当たり前じゃ! このわしに斬れんものはない!」

 そう、斬れぬものはない。

 時間にすればそれほど長くはない戦いの中で、ザルカンは力のほとんどを使い果たしていた。今までも一太刀に全てを掛けて戦ってきたつもりだったが、どうやらそれは違ったらしい。本当に死を覚悟したのは、今日が初めてだったかもしれない。そして、自分の全てをぶつけられる敵と戦ったことも。さっきの一撃で、ザルカンはそれを理解した。

「まだ先があるんじゃな……」

 どこかで強さを極めたような気がしていた。しかし、それが誤りだったと気づいた。虫は強く、人は弱い。そんな虫狩りの言葉を思い出す。

 自分はまだ強くなれる。

 死んだビートルの頭に触れながら、ザルカンはその死を悼み感謝した。






・予告

 襲い掛かるビートルをザルカンに任せ、ウルクスたちは虫の鍋の中枢に向かう。自壊プログラムを停止させ、アクィラを取り戻さなければならない。そしてその先に待ち受ける敵とは……。


次回「向けられた刃」 乞うご期待!



※誤字等があればこちらにお願いします。

https://kakuyomu.jp/users/ulbak/news/16816700429113349256

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