第二十九話 千年の時を

「ここで……あれをやればいいのか。上書きオーバーライトって奴を」

「そうだ。それで開くはずだ」

 アレクサンドラに促され、装置に手をかざす。すると装置のガラス面が青い光を放ち、光は俺の手をなぞるように上から下に動いていく。

 扉の内側でカチリと錠の開くような音がし、そして分厚い扉は左右に開いた。

 デスモーグ族がいるかも知れないと警戒したが、中は無人だった。部屋の中央にはまた別の部屋があり、周囲の壁にはいくつかのドアがあった。そして右の奥には階段も見える。

「よし……そこの階段を上っていけばいいんだな?」

 恐る恐る部屋に足を踏み入れる。背後の灼けた鉄の熱気とはうって変わって涼しい空気が満ちていた。

 アレクサンドラは前に進み出て中を見回す。ドンキーも同じように細い首を伸ばし部屋の中を確認しているようだった。

「これはエレベーターか……でかいな。荷物を運ぶためのものか……」

 部屋の中央にある部屋を見ながらアレクサンドラが呟いた。

「エレベーター?」

 聞いたことの無い言葉に聞き返すと、アレクサンドラは俺の方へ振り向いて中央の部屋の壁を指さした。ドアがあり、その脇の壁にボタンが埋め込まれている。上向きの三角のボタンと下向きの三角のボタン。それが上下に並んでいた。

「上行きと下行き。これは部屋を上下に移動する装置だ。中に入ると、内側の小部屋が上下に動くんだ。エレベーターという装置だ」

「部屋が動く……? ……滑車で物を引き上げるようなもんか?」

「そんな所だ。細かい構造は知らんが、多分ワイヤーか何かで動いているはずだ」

 担いだり虫で荷を引く代わりに滑車を使った櫓で荷物を運ぶことはある。これはそれの人間版という事か。

「へえ……そりゃいいな。こいつで行けば、わざわざ息せき切って階段で行かなくてもいいって事か? ボタンを押せばいいのか?」

 俺がボタンを押そうとすると、アレクサンドラが弩で俺の手を遮った。

「触るな。デスモーグ族が何か仕掛けているかもしれん。それに一度乗ったら中は密室。閉じ込められたらどうにもならん。出るのに手間取れば時間の浪費だ……階段で行くぞ」

 アレクサンドラは階段を顎で指し示し、ドンキーと一緒に歩いていく。

「そうか……残念だな」

 てっきり楽が出来るかと思ったがそうはいかないようだ。俺達は再びアレクサンドラを先頭に階段を上っていく。

 階段の途中の壁には六と書いてあり、階段を上がっていくと数字は小さくなっていった。恐らく一番上が一で、地中の方が数字が大きいのだろう。普通とは逆だが、これは下から上に作ったのではなく、上から下に建物を作ったからかもしれない。まったく……どうやったのか見当もつかない。

 息切れしながら小さくなる数字を数え、ついに壁に描かれた数字は一になった。階段はそこで終わっていて、踊り場から通路が先に続いていた。身を乗り出し覗いて見ると通路の先にはガラスのような壁があり、その先は煌々と白い光に照らされていた。

「ここに何とか室ってのがあるのか?」

 息を整えながら聞くと、アレクサンドラが頷いた。

「中央制御室。そこにいるはずだ……行くぞ。奴らが中央制御室にいるのなら、もうあまり時間はないはずだ」

 アレクサンドラが言うと、ドンキーはアレクサンドラの前に立ち先行して通路を進んでいく。その後ろにアレクサンドラが続くが、手で俺たち二人を制し自分だけ進んでいく。

 通路の突き当り、ガラスの扉の前でアレクサンドラは止まり、外の様子を窺っていた。そして安全を確認したのか手招きをし、俺とザルカンも忍び足で通路を進んでいく。

「何だ、こりゃあ……」

 下の階で運ばれる機械虫の残骸を見た時も驚いたが、今度の驚きはそれ以上だった。何せガラス戸の向こうでは、機械虫が機械虫を運んでいるのだから。

 四角い檻のような箱に収まった機械虫がいくつも積み重ねて置いてある。まるで果物の入った木箱のように。カメムシ、テントウムシ、アリ。ビートルもいる。角の無い甲虫も何種類かいるし、カマキリやバッタもいる。一際大きい箱の中にはサーベルスタッグまでいやがる。

 とにかくさまざまな種類の機械虫が、それぞれ大きさの違う檻に入って積み重ねられている。目に光がないから死んでいる……いや、まだ生きていないと言うべきか。作られたばかりでこれから目覚める機械虫たちなのだろう。

 そしてその積まれた機械虫を別の機械虫が……運んでいる。荷下ろしは天井から下がった腕のような装置がやっているが、その腕がオサムシの引く台車に箱を乗せていく。三つか四つくらい乗せられるとオサムシは台車を引いて部屋の奥に進んでいく。台車を引くのはコガネムシであったりカメムシであったり、色々な種類の機械虫が荷を運んでいた。

 一番目を引くのはナナフシだった。ナナフシ……ナナフシだよな? 自分の目を疑ってしまうほどにでかい。ナナフシの機械虫は五ターフ九メートル程度で大型機械虫に分類されるが、こいつはその三倍、十五ターフ二十七メートルはある。そいつが自分の細長い体に台を吊り下げていて、その台には特に大きな機械虫の箱が乗っていた。ナナフシはその箱を吊ってゆっくりと部屋の中を移動しているのだ。オサムシ等では運べない大型の機械虫を運んでいるようだった。

 この部屋ではどの機械虫にも仕事があるらしく、皆が休むことなく働き続けていた。人に使役されて働く虫は少なくないが……こいつらは自発的に働いているようだった。当然、指示を出すような人の姿はない。千年前の命令でまだ動き続けているのか? 或いはアクィラの力のように、虫の鍋の施設には虫を働かせる機能があるのかも知れなかった。

 面食らっている俺を尻目に、アレクサンドラとドンキーはガラス戸に手をかざし通路から外に出る。特別に分厚い金属の扉以外は、ドンキーだけでも開ける事が出来るようだった。

 ガチャガチャと機械虫の虫の歩く音が部屋中に響いている。規則的な笛の音のような音や、機械虫のコンプレッサーの噴きあがるような音も聞こえる。

 すぐ脇をハンミョウが通り過ぎる。さっきの戦いを思い出し身構えるが、このハンミョウは青い目のままで攻撃の気配はなかった。何をさぼっているんだとでも言いたげな様子でしばらく俺達に視線を向けていたが、やがて自分の仕事に戻っていった。

 その様子をアレクサンドラも俺と同じように見ていた。ザルカンもだ。

 旧世界の技術には明るいはずのアレクサンドラも、この光景には呆然としているようだった。俺とザルカンはしばらく声もなく、広い部屋の中で働く機械虫たちを見ていた。

「……中央制御室はあれだろう」

 思い出したようにアレクサンドラが指差したのは五〇ターフ九〇メートル先の突き当りだった。壁にさっきのような大きな扉がついている。その先に中央制御室と言うのがあるようだ。

「行くぞ。幸い、ここの連中は私たちには興味が無いようだ」

「俺のグローブの力か?」

 アレクサンドラは俺のグローブの方を見て、少し考えてから答えた。

「或いは……そもそもここの機械虫はそういう風に作られているのかもな。働くためだけに……どうも様子が違うように見える」

 ドンキーは面食らっている俺達には構わず、扉のある方へと先行し俺達は後を付いていく。

 機械虫を運ぶ機械虫……何匹もの虫の脇を通り過ぎながら進んでいく。襲ってはこないと分かっていてもどうしても身構えてしまう。

 大きな歩幅で荷を運ぶナナフシを見上げると、向こうもこちらを見ているようだった。綱を支えている胴の部分は長年の仕事のせいかすり減っているようだった。どれほどの長い年月を、このナナフシは荷を運んですごしたのだろうか。他の機械虫も同じく甲殻にすり減ったような跡があるし、足先の爪も削れている。床にも踏み均した轍のようなすり減りがあった。

 まさか生きていてこんな……馬鹿げたものを見ることになるとは思わなかった。

 虫の鍋が機械虫を生み出しているのは間違いない。下で材料を作り、鉄を鋳て形を作り、機械虫として生まれ変わらせる。そしてその一部はここでこうして働いている。恐らく千年もの間それは繰り返されてきたのだ。しかし、何のために?

 動物は子を産み育てる。昆虫もそうだ。しかし機械虫はつがいを作らないし、子を産むという話も聞かない。虫の鍋のような旧世界の施設で作られ、そこから世界中に広がっているからだ。

 生き物が子を作るのは血を絶やさないためだ。群れを維持するという意味もあるだろう。動物に限らず、人間も同じような目的で子を作ることはある。だが機械虫はそれに当てはまらない。

 いうなればこの施設そのものが母親だが……ずっと同じように機械虫を作り続けているだけに過ぎない。天敵から身を守るために機械虫を生み出しているわけでもなく、虫の鍋自体が増える為と言うわけでもないだろう。

 何か奇妙だった。生き物として考えれば機械虫の存在は合点がいくが、施設によって作られているとなるとそうはいかない。一体誰が何の目的で虫の鍋を作り機械虫を生み出し続けているのか……。

 虫の鍋を作った人間は千年前に死んでいるはずだが、主がいなくなった後も無目的に施設が動き続けているのだろうか。そうだとすれば余りにも空しい。

 今俺が見ている機械虫は山野で見かける機械虫とは明らかに違う。機械虫として生きているのではなく、特定の仕事のために働く機械でしかない。もしこれが機械虫の本来の姿であるとすれば、俺が、虫狩りが信じていた機械虫の魂と言うものは、まやかしに過ぎなかったのだろうか。

 ジョンの命令一つで全てが変わる……俺達の世界が終わってしまうかもしれない。頭では分かっていても実感は湧かなかったが、今こうして虫の鍋の内部を見て、初めて理解できた。

 機械虫の魂は虚ろだ。そして、そこに吹き込まれる魂はいかようにでも変える事が出来る。昆虫のように生きる魂。施設の中で働く魂。人を襲い全てを破壊する魂。その決定権をデスモーグ族に渡すわけにはいかない。

 機械虫に襲われることもなく、やがて部屋の突き当りに到達すると、そこにも分厚い金属の扉と開閉の為の装置があった。俺は手をかざす前に、アレクサンドラの方を見て聞いた。

「この奥にジョンが……アクィラがいるんだな」

「そうだ。この施設を乗っ取るのなら中央制御室以外にはない。覚悟はいいな。奴と戦うことになるだろう……」

 俺は装置に手をかざし扉を開く。その内側には暗い空間が広がっていた。







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