“七条までは遠すぎる”
五月も後半に差し掛かると、日中歩き回るには少々上着が暑苦しくなる。シャツとの組み合わせを考えて羽織ったものの、烏丸通を十分ほど歩いたところで仕方なく脱いで手に持った。丁度左手の御所から木陰が伸びていて軽く汗ばんだ首筋に心地いい。このまま何も見なかったことにして四条河原町辺りをぶらつこうかなどと考えていると、隣から「でさ」と気の抜けた声が掛けられた。
「もしよければ、
「……あのさ、お前あれを見せておいてただの猫飼ってますで済ますの。ほんとにそれ出来ると思うの」
「……ダメ?」
「ダメだろぉ……」
隣を歩く俺より少し背の低い男が小さく肩を落とす。彼-
そんな我が友人は、つい先ほど自分の下宿で親切にも俺にあるものを紹介してくれた。喋る猫だ。
「三刀屋には教えてもいいと思ったんだよ」
タクは無邪気に笑いながらそう言って、自分の布団の上に座る白猫を指し示した。その時まで何も知らずに下宿まで連れてこられていた俺は、その猫が「よろしく」と口にしたところで一旦タクを連れて部屋を出た。下宿の廊下で取り敢えず説明を求める俺に、タクは少し照れたように俯きながら、
「神様なんだって」
と苦笑を浮かべた。
そのまま、京都駅に北海道の有名チーズケーキ店が出店しているから買いに行こうとタクを連れ出して今に至る。
「あれって、本当にお前のドッキリとかじゃないんだよな?」
「うん。二週間くらい見てるけど、ちゃんと喋ってる。でもってその他は普通の猫」
「……タク、前からちょっとおかしいし、ついに壊れたとか?」
「だとすれば三刀屋も壊れてるでしょ」
そう言われて返す言葉に困り、聞こえよがしに大きなため息を吐いた。頭痛の気配を感じる。
タクと知り合ったのは近所の銭湯だった。いくら同じ大学とはいえ、キャンパスも広ければ学生も多い。半年ほど前に出会うまで接点は全くなかった。
あの時、俺はタクの言葉と振る舞いにピンとくるものを感じた。そして案の定、タクは一緒に行動するだけで面白いことが寄ってくる類の人間だった。自分で言うのも何だがそれなりに顔もスタイルも良く人間関係に不自由がなかった俺は、それゆえにその頃単調になっていた大学生活に飽きていたのだが、以来タクは俺にちょうどいい刺激をもたらしてきてくれた。それで何かとタクの下宿に足を運ぶことも増えてきて、今では一番気の置けない仲と言えるくらいになったと思う。が、今回の刺激は随分と強すぎる気がする。
「どうしよう、一緒に心療内科行くかな……」
「何言ってんの?」
烏丸丸太町の交差点で信号を待ちながら呟く俺に、タクはあくまでいつも通りのテンションで言う。その悩みのかけらも感じられない声で思い出されたのは、今までの自分のタクに対する素行の数々。確かに俺もいろいろとトラブルの種をこいつの周りに蒔いてみたが、それで慣れてしまったのなら自業自得なのかもしれない。御所の木陰を抜けて意外と強い直射日光が肌に照り付けるなか、俺はまたしても四条辺りで前から行きたかった店のことを考え始めていた。
しかし、知ってか知らずかタクは俺をそちら側に引きずり戻す。
「ああ、でね。僕の下宿って前から三毛猫も来てたんだけど、あの白猫の神様も増えると意外と食費が、ね。だから、ちょっと協力してくれるとありがたいかな……と」
「嫌だよ。大体お前の下宿ペット可じゃないだろ」
「ペットじゃないよ。通い猫だよ」
「ほとんど同じだろうが。ってか神様って何だよ……ああ、俺も何言ってんだろ」
信号が青に変わった横断歩道を渡りつつ返答のない隣を見やると、タクは真剣な顔で眉間にしわを作っている。ややあって、
「なんかねぇ、難しいんだよ。神様がそのままじゃ生きていけないから、猫の姿になってるみたいな。そういうの案外いるんだって」
タクは俺が理解できるか伺うように心配そうに顔を向けてくるが、既に俺はここで全てを飲み込むのを諦めている。考えても碌なことになる気がしない。何なんだ猫が神様って。せめて妖怪だろう。そんなマンガなら読んだことがあるぞ。
もう大した返事も出来そうになくなってきたので、代わりに美味しいチーズケーキを話題に出すことにした。あわよくば、せめて今日中はタクが猫のことを忘れてくれると嬉しいのだが。
「ああ……まあ難しいわ。それよりも、この距離歩こうとしたのは失敗だな。思ったより暑いし。チーズケーキ買ったら帰りは電車だな」
するとタクは、
「確かにそうだねぇ……まだあるかな」
不安げな口調でそう言う。思ったよりも素直に話に乗ってきたので俺は畳みかけることにした。
「流石にあるだろ、夜にお土産で買う人もいるだろうし。ってか、タクも買うんだ。一人で食べんの?彼女は?」
「いや、いいじゃん僕だけで食べても。三刀屋とは違うんだよ。彼女はね、作ろうとしないと作れないし、作ろうとしても作れるとは限らないの。君には分かんないだろうけどね」
「お前も作ろうとすりゃ作れるよ」と言おうとして横を見ると、タクが殊の外むっとした顔を浮かべていて少したじろぐ。俺の訝しむ視線に、タクは万引き犯でも見るように軽蔑と苛立ちの軽く混ざった眼差しを返してくる。
「何?」
タクは聞こえよがしにため息を吐くと、
「いやね、この前も見たんだよ。三刀屋がめちゃくちゃ可愛い子と歩いてるとこ。しかも!前見た人とは違うどころか、女子高生だったよ!節制を知れよ色男!」
「え……あ!」
最初何を言っているのか分からなかったが、少し思い返すと一つ思い当たる節がある。しかし……。
「それ、彼女じゃねぇよ。大体今俺にだって彼女いないし。前の子とは別れた」
俺が苦笑混じりに言うと、タクはたちまち顔一面に予想外を現して、
「え、そうなの?仲良さそうだったのに勿体ない……」
そう言って、どうやら本気でしょんぼりとしている。こういう反応の意外と素直なあたりもタクの面白いところなのだが、面白がるのはそろそろ自重しなければいけないのだろう。今日のタクの様子を頭に浮かべながらそんなことを苦々しく考えていると、
「じゃあ、あの人誰?」
そう聞くタクの声からは隠しきれない興味が滲み出ていた。いつになく他人に関心を示すタクを内心不思議に思いつつ、俺は答える。
「ああ、迷子。修学旅行中に班員とはぐれたんだと……」
ふと何かが引っかかってつい言葉を止めた。
「……どうしたの?」
「いや、そう言えばちょっと変な子だったなぁって」
今にして思えば、あの子の様子にはところどころ違和感があった。しかしその後に彼女といろいろあり別れることになってすっかり記憶から抜け落ちていた。
「どんな風に?」
タクが目を輝かせる。その視線を受けて、俺はつい苦笑を漏らす。そう、こいつはこういうのが好きなのだ。身の回りを探せばあちこちに立ち現れる、考えるタネが。そして、それに興味が食らいついたらスッポンよろしく離さない。
「……しゃあないか」
俺は互いがいつも通りに戻ってきたことに安堵しつつ、自分でちゃんと思い出すのも兼ねてその日のことを話すことにした。いつの間にか国際マンガミュージアムが右手に見えている。もう少しで烏丸御池だ。
「つっても、大して話せること自体はないんだけどな。二週間くらい前、大学の帰りに桝形商店街の脇道でおろおろしてる女子高生を見つけて、迷子かと思って声を掛けた。綺麗なんだけど、妙にびくびくしてたよ。で、案の定迷ってたわけだが、手伝おうかと言えば、『班員とはぐれたんです。それで二時までに吉田神社に行きたいんですけど、この画面でここってどこですか』と」
「それ、あの子が言ったことまんま?」
タクが口を挟む。俺は軽く腕を組んで考えてみたが、それ以上は望めそうもなかった。
「そう言われると不安になるけど、でも大体こんな感じだった」
「そっか。スマホは持ってたんだね……遮ってごめん。それで?」
俺は話を続ける。
「ああ。でも、その後は大して話すことないよ。その子は下賀茂神社まで他の班員と一緒にいたけど、そこを出たところで迷ったらしいこと。あと、人通りの多い方が安心できるだろうと今出川通に出ようとしたら、人が多いのが苦手だとその子が言うんで北回りに細い道を通ったことくらいかな。吉田神社で待ってたら二時過ぎに班の子たちが来て、無事双方ほっとしてた。で、さよならだ」
喋り終えた俺の顔を見上げ、タクが眉を小さくひそめた。
「それだけ?」
「そうだけど……何か不満か?」
「いや、変だって言うから……ん?」
タクはそう言うと、しばらく首を傾げて何か考えている様子だったが、やがて「ああ」と呟くとそこに何かを探すように読売新聞のビルを見上げた。そして、
「確かに。何でその子、班から離れたのかな」
と遠い目をして呟いた。
「その子、スマホを持ってたんだよね。でも、班員と連絡は取れない。そんな子がどうして一人になったのかな」
やはりタクはすぐに気づいた。そうなのだ。あの子に班から連絡がなかったということは、あの子は連絡先を班の子と交換していなかったのだろう。しかもあの子は地図アプリを使っても迷う方向音痴ときた。そんな子が班から離れるのに他の班員が止めないわけがないし、あの子自身もはぐれることを警戒しないはずがない。にもかかわらずあの子は一人でいた。しかも。
「だよな。あの子は下賀茂神社まで班行動していて、わざわざそこを出たところで迷った。それから商店街まで移動して俺と会ったわけだけど、そこから次の目的地らしい吉田神社まで歩いて行って班員よりも先に着いた。俺たちはそんなに急いで歩いたわけじゃないから、もしあの子が下賀茂神社を出たのが班での移動を始めた時なら、普通到着は班員より後になるはずなのにだ。つまりあの子、自分の意思で一人になってるんだよ」
そう言いながら、俺は密かに安心していた。どうやらタクは猫のことを完全に忘れたようだし、俺としてもこいつの考えを聞くのは面白い。京都駅まではあと半分くらいの道のりだが、退屈をしのぐのには十分だろう。何より自分で吹っかけたとはいえ、話しているうちに俺自身も少し気になってきた。謎が女を女にするとはよく言ったものだ。記憶の中のあの子が、まるでこちらを挑発するように艶やかに微笑んだ。
俺は考えていたことを一通り話すことにした。
「二時に吉田神社にってことは、行動予定かなんかでそう決めてたんだろう。それで他の班の子たちは時間ちょっと過ぎにちゃんと来たんだから、あの子をずっと探し回るより次の目的地で合流できることに賭けたんだろうな。ってことはあの子が故意に他の子より早く下賀茂神社を出たのは間違いない。もしかして他の子たちに撒かれたのかって思ったんだけど、会えた時普通にどっちも安心してた感じだったし。だとすりゃ、やっぱりあの子が自分の意思で単独行動したってことだろ」
「うん。でも、それってどっちなんだろう。ちゃんと言ってから班を離れたのか、勝手になのか」
あの子たちが合流した時の様子を思い出す。確か、班員たちにあの子を責めるという様子はなかったが、それだけではどちらとも言えない。あの時は安心してそれどころでなかっただけかもしれないのだから。しかし、曖昧ながら予想は出来る。
「……それは分かんねぇけど、連絡先知らない子を普通一人にしないだろ」
「そりゃそうだ」
ふむ。考えれば考えるほどあの女子高生の行動がよく分からない。と、あることをふと思い出してスマホを取り出そうとした時、唐突にひらめいたことがあった。
あの子は、スマホを持っていることを班員に隠しているのではないか。というのも、こういう機会で同じ班になったら普通スマホを持っている子とは事前に連絡先を交換するだろうし、あの時も確か俺と歩き始めてすぐにスマホを鞄にしまっていた。そういえば俺が話しかけたとき、とっさにスマホを隠すようにして持った気もする。あの子のスマホには何か秘密があるのかもしれない。
俺はこの推理を得意げにタクに話した。しかしタクは、
「ああ、まあそんな気はするよね」
特に驚きも感心もなく頷いた。
「え、何その反応。思いついてたの」
拍子抜けして思わず肩を下げる。それなりに鋭い気もしていたのだが、どうやらタクにとってはそうでもないらしいことは続く言葉の調子で分かった。
「似たものはね。でも、だとしても用事の内容が分からないんだよなぁ」
「用事?」
そして不満そうな顔をしているであろう俺の方を向くと、
「あとね、言いにくいんだけど、修学旅行の班分けみたいな時でも連絡先の交換が出来ない子っているんだよ。何にもなくてもさ……僕みたいに。スマホをやたら大事にするのだって最近は珍しくないし」
と自嘲気味に続ける。
流石にむっとした俺は、「じゃあお前は何で思いついたんだよ」と聞いてみた。少し語調も荒かったかもしれない。しかしそれを意に介さず、タクは平然とした、それでも妙に熱っぽさを感じさせる口調で話し出す。
「だって、携帯を持ってるけど連絡先を知らない子が班を離れるってなったら、普通班の子は強引にでもそこで連絡先を交換するよね。でもあの子は黙って出て来たっぽいから、あの子はそれを避けてた、つまり用事があって班を抜けなきゃいけないけど班員に連絡先を知られたくなかったか、もしくは交換するどころじゃないくらいの急用があったか、あるいは急用もあったし知られたくもなかったかのどれかってことは予想できるでしょ」
「……おう」
俺が辛うじて打った相槌もすでに耳に入っていないようで、タクは小さく「うん」とひとりで頷くと、それからは憑かれたように自分の思考をそのまま吐き出し始めた。
「で、下賀茂神社から吉田神社までってバスならすぐなのに徒歩だと意外とかかるんだけど、地図上で見たら近いから、京都を知らない人は予定で徒歩を選ぶ可能性はあるよね。あの子の班もそうで、だから予定に結構余裕があったんだと思う。だとしても三刀屋があの子と会った時点を考えたら、あの子が下賀茂神社を出てそんなに経ってないくらいじゃなきゃ先回りは難しいと思うんだよ。しかも、あの子が一人になったのが下賀茂神社の近くでそこから商店街まで歩いてきたとすると、何らかの用事で班を抜けたにしては用事のための時間が短すぎる」
訥々と続けるタクの口許には笑みが浮かんでいて、にやけていると言ったほうが正しい表情になっている。完全にスイッチが入った。俺はタクがこうなると、いつも不気味に思いながら感心も込めてただ見ているだけだ。今回も相変わらず夢中になったこいつは饒舌で、言葉を挟む余地がない。タクはあごに軽く指を当て、目の前の何もない空中を睨むようにして話し続ける。
「すぐに終わる用事だったらいいんだろうけど、そんなのって修学旅行先でするものにある?多分ないよ。だから、あるとしたらスマホをいじるような場所を選ばない何かだ。で、そのために班員からそんなに遠ざかるのって、これはもう画面を見られたくないとかじゃなくスマホを触ってるとこ自体を班員に見られたくないからだと思う。つまり、その用事はすぐに対応しなくちゃいけないだけじゃなく、何かしら危なくて痕跡を残すのも恐ろしいものかなって。それも、あの子はその用事のために後先考えずに班から離れたんだから、その用事は予測していなかった急なものだったんだろうね。来ると分かってたら合流の手段をもっと練るだろうから。
でも、そんなやばい用事だったんなら何で三刀屋にはスマホを簡単に見せたんだろう。学校の人にだけ分かる何かが画面にあったとか?でも、あの子はスマホの画面を見られることじゃなく、スマホを触っているところを見られたくなかったらしいんだよ。ってことはやっぱり携帯を持ってることは学校の子に隠してるんだ。これだと、あの子が班員に連絡先を知られたくないってのも分かる。だって、そもそも携帯を持ってないことにしてるんだから……こういうわけで、もしかして班員はあの子が携帯を持ってると知らないのかなー、あの子は知られたくないのかなー、って」
どうだろう、とタクがこちらの様子を窺う。正直、俺にはもうお手上げだ。ことこういうテーマに限って、こいつは異常に強い。だとしても、俺が嬉々として自分の推理を開陳していた間にタクはこんなことを考えていたんだと思うと何だか無性に悔しくなってきた。それで、俺はどうにかして粗を探してやろうとしばらくタクの話をこねくり回してみた。そして見つけた。
鬼の首を取ったように、得意になってタクに話す。
「お前さ、あの子が頑なに連絡先を知られまいとしてるだけかもよ?携帯を持ってるのを隠してるわけじゃなく。もしくは、連絡先の交換もしてるけどこの修学旅行に限って携帯を持って来てないことにしてるとか、そもそもスマホ持参が禁止されてるとか」
しかし俺の言葉を受けても、タクは平然として微笑む。
「ああ、違うと思うよ」
あまりに簡単に勢いをそがれて、つい「何で?」と口に出てしまった。タクは言う。
「たとえ連絡先を知られたくないとしても、用事があって黙って班を離れたのは間違いない。それについての予想はさっき言ったとおりだし、そもそも連絡先を秘密にするのなら班の人にスマホを持っていると知られたくないのが余計に納得できるよ」
「……うん」
「でね、今どきこういう大都市での自由行動でスマホ禁止は無理があるし(禁止されてても守るかは別だしね)、スマホを持って来てないことにしてても、以前に連絡先を交換してるのなら公衆電話なり三刀屋のスマホなりで代わりに連絡できるんだよ。番号を覚えてたことにして。だから連絡先を知らないのは確実で、一方その時だけスマホがないことにしてて、かつ元々連絡先を交換してないとしても——」
だんだんと早口になるタクを制するように、俺は大げさに両手を挙げて頭を振った。
「もしそうでも、あの子の携帯に要件が届いたときに班の子から遠ざかることなかったってんだろ。端っこにでも行ってスマホ触って、見られたら『ごめ~ん、忘れたって言ってたけどやっぱりスマホあったよ☆』ってさ。分かった。俺の完敗だ」
タクがはにかんだように笑うのを見て、俺は黙らざるを得なかった。冷静に考えれば普通に俺の反論は無理筋だった。大体あの子が携帯を持っているのを学校の子が元から知っていたなら、あの時だけ頑なに携帯を見られまいとする理由がない。とっさにひねり出したとはいえ、あんまりな主張だ。四条烏丸に近づき一気に人出の増えるなか、縦に二人並ぶようにして歩いて行く。こうして会話が途絶えている間にもタクはずっと考えているのだろう。何しろ、まだ問題は解決していない。むしろ増えた。
ようやくタクとまた並んだところで、「じゃあ」と声を掛ける。
「あの子がスマホ持ってるのを学校の子に知られたくなかったとしてだ、それは何でなんだよ。まだあの子が一人になった理由もはっきりしてねぇし」
「だよねぇ。でも」
タクは続ける。
「さっきの僕の予想が正しければ、あの子ちょっとやっかいなことに巻き込まれてるのかもね」
「……ああ、“やばい用事”か」
「うん、そう」
綾小路通の横断歩道の青点滅に二人して立ち止まり、少し黙り込む。タクの推理に従えばあの子は何か緊急の用事があって班から抜けたわけだが、そういう場所を選ばないうえ無視もできないものには確かに良くない予想をしてしまう。とはいえ、スマホでできることなどあまりにも多く具体的な内容は分からないのだが。
いくらかの間をおいてタクが、
「……どうする?」
俺の機嫌でも窺うようにいやに遠慮がちに聞いてきた。
「どうするって、あの子を?」
「だってさ……」
青に変わった横断歩道の端を歩きながら、タクは小さな声で言い淀む。少し首を動かすと斜め後ろに見えるその頭に、俺は先を促した。
「何だよ、何考えた?」
タクは俺の横に追いつくと、伏し目がちに言う。
「そうまでしてスマホのことを秘密にしてるのって、きな臭い用事と繋げて考えたら普通“人には言えないこと”が理由だよね。そもそも、スマホを持ってないことにしてるなら修学旅行にも持って来ないほうがいいはずだし、あそこで急いで反応することもなかったはずだし。しかも、あの子は人通りの多いところを避けてたんでしょ?そういうの、後ろ暗くなきゃ気にしないと思うんだよ。やっぱりそうなんじゃないかって……考えすぎかもしれないけど、気になる」
俺は無言で頷いた。タクの言葉だけでは深読みしすぎと一蹴できても、少なくとも俺はあの子のどこかおびえたような姿をこの目で見ている。俺にスマホ画面をすぐに見せたのも用事を終えて不安材料が減ったからだと思えば納得できるし、何よりああして友達から心配されるような子が頑なに連絡先を知られるのを拒むのは普通に考えても何か裏があるはずだ。可能性としてそれなりに高い。
心配がにわかに強まったのは、さらにもう一つのことに思い至ってからだった。一人になったのは無視できない急用ができたからで、スマホを持ってるのを友達に隠すのは連絡先を知られたくないから。そしてその急用というのは考えるほどに怪しいし、連絡先を隠す理由も敢えて交友関係を広めないためだと思われる。そこに今までの話を含めると、危ないことに他人を巻き込みたくないとか他人に知られたくないとかが妥当なところだろう。つまり用事の内容によっては、あの子が面倒を抱えているのはここ最近のことじゃない。何なら、高校に入る前からずっとという可能性さえある。
タクは俺の話を聞くと、「確かに」と苦々しげに言う。
「何か、すごくもやもやするんだよなぁ……」
俯いて陰を作るタクの顔を見て、俺は改めて意外に思っていた。確かにあの子の身の上を思いやる気持ちは分かるし、俺もそこそこ気にしているが、タクがここまで他人を思うのを見るのはこれが初めてだろう。過去にタクの下宿で盗難事件が起こった時でさえ、こいつは不謹慎にも嬉しそうに推理を楽しんでいた。これはもしや、アレかもしれない。試しに、さっき思い出したことをタクに言ってみることにした。
「そんなに気になるなら、本人に聞いてみるか」
「え?でも、連絡取れるの?」
タクは小さく首を傾げる。それを見下ろしながら、俺はスマホを取り出してすばやくある画面を開いた。口角が上がっているのを自覚しながらどうだとタクに見せたのは、とある高校のホームぺージ。
「私立遠野台女子高等学校……え、まさか」
困惑をこれでもかと滲ませるタクに努めて平然と言う。
「そう、あの子の高校。制服で探しゃすぐよ。前に調べたんだった」
「……」
タクが急に立ち止まったので、つられて俺も足を止める。すぐ先の五条通の信号が赤になった。タクはしばらく口をもごもごしていたが、やがて大きく息を吐き出すと、
「君、やっぱり危ない奴だね」
疲れたように力なく口にした。
俺の行動を非難しきれないその反応を見て、俺は自分の予想が当たっていたことを確信した。タクはあの子に一目惚れしている。それも、ぞっこんと言ってもいいくらいだろう。友人についに訪れた春の兆し。これは後押ししなければ罰が当たるというものだ。
「どうだ?行って探してみるか?」
先に歩き出したタクに並びながら、随分近づいてきた京都タワーを眺める。タクは横断歩道を渡り切ってからも一、二分悩んでいたようだが、やがて
「……これも何かの巡り合わせかなぁ」
諦めたようにぽつりと言った。
「どういうこと?」
タクは俺を横目で見ると、
「その学校、僕が家族でちょっと住んでたとこの隣町の学校なんだよ。で、まだそこに住んでる姉の家に、今度本棚を譲ってもらいに行くんだ」
「……なんちゅう偶然。運命ってあるんだな」
これはもう、神がそうしろと言っているとしか思えない。無神論者だが。ここまで来れば見逃すわけにはいかないと、俺は思い切って聞いてみた。
「いつ?俺も付いて行っていい?」
「再来週の土曜。来ても良いけど……狭い町じゃないし、別にあの子は見つからないでしょ、学校が分かったくらいじゃ。ちょっと散歩するくらいで終わると思うよ?」
「いや、この波に乗れたら会えるって、多分」
そう力強く返したものの、タクはそんなに乗り気でないように見える。流石にこれはストーキングじみていると徐々に自制心が語り掛け始めたのかもしれない。とはいえ、俺も口ではさっきのように言いつつ、本心としてはタクの様子が気になるというのが一番だ。こいつは一体、恋愛をどのように運ぼうとするのだろう。きっとぶっ飛んだものを見せてくれるに違いない。当日までにタクのモチベーションを上げておかなければ。
俺は新しい楽しみが増えたことを喜びつつ、ふと思ったことを言ってみた。
「何かあれだよな。今日の、推理小説みたいだった」
「まさか。結論もしょぼいし、確度が段違いでしょ」
「そうかなぁ……にしても」
ようやく六条通が見えてきた。腕時計を見ると、すでに歩き始めてから五十分を超えている。普段これほど歩くこともない身としては、そろそろ足の裏が痛んでくる。
「京都駅、歩くには遠すぎるな。やっぱりバスか電車だったかぁ」
思わずそう口にして、すぐに後悔した。というのも、それを聞いたタクが当初の話題を思い出したか、
「あ、でさ三刀屋。猫缶なんだけど……」
「お前、忘れてろよ!」
一気に体中で疲労が主張を始めるのを感じながら、あと少しだと自分を鼓舞して足を動かす。そういえばタクの歩みに疲れは感じられない。案外、こいつは結構フィジカルに恵まれているのだろうか。再び頭痛の兆候を微かに感じながら、なかば投げやりにタクに聞く。
「ところでさ、お前の姉ちゃんってどこに住んでんの?」
「ああ、巻川市だよ。G県の」
聞きなれない地名に、「そうか」とため息交じりに応える。はやくチーズケーキが食べたい。
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