第14話 手料理

 リィンに抱かれたままひとしきり泣いた後、俺はもう大丈夫だと彼女に告げて離れたが、彼女の服装を見て思わず謝ってしまった。


「その……悪い。服ダメにしちまって」

「ふふ、これくらい洗えば落ちますよ。気にしないで下さい」


 彼女の着ているメイド服のフリルエプロンは、俺の涙と鼻水で見るも無惨な状態になっていた。


「それに、お兄さんの体液なら気になりませんし……というかもっと掛けてもらってもいいんですよ?」

「その言い方は誤解を招くから止めろ!」

「冗談ですよ冗談。ツッコミ出来るほどには回復したみたいですね。お腹減ってたりしてませんか?」


 リィンのその問いかけに、口を開くまでも無く腹の虫が大きな声で返事をした。


「皆さん待ってますし、食堂へ向かいましょうか」


 そう言うリィンに着いていき、俺は部屋を後にして廊下を進む。その道すがら、先導するリィンは顔だけ振り向いて問いかけてきた。


「そういえば、まだ魔王城の案内をしてませんでしたね。まず先程お兄さんが寝ていた部屋がこれから先お兄さんの自室になります。場所覚えてますか?」

「え?あの部屋が俺の部屋?ちょっと豪華すぎやしないか?」

「次期魔王さまの部屋ですよ?あれでも質素な位です」


 あの部屋には、覚えている限りでも贅を尽くしたといえる品物の数々が鎮座していた。


 天蓋付きのキングサイズベッド、恐らく純金で出来ているであろう全身を写せるほどの大きさを誇る姿見、大理石で出来た暖炉、その上にはこれまた純金で出来た装飾品の数々。


 その他装飾用の武器などもあった気がするが、先程上げたものだけでも十分に金持ちの部屋といえるほどには豪華な物ばかりだった。


「そ、そうか……まぁいい。慣れるだろうしな」

「まだまだ追加する予定ですけどね。お兄さんが正式に魔王に就任したら、記念に大理石製の全身像を置かせてもらう予定ですし」

「マジで止めて!?」


 そんなやりとりをしている間に食堂に到着したようで、食欲を刺激するいい香りが辺りに漂い始めていた。


 その発生源を辿るように歩みを進めると、数百人は優に入るであろう実に広い食堂へとたどり着く。


 長テーブルがいくつもあるが、クロスがかけられ、燭台が置かれているのは真ん中にある一つだけだった。恐らく、戦役で大半が出払ってしまった為他のテーブルは長らく使っていないのだろう。


 にしても、魔王も部下と一緒に飯を食べるものなのかと心の中で呟くと、リィンはそれに反応したのか、答えを返してくれた。


「歴代の魔王の中には、自室に料理を持ってこさせる人も居たらしいですよ?無論、今の魔王さまは皆で食べるのが一番だと仰ってますけどね」

「そうか……それで、誰が料理を作っているんだ?」

「ちょっと待ってて下さいね、…イグニスさん?入りますよ」


 一言断ってから隣接している厨房へ入ると、奥からイグニスが顔を出す。


 彼女は鎧ではなくピンクのエプロンを身に付けており、右手には木製のお玉を持っている。一目で料理番だとわかる格好をしたイグニスは、不安そうな眼で尋ねる。


「カテラ殿…その、大丈夫ですか?」

「なんとか、な。それよりも、何を作ってるんだ?腹が減って仕方がないんだ」

「スープと白身魚のムニエルです。好物が何か分からなかったので。」

「まぁ好物も食べられない物もそう無いからなぁ……その気持ちだけでも嬉しいよ。ありがとう」

「もうすぐ出来ますので、席で待ってて下さい」と言われ、食堂に戻ろうとしたときにリィンの姿がないことに気付く。


 服を取り替えにでも行ったのだろうと気にも留めず、そのまま席に座って待ち続けていると、両手に皿を持ちこちらへやって来るイグニスの姿が目に入る。


「お待たせしました。それでは召し上がれ」

「ありがとう。……作って貰った後で聞くのも何だが、ちゃんと人間の俺が食べられる物……だよな?」


 一見すると人間界でも出てくるような食事達だが、魔界産の食材を使っているのは想像に容易い。もし人間が食べて死ぬようなことが有ったら……と勘ぐる俺の心配は杞憂に終わった。


「そんなこともあろうかと、リィン殿に聞き人間界にも似たような物がある食材だけで作りましたのでその心配はないかと」

「そうか……疑ってすまなかった。では、いただきます」


 一口大に切り揃えられたジャガイモに、半月切りにされたニンジン。鶏肉らしきものに程よい厚みになった玉ねぎ。


 それらを内包するスープを口へと運ぶと、あっさりとした口当たりのなかにも鶏の旨味が出ている優しい味だった。


 ムニエルも、口に運ぶまでは崩れず、かといって口の中ではほろりと解けるような舌触りで、丁度良い火の通り加減だった。


「……うまい。とてもうまいよ……」

「それは良かったです。きちんと食べて元気出して下さい」


 この豪華な内装とは裏腹に、結構質素なメニューである。だが、その家庭的な味が却って今の俺には嬉しかった。


 こんな複雑な心境で、食べ慣れないような味の料理を出されても一口二口食べて手が止まってしまうだろうから。


 恐る恐る、といった調子でそれらを口へと運んでいたが、いつのまにか半ば掻き込むようにして平らげていた。


「……食べ終えられたら、食器はそのままで構いませんので、すぐに湯浴みをお勧めします」


 イグニスはそう言って、俺を置いて厨房へと引っ込んでしまった。


 当の俺が、泣きながら食べていたからだろう。心のこもった手料理を食べて、俺は幼馴染みアリシアの事を思い出していた。


 食に無頓着な俺の事を気遣って、時々手料理を振る舞ってきた彼女。俺は彼女の好意を受け取っておきながら、事実を隠してこれまで過ごしてきた。


 好意を踏みにじるようなそれがとてつもなく恥ずかしくて、今さら謝っても遅いと実感して、それでも一言だけ言う為に会いたい……けれども羞恥心が邪魔をして出来なくて。


 全ての原因は、自分が失望されたくなくて隠し通してきた事実だ。


 だからこそ誰にも言い出せなかったそれらが今吹き出した。


 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら手料理を食べ終わると、俺は心の中でイグニスに礼を言って風呂場へと向かった。

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