第10話 ヴァイオレット

 私が5才の時に父から第二王子との婚約を告げられた。10才になるまでは王子妃教育として王宮に上がらなくて侯爵家で行えた。その後は、王宮での教育を終えた後、殿下とお茶をして交流しないといけなかった。貴族に生まれたのだから、それは当たり前の事だと無理矢理納得させていた。自分を誤魔化していたのだ。本当は魔法が学びたい、外の生活を知りたい。自由になりたい。そんな事に蓋をして生きていた。


 私がデビュタントを済ませた頃から殿下の本性が浮き彫りになって来た。何かにつれて私を自室に招こうとするのだ。私達はまだ、婚約しているだけであって、婚姻している訳ではない。自室に二人きりなど問題がある。


 何度も断っている内に、学園におかしな女生徒が入って来た。彼女は多くの男子生徒と親しくなり、遂には殿下の側近とも交際があった。


 私は、殿下の注意を自分から逸らす為、敢えて彼女との仲を放っておいたのだ。そして、思った通り殿下は彼女と身体の関係を結んだ。そこまでは良かったのに、殿下は私にその後更に執着し始めた。


 執着を見せる殿下に焦り出した男爵令嬢は、私の命を危険にさらし始めた。校舎の二階から花瓶を落としたり、階段から転げ落とそうとした。


 あの学園最後のパーティーで、男爵令嬢は取り巻きを使って私を貶めた後、暗殺者を送り込んで殺そうとした。丁度その時、私は新しい魔法陣を書いている最中だったので、とっさに魔法陣が反応し、私を異世界に送り出したのだ。


 でも、誰かの体に入ったものの、全く未知の世界。右も左も分からない赤子の様な私を引っ張ってくれたのは、『松坂悠希』という男性だった。


 彼は『桜塚菫』に思いを寄せている人間で、勤務場所が同じだという。だから、彼の好意に素直に甘えることにした。でも、菫の部屋に入ると、モノトーンで統一された洒落っ気の無い部屋を改造するのは大変だった。


 次の休みに『松坂悠希』を呼び出して、スマホとやらの契約を手伝ってもらい、簡単に操作も教えてもらった。勿論、ネットの検索で、この世界の常識を学んだんだけど、動画に夢中になり過ぎて徹夜してしまった。職場の事も菫の机の中にあるマニュアルを読み返しながら思い出していた。元々菫の身体だから、頭の中には彼女の記憶が残っていて当たり前なのだから。

 

 でも、困ったことに彼女は、どうも人付き合いが苦手なようで社交は出来ていない。その所為か、誰にも声を掛けられない。都合はいいかもしれないけれど、寂しい時間を過ごしていたようだ。


 それでも『松坂悠希』に思われている事は正直羨ましいと思ってしまう。彼が優しくする度に


 ──貴方は一体誰に優しくしているの?菫の中身はヴァイオレットよ。本当の菫じゃあないわ。


 そう心の中で叫んでいた。何処かに逃げたくて、苦しかった自分が異世界の菫を巻き添えにした癖に、彼の心を欲しいと思っている身勝手な自分ヴァイオレット


 そんな自分に区切りを付けたかったのに、悠希は菫を好きだと言ってきた。付き合って欲しいと……。でもこの体は別人のもの。でも入れ替わっている今だけは、好きなままでいいよね。こんなにいい人は他にはいないわ。もし、元の身体にお互いが戻っても、きっと菫も幸せになれる。


 でも、このまま何も知らずに悠希の優しさに溺れていたい。そんな感情が頭を掲げるのを感じながら、今日も悠希と水族館に出かける約束をした。


 そうしたら、会社の前で濡れた階段に足を取られて転落したのだ。


 で、目が覚めたら侯爵家の自室で水差しの水を被っていた。傍にはスマホが転がっていて、通話状態だった画面は知らない間に電源が落ちていた。


 翌日、菫がヴァイオレットの身体で何をしたのかわかった。だから彼女に今度入れ替わったら注意する事を紙に文句と一緒に書いたのだ。これで私も悠希と好きに過ごしても構わないだろう。


 もし可能なら、私と菫を完全に入れ替えられる方法を探そう。それがお互いにいい方法なのかもしれない。時空が閉じればいつかはどちらかの世界を選ばないといけないから。その日は案外近いのかもしれない。菫には悪いけれど、『桜塚菫』に成りすます為に私は密かに準備することにした。

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