第6話 ブルーノア

 あの日、王都の裏町にある何の変哲もない居酒屋で


 「ロートモンツの13年物のワインを飲みたいのだが」


 カウンターの店員に合言葉を言って暗殺ギルドに依頼しに来た男がいた。


 「そのワインは希少ですので、特別席にご案内します」


 店員が依頼主をカウンターの横の扉から転移装置でギルドの扉まで案内する。


 「マスターお客さまです」


 「入れ」


 俺は部下の前でも鉄の仮面をつけて髪の色を黒から金色に変えている。


 部下の店員が客をソファーに座る様に促した。だが、客は直ぐに話が終わると言わんばかりに立ったまま交渉しだした。


 「前置きはいいだろう。こちらにある人物の暗殺を依頼しに来た。これが標的ターゲットの写真です。明後日の夜に実行してください」


 「女を殺すのに、態々プロを雇うのか?自分らで出来るだろう」


 面倒くさそうに言うと


 「報酬ならほらここに大金貨5枚でどうでしょう」


 「随分と気前がいいんだな。こんな大金を支払ってでも始末したいのか?ただの小娘じゃあないか」


 「普通の女ではありませんよ。魔女なんです。魔力が普通ではありません。でもなら可能でしょう?」


 やや挑戦的な言葉を告げて来た男は、身なりは良いがその眼が語っている。だと……。


 こういう仕事に慣れている人間の目だ。何処か無機質でなんの感情も読み取れない。つまり標的ターゲットも普通ではないが、依頼主も普通ではないという事か。


 まあ、丁度退屈していた所だ。相手がどんな女か面白半分に受ける事にしたのだが、俺にとってその相手は予想外の人物だった。


 依頼されて一週間後、指定された屋敷の部屋に忍び込むと女は床に座って何かを書いていた。その日は『赤い月』が出ていて、何だか薄気味悪い感じがしたのを覚えている。


 女の目の前に立った。俺は依頼通り女の心臓を一突きしたはずだった。ほんの一瞬目が合ったと思ったら、女は薄らと口角を上げて、倒れそうになった。だが、次には予想もつかないことが起きたのだ。


 女が描いていた魔法陣に彼女の血が一滴滴り落ちると同時におかしな音が聞こえてきた。そして、彼女の身体が青白く光ったと思ったら、刺していた剣がポロポロと血が付いてた箇所から崩れ落ちていく。


 何より驚いたのは、刺された傷口が見る見るうちに閉じて何もなかった様に塞がれていき、血や剣で破いた衣服の痕はあるのに傷はなくなっていた事だ。


 俺はよく見ようと近付いた途端、女は俺の方を見て満面の笑みを見せて


 「あー、ブルーノアだ。で見るより断然かっこいいよね。これが夢なら触りたい」


 そう言って、俺の首に手を廻して抱き付いてきた。女の腕を外そうとしてベッドの上に縺れ込んだのだ。


 な…なんで正体がバレているんだ。


 内心冷や汗が止まらない俺を他所目に、女は俺に強引に唇を重ねてきた。


 「柔らかいし、気持ちいい…」


 俺は、何だかおかしな感覚に襲われながら


 「それなら、もっと気持ち良くしてやろうか?」

 

 冗談半分に言ってみる。


 「うん、いいよ。私のだから、夢なら何をしてもいいよね。一度セックスをしたかったの」


 女は積極的に俺の服を脱がし始めた。


 覆面をしていた俺の正体を見破ったのにも驚いたが、とても深窓の令嬢らしからぬこの女の行動に翻弄され続けている。


 気付いた時には、女と一晩中、睦みあっていた。


 この俺が依頼をしくじるなんて初めてだ。しかも初対面で、場末の娼婦相手でもないのにこんな小娘に手玉にとられるなんて在り得ない。


 だけど隣で気持ちよさそうに眠っている女に興味が湧いてくる。こんな気持ちも初めてだ。


 一体、この女は何者なんだ。


 きっと彼女は俺の退屈な人生を塗り替えてくれるかもしれない。そんな事を考えていた。


 彼女が目覚めれば聞けばいい。


──なあ、お前は一体何者なんだ?


 彼女は俺の予想以上の事を言うだろう。そう何処かで期待している自分がいた。ワクワクしているのだ。


 昨夜、男に捨てられたこのヴァイオレットを俺が貰っても誰も文句は言わないだろう。


 俺は一度、自宅に帰って服を取って来た。もうすぐ彼女の侍女が起こしに来るだろう。血塗れの服や血の跡は拭き取ったし、刺した剣は何処かに消えたしな。昨夜の暗殺の証拠は消しておこう。


 早く目覚めて、お前の声を聞いてみたい。その瞳に俺を映してもう一度名前を呼んでくれ。


──ブルーノア


 眠っている彼女を引き寄せて、額にキスを落としながら願った。

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