町娘Aは思い出せない
「また来る」との宣言通り、魔王様は、たびたびカフェを訪れる。
魔王様は、持ち込んだお酒を適当に飲み、適当にわたしと喋り(わたしは心の中で喋る)、適当な時間に帰る。心なしか、魔王様の仏頂面は、最近では
ちょっと、魔王様と仲良くなりすぎ、なのでは。
最近、わたしは、少しの危機感を覚えている。少ししか持っていない事実にも、危機感を覚える。何だ、それ。
だって、魔王様は、あまりにも人間らしい。魔王といえば、魔物を
そんな魔王様の姿は、わたしにとっては、毒だった。
人間が滅びた世界を望む、凶悪な魔王だったなら、どれほど良かっただろうと思う。それなら、容赦なく、前みたいに、ルカに「早く魔王を倒してくれ」と望めるのに。
わたしって、もしや「悲劇のヒロイン」ってやつになっているのでは?
と、考えて。今すぐ、自宅のベッドの下に隠れたくなった。恥ずかしすぎる。何だ、それは。
ルカと魔王様とわたしの三角関係とか、どんな恋愛小説ですか。絶対、需要がなさそう。この状況を小説にするなら、そうだなあ。どういう感じだろう。
わたしのように、行動やセリフが縛られている人達の姿を思い浮かべる。
ゲームを成り立たせるために、主人公を導くセリフや行動(わたしは、全然、そんなことないですけどね!)が用意されているわけだし……。さしずめ、『わたしたちは主人公様のために生きている』って感じ? そんなタイトルの小説なら、まあ、ありそう。
「……可能性的に、ありえる話、ではあるんだよなあ」
ぽつりと呟いた。物の少ない自宅では、小さな声も、よく響く。
今は、カフェでの勤務時間が終わり、自宅待機状態だ。わたしは、ルカや魔王様、この世界について、考え込んでいた。
実際、わたしが異世界に転移して、行動やセリフが縛られている状況が、小説として存在していても、おかしくない。
だって、わたしは、ゲームの中にいる。
「この世界はゲームの世界」の前提があるならば、わたしの世界には、ルカが主人公のゲームが存在しているはず。だとすれば、わたしの世界に、わたしたちの様子を描いた小説があっても、おかしくない。
ゲームの世界が存在するなら、小説の世界があっても良いよね。
実は、わたしが認知している世界は、ほんのわずかで。それ以外にも、無数の世界が存在している、とか。それらの世界が、ゲームや小説として、わたしの世界に存在している可能性はある。
といっても、実際に、わたしたちの様子を描いた小説が存在するかなんて、確かめようがないのだけれど。
「……そういえば、この世界が舞台のゲームって、わたしもやったことがあるのかな」
ふと、疑問に思った。
社会人になってからは、忙しすぎて、ゲームをプレイする余裕が、あまりなかった。けれど、元々は、ゲームが好きな人間。有名なゲームなら、プレイした経験があるかもしれない。もしくは、タイトルを聞いた覚えがあるとか。
いや、でも。プレイした経験があるなら、ルカを見た時に、そのゲームの存在を思い出すんじゃないかなあ。特別、記憶力が乏しいわけでもないし。
「久しぶりに、ゲームしたくなってきた……」
久しく、ゲームをしていない。カフェ店員に転職(異世界に転移しただけなんですけどね!)して以来、娯楽も何もないし。そもそも、何かをしたい、なんて思う余裕もなかった。……他者とのコミュニケーションには飢えてたけども。自由になりたい、とは思っているけれども! そういうことではなく。
「自分で、ゲームを作ろうとした頃もあったくらい、ゲームが好きだったもんなあ」
過去を思い出して、笑みが溢れた。懐かしい気持ちが胸に拡がっていく。同時に、自由への憧れと、元の世界に帰りたい想いが強くなった。
でも、と心に影が差す。元の世界に戻ったら、ルカや、オーナーやお客さんの二人とも、魔王様とも、二度と会えなくなるのだろうか。
元の世界に帰りたい気持ちは、消えていない。消えるわけがない。けれど、ルカたちと会えなくなるのも、寂しい。
「……やめた、やめた。今、そんな未来を考えても、どうしようもないし」
わたしは、暗い考えを振り払うように、ぶんぶんと右手を振る。それから、口の端を持ち上げようとして、失敗した。
ある日、突然、元の世界に戻ったら。今度は、何も考えてこなかったことを、後悔するのだろうか。
「だから、考えても、仕方がないんだってば」
わざと声を出すのは、自分を励ましたいから。
誰の声も聞けない。誰にも、心の内を吐露できない状況では、わたしを慰める人は、わたししか、いない。
「元の世界に戻ったら、またゲーム制作でもチャレンジしてみようかな」
未来の楽しみを描いて、心に希望を灯す。
と、唐突に、何かが閃きそうになった。頭の奥で、小さな光が、
何だろう。何かを、忘れている気がする。とても、重要な記憶を。箱の鍵が錆びて、うまく開けられないような、もどかしさ。
「……まあ、重要なことなら、そのうち思い出すよね」
思い出せない、とぐずぐずしていても、仕方がない。何かのきっかけで、思い出すかもしれないし。さほど、重要な記憶でもないなら、このまま頭から消えていくだろう。
わたしは、細長い息を吐き出して、瞼を下ろした。
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