魔王様の町娘A見学ツアー

 魔王様がいる。

 カフェのカウンター席に座って、わたしをじっと見つめていらっしゃる。

 いや、待って、なんで?


ことわりから外れた存在を見に来た」と(一方的に)話したいけれど、まさか、「理から外れた存在見学ツアー」はまだ続いている……!?


 昨日は、絶対「一目見てやろう」みたいな雰囲気だったでしょ。

 なぜ、魔王様のたわむれは、続いているの?


 ありえないとは思いつつ、カフェでランチでも食べたいのかと考えた(そんな魔王様なら、少し可愛い)。オーナーがカウンターに置いた料理を、置いたままにして、魔王様の様子を伺う。


 けれど、魔王様は料理には一瞥いちべつもくれず、わたしに熱い視線を送り続けている。熱すぎて、全身が穴だらけになりそうです。


 いや、ほんと、わたしは何をした?


 カウンターに戻るたびに、至近距離からの熱視線を感じるのは、つらい。気まずい。

 わたしが自由の身なら、「どうしましたか?」だの「視線がうるさいです」だのと、伝えられたのに。……いや、後者は伝えられないね! 相手は魔王様だもんね! 怖いね!


 せめて、話しかけてくれたら良いのに。魔王様は、口を開く様子を見せない。


 二人のお客さんがいるテーブル席の前に着いた。二人が、わたしに顔を向ける。困惑して眉尻を下げると、二人の目に、わたしへのあわれみが宿った。あ、憐れんでくれてるんですか。そうですか。


 カウンターに戻る。待ち構えているオーナー……と、魔王様。オーナーの目にも同情の色が見えた。やめて。口元に微妙な笑みを浮かべるのは、やめて。


 オーナーとお客さんたちの表情のバリエーションは、どうなっているのだろう。そんな器用な表情、わたしにはできないよ。というか、最初に比べて、随分と自由になったよね。行動もセリフも縛られたままで、自由と言うのは、どうかと思うけれども。


「間違いなく、お前の影響だろうな」


 横から、渋い男性の声が届いた。思わず、オーナーと顔を見合わせる。数秒経ったか、オーナーが静かに首を振った。あ、そういう動き、できたんですね。


 勝手に身体が動くタイミングで、異変に気付いた。


 身体が、動かない。地面に足がい付けられたように、わたしはカウンターの前に立ったままだ。この感覚には、覚えがあった。


 初めて、気絶を経験した日。まさに、魔王様に出会った日。あの時も、見えない何かに押さえつけられて、動けなくなった。

 まさか、魔王様の力、なのだろうか。


「その通りだ。よくわかったな」


 いや、さすがに、わかるぞ。

 たいへん、渋くて素敵な声に褒められて、悪い気はしないけれども。嬉しいかと訊かれると、微妙なところであって。

 むむむ、と考え込んでいると、あることに気付いた。


 魔王様、わたしの心を読んでいるのでは?


 先ほども、わたしの疑問に答えるような言葉を口にしていた。まさか、この魔王様、もしかして「チート」ってやつなのでは……?


 ブリキの玩具おもちゃのように、ギギギ、と顔を魔王様に向ける。

 魔王様と、目が合った。魔王様は、わずかに不思議そうな表情を見せている。心を読んでいるとしたら、「チート」の意味がわからなかったのかもしれない。


「……お前は随分、不思議な言葉を操るのだな」


 どうやら、予想は当たったらしい。


「言葉を操る」って言い回し、結構好きだな。……いやいや、そうじゃない。魔王様がわたしの心を読むなら、内心で話しかければ、会話が成立する。

 ルカと会話する時のように、メモ帳でわたしの言葉を伝える必要は、ない。

 わたしは、ごくりと喉を鳴らした。


『あなたは、魔王ですか?』


 魔王様と、呼んではいたけれど。本当に魔王かなんて、わたしには、わからない。訊ねられるなら、訊ねたかった。


「私の役目は、どうやら、そうらしい」


 魔王様が、伏し目がちに答えた。魔王様の長い睫毛まつげが、瞳に影を落とす。魔王様の手にあるロックグラスの氷が、からん、と音を立てた。

 思わず、嘆息した。本当に、綺麗なおじさまだ。


『……あの、ちょっと待ってください。そのグラス、どこから持ってきました? 持ち込み? 魔王様がお酒を持ち込んだの!?』


 危うくスルーするところだった。魔王様が持っているロックグラスと、中に入っているお酒は、カフェでは提供していない。いつの間にか、カウンターに、酒瓶も置かれている。嘘でしょ、魔王様。


「カフェで、酒は飲めないだろう」

『だからって、店内に持ち込まないでくださいよ……』

「酒が飲みたかった」

『じゃあ、バーにでも行ってくださいよ』


 わたしは肩を竦めた。わたしは声を出せないけれど、久しぶりに、タイムラグのない会話ができて、少し楽しい。


「バーに行ったところで、皆一様みないちように、人形だ」


 魔王様がグラスをあおった。横顔は、どこか寂しそうに見えた。

 一瞬、呼吸が止まる。喉に何かが詰まって、息が苦しい。


 何をしているんだろう。わたしは、ルカに魔王様を倒してほしいと、願っているのに。


 魔王様も、縛られた世界に、寂しさを感じている。──いや、「魔王」の立場に、孤独を感じているのかもしれない。


 だから、話し相手がほしいのだろうか。魔王様の周りにいる者といえば、魔物くらいしか心当たりがない。魔王様と同じように、人間に似た配下がいる可能性もあるけれど、あくまでも、部下でしかない。


 人間に憎まれる役回りの魔王様は、確かに、孤独なのだろう。魔王様は、わたしたち人間と同じように、感情がある。だから、余計に──。


『魔王様は、心が読めるんでしょ。バーでも、わたしと同じように、誰かと会話できるんじゃないですか?』

「……この世界の人間は、心も押さえつけられている。会話ができる人間は、お前だけだろうな」


 心臓が、ざわめいた。

 行動やセリフを制限されるだけでなく、心まで押さえつけられているなんて、思わなかった。だから、魔王様は「人形」だと表現したのか。

 行き場のない怒りが、腹の底で沸き立っている。身体の自由が奪われ、心までも、奪われてしまうなんて。そんなの、死んでいるのと変わらない。


 この世界の人々は、見えない何かに、殺されている。


「お前には、不可思議な魔力が流れている。お前の魔力が、この店の人々を解放したのだろう。……微々たるものだがな」


 それは、オーナーやお客さんの二人にとって、救いなのだろうか。少なくとも、わたしにとっては、救いだった。そして、多分、ルカにとっても。

 彼らの心が見えた時、わたしたちは、未来に希望を見出したんだ。


「この世界の中心人物は、この店によく出入りしているようだな」


 世界の中心人物は、すなわち、ルカ。


 魔王様の言葉を理解した瞬間、大きく跳ねる心臓の音が、耳の裏で響く。

 薄く口を開けて、何かを話そうにも、わたしの心は「まずい」「どうしよう」だけを繰り返した。心の自由は奪われていないのに、縛られたみたい。


 ルカは、魔王を倒す使命を背負った、主人公だ。

 魔王様にとって、邪魔な存在。

 なら、主人公が誰なのかわかった魔王様、取る行動は──ただ、一つ。


 魔王様は、ルカを殺すだろう。


 いや、魔王様はルカを殺せない。多分、その時ではないから。だから、大丈夫。魔王様は、ルカを殺さない。大丈夫。大丈夫だと、思う、のに。


 身体は、焦燥感に焼かれている。じわじわと、全身に汗が滲んでくる。

 焦燥と不安で、世界が黒く塗りつぶされようとした、その時、


「私に、その男を消す気はない」


 魔王様が、無感情に、わたしの思考を遮った。


「殺したところで、無意味だ」


 後を追うように、寂しいような、虚しいような、どこか上滑りした言葉が、店内に溶けていく。

 氷だけを残したグラスを、カウンターに置く。グラスが掻いた汗が、滑り落ちた。


 魔王様は、わたしに一瞥くれた後、椅子から立ち上がった。椅子が床を擦る音が響く。


「また会おう」とだけ残して、魔王様は、カフェから去っていった。


 魔王様の背中を追って、窓の外が目に入る。雨が、降っていた。


 身体が軽くなる。固まっていた足が、動き始める。


 網膜に焼き付いた魔王様の背中は、やっぱり、少し寂しそうだった。

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