主人公様は町娘Aに恋をする

 翌日、僕は昨日見つけたカフェに足を運んだ。ドキドキと高鳴る鼓動を感じながら、カフェの扉を開く。店内に入ると、あの人は、昨日と変わらない様子でカウンターとテーブル席を往復していた。店内の顔触れにも、変わりはない。


 ぱちり。


 あの人と目が合った。彼女の目が、かすかに揺れた気がした。

 やっぱり、彼女は世界の状況を把握した上で、毎日同じ行為を繰り返している。彼女の「日常」に存在しないはずの僕が現れて、動揺しているのではないか。漠然と、そう思った。

 期待値が高まる。ごくりと喉を鳴らして、彼女へと歩み寄っていく。


「あの……」


 情けないことに、声は少し震えた。予想が外れた時の落胆を想像して、心が勝手に怖がっている。


「――ッ!?」


 彼女が振り返った。声こそ出せていないけれど、明らかな驚愕を表情に浮かべている。目を見開き、ぽかんと口を開けて。


「……はーい」


 昨日聞いた声とは、色が違う。覇気はきがない。突然、僕という「非日常」に話しかけられて戸惑っているのだろうか。僕の視界が明るくなった気がした。

 咄嗟に言葉を出せない僕を置き去りにして、彼女が歩き出す。ああ、そうだった。僕が話しかけ続けない限り、僕以外の人は、声をかける前と同じ行動に戻ってしまう。

 彼女を追いかけ、再び声をかけて引き留めた。緊張と期待で、身体が熱くなる。早鐘を打つ胸を抑えながら、彼女にたずねた。


「君は、僕がわかるよね?」


 “何だ、どういうことだ。”

 多分そう思っている彼女から、いぶかしげな表情を向けられた。なのに、僕の心には喜びが溢れる。

 ああ、彼女は僕の言葉を理解して、反応してくれている!


「昨日、表情が変わってた。僕に返事をした後、傷ついた顔をしてた。……ごめんね」


 僕は彼女に謝った。すると、彼女は虚をつかれたような顔をする。僕に謝られる覚えがない、といった様子だ。


「だから、もしかしたらと思って、また来たんだ」


 口元に笑みを浮かべる。ここ最近、まったく笑っていなかったものだから、多分、下手くそな笑みに違いない。


「それで……」


 言葉は、続かなかった。彼女が僕の言葉を理解して、表情で返事をしてくれるとわかった。それは、とても嬉しい。けれど、その後にどうするかなんて、考えていなかった。

 決まったセリフ以外を返してくれる彼女の存在が、この上なく嬉しい。ただ、それだけだった。どうにか彼女とコミュニケーションを取りたいけれど、どうすれば良いかわからない。


 彼女は、お客さんが待っているテーブル席へと歩き出した。彼女の後を追って、僕も足を踏み出す。

 どうしよう。どうすればいいのだろう。僕はこんなにも、彼女と話したくて堪らないのに。もどかしくて、焦りさえ感じる。

 テーブル席の前に着く。お客さんの二人は、昨日と同じセリフを喋っている。


 ふと、僕はある違和感に気付いた。彼女のトレイに、料理が載っていない。彼女はカウンターから料理を運ぶ人のはずなのに、どうして。

 彼女の様子を茫然と眺めていると、彼女はエプロンのポケットをまさぐった。ポケットから何かを取り出して、テーブルの上に置く。


「え?」と、思わず間の抜けた声が漏れた。


 短すぎる声だからか、彼女は反応しなかった。身をひるがえし、カウンターへ戻っていく。

 彼女の背中を見送って、再度テーブルに目を戻す。テーブルには、小さく折り畳まれたメモ用紙が、ぽつねんと置かれていた。


 どくん、と心臓が大きく鳴る。おそるおそる、メモを手に取った。メモに触れた指が、細かく震えている。

 メモを開く。かさり。紙が擦れる音が、やけに耳についた。

 メモには、文字が書かれている。頭がその事実を上手く処理してくれなくて、書かれた文字を意味のある言葉として咀嚼そしゃくできない。


『わたしの名前は、アスカです。勇者様のお名前は?』


 思わず、涙が滲んだ。丸みの帯びた文字が、あたたかい。なぜ僕が勇者だと知っているのだろう。疑問には思ったけれど、今はどうでもよかった。

 僕は振り返り、彼女――アスカの背中に向かって叫んだ。


「僕……僕の名前、ルカって言うんだ!」


 アスカが振り返る。満面の笑みで、口を開く。


「はーい!」


 視界が、華やいだ。きらきらと、アスカが輝いて見える。色褪せていた世界が色づいていく感覚に、目尻にたまった涙が、頬を伝った。



 ◇



 アスカとのコミュニケーションに成功した僕は、毎日カフェに足を運んだ。

 すがるようにアスカに会いに行く僕を、アスカは呆れることなく、いつも笑顔で迎えてくれた。それがどんなに救いになっているか、アスカはきっと、わかっていない。


 世界は、時間が止まっているのか、進んでいるかもわからない。僕は自分が生きているのかすら、わからなくなって。他の人たちだって、僕から見たら人形みたいだし、本当に生きているのか疑ってしまう。

 今まで、どうして耐えられたのだろう。多分、自死を選んだっておかしくなかった。生きているのに死んでいる状態なら、死んだって何も変わらない。無理に生きようとしなくても良い。


 でも、生きていて良かった。わずかな希望を、捨てなくて良かった。我ながら単純だとは思うけれど、おかげでアスカに出会えた。


 メモを使っての会話で――と言っても、メモを使うのはアスカだけで、僕は歩き続けるアスカの横を陣取って、アスカに顔を向けずに喋っている。アスカに話しかけると、アスカは立ち止まり、口を開いてしまうから――アスカもまた、世界の異変に気付いていたのだとわかった。いつの間にか、同じ行動やセリフを繰り返していたらしい。


 どれだけ怖かっただろうか。

 僕はアスカの気持ちを慮って、心に影を落とした。幸いにも――幸い、という表現が正しいかはわからないけれど――僕は自由に行動できていた。周りの異変にも気付けた。

 けれど、アスカは違う。アスカは、突如として行動と口に出来る言葉を制限された。他者とコミュニケーションも取れず、カフェの中で過ごし続けていた。

 わけもわからず、混乱しただろう。自由が利かない身体に恐怖しただろう。心が自由である分、感じる恐怖は計り知れない。


 そんな状況下で、世界の異変と自分を制限しているルールに気付いたアスカを、僕は心底尊敬する。

 僕が初めてカフェを訪れた後、アスカはどうにか僕とコミュニケーションを取れないか、試行錯誤していたらしい。そうして、メモを間接的に渡す方法に辿り着いた。

 僕がもう一度カフェに来るかもわからないのに、待っていてくれた。僕は胸が震えるようだった。本当に、アスカの表情の変化に気付けて、良かったと思う。


「どうして僕が勇者なんだろう」


 隣を歩くアスカを横目に、僕は呟いた。

 トレイに何も載せないまま、テーブル席へ歩くアスカは、少し考え込む様子を見せた。やがて、エプロンからメモ帳とペンを取り出す。


 アスカが身体の脇にトレイを挟む姿を見て、トレイを持ってあげたくなった。けれど、どうやらそれもできないようで、歯がゆい。

 そもそも、料理を運ばないのなら、トレイを持たなくても良いと思うのだけれど。絶対にトレイを持たなければいけない制約でもあるのだろうか。それとも、アスカのこだわりだろうか。ウエイトレスとして、トレイを持つのは必須と考えている、とか。だとしたら、ちょっと可愛い。


 頭に浮かんだ思いに、なぜだか少し、罪悪感を覚えた。ついでに、少しの気恥ずかしさも。

 ざわつく胸は無視して、アスカの様子を見守った。歩きながらメモ帳にペンを当てているからか、動きがぎこちない。


 以前、文字を書くのに苦戦しているアスカに、

「立ち止まった時に、少しずつ書けば良いんじゃないかな」と、提案してみた。

 けれど、アスカは頷かなかった。メモ帳に書き連ねていた言葉をそのままに、余白へ別の言葉を書いて――間接的に――僕に渡した。


『ルカが待ちくたびれちゃうでしょ』


 丸みを帯びた文字に、胸の辺りがくすぐったくなった。そうか、僕のためか。心の中で納得して、後から喜びと恥ずかしさが込み上がってきた。全身がむずむずとして、今すぐにでも街の外を全力疾走して、叫び出したくなった。


 やっぱり、アスカは可愛い。


 そう遠くない過去の記憶を思い返していると、アスカが千切ったメモを律儀に畳み、カウンターの上に置いた。


 千切ったメモを、ただテーブルに置くだけで良いのに、なぜメモを畳むのか。

 その疑問も、以前に訊ねた。アスカの答えは「そのほうが楽しみが増すでしょ」だった。

 どこまでも、アスカは僕を気遣ってくれている。そう自覚するたびに、この場から逃げてしまいたいような、このままずっとここにいたいような擽ったさを覚える。甘酸っぱい感覚が、僕をどきまぎとさせる。


 村に住んでいた時には、感じ得なかったもの。この気持ちが「恋」なのか。未だ輪郭がぼやけている言葉が、脳裏に浮かんだ。不確かで、曖昧で、不安定な気持ち。

 全身を焦す熱は、恋なのか。それとも、僕の唯一の理解者への執着か。未だに、判断がつかない。

 僕は、アスカが好きなのかもしれない。予感は、確かにある。

 けれど、狂ったままの世界では。僕の気持ちに、確信を持てる日は来ないだろう。

 誤解かもしれない。状況が状況だから、「恋」だと錯覚しているだけかもしれない。

 本物の気持ちだったとしても、信じられないだろう。アスカだって、きっと、僕の気持ちを信じられないと思う。


 だからこそ、世界を元の状態に戻したいと、強く思う。自由になったアスカと、もう一度会って話したい。僕の気持ちに嘘はないと、確かめたい。

 アスカへの想いが、「恋」であると良いと願っているのに、「恋」とは言い切れないなんて。世界は、悲しいほどに、残酷だ。

 切ない気持ちを抱えながら、アスカが置いたメモを手に取った。折り畳まれたメモを広げる。


『ルカが勇者になった理由はわからないけど、ルカは勇者だなって、何となくわかるよ』


 何の根拠もない言葉が、メモに書かれていた。けれど、何だか嬉しくなった。

「勇者」という響きも、意味も、言葉に宿された使命も。重くて、煩わしくて、僕の足を泥濘に嵌めていくものなのに。アスカが書いた「勇者」の文字を見ていると、胃に投げ込まれた重石が、少し軽くなった気がした。

「自由を手に入れたアスカと話したい」という目標ができた。同時に「魔王を倒さなければいけない」と思った。

「魔王を倒せば元の世界に戻るのではないか」と、希望の芽が、頭を出した。

 一度は、胸の内の不安に負けて、王様に与えられた「魔王を倒す」使命を、頭から捨て去っていたのに。


 世界と共に止まっていた僕の時間が、もう一度、動き始めている。

 とく、とく、と規則正しい心臓の音が、耳の奥で響いている。

 終わっていない。この世界は、まだ、生きている。僕はまだ、未来を選べる。


「アスカ」


 僕はアスカの隣に並んで、アスカを呼んだ。アスカが振り返って立ち止まる。

「はーい」とお決まりのセリフを口にしたアスカに、僕は微笑んだ。アスカはきょとんとして、僕を見返している。


「僕、強くなるよ」


 アスカの目が見開かれた。僕は決意を込めて、アスカの目を見つめる。諦めを知らないアスカの目は、星を宿して煌めいている。

 強くなろう。世界を元に戻すために。そして、君と。今度はちゃんと、声で言葉を交わそう。

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