町娘Aは魔王様と出会う

 自宅に戻った途端、身体が軽くなる。

 わたしは、いつの間にか止めていた息を吐き出した。ふらりと、ベッドに倒れ込む。

 疲れた。身体が、いや、心が。違う。心も身体も、どちらも酷く疲れた。重石が、胃にずっしりと詰められた心地だった。


 最近のルカは、街の外に出て「レベル上げ」をしているらしい。それは、本当に、良い傾向だと思う。

 きっと、この世界の誰もが、ルカによる魔王討伐を望んでいる。わたしだって、この世界の未来の可能性に気付いてから。ずっと、ルカの魔王討伐を望んでいた。


 けれど、時々思うのだ。本当に、それで良いのだろうかと。


 主人公が魔王を討伐する。それが王道RPGクリアの鉄則だろう。それ以外のクリア条件は、ないはず。

 わたしは、自分が導き出した答えに自信を持っているし、希望も持っている。ルカがこのゲームをクリアすれば、わたしたちは自由になれるのだろうと。

 だから、ルカが魔王討伐の旅に出るように、どうにか、ルカにも希望を持ってもらおうとしていた。

 けれど。


 ルカと仲が良くなるほど、わたしの心は重くなっていった。


 わたしって、嫌な女だ。どんな理由を並べても、ルカを利用することには変わりがない。結果的に、ルカも救われるにしても、それはくつがえせない事実。


 もしも、わたしが。美しく、可憐なヒロインならば。ルカに、

「どうか魔王を倒してほしい」と、たった一言を伝えれば良かったのか。

 女騎士のように、剣を振るえたなら。魔女として、魔法を使えたなら。ルカと一緒に、魔王討伐を目指せたのだろうか。

 そうであれば、こうして罪悪感に悩まされず、エンディング後は、ルカと平凡な幸せを掴めるのだろうか。

 考えても、仕方がない。けれど、どうしても考えてしまう。ルカの嬉しそうな顔を見るたびに、胸にしんしんと、灰が降り積もっていく。


 枕に顔を埋めて、固く目を瞑る。考えれば考えるほど、底なし沼にまっていくようだった。

 寝てしまおう。きっと、眠いからネガティブになっている。寝不足の状態で考え事をしても、良くない考えしか浮かばない。

 明日も、ルカはカフェに来てくれるだろうか。ルカとのお喋りを楽しみにしよう。

 今は、胸を刺す痛みに、気づかない振りをすれば良い。



 ◇



 カラン、と音が鳴った。ルカが来たと思って、勢い良く入り口のほうへ顔を向けた。けれど、カフェに入ってきたのは、ルカではなかった。思わず、顔が強張こわばる。


 一言で言えば、「ダンディなおじさま」だ。短い銀髪を後ろに流し、それがやけに似合っている。切れ長の赤い目は鋭い。白のワイシャツに、黒のズボン、膝下まである黒のロングコート。

 不意に、赤い目が、わたしに向けられた。耳の奥で、バチ、と雷が弾けた音がした。


 絶対に、モブではない。けれど、主人公はルカだ。となると、この人の役目は何だろう?


 視界に男を捉えながらも、思考が沈んでいく。男が、靄がかかったように、ぼやける。別世界に切り離された心地だった。

 けれど、男がわたしのほうへ足を踏み出し、瞬時に、意識が現実へ引き戻された。迷いのない歩みに、わたしの頭はプチパニックだった。


 男は、わたしの目の前に立った。何も語らず、わたしに顔を近づけて、目を見据えてくる。いや、近すぎる。何これ。内蔵が口から飛び出しそう。

 わたしの目は、縫い付けられたみたいに、男の目から離れない。

 赤い目が、恐ろしいほどに綺麗だ。赤いものなら、他にいくらでもあるのに。思わず、血を連想した。ぞくり、と全身が粟立つ。


 状況が、おかしい。

 なぜ、話し掛けられていないのに、わたしは立ち止まっているのだろう。意味がわからない。

 まさか、主人公以外に課せられているルールとか、そもそも、ここがゲームの世界だとか。わたしが考えた前提が、間違っているのだろうか。


 全身から汗が噴き出す。目の前の男が、とてつもなく巨大に見える。人間が面白半分で蟻を踏み潰すように、男が望めば、わたしはあっという間に殺されてしまうだろう。


「お前は間違っていない」


 重厚な低音ボイスが空気を震わせた。話し掛けられた。わたしは何も返せない。

「間違っていないって、何のことだ」と、問いたいのに。口を開くことさえ、何かに邪魔をされる。


「間違っているのは、世界の在り方だ」


 息が荒くなる。


「さぞ、生きづらいだろうな」


 足の力が抜けそうだ。恐ろしい。その一言に尽きる。男が発する、一音一音の圧がすごい。重すぎて、潰れてしまいそうだと思った。

 この男は、何をしに来たのだろうか。

 この男は、何者なのだろうか。


ことわりから外れた存在を見に来た」


 わたしの心を読んだかのように、男は答えた。


「まだ不完全なようだが」


 何を言っているのだろう。理から外れた存在とは、わたし、なのだろうか。まだ不完全って、どういう意味なの。

 男を問い詰めたくて、堪らない。男は、この世界のすべてを、知っているのではないだろうか。知っているなら、教えてほしい。

 この世界は何なのか。

 なぜ、わたしたちは言動や行動を制限されるのか。

 どうすれば、理不尽な世界から逃れられるのか。


「お前は間違っていない」と男は告げた。それは、「わたしの予想が間違っていない」という意味なのだろうか。

 疑問が、次々と湧いて出てくる。けれど、それを訊くすべを持っていない。ルカの時と同じように筆談できればと思えど、指一本さえ動かせない。今のわたしは、蛇に睨まれた蛙だ。


「人間の傲慢ごうまんが、世界を縛ったのだ」


 男は続ける。


「私も、勇者と呼ばれる少年も、お前も、皆一様に縛られている」


 滑稽こっけいなことだ、と男は淡々と吐き捨てた。


「人として生きたいならば、せいぜい足掻あがき続けるのだな」


 男は、わたしから顔を遠ざけた。身をひるがえし、扉へ歩いて行く。

 男の姿が視界から消えた直後、電池が切れたように、目の前が真っ暗になった。

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