主人公様との邂逅

 異世界で目覚めてから、多分、一ヶ月は経った。自宅の机にノートが置いてあるのを見つけ、日々の記録や考えたことを毎日書き留めていたので、時間感覚は合っていると思いたい。

 自宅の中では自由と言えど、同じことを繰り返すだけの日々はひたすら疲れる。癒やしがない。毎朝電車に乗って出社して、単調な事務仕事して、また電車に乗って自宅まで帰る……の繰り返しとはわけが違う。まだ会社で働いていた頃の方がマシに思える。ていうかマシだ。あの頃に戻り……たくはないけど、ここに居るよりかは、戻りたい。


 本当にうんざりしてきて、暫く思い返すこともなかった前の世界のことを思い浮かべては泣けてくる。平々凡々な生活だったけれど、両親や兄とは仲も良かったし、親友と呼べる友だちだって居た。会社の仕事も、刺激はなかったけれど、仕事がつまらないからこそ趣味や家族、友だちとの時間がより楽しかったと思えるし。ああ帰りたい。わたしは本当に死んだのだろうか。


 この世界での未来は全然見えないし、そもそも時間が進んでいるかもわからなくて未来もへったくれもないから、希望が見出せない。もしかして年齢を重ねることもなく、本当に同じことを永遠に繰り返すのではなかろうか。そんな人生嫌だ。

 だけど、だからと言って絶望して、自分で自分の命を絶つような真似だけはしたくない。希望は今のところないけれど、でも、それでも、生きていたい。


 ここが本当にゲームの世界ならば、いつかは主人公が現われる筈だ。カフェのお客さんのセリフも、「魔王が復活したって噂、本当かなあ」「怖がっても仕方ないだろ。どうせ俺たちはこの町から出ねえんだから」である。魔王がいるなら、勇者もいる。それが鉄則なのだ。

 わたしに希望があるとしたら、主人公が現われて、ゲームを進めた先だ。エンディングを迎えた後は、プログラムされていない世界になる。そうしたら、この世界は解放されて、わたしも、料理を出し続けるオーナーも、同じ会話をし続けるお客さんたちも、自由になるんじゃないだろうか。


 あー。早く現われないかな、主人公。ここは主人公のために作られた世界なんですよ。ねえ、主人公様。わたしたちはあなたの存在を待って、あなたがゲームを進めるために存在していて、あなたがゲームクリアすることを待ち望んでいます。魔王なんかさっさと倒して世界を平和にしてくれ。


 早く、早く来い。主人公様!


 と、毎日祈っていたら瞬く間に(嘘。めちゃくちゃ長かった)また一ヶ月過ぎてしまった。嘘だろう、主人公様。まだ現われないのか主人公様。いや、わたしが知らないだけで旅は進んでいるのかも知れない。一定のストーリーを進めないとNPCのセリフが変わらないとか基本だし。うん。オーナーやお客さんたちもセリフは変わっていないからなあ。二ヶ月経ってこれは少し不安だ。


 ――からん。


 カフェの扉につけている小さな鐘が鳴った。

 お客さんのテーブルからオーナーが居るカウンターへ向かっていたわたしは、運良く扉の方へ顔を向けることが出来た。

 明るい茶色のさらさらとした短めの髪、アーモンドみたいな形の青い目。まだ幼さが残る顔つきの男の子。その背中に、男の子とは不釣り合いに見える大きな剣が背負われている。


 ――この子が主人公様だ。


 一目でそうだとわかった。そもそも、このカフェに新しいお客さまなんて存在しない。わたしが働いている間、カフェの扉が開かれるなんてことはないのだから。

 それでも、やっぱり主人公様はほかの人たちとは違うように見えた。存在感と言えば良いのだろうか。「この人は特別だな」って感覚。何となく、目を惹くような人。そう感じるのは、剣を背負っている人を初めて見たから、という理由ではないと思う。


 オーナーから料理を渡されるまでの間、カウンターの前で主人公様を観察する。「いらっしゃいませ」と声を掛けることも出来ないのが、何とも歯がゆい。ていうか、お店に入ってきた人に対して何も言わないオーナーと店員ってどうなの。そう考えると、やっぱりここってゲームの世界なんだなと感じる。現実の世界であれば、挨拶をしないだけでもクレームが入る場合もあるのだ。……別にそこまで怒らなくても、と思うけれど。


「おチビちゃん、これ持って行って」

「はーい」


 オーナーから料理のお皿を受け取る。今回はハンバーグらしい。オーナーは料理が上手なようで、受け取る度にいつも美味しそうだな、とよだれが出てくる。だけど、このカフェでは一度もオーナーの料理を食べたことはない。わたしは休憩なしで延々と料理を運び続けるカフェ店員なのだ。空腹を感じたことはないけれど、食べたいという欲はあるもんだからつらい。自宅に帰れば……いや、飛ばされた後は食事を取れるけれど、わたしが食べたいのは無難な味のするわたしの料理ではなく、オーナーが作る料理。バイトしていればまかない料理にありつける日もある筈なのに、残念ながらそんな日は来ない。悲しい。


 そういえば、オーナーが出す料理は一種類ではないんだよね。多分、料理の内容までゲームでは決められていなくて、決められていない部分についてはゲームの中の人間が決められる、とかなのかな。わたしの自宅での行動が自由なように。

 だから何、という感じだけれども。行動が制限されていることには変わりないしなあ。どうしようもないんだよね。わたしみたいなNPCには。


 料理を運ぶわたしの背後で、主人公様がオーナーに話しかける声がした。主人公様が何を言っているかはよく聞こえなかったけれど、オーナーが「おチビちゃん、これ持って行って」という声はハッキリと聞こえた。いつもと変わらないトーンとセリフ。それを聞いて、何度繰り返したかわからない「ああ、やっぱりここはゲームの世界なんだな」というセリフを、わたしは心の中で呟いた。


 主人公って、どんな人なんだろう。


 これまで、何度も何度も頭に思い浮かべた主人公の姿。大体のゲームは、主人公が最初から強いなんてことはなくて、冒険に出て、仲間を増やして、数々の困難を乗り越えて、レベルアップして強くなっていくものだ。だから、見るからに強そうな男性や女性が来ることもないし、仲間をわらわらと引き連れていることもないんだろうなって思っていた。

 例えば、わたしが居るこの町がストーリーの終盤に登場する町であれば、主人公もかなり強くなっていて、仲間も沢山いたのかもしれない。けれど、漠然とながら、わたしはこの町が「はじまりの町」ってやつなんだろうと確信していた。どうしてだろう。そういう予感がした、としか言えない。


 実際に目の前に現われた主人公様は、思っていた以上に頼りなかった。剣を背負ってはいるし、他の人とは違うなっていう、何ともふわっとした雰囲気は漂っているけれど、それ以上でもそれ以下でもない。これから魔王を倒しに行くんだ、と言われたら全力で引き留める。君には無理だ、諦めろって言ってしまう。


 何度かカウンターとテーブル席を行き来している間に、主人公様はお客さんにも話を聞いていたようだった。情報収集は基本だもんね。わたしにはまだ話し掛けられていない。まあ、話し掛けてもらっても、答えは「はーい」だけだけど。わたしから得られる情報はまったくないから、スルーしたって問題ない。わたしはモブ中のモブなのだ。


 それにしても、主人公様はかなりお疲れのように見える。着ている服もくたびれているし、靴も乾いた土がついて汚れている。表情も、あまり良くないというか……暗く沈んでいるところを、無理に笑っているような。


 オーナーからまた料理を受け取って、テーブルへと運んでいく。主人公様はわたしが向かっているテーブル席のお客さんと話し終わったみたいだ。表情はやっぱり暗い。

 主人公様が振り返る。わたしと、目が合った。


「あの……」


 主人公って、どんな人なんだろう。

 何度も何度も、思い浮かべた。その時に、考えていたことがある。


 主人公は、自由なのだろうか。


 わたしたちのように、行動やセリフの制限はないのだろうか。制限があるとしても、わたしたちよりは断然自由だろうな、と考えてはいた。


 じゃあ、自由、なのだとしたら。


 主人公の目には、わたしたちはどう映るのだろう。

 会話もまともに出来ないわたしたちを、主人公はどう思うのだろう。

 何度話し掛けても同じセリフを吐き続けるわたしたちに、自由な主人公は何を思うのだろう。


「はーい」


 主人公様に話し掛けられたわたしは、立ち止まる。立ち止まって、お決まりのセリフを吐いた。

 主人公様の綺麗な青い瞳が、揺らぐ。


「あの、君が知っていることを教えてほしいんだけど……」


 わたしの様子を窺うようにして、主人公様は言った。

 知っていることって、何についてなの。

 主人公様が魔王に関する情報を求めて人に話しかけているということは察しているけれど、主人公様の訊き方だと訊かれた方も何について訊かれているのかわからない。なんて思いながら、口が、勝手に動く。


「はーい」

「この町で最近起こっている事件について……」

「はーい」

「他の人から聞いた情報は……」

「はーい」


 やめてくれ!


 わたしが返す度に、主人公様は酷く傷ついたような表情をする。そして、ああやっぱりかって言うかのように力なく笑みを浮かべるんだ。

 もう話し掛けないで。お願いだから。

 わたしが情報を持っていないことくらい、すぐにわかったでしょう。どうして会話を続けようとするのかな。無理だって。何も返せないんだよ、わたしは。

 君が、君の傷口を抉らないでよ。


「……」


 主人公様が、何かを言いかけて、止めた。耐えるように、唇を引き結んで。

 立ち尽くした主人公様を置いて、わたしはカウンターの方へ足を動かした。もう、話し掛けては来なかった。

 泣いてしまいそうになるのを、必死に耐える。この野郎。わたしだって、これは傷つくよ。君が傷つく度に、わたしも、君を傷つけるしか出来ないことに、傷ついたんだ。


 主人公ってどんな人なんだろう。

 その問いに対する答えが、今わかった。


 主人公様は、この世界では悲しいほどに自由な人だった。


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