わたしたちは主人公様のために生きている
椿 雪花
町娘Aの独白
わたしは町娘Aである。名前はまだない。
いや、もしかしたら町娘Bかもしれないし、CとかDかもしれないのだけど。そこは考えていても仕方ないし、答えを確かめようもないから置いておいて。
とにかく、わたしは町娘Aなのだ。わたしはわたしの名前すら知らない。多分、多分あるとは思うのだけども……。
「おチビちゃん、これ持って行って」
唯一わたしと喋るキャラクターが、わたしが働いているカフェのオーナー(おっさん)だというのに、このおっさんはわたしの名前を呼ばず「おチビちゃん」と呼ぶのだ。おかげで本名を知るタイミングがまったくない。
「はーい」
――おチビちゃん、これ持って行って。
――はーい。
今のところ、これが唯一出来る会話である。何てこった。
◇
異世界転生。
それだけ聞くと、なんだかワクワクする響きだと思う。わたしも、「あれ、これ転生しているのでは?」と気づいた時には相当ワクワクしたものだ。
気がついたら中世ヨーロッパ風の町並みが目の前にあって、やれ王様が、やれ勇者様が、なんていう言葉が耳に入ってきた。あまりにも突然すぎて、最初は夢かと思った。けれど、夢の割には視界も鮮明だし声もよく聞こえるし、普通の夢とは違うなと思って頬を抓ってみたら普通に痛かった。
え、どういうこと?
痛いと言うことは、ここは現実ということで。この中世ヨーロッパ風の町並みも、その風景に溶け込むコスプレのような服装の人々も、わたしの夢では、ない。
えええええええ。
心臓がばくばくと騒いで、じわじわと身体が熱くなっていくのを感じた。
何故こんな状況に陥っているのかわからなくて、此処に来る前に(いや自分でここに来たとかそんな覚えもないのだけど)わたしが何をしていたか必死に思い出そうとした。
結果、自分は交通事故に遭ったことを思い出した。
中小企業で事務職をしていたわたしは、その日残業で疲れていた。早く帰ってアニメ観たいなー、いやゲームもしたいなーとか考えて明日の仕事は考えないようにしていたら、上司から電話が掛かってきて会社に逆戻り。戻ってみたら、明日で良いだろ何で呼び戻したんだよっていう内容でさらにどっと疲れるというおまけつき。やっと終わって帰路につき、融通の利かない上司への不満を頭の中で吐き出しながら横断歩道を渡ろうとして、信号無視したトラックに轢かれたのである。散々かよ。
そこまで思い出して、ふっと頭に浮かんだ。
テンプレかッ!!
交通事故で亡くなって異世界転生あるいはトリップするとか昨今のお約束すぎる! 始まりはいつだって交通事故! あれだろこれから悪役令嬢の逆転劇とか日本での知識活かして領地拡大とか特殊能力開花して無双とか何か色々するんだろ!
こうなったらわたしも日本での経験やら知識やらを活かして異世界での生活を満喫してやろうじゃないか!
◇
……と、思っていた時代がわたしにもありました。
結論から言うと、どう足掻いてもわたしは異世界での生活を楽しむことは出来ない。
「おチビちゃん、これ持って行って」
「はーい」
オーナーからふわふわで美味しそうなオムレツを乗せたお皿を受取り、銀のトレイに乗せてお客さまのいるテーブルへと向かう。この後、わたしは無言のままお客さまのテーブルに料理を置いてオーナーの元へと戻る。「お待たせしました」も何も言わないなんて、と元の世界なら咎められるだろう。けれど、このカフェの中でわたしが許されている行動は、これだけなのだ。
それに気づいたのは、異世界生活を楽しむ決意をした直後だった。
決意したといってもまだ心の整理をしきれていない中、わたしの足は何故かこのカフェに向かっていった。完全にわたしの意思とは切り離された行動だった。それこそ夢の中みたいで、もしかして現実のような夢を見ているだけで、交通事故も起こっていなくて、目が覚めたらいつも通りの日常が始まるのかも、なんて思った。
けれど、残念ながら現実だった。
カフェでの仕事が終わったと思ったら、わたしは自宅と思わしき建物の中に瞬間移動した。現実だった、と言った後にこんな夢みたいなことを言うなんて、我ながら可笑しいと思う。なんだけれども、ちょっと、あえて割愛する。後からちゃんと整理するから、まず置いておこう。
……で。家に帰った後は、わたしを操っていた糸が切れたみたいに、途端に自由を感じた。カフェではずっと同じ動きを繰り返すだけだったけれど、家の中では自分の意思で、身体を動かすことが出来たのだ。
わたしは家の中を見て回った。素朴な木造の家は、一人暮らしにはちょうど良いくらいの広さで、置いてある家具は少なくシンプルな内装だ。木製のシングルベッドと、その横に置いてある明るいブラウンの机。ベッドの奥の窓から見える景色は、すっかり暗闇に包まれていた。どうやらわたしの家は二階にあるようで、建物に邪魔されない綺麗な星空が見えている。
日本とは違い、明かりの少ないこの町から見る空には星が沢山光っていて綺麗だ。けれど、突然の環境の変化にすっかり疲れ果てたわたしは、そのままベッドに横になり、睡魔に促されるまま眠りについた。
そして、また同じことを繰り返すカフェでの仕事が始まった。
朝目覚めて、変わらない景色に「夢ではないのか」と溜息を吐いて、ひとまず食べられるものがないかチェックしようと思ったら、またカフェに瞬間移動したのである。
いや本当に意味がわからない。
寝間着を見つけてそれを着ていた筈なのにカフェの制服になっているし(もちろん着替えた覚えはない)、カフェはもう開店していてお客さんが既にテーブルについているのが見えた。ええと、どういうこと?
混乱している間にも身体は勝手に動いて、わたしはオーナーから渡された料理を運ぶ。心と体が一致しないってまさにこういうことかー、なんて思いながら、その気持ち悪さを感じていた。あれだ、アニメとかゲームで、悪役の魔女とか魔王とかに操られて自分の意思とは関係なく味方を攻撃してしまう、とか。それってこういう感じなのかもしれない。深刻さは違うだろうけどさ。
と、そこまで考えて。
あれ、もしかしてここってゲームの世界なのでは? と思い至った。
我ながら天才的なひらめきだったと思う。
幼少期、五つ年上の兄がプレイしていたRPGゲーム。自分でプレイすることはなかったけれど、兄の横でずっとテレビ画面を見ていたから覚えている。
主人公以外の村人やお城の騎士、王様たちは、皆同じ場所で、同じ動きをして、同じセリフを喋る。そう。その様子を再現したら、まさに今のわたしのような状況になるのではないか、と考えたのだ。
その通りだとしたら、いや、本当は、うん、かなり、胡散臭いというか。あまりにも非現実的すぎて信じがたいのだけど。ゲームの世界、なのだとしたら。わたしはゲームの世界に転生したってことになる。もしくは……転移? あるいは、憑依? うーん。ひとまず今いる世界をゲームの世界だと仮定したら、ゲームのプログラム通りにしか動けないわたしは、憑依なのかなあ。この世界で生まれた覚えはないし。転移だったら、こんなプログラム通りの動きにはならないと思うし。だって、ゲームからしたら、わたしの存在ってバグだよね。ゲームの外からゲームに入り込んだってことでしょ? プログラムしようがないもんね。
あれ? でも待てよ。えーと、そもそもゲームの世界が現実として存在していること自体、可笑しい、よね? うーん? 頭がこんがらがってきた。ゲームの外からゲームに入り込んだわたしって何。え、何で入り込めた? え、ゲームってもしかして現実のものとしてゲームの世界を再現できてしまう特殊能力を持っている? つまりゲームの世界をリアル体験できる的な? え、どゆこと。
と、いうことで。わたしは一旦考えることを止めた。あれは考え始めるとドツボにハマるやつ。終わりがないやつ。哲学みたいな。人間は本当は機械の中で眠っていて、夢で見ている世界を現実のものとして認識しているに過ぎない、的なのなかったかな。だから、今自分たちが存在している世界って眠っている自分が見ている夢なんだよ、っていう。
でもあれって、わたしたちが見ている世界は、まさに今、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じているものでしかないから、いくらそんな可能性を考えたって誰も答えはわからないよねっていう考えに、最終的には辿りつくんだよな……。
わたしの状況は詰んでいる。答えをくれる人は居ないし、わたしは「はーい」と返事をして料理を運ぶことしか出来ないし。カフェの仕事が終わったら自宅に瞬間移動して、町の様子を見に行くことも出来ない。精々、カフェや自宅の窓から外を眺めるくらいだ。それだけで何か打開策が浮かぶような人間なら、わたしはきっと日本で大統領になっている。……あ、内閣総理大臣か。
ちなみに、自宅から出ることも出来なかった。ドアノブをがちゃがちゃ上下に動かしても、押したり引っ張ったりしても、扉はうんともすんともしなくて、ただわたしが心身ともに疲れただけだった。鍵も掛かっていないのに、不思議だ。多分だけど、わたしはカフェの店員役で、あのカフェでひたすら料理を運び続けるようにしか作られていないのだろう。だから、それ以外の場所に行けない。そうプログラムされていないから。
じゃあ何故自宅では自由に動けるのか、というと……わたしの立てた仮説はこうだ。わたしの自宅は、ゲームでは描かれていない。プログラムされていない領域。存在はするし、きっと外観は描かれているだろうけど、家の中まで作られていないのだ。まー、ならどうして作られていない家の中にわたしが存在出来るんだよって話にもなるけど、それはわたしもわからない。
わたしが働いているカフェは十九時頃にしまっちゃうから、朝を迎えるまでの辻褄合わせなのかなあ。このゲームには夜の町の様子も描かれていて、カフェの明かりは消えて、オーナーや店員はもちろんカフェに居ない。という状況になるから、わたしはお役御免ってことで自宅に飛ばされている、とか。いや、もう知らん。わからないものはわからない。
でも、どうしてこの世界で目を覚ました時はカフェの外に居たんだろう。
その時以来、わたしはカフェと自宅の外には出たことがない。
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