第16話
◯野営地北の山中
「ソドム殿と話す機会を奪われました。残念です。ジャニル殿。残念なんです、私。」
天女と評される硬質な美貌は今、闇の中で切長な目を伏せて落胆の色に染まる。
その姿はジャニルの知る時代の「騎士」が見れば、こぞって手を差し伸べ、その憂いを取り除く役目を渇望しただろう。
しかし、レーヴェという森の人は男だし、中身は苛烈で容赦がない。そのことをジャニルは聞き及んでいる。そして、凄くねちっこい。
ジャニルは、レーヴェと行動するのは初めてだ。存在は知っていたが接点がなかった。
「あら?。レーヴェ導師はソドムちゃんが領主してた頃には近くに住んでたんでしょ?。」
「当時は塀の人の社会に興味がありませんでした。食わず嫌いです。今は違います。ここはびっくり箱です。飽きがない。違う見方。違う切り口。私は、彼らが私の感情をどう動かすのか、楽しみで仕方がないのです。」
木々が、枝が、意思を持つように自然に道を拓く。別にレーヴェが何かしている訳ではない。精霊達が自主的にレーヴェの為に動くのだ。長老とは精霊に尊ばれる存在。尊く、同時に迷惑な存在だとレーヴェは説明する。通り過ぎるだけで、長老以外の精霊の制御を狂わせるとか。
ジャニルは、そんな未だに汚れ1つないレーヴェの背中について歩く。ジャニルとの世間話は考え事をするのに丁度良い時間だ。
昨夜保護した子供のことだ。ネビュラとザストーラの繋がりへの疑いに気を取られ、考えが至らなかった。奴隷商人系統が軍隊に接触するのは珍しくない。何かと人手が必要なのが軍隊だ。その中に目星のつく罪人がおり、吸血鬼への揺さぶりに集中して可能性を見落とした。
つまり、時越えの人とレドール侯爵の利益が衝突した。ジュール卿計画は分からないが、手配書まで発行させた案件だ。シャルという子供本人よりも重要な案件に利用中と見た方がいい。
ジャニルの優先順位は脅威の撃退。その為には、アルタイフの住人と目されるソドムとの対立はあり得ない。かと言って、レドール侯爵も敵に回してはならない存在だ。苦しい立場と舵取りに追い込まれた。
(ライドちゃんは、まだ力が強いだけの坊やだけどね。でもソドム殿と合わせれば、何よりも優先したい組み合わせよ。)
ジャニルの覚悟は決まっている。今回の脅威に対抗する地固め。それが自分の最後の仕事だと決めている。
「そうね。いいことも嫌なことも色々あったんでしょうね。」
ジャニルは内心を隠してレーヴェに同調する。実際、ジャニルは歳をとるごとに人が怖いと思うようになった。
必要とあらば心臓を貫かせ、頭を潰させることも厭わない吸血鬼だが、痛みが無い訳ではない。それが一瞬だと分かっているから耐えられるのだ。逆に継続的に痛みを与え続ける拷問の怖さは、命ある者の比ではない。
「塀の人の社会で嫌なことがある。それは私達の認識では当たり前です。野蛮ですからね。ただ嫌な相手が居るなら、離れていればいい。これも森の人の常識です。寧ろ楽しいこと、良かったと思えることがある。驚きです。」
「あら手厳しいわ。」
森の人の時間感覚は塀の人の100分の1程度だと聞く。仮に塀の人の生涯を看取ったとしても、森の人にとっては一夏の思い出でしかない。そんな相手との生活に楽しいことがある。そう言って貰えるのは嬉しく思う。
レーヴェはこれでも話し易い。価値観をすり合わせようとしてくれる。大抵の森の人はそうではない。合わないものを拒絶する。
理解が難しいのはお互い様。なのに人の社会に触れた森の人は、塀の人の社会の暮らしを好むと聞く。その熱量は強烈で、あの手この手で訴えるとレーヴェは笑う。学院はレドール侯爵の名の下、唯一森の人に暫定的な市民権を付与できる機関だ。そして市民権がなければ、一つの場所に長期滞在はできない。レーヴェもそうだが、絆を軽視する森の人が、人の社会惹きつけられるものは何なのか?。聞きても濁されて分からない。
ジャニルは森の人は若さかと思っている。
頭の良さが覆い隠しているが、基本、心は子供だ。時間感覚がずれているから根気よく見えるが、飽きっぽい。家族の形態を見ても、繋がりは良くて兄弟、子供と親にはなり得ない。夫婦も同じだ。添い遂げる意識はない。あくまで一過性。出生率の低さは、生活周期、性欲の低さだけが原因ではない。森の人の子育てへの興味は、おままごとのようなものだ。
故に変化するものに惹きつけられる。そう思っている。
「そろそろ、接敵しそうよ?。」
「私の耳にも聞こえています。塀の人もいます。精鋭ですか?。」
「ええ。吸血鬼1人に精鋭が2人ね。」
「読まれていましたか?。待ち伏せです。私は予定通り身を伏せますが戦えますか?。」
「やりますわ。でも基本は退却よ。でも今は野営地にも反対側に吸血鬼と妖魔がいるわ。ここで逃げると私たちは無視されて、野営地は包囲される。同胞への警告宜しくね。」
レーヴェは精鋭ではない。正面から身を守ることはできない。地面に隠れ、風で身を守るのは当然だ。
「まさかレジェラフが1人で来ないなんてね。」
目的はジャニルの足止めか?。野営地の包囲が完成するからこそ、それを千里眼で知ることができるジャニルは逃げられない。
もし仮に素直に野営地に直接向かってくれたなら、ジャニルは野営地の兵士と共に、背後から精鋭を挟撃し合流できた。
ジャニルは最悪の予測に口元をきつく結ぶ。ザストーラは敵側だ。
この場合、時間を遡る特異を持つザストーラを止められるのは圧倒的な物量が欲しい。変化の起こり得ない未来を作るのが、ザストーラの目的を潰す確実な道だ。そして急襲は不可能だと歯噛みする。露見する事なくザストーラの命を奪わなければ、過去に戻って可能性の目は潰される。しかし、ザストーラは吸血鬼だ。首を切られても死にはしない。意識があれば時間は戻せるだろう。時間を戻させずに仕留めるのは不可能だ。
誰だ!。こんな化け物を作り出したのは。私だ。
心の中で1人漫才を繰り広げ、ジャニルは腰の細剣を抜いて足元を蹴る。僅か8年前、落石で命を落としたザストーラを吸血鬼として蘇られたのは他でもないジャニルだ。
「預言者」ザストーラの語る未来は変えられない。統一戦争時、本人はそう嘯いていたと聞く。
景色が流れるのは一瞬、すぐに歩くように身体の自由を取り戻す。この中では、歩き続けなくてはならず、ジャニルの体の強さでは、早足が精一杯なほど体が重い。実際には身体は相当な速度で動いているが、体の自由と頭の認識速度は歩きながら動く程度に自由を得ている。体感速度と実際に細かく動ける体の自由度が違う。かつてはこの視界を得るものを剣聖と呼んでいたと言うのに、今では一流の戦士の条件だ。
ジャニルは、木々を千切れたゴミのように吹き飛ばす。岩ならともかく、木では障害にならない。
目の前に現れた精鋭はおかしな行動を取る。「迎撃役」と「挟撃役」。騎士院や騎士訓練所で行われる指揮訓練の基本の動きだ。
この訓練は挟撃の重要性、機動部隊や戦況を確認する情報の優位性、それを伝達して反映させる必要性、そう言った常識を共有するのに優れる。そして、指揮官であれば集団故の引き出しの多さ、個人であれば武器の長さ等、初心者が実践に持ち込むのに初めの拠り所となるとっかかりだが、精鋭には向かない。
個々の移動速度が違いすぎる。
1人背後が後方に止まる。
吸血鬼レジェラフだ。監視を置き、何処からでも介入を目指す訓練通りの動きだ。敵が1人しか見えないのに奇襲要員。
笑えるほど意味がない。
レジェラフは元々精鋭ではない。100年前吸血鬼化して身体能力が上がり、精鋭になった。
しかし、精鋭は戦士の格を変えるが力を発揮するには訓練が必要だ。精鋭前は「千里眼」で簡単に合わせられた基本技術が途端に合わなくなる。吸血鬼の体の強さでは、歩く行為から左右に急激に足を向けるのも楽ではない。ましてや横にずれて後ろに一歩下がると言った動作も足がはち切れる。
常に前に歩き続けて相手の動きに合わせる行為は、全ての技術の難度を上げる。尤も吸血鬼はここに重戦士の動きを交えて、一時的に足を止める手段が取れるが、相手の動きを掴み切れない状況になることに変わりはない。
「千里眼」を彼我の動きの確認や「練気」の差し合いによる動きの読みだけに使えなくなるからだ。
歩くように感じても周りの動きは音より早い。その分、広い地形を常に理解しないと壁に激突したり、崖に飛び込むことになる。その為に「練気」を「千里眼」に降りたいところだが、「霞」を維持する為には、相応の広さの地面を保護し、足を張り付けなくてはならない。体の負担を減らす為に、体の周囲に自分の「練気」を満たす「球」の維持しなくてはならない。「練気」は不足する。
ジャニルの動きを制限する役割の先頭の精鋭は、大剣を肩に乗せる金髪細身の化粧っ気の厚い美女だ。
上半身を肌蹴て晒しを撒き、腰に分厚いきものを結んでいる。商売女さながらの大剣使いといえば有名な使い手が1人いる。
ジャニルの鼻先に大剣を置くように体ごと一回転する。「霞」の中で回転するのは高等技術だ。この重量の武器を細剣で受けることはできない。しかし躱すにも横に動けば、後ろに続く精鋭との間に挟まり、挟撃が成立する。精鋭同士では基礎の2人打ちすら難しい。しかし、訓練すればできる範疇だ。
ジャニルは上に跳ね、天井を歩くかのように「窓」から覗く地面を蹴る。
ジャニルは走る前から「窓」の位置は目星をつけていた。これも準備の一環だ。同じ実力なら、戦いは始まる前の準備で決まる。
女戦士の大剣は更に半回転、地面を叩こうとして止まる。足を止めるつもりが上に逃げられ、慌てたようだ。急遽回避行動に変えて地面を転げるが、ジャニルは裏に降りると細剣を連続して繰り出し、大剣で防がせる。攻撃を置くように繰り出す。
「千里眼」の差し合いは、十分に勝れば相手の動きは手に取る様に読める。
相手を膠着させること。「霞」内での戦闘ではこれが基本戦術になる。そして、攻撃を置いて相手の動きを拘束するのに、細剣程適した武器はない。白兵戦最強は斧槍との風潮は強いが、精鋭同士の戦いでは細剣こそ最強と信じる。
ジャニルは横に逃げつつ防御する女戦士の間合いを潰すと、足の間から膝の裏に足をひっかけ、顎をかち上げる。足が地面から離れる。これが「霞」の弱点だ。加速を維持できなければ、風の壁を逆に越え、恩恵を失うと同時に強烈な風の洗礼を浴びることになる。この隙はしに繋がる程の隙になる。しかし、ジャニルは女戦士へのトドメより、次の精鋭の相手を優先する。
木々や石を薙ぎ倒し、地面を滑る女戦士は、血を滲ませて起き上がるがそれ以上動かない。動けないのだ。レーヴェの精霊術による拘束だ。伊達に英雄をも退ける脅威を封じる存在ではない。「霞」を使う戦士は精霊の影響を受け難いが、解けてしまえば精霊の力は強い。術者によって発動時間や効力は変わるが、基本、森の人の精霊力は精鋭を拘束し得る力がある。
「同族が攫われました。奇襲のようです。救出に向かいます。」
レーヴェの頭に「遠話」の声が象形図を通じて届く。
普通なら「霞」の最中の戦士に連絡を取る手段はない。それを「遠話」の実式は可能にした。「遠話」の音は音であって音ではない。振動だ。周りの音に関係なく、対象の声を相手に届けられる。この特性が、戦争の形そのものを変えた。始めから終わりまで全てだ。精鋭との連絡は些細な効果の一つに過ぎない。
「手早く無力化してして下さい。迷いの森を作り、中に閉じ込めます。」
野営地には3人の森の人がいる。奇襲を成功させるなど普通はあり得ない。森の人の血をつぐポーエン単独なら音も姿も消す手段があるが、動き始めたのは妖魔を含めた大群だ。考えられるのは、予め野営地に先に潜伏すること。見つからないほど離れた場所で、尚且つ、一足で届く距離にだ。
そんな真似、森の人が相手でなかったとしても難度が高い。事前に知らずにできる行為ではない。
ジャニルは残る1人の精鋭も瞬く間に細剣で動きを止めると空中に投げ飛ばす。
相手にならない。
これが吸血鬼ジャニルと一般的な精鋭の力の差だ。拘束された女戦士の方に投げ飛ばすとすぐに周囲の木々が形を変え始める。
急速な植物の成長。
辺りが生い茂り、一帯から2人の精鋭の気配が「千里眼」から消える。別の空間が作られ、飲み込まれたからだ。
迷いの森。
精霊術の中でも良く知られる術だ。これ程の速さで構築できる術師は森の人の長老をおいて他にいない。
と、待っていたかの様に辺りに爆音と突風が流れる。「霞」を使った風の壁を越えた時の衝撃だ。
細剣と何かが衝突する。
近くの木が風圧に負けて折れて倒れる。しかし、地面には土埃一つ立たない。
ジャニルはその一撃を一歩下がる加速で難なく受ける。打ち合った相手の武器が砕ける。
破片は散らばり、宙に浮いた。
目の前に立つのは、黒い外套を羽織る男だ。少し距離を空けて互いに立ち止まる。
顔には口だけが露出した銀の仮その髪は肩口で広がる癖毛だ。
「レジェラフ。」
1.8メールを越える偉丈夫の名を呼ぶ。元暗殺者。血を固形物に固めて操る特異を持つ吸血鬼。割れて周囲に漂う塊は、レジェラフの血で作り出した鎌の破片だ。その刃は防がれなければ岩を豆腐のように切り裂くが、相手の動きを止めるこの使い方が奥の手なのかも知練気ない。
「ローレンは人がいてはならない。脅威を太らせたいのか?。」
「外に出す前に処理するの。その為にはローレンが必要よ?。前線基地だもの。ねぇ?、だから馬鹿な真似はやめない?。」
互いに歩いて近づくと、力比べを仕掛けたレジェラフにジャニルは悠然と答える。互いに自重の100倍を超える重さを投げつけられる怪力だ。しかし、足場を「練気」で守る今は、大人同士が街角で喧嘩しているようにしか見えない。
ジャニルは紅を刺した唇を釣り上げる。細身に見えてもジャニルの身体能力はレジェラフより高い。
「なら死ね。」
「あら分かり易い。」
ジャニルは、先制に衝撃を叩きつける。辺りの木々や石が散り、振動と音は鼓膜が破れるかと思うほど程の爆音が響く。
レジェラフと呼ばれた吸血鬼も、衝撃を叩きつけて相殺する。
重戦士の生み出す衝撃は同格の戦士を圧倒する。しかし、互いに同水準の衝撃を生み出せるなら決め手にならない。
重戦士と軽戦士の動き。ジャニルとレジェラフはそれを当たり前のように使い分ける。重戦士の戦いは方は、叩きつけ、相手の行動を阻害するだけではない。軽戦士として「霞」の中で急な方向転換や停止を可能にする技術だ。この意味は小さくない。特に防御能力は飛躍的に向上する。
それでも砕けた破片は躱せない。動くたびにジャニルの体に食い込む。目が潰れ、腕の骨に達し、胃に穴が開く。吸血鬼でなければそれだけで即死だ。しかし、心臓が止まっている体は、穴が空いたくらいでは殆ど血は流れない。しかも空いた穴は、遺物を飲み込んですぐに塞がり、数呼吸のうちに遺物を吐き出す。
便利な体だが、痛みがジャニルの動きを鈍らせる。
レジェラフは精鋭の動きを自分のものにしていた。吸血鬼独特の関節や骨を逆に繋ぎかえる動きにも十分慣れていた。この80年、研鑽を怠らなかった証拠だ。ジャニルは頼もしく思うと同時に、厄介だと気を引き締める。
しかし、気を引き締めようが浮遊する破片には直ぐには対応できない。不意に訪れる痛みに手こずる間に、左手を切り落とされる。腕を再生する失血は小さくない。かと言って、レジェラフに片手で勝てる未来は想像できない。
舌打ちする。
ジャニルの腕から血管が腕の形に伸び、腕を作り上げる。
復元されるのは線の細い腕ではない。太く、逞しい腕だ。これが本来のジャニルの腕だ。
ジャニルとレジェラフは首を胴に埋め、股関節を逆に動かし、人外の稼働領域で身体を操る。骨や関節の位置は次に仕掛ける行動の間に準備する。これは白兵戦の景色を変える吸血鬼ならではの技術だ。
吸血鬼は英雄より弱いのか?。英雄が吸血鬼化すれば身体強化は大きく低下する。しかし、血の許す限り行われる異常な回復と、体の特性を活かした動きを身につければ、対人戦においては英雄時代より弱くなったと感じる吸血鬼はいないだろう。
ジャニルの刃がレジェラフの目の位置を薙ぐ。頭上半分を切り落とされながらも、次の瞬間ジャニルの左肩から肺にかけて、レジェラフの刃が埋まる。生者ならどちらも致命傷だ。しかし、吸血鬼にとっては戦局を傾ける「肉を切らせて骨を断つ」失血を賭けたやりとりでしかない。今回はジャニルの勝ちだ。
「窓」で見える地面を蹴って、ジャニルは空中に登る。少しでも上を取る為に。人の体は真上に攻撃範囲を持たない。これは骨のつなぎでも緩和以上のことができない。人の頭と腕の位置が齎す構造上の問題だ。対して打ち下ろしは常に重さが威力に上乗せできる。上を取る意味は実力が近い程重要になる、
この動きもレジェラフはジャニルについてきた。「窓」の先に地面がなくなれば落下をしつつ、地面が見つかれば再開する。これを「霞」を維持してできる戦士を英雄と呼ぶ。レジェラフは特異を持つ戦士の中で初めてその域に達したか。
次世代の確かな成長だ。
しかし、余裕の出てきたジャニルに対して、レジェラフは急速に焦り始める。
レジェラフは定期的に武器を砕き、破片をジャニルに食い込ませる。それがジャニルとの間にある技術や身体機能の差を埋めている。しかし、この特異は自ら血を消費する技だ。無限には使えず、逆にジャニルは慣れ、痛みに怯み難くなり、巧みに破片を払い除け始める。
優劣がはっきりする。しかし、レジェラフは手を止めない。程なくジャニルが、手にする刀身を高熱で赤く染め、レジェラフの脇腹から下の半身を切り飛ばす。防ごうとしたレジェラフの片手も宙を舞い、熱で傷口が焦げて異臭が漂う。宙に浮くレジェラフの上半身は、苦悶の声を上げる。ジャニルは再生の隙を与えず返す刃の軌道を変え、首ではなく反対の腕の肩から下を切り落とす。
レジェラフは地面に転がる。首を落とせば自動的に再生する。そうすれば血を失った飢えた獣が一匹生まれることになる。もうレジェラフに再生しながら意識を保てる血は残っていない。
「互いに、生前なら、俺の、勝ち、だった。」
「生前にその使い方にたどり着いたらね。それにしても、優劣が分からないお子ちゃまじゃないでしょ?。随分拘ったわね?。大した時間稼ぎもにならないのに。」
「俺を動かすのは怒りだ。貴族どもの興味は脅威の後の勢力図。前線基地の案はその皮算用の一部。脅威を前に全力を尽くせっ。それもできない愚物共に人の存続を託せるか?!。現れれば真っ先にいなくなるだろうが。」
「おっしゃる理想はごもっとも。でも、人のいない地上に潜伏される方が困るのよ。あれは結構頭いいから。」
ジャニルはそう言って、手足のないレジェラフの髪を掴むと、レーヴェの残した迷いの森に放り込む。
人が居なくなれば吸血鬼も死ぬ。その言い訳か?。言い訳なら吸血鬼こそ脅威から逃げるだろう。しかし、実際は吸血鬼は終結する。この前例こそ、脅威の前に吸血鬼の増員を安心して図る根拠だ。
レジェラフも生前は人を憎み、社会を恨んだ爪弾き者だ。しかし、その言葉をジャニルは信頼する。
「朝までに補給しないと死んじゃうわよ?。お仲間に助けてもらってね。」
迷いの森に消え行くレジェラフに語りかかた。まだ血に余裕がある。計画とは違うがレジェラフと精鋭2人を暫く無力化できたことは大きい。しかし、ジャニルの外套もボロボロだ。とても日の光には耐えられない。予備は野営地用意している。取り替えてレーヴェを追わねばならない。
ザストーラの狙いは何なのか。森の人を連れ去る意味が掴めない。
この後、野営地を後にしたジャニルは、人気のない野営地でレジェラフから奇襲を受けることになる。
レジェラフはあっさり「迷いの森」から脱出した。迷いの森の中に補給物資を準備していたようだ。ジャニルはもう一度は退けたが、逃げられ、3度目の襲撃で逆に捕縛された。
◯ジュールの陣地近郊
おれは何もしなかった。
家族が死ぬ時も、隠れ里で弟と新たな妹が殺された時も、何をしたらいいのか分からなかった。今もだ。
仇討ち。その気持ちに嘘はない。死んだ彼らに顔向けできない。
でも、なら、どうすればいいのか分からない。ただ突っ込んでも討てないことは理解した。
怪我を負わせても命に届かない可能性が殆ど。1人の討てたとしても、追われて身動き取れずに死ぬ可能性が残りの全てか。到底仇は討ちきれない。ライドは追われない為に領主の兵士になって機会を待てという。
ただの提案ではない。その為の試験資格をローレン領主の娘から取り付けた。
望外な機会だ。しかし、試験を抜けるだけでも彼方の道だ。そこに至る為の道は、ライドも分かっていないと思う。一先ず、体を鍛えること。できるところに手をつけた。そんな気がする。
シャルが羨ましい。ナリアラという指導者が事細かく道筋を示してくれる。ミンウには悩みを解く道が見えない。あやふやな道の上に目的だけをぶら下げられた。不安ばかりが胸を締め付ける。
「走り方がおかしいぞ。腿を上げて頭から尻まではまっすぐに。足を上げて、手を振って。」
騎士院生の声にミンウは走りながら応えようとする。
ライドは走ることが基本だと煩い。それは正しいと思う。獣相手に機を見て逃げるような器用なことはできない。頼れるのは一目散に逃げる為の自分の足だけだ。その自覚が背中に赤大蟻の大きな顔や大蛙の舌の気配をチラつかせる。排除できない絶対の恐怖。逃げ切れなければ喰われて終わる。
「は、はえぇ。」
それでも現実は、ミンウに未熟さを突きつける。
重い鎧を着たまま、後ろからあっという間にミンウを引き離す騎士院生の背中もその一つだ。それでいて息一つ乱れない。
「ミンウ君。その年齢の中ではかなり早いだろ?。騎士院生の1回生と遜色ない。障害物走は1回生だと上の方じゃないか?。」
「カミルが褒めるなんて滅多にないぞ。でも走り方はお世辞にも上手くない。その分伸び代がある訳だ。ちょっと練習するだけで、もう少し早くなるな。」
正直、これ程差があるとは思わなかった。おれはどの口でライドに足が速いと言ったのか。何故逃げ切れると盲信したのか。
自分の思い上がりに絶望と恥ずかしさで身悶える。
「もっと早く走りてぇ!。にいちゃん達みたいに!。どうすればいい?。」
「一先ず姿勢だ。腿を上げろ。背筋を正して胸を張れ。」
そう話す黒髪、褐色肌の青年がカミルだ。19歳だという。騎士院生年齢が15歳〜19歳。つまり最上級生。騎士院の1回生あたりの人数は20名程度らしい。今では貴族出身者は学院を目指す為、4回生は階層出身の平民が半分、商人として成功した家柄が半分だと聞く。
ミンウは指導を受けて走り込みを続ける。早くなっているのか、自分ではよくわからない。でも遅くなっている気はしない。
暫くすると、甲高い女の子の怒声が近付く。
「遊びは終わり終わり!。さっ、追うわよ。此処にいてもどうにもならないわ。」
口を髪を短く切り揃え、腰に手を当てる年上の女の子が口を尖らせて歩いてくる。女騎士院生ユイだ。快活な語り口。どことなく気品を感じる外観。自分の成功を信じて止まない自信に満ちている。
しなやかで小柄な容姿だが、出るところはきっちり出ており、ミンウの視線はその部分に引き寄せられる。
「ジュール卿は私達を意地でもストール様に謁見させないつもりよ。まるで話を聞く気がないっ。そっちがその気ならこっちも容赦しないわっ。」
「言ったろ?。あれは歳をとって周りの見えなくなった遺物だよ。老害だ。」
変わらぬ断定口調でカミルが不平を述べる。提案口調のライドと違い、カミルの自信に溢れた口調は頼り甲斐がある。
「おれも!。おれも連れてってくれっ。おれには強運があるぜ。風の柱からだって生きて帰ってきたんだからな!。」
ミンウの提案にユイは首を振る。
カミルは少し悩んで「ここから逃げる策はあるのか?。」とユイに問う。
「堂々と帰還を伝えるだけよ。逃げるなんて私達には相応しくないわ。」
「嘘つくのは相応しいのかよ。」
もう1人の騎士院生が苦笑する。この騎士院生は階層という出自を前面に出すユイとカミルからは一歩引いて見える。
「おれを使えよ。正式な客人だぜ?。」
ミンウは臆さず提案する。
人見知りはしない方だ。親にもそう感心された。母親がそうだった。ただ母は、年上にこんな口をきけばすぐに頭に拳骨を落とした。一瞬その拳骨を心待ちにした自分を自覚する。それがこない。もうくることはない。ミンウは奥歯を噛み込んで息を殺す。
ただ、何もしないで待つ選択肢はない。これまで何もしてこなかった。だから失ったのだ。
同時にこうも思う。自分が動くことで何かを変えられると。
(やってやる。いや、やってみせるっ。おれが、おれが変えるんだっ。)
何をどう変えたいのかわからない。しかし、何かをどうにか変えたいのだ。
◯地下洞窟
馬鹿げた話だ。
平民が統治を学ぶなど。
しかし、その言葉を吐いた者はソドムのかけがえのない光だ。光が求めるなら全力で応える。これは絶対だ。
ただ不安が付き纏う。彼の暮らした故郷は排他的で個人の道徳に偏りがある。白黒が明確だと言ってもいい。対してこの地は灰色だらけで、明確な区分はない。別の色も多い。この違いをどう飲み込むのか?。飲み込めるのか?。飲み込めなければどうなるのか?。
努力が正しく評価され、対価が得られるのは、ソドムの時代と同じなら自活力のある貴族と、その貴族が支援する者だけだ。平民の努力や成果は領民全体の為、より多くの糧になるように振り分けられる。平民を一括りにするなら身に覚えのない罪を背負わされるのは日常茶飯事だろう。そこに救いの手はない。寧ろ救われてはならない。そう利益が調整されている。
貴族の統治の一側面は、平民を効率よく犠牲にし、その利を如何に領地の発展に繋げることにある。
例えば平民を食い物にする不当な不法勢力も支援する。
潰す気なら数日で消える武闘派結社を統治者は撲滅しない。何故か。領主に反対する者を束ねて力を発揮させる組織だからだ。一部の利が衝突しても、他の方面で手を取り合える。自分には使えない資源を使える。この利点は大きい。無駄になどできない。
ただ、束ねる者であっても使えない「害虫」はいる。それは取決めを無駄にする者だ。会話はタダではない。人手、時間、資金と言った資源が動く。ただ「害虫」は見分け易い。空想が現実でないことを認めず、証拠や事実わ拒絶する。例えば「妖魔」。例えば「賊」、そして「聖人」だ。
その思想は都合の良い被害妄想。
ならば駆除するのか?。「妖魔」についてはそうだ。だが、「賊」や「聖人」は「益虫」に変わらないとは言い難い。全てはどう動かすかだ。その扱いの難しさこそ、統治者の腕の見せ所だ。
ライドはこれを目指すという。
割り切れるのだろうか?。この仕組みを憎み、叛乱を起こした時越えの人の話は少なくない。
人の死は領地の力の低下を意味する。まともな領主は犠牲を望んでいない。しかし、必要があれば決断する。その利が犠牲より大きいと確信すれば迷わない。例えば風の柱に消えた若者達は、情報収集兼時間稼ぎとして、最悪の事態が起きても、最小の損害で利に繋がると見込まれた。
今回の調査隊に成果がない訳ではない。寧ろ得難い成果もある。真下に野営した調査隊に、敵が過剰に反応したこと。真下で調査したことで学院生が短時間で精霊術が有効だとの検証を終えたこと。この二つだ。
しかし、それだけだ。最も重要な時間稼ぎができず、領地の優秀な力になり得た人材が全滅した。収支はどちらに傾くのか?。終わらなくては評価できないが、大損だろう。貴族会としては領主の失態であり、内部的には騎士院教員の失態だ。
現在、直下への侵入を嫌った敵が妖魔の大群を配置したと聞く。大軍を動かし臨戦態勢を取ったということは、弱点を突かれる準備を整えさせない為と見る。10割より8割の成果。敵には動けるだけの準備が整っている。対してこちらはどうか?。はっきり言えば3割以下だ。対抗どころか迎撃すら整わない。
調査隊が結論を急ぐ必要がどこにあったのか?。
実式の普及があっだお陰で無駄死にならなかったが、ソドムの時代ならあの若者達は全員無駄死にだった。
しかし、この失敗はライドには関係がない。
なのにライドは目の前で取りこぼした命に固執する。出来た筈の選択肢を選べないなど当たり前のことだ。それを失敗と呼んでは統治者どころか指揮する者として成り立たない。反省し、次に活かす責務があるだけだ。
ライドは自分の掌に収まらない過ぎた欲求を求めている。力ある者にありがちな傾向だ。しかし、理想家の行き過ぎた自省は、憎しみに変わり易い。ライドが憎しみから人の敵になった時、ソドムはどうするのか?。別の光が見つからない限りライドに協力する。ソドムに再び闇の中で生きる選択肢はない。ただ、自滅の道と分かって手を貸すのは辛い。
「ナリアラとシャルを移動させるのは分かる。お祭り将軍かサミュエル伯爵、ナリアラの依頼主はどっちかだと疑うのだろう?。でもなぜ地下が不味い?。今、地下の浅い場所には分かるだけでも4つ集団がある。動いても紛れるし隠れ易い。」
『肉だけ食べて過ごせる訳ないだろ?。それに私の時代には石を熱する加熱方法は知られていなかった。多分今でもだ。生で食べればシャル君は命関わる。それに年中日の当たらない地下にいたら気がおかしくなる。長期戦には地上への出入り口が不可欠だ。』
「地上に出ないと体の時間感覚が狂うからな。それはわかる。でも、なら何故ナリアラは移動している?。教えた湖なら、少なくとも地上に出ずに時間を知り得た。出口の宛があるのか?。」
ライドは唸る。ソドムの懸念する貴族統治への持論を理解するには遠いが、もう貴族の13歳程度の知識はあるだろう。
あと2年分も学べば、実践訓練の段階だ。
僅か1ヶ月で。しかも言葉の習得しながらだ。
特に人同士の流れ、非効率でも社会を形成している慣習への理解が凄まじい。
天才でもこの部分だけは経験なくして学べないと思っていただけに衝撃だ。
光を見て芸術を生み出し、風の流れから管弦楽曲を生み出す理解力の天才だけが天才ではない。こんな生徒の教師をしたら、自分のこれまでの努力への誇りがズタズタにされるだろう。
『貴族の手配書は市井のそれとは違う。それが侯爵主導のものとなれば、普通の貴族は絶望するよ。最低10年はみたい潜伏は厳しい。実式は追う側に有利だ。その使用者だけでも何人いるのか。それにナリアラ女史もシャル君も目立ち過ぎる。ナリアラ女史は体躯と雰囲気。シャル君は姿勢や語り口。私の時代で普通の貴族が相手なら、村の端で暮らす自由があっても数年稼げるけどね。』
「その話し方だと、一緒に居なくても潜伏はできないように聞こえるが?。寧ろ地下で生きる覚悟と手段を持ったんじゃないか?。」
『そうだといいが、私は1日でも一緒に過ごせる時間を選んだとみる。餓死を選んだとね。彼女のシャル君への態度は護衛じゃない。家族だ。』
「シャルを巻き込んでか?。」
『捕まれば同じだろ?。』
「今回が最後だと言ったな?。ジャニルを乗っ取るのか?。」
『ジャニルの体は危険すぎる。王の手足という時点で、本人も知らない仕掛けがあっても不思議じゃない。心配しなくていい。』
ライドは苦笑いを浮かべる。ジャニルをミンウの教師にしたい。その意思は知っている。
利害がぶつかるならソドムも譲れないが、ソドムにとってジャニルの体は警戒対象だ。
少なくともこの時代では普通にソドムをライドから引き離せる手段がある。常識の範疇である程、確立された方法がだ。ならば、その体に拘束の手段を仕込むこともできる。それがソドムの出した結論だ。
『ジャニルはジュール卿より「アルタイフの住人」を優先した。これを利用するのは共通認識でいいかな?。』
「勿論だ。俺は常識に疎い。ジャニルにできる範疇がわからない。だから最小限の案として地下生活を考える。後の判断はソドムに頼む。俺はその結論を実行する。」
昨夜保護した女の子がシャルと関係ないとは思えない。ジュールが裏方の役割だが、軍人なら人の確保は自前で実施する。人に頼まない。人手不足より、内密に行いたかった理由があると見る。
ジャニルはそれを感じた上で、ジュールに隠し事を作った。そう考える。理由は何か?。ソドムの監視の方が優先度が高いからだ。自分の死を選ぶ程だ。ならこの弱み、此方からも利用させて貰う。
そこで最初の会話に戻るのだが、ライドは2人を地下に残したまま守った方が安全と考えた。地上では暗殺の危険からは守れない。
しかし、ソドムは地下で生活は成立ないと考える。ライドの意見は普通なら一笑に付して終わりだ。ただ、ライドの立案には地上に出る回数を大きく減らせる説得力を感じた。それこそ、体験済みとしか思えない程だ。それでもソドムは却下する。最大の難関は食事。
どうしたら平気で大蛇の肉を食せる神経が宿るのか?。人を食った肉だ。まして出てきたら。口にできるのか?。
しかし、現実にライドは食べ、ミンウも食べだ。
ミンウは想像でないのだろうと思う。ライドは違う。肉は肉と意に介さない。
「もう一つ確認だ。根本的な疑問だが、助けていいのか?。元領主の視点では。」
『いい訳ないだろう?。』
ライドの胡乱げな質問にソドムは即答する。ライドの口からため息が漏れる。
「だよな。俺が諦めないからか?。」
『違う。私は領主じゃないぞ?。この選択が何を生み出す為のものかも分からない。何故侯爵に忖度しなきゃいけないんだ?。立場が変われば選択肢が変わる。例えば勝手な忖度で家族を見殺しにできるか?。貴族は違う。強要される。生きる時間が長くなれば、貴族、特に領主は自分が貴族であることを呪うものだよ。どんな言い訳で逃げ切れたとしても、その悩みと外圧は変わらない。』
ソドムの言葉にライドがポカンと口を開く。その反応にソドムは良い機会だと思い直す。
『難しく考えすぎだ。一貫性を他人の評価に求めるなよ?。他人とは状況も立場も違う。』
他人からの評価が一定になるのは良い部下だ。しかし、それは背負うもののない判断だ。
ライドが目指すのは故郷への施政。領主の判断だ。良い部下を目指す意味がない。そして、ライドには合わない道だ。
『領主が誰かを見捨てたくて選択してると思うかい?。質問しよう。ライドは領主だ。その領地に余命数年の病気の数十人の子供がいて、平和で善良は両親と子供の3人家族がいるとする。何方も平民だ。ここに子供の病を治し、子供数十人分の仕事を与える提案を受けたとする。条件は3人家族の死。商人の提案は本物で、一家が死ねばすぐにでも実行される。何を選ぶ?。何もしないのも、商人を罪人にするのも追い払うのも選択肢だ。』
「極端だな。」
『直接じゃないだけで、領主は命に繋がる資源の投資先を日々選ぶ。選ばれなかった方はしに近づく。選ぶ時、選択されなかった方の死に様は常に脳裏を掠める。それを数字として処理するなら、その領主は凡愚だ。潰れても同じだな。高位の領主は常に背負った上で断行する。だから侯爵なんて敵にするものじゃないんだよ。』
資源は有限だ。
投資先は持てる者しか選ばれない。生活に余裕がなければ、投資は生活に消費され、領地が発展しないからだ。領地が発展すれば、豊かさは領民全体の生活を向上させ、そこには持たざる者も含まれるからだ。
だが、持たざるものへの恩恵は常に少ない。そして、持たざるものの不足は命に直結する。その命を救えるのは領主だけなのに、その領主が選択しない。何故か?。発展が止まり、対外的に弱くなれば滅ぶからだ。
選ばねばならないから、常にその選択は最善だったと信じるのだ。
その選択から解放された今、領主と交渉するならいざ知らず、何故勝手な想像で忖度するのか!。してたまるか!。
ソドムは全力でそう思う。
『ライドは自分で商いをした方がいいな。何処かで利を得なければ助けたい命を守れない。利ばかり目指すのはオススメしないが、自分の掌の大きさを見間違えれば、自分も相手も救われない。ジャニルが失敗したのはそこだよ。自分1人の負債を肩代わりしたくらいで何ができる。商売を舐めすぎだ。逆に商人は持てるものに負債を押し付ければ、何倍もの命を救える。その為には、自分の掌を見極めることだ。掌に乗らない事案は切り捨てることだ。無駄は自分の掌を小さくする。』
ライドの根性を叩き直すには良い方法の一つか。誰かの為に誰かを不平等に扱って収支を得る。多少損をしても金持ちは痛くも無い。でも、路銀一つ払いきれない村に安く卸せなければ数十人が飢えて死ぬ。
しかし、貴族にとって資源は有限だ。その資源を、自分という商人を通してどう活用させるのか。良い商人にはそれができる。
口先であれ、先見の明であれ、立案と実行力の高さであれ。
『まだ夜には時間がある。少し方針を固めよう。ライドは食事でも準備してくれ。本当の補給物資も放置できないだろう?。』
「そうだ。」
ライドは腰を上げる。
『シャル君には犠牲を求められている。何故か?。一先ず、この命題はどうだい?。』
「続けよう。」
『シャル君は何故追われているのか?。まず事実だ。父である男爵が裏切り、逃そうとした母が殺された。そして、隠れ里での一件を見る限り、シャル君の命を奪いたいのかと思えば利権が優先で今も放置だ。手配書の件と言い、シャル君は別の目的に利用する為に選ばれたと見るよ。まるで平民の扱いだな。奪われないように注意しながら死の時期を調節している。此処でシャル君が貴族ではないって選択肢はなしだ。ナリアラ女史への依頼主は利を見込んでいる。これが平民でしたじゃ、シャル君自身に相当な秘密がなければ成り立たない。死なすより活かす。今の状況と合わない。此処に関わるジュール卿の思惑は?。』
「意趣が変わったってことはないな。この数の戦士の裏方を任される実績と信頼がある。」
『同意だ。軍の指揮官には利害関係者への証明が必要になる。これだけの軍だ。領主は恐れるよ。記憶の確認が使われないとは思えない。偽装できても違和感は残ると言ってたしな。嫌疑が分かるだけで十分だ。』
「活かす意味で飴の役割は?食べたことがないが。」
『有り得るな。一旦確保だ。他の可能性は?。私は・・・。』
そんなライドとの話合いは仮説への対応を含めて、闇が辺りを包むまで繰り返された。
◯野営地
学院が機能して50年。今のところ、長居した森の人で、森に帰りたいという声は聞こえてこない。
成人した森の人は感情を失い、自分の生死が認識できずに消え去ることを恐れて生きる。森の人は寿命がない。しかし、感情が無くなれば、消えてなくなる。そこには何も残らない。死体すらだ。生きていた事実が何も残らないのだ。
そんな森の人にとって、塀の人の社会は最高の環境だ。塀の人の営みは記録から始まる。事あるごとに記名行う。この記録は管理者のいない森の人とは違い、誰かに引き継がれる。それが何ともこそばゆい。そして、記録は日増しに増えるのだ。
また、塀の人は「仕事」という役割を熟して生きる。これも名前と形が残る不思議な体験だ。
森の人同士では難しい共同作業が、塀の人とは比較的やり易いこともある。何より必要とされ、巻き込まれる。精霊術は何事にも便利だからだ。共同作業に必要なのは、睡眠期には夜に寝て、朝に起きること。塀の人は群れで生きるが、生活習慣が不気味な程揃っているが故に群れ易い。森の人はそこに少しの苦労だけで入り込める環境がある。
更に塀の人は簡単に死ぬ。言葉を交わす相手の死が、己の死を明確に思い描かせてくれる。その死に様は醜く汚い。醜悪と言っていい。しかし、逆に森の人が「輝き」と呼ぶ程惹かれる死に様もある。何かを目指し、残された者に引き継がれる意思のある死だ。
「輝き」は呪いとも言える。
ハニハルにも互いに友と呼び合った塀の人がいた。その友の残した願いの重みを噛み締めるたびに自分だけの「輝き」だと思い知る。自分の生きた証を示すとき、その中心に飾ると決めた誇るべき勲章だ。
そして、塀の人の営みから出られなくなった。友の意思を継ぐには塀の人の中にいなくてはならないからだ。おそらく、それは今後も増えていく。森の人にはそれだけの時間がある。
塀の人の社会、そして塀の人とは、森の人にとって何なのか?。最近、一言では表現できないその問いをよく繰り返す。
ハニハルは2人の若者をみる。
レンドレルは80歳。性別が定まり、機能が作られ始める年齢だ。彼は森の人とは思えない程、頭から湯気を立たせて生きている。
ティパーツは落ち着いた女性だ。逆にまだ180年程だというのに感情が乏しい。学院に来て10年。高等生として暮らしている。
彼らも何れ、塀の人の社会に定着するだろうか?。して欲しいと思う。
ハニハルには、夜の闇の中、ぼんやりと景色を見渡す。
火の精霊が温度の違いを色で浮かび上がらせる。境界線は曖昧だが形を知るには十分だ。
夜は長い。時期ではない森の人にとっては闇も活動時間だ。
野営する塀の人の兵士達が寝静まった頃、ジャニルは静かに迫る集団の音を聞く。
それは2速歩行で大きさがまちまちの集団。妖魔だろう。
「夜襲っ。」
その音を耳にしたのはハニハルだけではない。最初に動いたのはレンドレルだった。
風の守りで身を覆う。体の周りに逆方向の薄い風の層が精霊術だ。周りには殆ど風が流れず影響がない。
仲間内では学院式と呼ばれている。その成果の一つだ。
夜襲を仕掛けたのは予測通り妖魔だった。しかも5メールを超える大型もいる。30年以上生き延び、10歳前後の塀の人並みの知恵を持つに至る妖魔だ。普通なら50を超える集団にしかいない妖魔だが、今襲来する妖魔は30人ほど。
対して塀の人の兵士は20人。妖魔は人数で劣る襲撃はしないが、どう見ても塀の人が有利だ。
何かおかしい。
間をおかず、ハニハルの身に10本程の矢が降り注ぐ。矢は風の守りに当たると粉々に砕けて消える。
この近くに妖魔の住処、その出口があったか?。耳に聞こえた移動の音は、突然近くから生まれた。
塀の人が戦闘を始める。すると、すぐに辺りが闇に包まれる。
焚き火が消された。
妖魔の中に精霊術を使う者がいる。森の人の女性を母体とする精霊術を嗜む妖魔。その存在を許す訳にはいかない。ハニハルは闇の中を精霊術を纏う妖魔を探しに地面を蹴る。
ハニハルにとって5メール級の妖魔などいてもいなくても関係のない相手だ。レンドレル1人でも余裕で撃退できる。個としての森の人の力は絶対的な強者だ。個人で対抗するには塀の人なら精鋭を。土の人なら穴蔵という地形と優れた戦士が必要だ。
辺りに光が広がる。ティパーツの作り出した実式の光だ。辺りに光が満ちる。これで塀の人の兵士が遅れをとることは無くなった。すぐに小鬼達の数が減り始める。後ろで弓を構える塀の人並みの妖魔達が火に包まれる。のたうち回る姿に冷笑を浴びせるのはレンドレルだ。
火の精霊を妖魔に纏わりつかせている。火は命を奪うのに最も適した精霊だ。呼吸を阻害し、皮膚に絶え間ない痛みを与えて神経の自由を奪う。精霊に纏わりつかれれば燃えるものがなくても消えることがない。風や水の精霊で即死を狙う方法もよく使われるが、少しの間は自由に動かれる上に、使用条件が厳しい。大人数に適した手段だ。対して火の精霊は少人数間に適している。水の中でなければ、大雨でも消えることはなく、燃え移ることもない。
ハニハルは風の守りを身に纏い、闇の中に銀の刃を光らせる。土の中に消えることも、風の中に溶け込むこともできるが、レンドレルのように火の精霊を消しかけることも、ティパーツのように明かりを飛ばすこともできない。それが精霊術をも身体強化に利用するハニハルの欠点だ。
ハニハルは両手に持つ幅広の短剣を振り回して、精霊術を使う妖魔を探す。小鬼と呼ばれる子供の妖魔を紙のように刻み、やがて、頭飾りで囃し立てた目的の妖魔の首を刎ね飛ばす。誰とも知らない同族への供養を込めて。
その喧騒と絶叫の中、ハニハルの耳は布袋を割き、水気を掻き混ぜる不快な音を聞く。桶から水をぶちまけたような音だ。
「久しぶりだな。おじ。」
振り返るハニハルの目に、ディパーツの腹に手首まで埋め、グチャグチャとかき回す濃緑色の外套の男が映る。
50メールは離れているが、その声はまるで隣にいるかのように明瞭だ。風の精霊で飛ばしている。
ディパーツの口から液体が、冗談のように大量に吐き出される。浮き上がった足は痙攣し、垂れた首は動かない。
腹を破り、その中を混ぜるが、殺す気はないのか心臓は狙わない。
森の人の体の構造は塀の人と同じだ。ただ体液が赤ではなく、水と同じ。吸血鬼ほどではないが、高い回復力と強い生命力がある。
「貴様っ!。」
同族への危害は塀の人への被害とは違う。鋭い怒りを伴う。
しかし、その声に呼応するように、ティパーツの背後に別の妖魔の足音が立ち上る。
精霊による守りは、一定以上の実力差がない限り、基本相殺される。精霊術が相殺されれば、森の人に吸血鬼の身体能力に対抗する手段はない。精霊術を扱い、精鋭並みの強さを持つ怪物。吸血鬼化したポーエンを見て、ハニハルは森の人への脅威を再確認する。
「このくらいしないと大人しくならないだろ?。俺は森の人に詳しいんだ。」
ポーエンの冷笑が耳元に響く。ハニハルは迷わず実式の遠話でレーヴェを呼ぶ。一度に出せば、兵士に損害を与えられただろう妖魔を態々二手に分けたのは時間稼ぎの為だ。
ハニハルがあの妖魔の群れを突破して、ポーエンを追うのでは間に合わない。しかし、レーヴェが戻ればその目論見も無駄に終わる。彼の精霊術は精霊自身の助けもあって、普通の精霊使いとは別の次元にある。移動速度なら精鋭に引けは取らない。
『長老を呼ぶのかい?。生憎間に合わないよ。迷いの森を使うからね。ではさよならだ。おじ。』
異変に気がついたレンドレルが怒りと憎悪に満ちた声を上げる。しかし、もう間に合わない。
精霊の言葉を使わなかったのは、ハニハルにだけ聞かせる為だ。
してやられた。
しかし、それ以上に長老の行動を予知するかのような言葉が気にかかる。迷いの森を使わせる仕込みを終えているということか?。まるで野営地を予測していたような対応といい、ハニハルは喉喉の渇きを覚える。
この場がこのまま放置されることなどあるだろうか?。
中途半端な打撃ほど危険なことはない。やれるならやれる時に再起困難まで叩く。それが基本だ。此処にいるのは2人の森の人。塀の人で言えば精鋭2人だ。この戦況は叩かれる側なのか、叩く側なのか。この判断が難しい。
逃げるなら今しかない。
追うのも今しかない。
指揮官が現場を離れるのが悪い。指揮官なしで誰が退却できるのか。
利用させて貰う。
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