第15話

レーヴェと名乗った森の人が、ジャニルから聞いた実式を生み出した最初の森の人らしい。


ジャニルの話す人物がここに来る予定の森の人とは驚く。


ジャニルは今晩は誰にも合わなかった。それが1番面倒がないと説明する。その理由の一つはジャニルが抱える布に巻かれた女にある。ミンウとほぼ同年代か?。おとなしい。寝ている訳でも意識がない訳でもない。魂が抜け落ちたように放心する。ジャニルは預けてくると言い残し、吸血鬼を含めた罪人を森の人に預けて別方向に消えた。


少女はジュールに届ける為に運ばれていたという。つまり、買い手はジュールだ。運んでいた商人は人買いに人を売って歩く人攫いとか。まとめて人攫いで良さそうだが、販売する元請け人買いと下請けでは罪の種類も商売の扱いも違い、一緒にはできないそうだ。


今回、ジャニルはその商人の進路に態と捕虜を待機させた。捕獲されていないだけで、手配されていた重罪人だ。手配された罪人の捕縛は本来衛兵の仕事。罪人なら誰が捕らえても問題ないように思うが、部外者の仕事への立ち入りは、自分達が無能と扱われたととられ、反感を買うらしい。


「メンツの問題で文句を言うなら無視するんだけど、真面目で熱心な人から言われると辛いわ。私に邪魔する気はないんだもの。」


ソドムと違い、ジャニルは慎重で、かつ判断と行動が速い。最善策より安全な次善策を選ぶ。その判断基準は実績だ。


ソドムはジャニルを「前衛」、軍の指揮官の経験があるとみる。


因みに散々罵り合ったレンドレルは、レーヴェと共に学院から派遣された森の人だった。何故吸血鬼の味方をと、自分の行為を棚に上げて騒いだが、その理由はジャニルの細剣にあると言う。その銀色の刃は森の石と呼ばれる意思を持つ硬い植物で、森の人にとって一人前の証らしい。


「ジャニルは森の人か?。」

「違うわよ。友人から譲られた遺品。」


滅多にないというが、譲り受けた相手が森の石に認められることがあるそうだ。認められたのが塀の人でしかも吸血鬼と知ると、レンドレルは目を剥く。森の人にとって、その石は失われた森の人の意思と看做されている。若いレンドレルは半人前扱いだが、ジャニルには、一人前の敬意と信頼を行使できる立場にある。


歯痒い規則だ。盲信に近い。


レンドレルの目が、塀の人風情がと言いたげに紅潮する。無表情で目だけ輝かせるレーヴェとは正反対で分かりやすい。


最後に転がされた吸血鬼だが、ネビュラと言い、瞳術という催眠術の特異を持つそうだ。軍のような人の多い場所に入り込まれると手がつけられない。ライドが風の柱から落下中に聞いた笑い声の主だ。しかし、捕縛できたと言うのにジャニルの声は暗い。


理由は同じく捕縛された精鋭にある。この戦士は本来ミラジ方面の封鎖を担う中核らしい。つまり、ここに現れたのはネビュラは仕算段を整えた後の可能性が高いとのこと。風の柱の発現より以前から準備されていたとなる。捕縛されるのも想定や計画の内。その疑いが拭えない。


「レーヴェ導師に記憶を確認して貰わないとね。」

「記憶を鵜呑みにしないで下さい。自分に催眠をかければ虚像で記憶は隠せます。虚像であることは分かりますが、その奥が見える訳ではありません。」


レーヴェの返答は頼りない。記憶を見れるとは画期的だが、そこまで便利ではないようだ。


この夜のことはミンウは知らない。


少し横になったライドは、朝早く到着した騎士院生の起こした喧騒で目を覚ました。


騎士院から派遣された代表らしい女は、開口一番、ジュールに対して従軍を拒否して見せた。


さも当たり前のように。


「私達には不参加の権利があります。兵士ではありません。」


言われたジュールがポカンと口を開く。


「聞き覚えのない権利だが、ならば君達は一体何をしにきたのかね?。」

「我が騎士院の平民か起こした不始末のお詫びに参りました。誠に申し訳ございません。騎士院を代表しまして謝意を表します。」


そう口上を述べて深く礼を行う女は、スタイファ達と同じ鎧を着ている。


「手ぶらでか?。貴公の教官はどこにいる?。」

「手ぶらとはご冗談を。第二階以上の者を集めて参りました。良いお手伝いができると自負しております。」

「従軍はしないと言ったな?。何を手伝うつもりなのか?。」

「騎士院生徒には従軍の拒否権があります。ご理解頂けていますか?。」

「我れらのレドール領にはない規則だ。続けてみたまえ。」

「近々学院から森の人が来訪されると聞きました。彼らと接する機会をお与え下さい。彼らのお世話をさせて頂きたく思います。」


話が噛み合わない。騎士院生は協力はしないが経験を積む為の機会を寄越せと言っている。謝罪に来た者の態度ではない。


ライドはソドムに「第二階」について聞く。ソドムは知らないと首を振る。しかし、その言葉を聞いたミンウは小声で耳打ちする。


「男爵や勲爵、どっかのお偉い貴族の末弟もかな?。そんな親を持つ子供が第一階、孫が第二階だよ。貴族様じゃない貴族様って奴だ。」


ミンウの言葉に騎士院の女がにこりと微笑み肯定する。ジュールの後方に控えているが互いに声の届く距離だ。


「平民は平民だ。」

「私達のように貴族を親族に持つ子は領地運営の財産てす。長い間、貴族様と平民の間に立ち、双方の常識を知るが故に特別な役割を果してきました。その働きが正当に評価されたとご理解下さい。」


ジュール卿はこれ以上なく大きなため息をつくと騎士院生に待機を命じる。


「ジュール卿。ストール様へのご挨拶の機会を頂きたく思います。騎士院より書状を受けております。」

「私が受けとろう。」

「直接お渡しさせて頂きたく。」

「図に乗るなっ!。」


ジュールの怒声に辺りの木々が震え、ミンウが耳を押さえて屈み込む。ロニに負けず劣らずの大声だ。


「作戦中だっ!。そもそも侯爵家第二席であらせられるストール様に平民が直接謁見できると思ったかっ!。身の程から勉強し直せっ!。」


怒鳴られた騎士院生の女は、耳の痛みを抑えて顔を顰めたが、それでも毅然と見返し、謝意を示して一礼する。


「待機だ。書状は天幕の係のものに預けよ。その気がないなら持ち帰れ。それが分相応だ。教官にそう伝えよ。」


ジュールは重ねてそう言うと、体より2回りは大きな鎧を揺らして踵を返す。


おそらく「遠話」での報告、連絡の為だろう。残されたのはライドとミンウを見張る兵士2人と5人の騎士院生だ。


「年寄りだな。古すぎる。」


後方に控える騎士院生の一人が呟き、代表の女も口角をあげて同意する。


「はいそうですかと引き下がる訳には行かないわ。貴族に連なる私達をその程度と言わせない。それにしても、何でスタイファ達は従軍を断らなかったのかしら?。ジュール卿と直接お会いできたことは喜ばしいと思うけど。」

「私は幻滅したよ。時代と現実が見えていない。ただの老害だ。」


騎士院生達は少し離れてこそこそと話す。しかし、「知覚」範囲内なら耳まで良いライドには筒抜けだ。


「なぁ。おれたちも待機か?。」

「待機だ。」


ライドに尋ねたミンウに、監視役の兵士の方から返事が飛ぶ。


『良くない兆候だね。』


ライドから騎士院生の意識を聞いたソドムは、苦々しい声で憂慮する。


『平民が地位を求める。生まれや組織に勝手な価値をつけたがる。少し平和になると起きることだ。村では僭称が始まってるかも知れない。』

「「せんしょう」。何だ?。」

『自分はこの役職に相応しいと任命されずに名乗ることだよ。権利を要求する為にね。村長の僭称はその代表だな。野盗対策に武装して腕利きもいる。税を奪いにくる徴税官なら追い返せる。そして、塀の中の食糧を支えている自負がある。』


領内の対立構造は、他の貴族から見れば利権を奪う為の餌場だ。領主はこれを見過ごす訳にはいかないと言う。


『かと言って軍を常駐させれば、村人が圧迫感を受けて反感に繋がる。村と離れた場所に戦力を集めた派出所を作れば、内通者で溢れて敵側の埠頭になる。何をしても何処かが歪む。領主はそう言った歪みの進行を抑え、又は最初の状態に戻すことを繰り返す。今回は御遣い騒動や暴動の鎮圧で無理をした弊害かもしれないね。領主の統治力を上回る速度で欲求が浸透したかな?。』

「よく分からないな。」

『対応が後回しになった場所から不満が芽吹いてる。そんなとこさ。』


話の範囲が広大だ。身分と社会構造が複雑すぎる。


「騎士院生の言い分は何だ?。」

『貴族の常識に慣れている使用人は重宝される。彼等は貴族の教育は受けているようだね。彼等の主張が生まれる下地はある。自分達が重宝されている事実が特権意識と結びつく。普通の平民では就けない待遇の良い職場なんだけど、優遇された状況は当たり前で、その上で権利を求めた感じだね。』


集落の長の子が、高い教育を受けて有能と勘違いするようなものか?。


『この思想を公に貴族に言ってのけるとは騎士院の管理者は領主の縁者か、それとも重臣の縁者か。どっちにしても信任を受けて隠れられる立場がある。そして、思想を広めたいと思ってる。騎士院の卒業生は毎年衛兵に配属されるから裾野は急速に広まる。危険な行動だ。神の統治代行者たる貴族会が、広がろうが平民の思想を認める動きをすると思うかい?。このまま教官が来ないなら、騎士院の行く末は送られた騎士院生に委ねられることになるかもしれない。近づかないでくれよ。ジュール卿かジャニルの目の届く範囲で行動して欲しい。巻き込まれればライドには申し開きの機会はない。』

「あの子供が自滅する場合は、処刑まで見届ける気か?。」

『見届けずに離れて欲しい。君が手を差し出せば一緒に溺れる。自覚してくれ。未納税者の上に領地の生活循環に参加していない君は、領主にとって最も不要な存在だ。』


分からない単語の連続だ。返答に困る。ソドムに単語の説明を受けながら、騎士院生の立場を考える。


「知らない」ことが分からないのは若者なら当然だ。ただ、それが許容されない状況にある。


騎士院の教員は分かっていて送りだしたのだろうか?。


「にいちゃん。断片的に言葉が漏れてんぞ。兵士のおっちゃんの目が怖いからやめてくれよ。」


ミンウは見張りの兵士に「よく言った」肩を叩かれて褒められる。


精神的に強い子だ。そして人に好かれる性質のようだ。胡散臭がられるライドとは正反対らしい。見張りは若いライドを怖がっている。体格差の怖さを知るゆえか。ライドはしかめっ面を抑えて、形だけでも笑顔を浮かべて、見張りの兵士に対応する。


昼を終え、午後になるとフードを頭から被ったジャニルが戻り、ジュールに報告にくる。


丁度ジュールも連絡の為に兵士の休憩所におり、ライドもまたその側にいた。


「レーヴェ導師が来られたか。」


ライドはジャニルが連れてきた森の人、4人の華奢で華やかな姿を眺める。黒と土の世界に黄色と緑の鮮やかな色が広がる。森の人は日の光の下でこそ映える容姿だ。水面に反射する光のように輝いてさえ見える。


森の人は兵士と違い、「馬」の背に椅子も、口紐もつけていない。昨夜争ったレンドレルもいるが、互いに素知らぬふりをする。


その美しい姿に兵士が感嘆の声を上げる。しかし、女日照りの兵士が漏らす声には性的な色がない。森の人の美しさは彫像のように硬い。そのせいで色の対象となり難い。切長な目、頭の頂に届くかというような長く尖った耳、唇は殆ど赤みがなく、その大きめな眼は人は細く見開かれ、身長の高い塀の人たちをそれでも見下ろす仕草をする。その姿勢が更に反感を買っている。


「すげー嫌な感じ。」

「精霊使いは口を使わないで会話する。その時はあんな顔だ。」

「にいちゃん、森の人に知り合いでもいんのか?。」


ミンウの感想に、ライドが懐かしさを覚える。


子供同士の間でも精霊と交信できるものは少ない故に浮きやすい。集落の教育でよく交わしたやりとりだ。


「いきなり頭触んなよ。時々、誰かの代わりにしてるだろ?!。失礼だぞ!。」

「よくわかったな。」

「一々おっさんクセェっ。」


ミンウの言葉に、見張りの兵士も同調する。2人の見張りとも、朝からミンウを通じて会話が増えて来ている。


「ライド君は18なんだってな。18って言ったら頭の中は女だろ?。森の人見てなんとも思わないのか?。ミンウは休みの間、女の話を聞きに来てたのに。ライド君は裸で動く方が楽しいとか言わないでくれよ。おじさんなんか、今でも頭の中は酒と女だけどな。」

「断っておくが、俺も男の裸はお呼びじゃない。女に限る。それに、あれは鍛錬だ。」


ライドは不機嫌な顔で訂正する。


今朝の鍛錬の噂は既に周辺に広がっている。これから先も一々訂正して回らなくてはならないのだろうか?。


おじさんを名乗る2人の男は、一しきり大笑いするとライドに良い女の見分け方を教えてやると武勇伝を語る。


暫くすると、ジュールから兵士に、ライドとミンウを連れてくるように指示が飛ぶ。2人の見張りが緊張して敬礼する。この後衛の陣地にはジュールしか指揮官がいないようだ。人手が足りてない。更に精鋭として働けるジュールを後方の警戒に当たらせるにしては、戦力が少なすぎる。


その時、外套を畳む森の人たちの前にするりと女が現れる。騎士院生だ。


「知覚」で気がつけなかった。その弱さが神出鬼没に感じられて恐ろしい。ディーンがライドを毒殺に弱いと評した理由もよく分かる。


「お初にお目にかかります。学院からよくおいでくださいました。ユイと申します。お見知り置きください。」

「何でしょう?。」


森の人が1人、ゆっくり立ち上がり、騎士院の女に相対する。レーヴェだ。何とも色のない美だ。絶世の彫刻というべきか。声まで涼やかで凛と響く。そんな森の人の声に、周りの兵士が騎士院の女に気付く。見れば方々で他の騎士院生が兵士に追い返されている。囮が警備の輪を広げ、そこに女が滑り込んだようだ。言うのは簡単だが手際が良い。集団行動をよく学んでいる。


「調査に同行致します。何なりとお申し付けください。」

「不要です。」


レーヴェは短い返答で切り捨てると、荷物解きを再開する。ユイと名乗る騎士院生は呆気に取られ硬直する。対応した森の人はその切長でまつ毛の長い瞳をゆっくりと瞬きし、立ちすくむユイを再度見る。声が若干低く、体付きががっしりしている以外、男女の差が分かりにくい。身長もユイより指の先ほど大きいくらいだ。塀の人の男で言えば、平均より低い。


「分かりませんか?。私達はレドール侯爵の客人として参りました。周りの反応を見なさい。貴方は歓迎されていない。」


そう言うと、軽く会釈し、レーヴェを初め、森の人はジュールの方に歩き出す。


「客人は待機だ。騎士院生もなっ。ローレン領主から頼みがなければ追い返してるぞ。残りは搬入者の手当、そして、前線と交替を前倒しする様に伝えろ。戦闘準備に入れ。ダリルは寝ているなら叩き起こせっ。」


ジュールは指示を出す。


まだ昼過ぎ。辺りは光に満ちている。


案内された先は先日ライドが忍び込んだ大きな天幕だ。中での話が筒抜けだが目隠しはある。その天幕には先日あった立派な机や椅子はなく、鉄製の箱のようなものがいくつも地面に転がり、端には机と羊皮紙の束が積まれている。


「飲み物も用意できず申し訳ない。今、人が出払っていてな。」


そう言って、ジュールが自ら鉄の箱を移動して簡単な円陣の席を作る。当然、ライドとミンウに席はない。


「不用心では?。」


森の人が無感情に口を開く。


それに対してジュールは、老骨の命にそこまでの価値はないと笑い、自分は勲爵士故に下働きは慣れていると言う。


『勲爵士には見えないね。貴族の振る舞いが染み付いて見える。』


ソドムは器用に相手に接する、接しないを繰り返しながらライドに話しかける。


ジュールも見えているのに、ジャニル以上に遠慮がない。貴族の序列的な何かだろうか?。森の人にはやろうとしない。


ジュールが勲爵士である理由は後々街の紙芝居を見て知った。元々子爵家の跡取りで、家が断絶して平民になった訳ではなく、自ら捨てて平民になったと。その理由は戦に出て、仲間を助ける為。貴族の跡取りは血を流すことを禁じられ、それに反発したらしい。仲間の為となっていたが、それだけとは思わない。その後、実家の妨害を越え、自力で貴族に返り咲くが、その過程を描く歌や芝居が人気だそうだ。


「改めまして、レーヴェと申します。」


レーヴェが、塀の人風の礼をする。形をなぞっただけの礼だ。言葉や対応にずれを感じる。


「ハニハルだ。宜しく。」

「ティバーツ。」

「レンドレル。」


ティバーツと名乗る森の人は女だ。キツい性格そうに見えるが、体型も顔つきも柔らかさがある。このティパーツとレンドレルが顎を少し上げて無表情に名前だけで自己紹介をする。その仕草は相手を見下ろすようで傲慢に見える。精霊を介して話あっているのだろうが、少しは前の二人を見習って欲しい。しかし、その対応をジュールも気に留めない。


『今は森の人は準貴族扱いなのか。こうして席次を見ると不思議な気分だよ。』

「若い2人の対応が少しずれてる。」

『考える時間軸が違うからね。仕方ないさ。聞かれてすぐ答えるだけでもこの4人は塀の人に慣れてる。私の知る森の人は、ため息が出るほど返事が遅い。』


森の人に寿命はない。キャシーはそう言っていた。


(似てる。)


ライドはティパーツと名乗った女を凝視する。伴侶は緑髪で癖毛、体格は肉眼的で塀の人に近く成熟した女だ。容姿に似たところはない。しかし、声は驚くほど似ており、仕草は重なって見える。出会った頃、無表情でぶっきらぼうだった伴侶そのものだ。


そして、もう1人。ハニハルと名乗る森の人に「力」を感じてライドは目を細める。森の人には戦士長は居ないのではなかったか?。確かに力不足に見えるが、十分候補に入る。


「レーヴェ殿に求める期間は今日から丸3日。できれば4日稼いで貰いたい。」


ジュールの言葉にレーヴェはしれっ承諾を返す。自信に溢れた返答だ。


しかし、ジュールは確認することもなく謝礼を述べる。その信頼は実績から来るものだと感じる。


「護衛の兵士を20人出す。奇襲作戦に慣れた兵士だ。よろしくお願いする。」

「お願いされます。先程合流しました。赤大蟻の洞窟の件は、此方のハニハルが対応します。一昨日から昨夜が睡眠の時期でした。今日活動して、夜には此方に戻します。」

「困りますなぁ。1人此方に残す約束では?。」


森の人は5日ほど昼夜問わず活動し、2日程眠るという。種族の違いを感じる生活習慣だ。


ソドムの話ではこの昼夜を問わない個々の睡眠周期が、森の人同士での協力関係を難いものにしているらしい。


学院で森の人はまず、この睡眠期を夜に固定して体を慣らす訓練から入るとか。


ソドムの評価では、森の人はのんびり屋な反面、興味に惹かれて彷徨う子供のような性格らしい。それはレーヴェを見るとそう思う。本来、ローレンの守りの要として呼ばれたらしいが、勝手に計画を変更してここにいる。傍迷惑だが許される実績があり、呼んだ方も予期しているとか。


英雄扱い。そんな言葉が脳裏をよぎる。


封ずる者を名乗り、その名前の対象は脅威全般に及ぶ。赤大蟻を封印したのもレーヴェらしい。実式の開発者で森の人の長老と呼ばれ、機敏な行動力を併せ持つ。それが護衛もつけずに前線に出たがる。個人能力は高いが、連携は皆無。結果、急遽護衛に回されたのが森の石を持つジャニルだ。ライドを追ってそばに来ていたのが運の尽きだと嘆かれた。


ジュールはレーヴェの協力期間短縮の申し出に、無感動で頷き顎を撫でる。


「相手の吸血鬼は3人です。風の柱の発生を止めるのは難しい。発生後に止めることになるでしょう。それにはハニハルの力がいります。」

「分かっている。だが帰還の折には無償、かつ優先のご協力を。」

「私も含めて睡眠に入ります。その寝床の提供と交換で。」

「成立ですな。」


レーヴェの言葉にジュールは鷹揚に頷く。満足そうだ。ジャニルが小さく苦笑している。


『ジャニル殿が事前に根回ししていたね。予定調和の会話だ。実式の発明者が遠話の利用に疎いとか笑い話だよ。ジャニル殿は苦労性かな?。』


ソドムの感想に同意する。連絡のない相手との仕事はやりにくい。特に現場では致命的な齟齬を生みかねない。


「じゃ、私の方で考えてる計画を伝えるわ。覚えておいてね。」


話が一段落すると、ジャニルは相手の戦力を見立てた計画を伝える。


昨夜捕縛した吸血鬼ネビュラだが、ジャニルは解放されると読んでいる。その論法は単純だ。


何故昨夜、後ろで控えていたか?。ソドムに乗っとられるのが怖かったから。つまり、ソドムの情報を得られる頃には軍の側にいたと考えられる。簡単に捕まったのはジャニルがレーヴェを連れてくると思っていなかったから。あの場にいたのは仕込みを終え、戻る途中でジャニルの補給を断とうとした。


捕まることが目的との疑念は口にしない。確証がないからだろう。


「だから、多分捕まった時の手は打ってるわ。それとレンドレルちゃんにはよく教育してね。あんな補給品の一つで説得されないで頂戴。吸血鬼の風の柱の障害は精霊術。一緒に作戦をこなして懐に入り込む何て古典的に手段で始末されたら嗤いものよ?。貴方に精鋭と打ち合える力があっても、油断したら意味ないわ。無警戒な背中を晒したら生き残れないの。」


レンドレルは極端な熱血思考らしい。命の自由に強い思い入れがある。そこを利用されて協力したのだとか。


つまり、何の催眠も受けていない。そもそも、精霊術師に精霊術は極端に効果が下がる。


「森の人が死者と生物を見間違うのか?。」


ジュールの疑問にライドも同意する。


「命に精霊はありません。命とは水の精霊が動く様子で判断しますよ。精霊は4種のみ。この4種の精霊との距離や接触の有無、形、大きさ、数で影響が変わることを利用する技が精霊術ですので。例えば精神。受け手は見えないですが感情に影響は出ます。組み合わせで更に変質しますが詳しく話す必要はないでしょう。我々の吸血鬼の判別は聴覚。鼓動です。無理に動かしても違和感がある。比較対象が側にいて気がつかなかったレンドレルが未熟なだけです。」


使役できるのは一つだが、指示を与えて継続させるのは複数可能らしい。この時点で故郷の精霊術は全員森の人の下と決まる。


レンドレルが不満げにレーヴェの背を睨む。顎をあげているところを見ると精霊を介して文句を言っているのかもしれない。


「分かった。ローレンに騎士を1人軍に派遣してもらう。息のかかっていない腕の立つ精鋭が欲しい。それに面白い若者が明日来る。巻き込んでやろうと思う。」

「昨日の帽子の子かしら?。頭のキレる子よね。」

「この地域では有名な庶子だ。あの年でそこそこ腕も立つ。学院の怪物姫とは比較にはならんが、将来を嘱望する人材だな。」


ディーンのことか?。ライドも大いに頷く。あんな16歳見たことがない。


そんなディーンか比較にならないと負かされる「怪物姫」とは何者か?。


「うちにいた子ですね。実式の成績は優等生程度でしたが。」

「才能ありすぎじゃない?。可愛くないわ。」


ジャニルは不満げだ。


生死の関わる作戦だというのに、打合せの雰囲気は軽い。今回は討伐作戦ではなく時間稼ぎだからか。いざとなれば逃げきれる。その自信からだろう。かく言うライドも逃げ延びる自信は誰にも負けない自信がある。


「1番の難敵はレジェラフね。彼は私が抑えるわ。彼、特異の関係で他の子と協力はできないもの。だからこそ、早めに捕獲したいわ。レーヴェ導師、協力よろしくね。残りは精霊使い半魔のポーエンだけど、彼はハニハルちゃんにお願いできないら?。退ければいいわ。精鋭だから1人じゃ厳しいと思うけど、2人の森の人と協力できればどう?。」

「甥だ。下手な気を回すな。だが甥は乱戦で仕掛けてくる。精霊術は難しい。現地付近には妖魔が集結していると聞く。同胞と護衛の兵力を交換してくれ。」

「護衛は囮に必要なの。ライドちゃんは別のお願いがあるし。少し考えるわ。」


ジャニルは短髪、華奢な森の人に後で話し合いましょと答える。


「失敗条件だけど、明日一杯までに奇襲を受けたら指示不要でここまで退却ね。」

「想定の必要あるかね?。物資も運ばない移動特化の少数部隊だ。森の人の耳を躱すなら、先に潜伏必要がある。だが、その場所は読めんだろう?」

「念の為よ。」


ジュールが想定にならないと不満を口にするが、ジャニルは昨日話していた時間を遡る吸血鬼の存在を懸念して念を押す。


「ハニハルちゃんは釣りに気をつけてね?。サミュエル伯爵の強襲部隊が近場で身動き取れなくなってるけど、やってるのはポーエンちゃんだから。無理は要らないけど、守れるなら守って。妖魔に対処に人手が欲しいの。ポーエンちゃんが離れるなら、是非引き込みたいわ。サミュエル伯爵の兵士には伝手かあるでしょ?。」

「10年以上前の話だ。塀の人の老化は早い。期待するな。」


ジャニルは一頻り話と質疑を終えると、最後にミンウに向き直る。


「ミンウちゃんには、騎士院から来たお客さんの足止めをお願いしたいの。訓練つけて貰ってくれない?。」

「それ、置いてけぼりじゃんか。」


ジャニルの言葉に、ミンウは一瞬身を硬くする。この場で唯一緊張している。


「あら?。これ、ミンウちゃんが思ってるより重要な仕事よ?。勇足で騎士院生についてこられても守る余裕はないの。騎士院生と一緒に行動してくれるだけでいいわ。ミンウちゃんが居れば彼等も無理できないもの。」

「わ、分かったよ。」


ミンウは周りの視線を受けると及び腰になって承諾する。気持ちはわかる。目の前は貴族相当。ミンウは平民だ。


「細かいな。」


ライドが解散直後に感想を漏らす。各人、そして全体の役割と目的を明確にした。故郷では予測など無駄と笑われる細かさだ。現場と机上は違う。それが決まり文句だったが、こうして敵の待つ事実と目的を伝えられてみると、必要ではないかと考え直す。


話し合いが終わり、解散すると、ジュールが大きな鎧を打ち鳴らしながら、ライドに近づく。


ジュールの身長はジャニルと同程度だ。目線は少し下だが、ライドとほぼ変わらない。


「前線の打ち合わせはこんな物だ。普通は2、3度問題点の訂正と確認を繰り返す。今回は少数で単純だ。敵に対応させない速さを重視しているからな。ジャニル殿はこの短時間でよく調査した。王の近衛兵も中々やる。良い斥候を持っているようだ。ライド。率いる側になれば、打合せの主導は普通だ。慣れたほうがいい。」

「貴族はそういう敎育を受けますか?。ディーンは熟しますね。」

「あれのようにはできん。学ぶのは慣れだけでいい。まず計画を立てる為の調査がいる。それを短時間で熟すには、全体像を掴み、着地点が見えねば指示できん。部外者が他人の軍で指示を行う難しさはかなりのものだぞ?。やり方や準備はそれぞれだからな。そして計画は立てて終わりではない。皆に知らせて動かす必要がある。だが人には都合がある。時間も場所も調整するには相手の慣れた手順に則るのが最も早い。その手順をどこで知る?。」


ジュールは世の中、天才はいると笑う。


「ゆっくり学んでいけ。天才は参考にならん。」


ジュールは去り際にライドの背を叩き、声を上げて笑う。


「お前も平民の生活は送れんよ。率いる側にならねばアホに命の手綱を握られる。率いる側なら少なくとも自分よりアホには殺されん。自分のアホさに悩み、後悔に苦しめるのも、酒に騒ぎ楽むのも生きる者の特権だ。」


ライドは礼を述べて外に出る。ジュールの期待を感じる。引き込もうとしているのかもしれない。若く見られるせいだろう。


外に出ると先に追い出されたミンウがウロウロしていた。


「騎士院生には俺が話す。心配するな。腹が減ったのか?。」

「量が足んねぇよ。訓練がツレェ。」

「数日の我慢だ。」


そう言ってジャニルにされたようにミンウの背中を叩く。ミンウは少し咳き込むと、「加減しろ。」と愚痴る。緊張は少しは解れたか?。ミンウの様子を見ながら、ライドは近づく人影に気が付く。森の人ハニハルだ。


華奢だ。細すぎる体だが「力」は漲っている。


これだけ鍛え込んでこの細さは女でも有り得ない。森の人の特性なのだろう。同情する。


「話がしたい。少しいいか?。」


頭を短く刈り上げたハニハルは、金属鎧でこそないものの、鉄と見紛うような硬質の木の鎧を着込み、腰には水袋を、背には麻の荷物袋を負う。その格好は、昨夜見た「烏の宿」の傭兵を彷彿とさせる。埃も避けて通るような美の塊の森の人の中で、1人、土臭い。


なのに、その体つきはロニより一回り細く、本来なら戦士長候補の「力」は筋力の容量を越える。それでも戦士長の候補たる「力」を備えるのはハニハルなりの工夫と努力の結晶に他ならない。ナリアラを封じた4人打ち程ではないが、確かな狂気を感じる。


「俺は若造だと思うが。何を聞きたい?。」

「口が悪いな。そもそも私にとって若造じゃない塀の人など居ない。」

「立ち話でいいか?。俺にも聞きたいことがある。」

「立ち話でいい。早速だが私は力を付ける為の助言が欲しい。私が君のような体格にはなれないのは知っている。だが、諦めてはいない。君は体格以上に身体が強いと聞いた。私が望むのは体格を超える身体能力だ。その可能性があるなら誰にでも教えを請う。」


それ程期待はしていない。しかし、聞かざるを得ない。そんな期待と諦めの混じった声だ。


可能な限りのことはした。精霊術をも利用して、常に帯同する精霊を身体に纏わせ、擬似的に筋量を増やしているのがわかる。


それでも精鋭に届かない。歯痒いだろう。それほど候補と戦士長には差がある。戦士長と候補の身体機能には殆ど差はない。しかし、手数は10倍近く変わる。威力は100倍弱だ。対して例えば隠れ里の大人とロニでは手数で5倍ほどの差しかない。候補であれば一瞬の威力、一撃の速さは戦士長並みの打撃を放てるがそこまでだ。


格が変わるとはそう言うことだ。


しかし、俺に聞いたのは良かったと思う。ライドは少し頬を緩める。ライドはその方法を1つ知っている。


「森の人からは果物の匂いがする。肉の臭いがない。」

「肉を食べられない。合わない。だが牛の乳は飲んでいる。肉の要素はある筈だ。」

「ならいい。質を高めることを勧める。筋肉を限界まで引っ張り、体の中の力を全力で満たす。それを10呼吸で一つの動作を完結させる。動きは自分の戦いを常に想定しろ。望まない均整で仕上がると、後で調整に苦労する。制御できる力と容量の訓練だ。日に2刻、できれば4刻。30日もすれば自覚できる。効果がでなければやり方が悪い。」


ミンウが嫌な顔をする、ミンウが想像する通り、これは評判の悪い鍛錬のことだ。


「たった一月で?。」


一瞬眉を潜め、ハニハルはついで口角を不気味にあげる。


意識的にやっているようだ。無理に表情を作ると怖い顔になる。まさにそんな顔だ。


「私にとって一月など瞬く間だ。実演が見たい。だが今は時間がない。私はこの時間に追われる感覚が嫌いではない。だが、こういう時には不便だな。」


ライドは時間ができれば構わないと答える。


ハニハルは息を弾ませる。普通は半信半疑で聞くものだと思うが、何か合点がいく要素があったのか?。


「次は君だ。手短に聞こう。聞きたいことは何だ?。」

「封印についてだ。時越えと違うのか?。効果や持続時間、全てだ。」

「それはレーヴェ老に聞け。封ずる者を名乗る封印の専門家だ。依頼しよう。だが、長老は忙しい身だ。私の知る程度で良ければ私でも構わない。」


封ずる者。随分大層な名前だ。


そのことを口にすると、ハニハルは塀の人のように手を振り、否定する。態とらしい動きだが、塀の人らしい仕草でもある。


「我々は成人して一人前になると生き方を探す。生き方を決めた時、二つ名をつける。その名に相応しくる生きているか自分に問う為だ。風習だ。」


ハニハルは屠る者と名乗っていると答える。物騒な二つ名だ。だが今となっては相手も居ないという。その名を今も名乗る理由は答えなかった。ハニハルは再会を約束すると、手を挙げてその場を離れる。軍に随行して赤大蟻の巣に向かう為だ。その背中を見送ると、少し離れた場所に集結している騎士院生に目を向ける。


ここに残る森の人はハニハルだけだ。後を追うように隠れて移動している。


『森の人は耳がいい。気が付かれてると考えないのが微笑ましいね。でも教員の水準を疑うよ。学院に優秀な教員や生徒を取られるのはわかる。でもこれではお遊戯だ。前線だぞ?。子供であることは許されない。そんな場所にこの程度の生徒を送り出すとは、教員の頭は腐っている。ジュール卿言葉ではないが、今回の騎士院生はあまりに無様だ。』


辛辣な評価だ。しかし、軍にとって、戦う気のないお客様などお荷物以外の何者でもない。


「にいちゃんは明日の朝から仕事だろ?。なのに急いでんな。何かあるのか?。」

「明日の朝に送る為に、物資を近い場所まで運ぶ。これ以上は言えない。」

「ちぇっ。」

「今回の単独行動はソドムと接触する可能性のある人間を減らす意味合いもある。だから見張り付きだ。ミンウ。ここも外より安全なだけで、塀の中とは違う。だが、うまくいけばジャニルの指導を受けられる。生き残れよ。約束だ。」

「なあ、おれからもひとつ聞かせてくれ、何でそんなにおれに構うんだよ?。おれは憎むしか無かったんだ。不安だったんだよ。でも、今は夢見てぇな話ばっかりだ。こんなに教えて貰えるなんて怖ぇくらいだ。でも、にいちゃんが何考えてるのか、そっちも怖ぇよ。おれに何させる気だ?。何の得があんだよ。」


ミンウは面白くねぇと、足元の石を蹴る。顔を上げない。


「俺には後悔が多い。だが、頭に張り付いて離れない後悔がある。小さい頃に妹が、寝ている時に手を繋いだまま隣で喰われた。ミンウに構うのは俺の為だ。ミンウが俺の示した生きる道に全力を尽してくれるなら、それが妹に何もできなかった俺にとって慰めになる。俺はミンウに自分らしく生きることを求めない。この機会を活かすことを望んでいる。」


ライドはその意思がある限り、騎士院入学まで全力で支えると言って、ミンウの頭を手でくしゃくしゃにする。


『子供にその言い方はどうなんだ?。13才だぞ?。』

「ソドムが教えてくれただろ?。担保のない言葉は信用に値しない。俺はその言葉に感銘を受けた。俺の妹への想いが担保だ。ミンウの考えや行為が影響することはない。押し付けだからな。だからミンウに何があっても無茶をしないでいい。助けを待てる。だろ?。」


ミンウは「だから、頭にさわんなよっ。」と抵抗し、ソドムは『それは交渉。』と疲れた声を上げる。


『ライド。故郷で君に寄ってきたのは熱気に高揚した女性じゃないのか?。とてもモテるとは思えないな。』

「悪かったな。」


ライドは軽く手を挙げると、今度こそ騎士院生の歩く段差の上から見下ろす位置に歩み寄る。騎士院生はライドの提案を拒んだが、暫く話すと手の空いた者の空いている間に限り、訓練に付き合うことを約束する。


「本当、でかいな。ローレンの3騎士以上だ。遠目だとそう見えないのに。」「言ったろ?。村人がジュール卿に呼ばれたりはしない。」「だとしたら偽装が残念ね。」


ライドが離れると背中から小声が聞こえてくる。騎士院生とは、見た目の年齢は近いが、違うのは身長だけではない。腕や足、胸や腰回りも幅で5割は違う。十分に小さい者が鉄の棒を振り回すことと、十分に大きい者が腕を振り回すことには差がない。寧ろ腕の方が汎用性や速さに優れる。その差は体験がなくても本能が体に示す。だから、体の大きな者には恐れを抱く。そう思う。


戻る途中で入れ替わるように、作り笑顔のミンウとすれ違う。


すれ違いざまに手を上げ、ライドは高さを合わせてミンウと掌を当てる。隠れ里の仮宿で何度か経験したこの地域のやりとりだ。


ミンウは人懐っこく騎士院生の中に入り、話し始める。見張りの兵士もいる。もう大丈夫だろう。


『さて、夜までは時間がある。間に合うと信じよう。』


ソドムは待ちきれないようにライドを急かす。その言葉に頷く。


ナリアラとシャルを探す。その為に地下に入るのに都合の良い場所で夜を待つ。


不要かもしれないし、断られるかもしれない。しかし、便利な道具を与えられて無視する選択肢はない。この隙が示された時、ジャニルに誘導されているのかと勘繰ったが、その様子はなかった。ジャニルの強襲集団は何事もなく出発していった。またとない隙だ。


便利な道具とは補給品の運搬の為の荷台だ。中に入れてしまえば、闇に包まれる。視覚と同じ実式の捜査では闇に包まれた荷台の中を判別できない。確認もできている。昨夜、襲撃を受けた時、離れた場所では複数の見張りの気配があった。それにジャニルやレーヴェが気が付かない筈がない。なのに昨夜はジャニルやレーヴェと会っていない。そう口裏を合わせた。見えないことを知っているからだ。


ナリアラとシャルは思ったより側にいる。それも昨夜考えたことだ。それは素手で殴り合った戦士が精鋭で、ミラジやローレンに繋がる広範囲に道を制圧する任務に当たっていたと言われたからだ。戦士は軽装だった。この付近に拠点を置いているからとしか思えない。ライドがジュールの管轄に置かれている今、赤大蟻討伐に参加せず、あたりの警戒を優先させる理由は2つ考えられると言う。吸血鬼対策か、ナリアラとシャル対策だ。精鋭を使うのだから、その両方と見る。


精鋭は個々の力に差があり過ぎてマスゲームができない。通常の集団戦闘のやり方では効果を出せない。その為に個人で判断する権限を持つ。つまり、本陣の時間を奪うだけでは精鋭は止まらない。軍の時間が奪われる可能性を、ストール=レドールはいつから懸念したのだろう?。


ライドにとっては雲の上の読み合いだ。こう言う輩とは関わらないのが一番だ。


「この国の精鋭の数は?。」

『さあ?。私の時代だと時越えの人を併せても20人が精々だったな。でもここでは子爵で3人。領主にしても多すぎる。単純な貴族の規模で考えるなら伯爵は子爵の10倍、侯爵は更に10倍になる。レドール侯爵家に、精鋭が300人居る可能性はある。安定志向の精鋭が多ければ、侯爵の精鋭はさらに多いかもしれない。』


この地の人の数から考えれば少ないが、侯爵家だけで故郷の全戦士長の倍近い。


『例えば10人。とんでもない数だ。自分で言ってて何だが、現実味がないね。』

「10人か。」


ソドムは現実味がないというが、いないとおかしいとの理屈も分かる。


次男の軍に精鋭を配置する。反乱の恐れは低くても、侯爵の守りにそれ以下の戦力しか置かないことは考えにくい。


ライドは昨夜の馬車の場所まで戻る。今はこの馬車の中には捕虜が縛られて入っている。


地下の空洞はこの下にも広がっている。赤大蟻の住む岸壁といい、ここの地質は故郷とよく似ている。硬く、広いが故に地上の獣を避けて暮らし易い。しかし、ここまで大きな地下空洞は故郷では聞いたことがない。


これまでは夜の長い移動は精鋭でも難しかった。目印のない闇は天然の牢獄だ。相当に広い「知覚」があれば別だろうが、熟練の精鋭でも厳しい程だ。だから実式の捜査は闇に未対応でも使い勝手が良かった。しかし、今はアンデレフェルトという目印とがある。牢獄は失われた。この変化に実式も対応していくだろう。しかし、それは今夜の話ではない。


『ライド、意気込んでるが勘違いしてないか?。おそらく今はまだ争いはない。ナリアラ女史からの攻撃を除けばね。』

「精鋭が周辺にいるのだろう?。」

『精鋭の目的は犯罪者の取り締まりじゃない。ナリアラ女史に労力を回す気はないよ。』

「悪いな。さっぱりわからない。」

『無理ないさ。貴族の考えは貴族以外に分かりにくい。「後衛」は貴族が多い理由の一つだ。』


ソドムはナリアラとシャルを閉じ込められたなら、これ以上資源は費やさないという。もう手配書はナリアラの後ろにいる貴族の手にも渡っている。新たな手札に繋がる可能性もない。だから手配書を使った目的が果たすことを優先する。その為の本命は既に動いているそうだ。


地下に閉じ込めたなら時間を稼ぐ。何もなければ討伐したかもしれないが、軍は風の柱の発生で、今度こそ飽和された。


ナリアラとシャルの捕縛は、必要なら精神的にも肉体的にも弱り、罠にかかってからで良いと見ている。そもそもナリアラとシャルの捕縛には、態々自分の資源を使う必要もない。シャルの回収は誰か他の貴族がやれば良い。シャル逃亡の味方をした時点で手配書発行の貴族会に敵対する行為だ。個人の善意の協力者のできることは高が知れている。もし手が出せるとすれば、手配書化を推し進めたであろうレドール侯爵に対抗できる侯爵以上の権力者だ。しかし、その労力を払う利が見込まれなければ態々誰も反対しない。


しかし監視だけでは手が弱い。資源に見合った利は得られない。ソドムは何かジュールの意図を探る切っ掛けを掴んだようだが、まだ情報を整理中だと言う。ただ、ナリアラとシャルを、一時的に保護させる宛としてジャニルを挙げる。


ライドはよく分からない上に肩透かしを喰らった気分だ。


「まずは移動しよう。本来の補給品はどうする気だ?。まだ中だろう?。」

「夜寝る時に借りた布で巻いておいた。ナリアラと入れ替えで地下に移す。地上は「歪」の獣が多い。逆に地下は薄い。補給の時は「歪」を通して引き寄せる予定だからな。見つかっても普通は獣が牙を立てるまで数日かかる。」

「ナリアラ女史より先に仕込もう。時間に余裕はあるはずだ。朝まで止まるのはおかしい。少し離れた進路上がいいね。」


監視者を巻く訳にはいかない。暴露る訳には行かない。偽装し、証人になって貰わなければナリアラとシャルは隠し通せない。


ライドは移動をしながら、今後の計画をソドムと詰める。


何だろう。忙しすぎる。狩を除けば2日働けば1日休んでいたかつての生活からすると、あり得ない忙しさだ。


しかし、面白い。

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