第14話
ライド達がストール=レドール率いる赤大蟻討伐の後衛まで帰り着いたのは翌日も遅い時間だった。
ジャニルを出迎えたジュール卿は、「委細を学院から聞いている。」と怒りと苦渋で満ちた目を向ける。
「ジャニル殿。貴公の働き以外はな。それに少年、ライドと言ったか?。そのボロボロの格好は見るに耐えん。着替えを用意させる。」
ジュールもまた、ソドムの依代としてではなくライド個人の力を疑う1人だ。ソドムに憑依されていないことを実式で知っている。
ここは篝火を焚かれた野営地。屋外だ。辺りには仮眠を取る兵士が溢れている。
戦場は離れているが、戦況は楽な物ではないようだ。
「兵士は疲れていますね。」
ライドは敬語を頭で組み立て、尋る。
「蟻のくせに巣穴に立て籠もりおってな。その巣穴に問題があって立ち往生している。」
ジュールの言葉に、ソドムが『ガスだね。』と呟く。
赤大蟻体液は、巣穴に猛毒の風を充満させるらしい。白煙と呼ばれる喉に痛い風だとか。厄介だ。
ジュールはソドムの接触する糸に気が付いている。ジュールとジャニルは「発動型」の実式使いだ。ソドムの触手に気が付いている上で、敢えて無視している。ライドにとっては今の方が便利だ。ソドムが気がついたことを注釈してれる。ソドムはもう、見えてることを気にしないことにしたようだ。話すなら、話しかけてくれと、ライドにジュールに向けて言伝を頼んでいる。
『大量の水があればいい。今は森の人とも交流があるだろうし、問題ないだろうね。』
「今頃学院に協力要請を?。それ、開放する前にやっとくことじゃない?。」
ジャニルが不備を指摘すると、ジュールは私の失敗だと唸る。
「知見がなくてな。黒大蟻を基準にした。学院に問合せをしたのは一昨日だ。明日には協力者が到着する。だが聞きたくもない話も聞いた。騎士院生が無様を晒したらしいな?。」
ジュールは昨日の騎士院生の青年を思い出してか、渋い顔になる。
「あの風の柱はここからでも見えた。厄介な兵器だ。かと言って赤大蟻を野放しにはできん。何としても止めねば。だがジャニル殿。それなのにあの空の真下に、護衛対象もまとめて野営し、護衛対象一人逃がせん失態が起きた。ローレンの騎士院に問い正したが、生徒に責任を擦りつけよった。連絡もないとな。あり得ない話だ。学院には騎士院教員の指示があり、生徒は抵抗していたらしいと報告があったそうだ。その報告の方が納得だ。」
「ごめんなさいね。その場にはいなかったの。言った言わないの喧嘩は嫌よねぇ。でも、騎士院に確認はとったのでしょ?。なら教師の責任は免れないと思うんだけど。」
「説教に呼びつけたら後援を寄越すと言ってきたよ。生徒を叱りつけてもどうにもならん。今は問えん。」
「あらあら。心中お察し申し上げますわ。でもちょっと対応が異常じゃなくて?。領主様に問い合わせた方がいいんじゃないかしら?。」
「宰相に連絡した。調査するとのことだ。」
ジュールは渋面を、更に皺深くする。
「あの準貴族の宰相はよく分からん。ローレンは重用していると聞くが、どうも言っていることが腑に落ちん。」
ジュールの視線がライドとミンウの上を走る。聞きたいことががあるようだ。その動きをジャニルが止める。
「先に休ませてくれない?。坊や達は大変だったのよ?。」
「見ればわかる。よかろう。それと、私は何時になったら貴公がフードを取り、当たり前の礼儀を示してくれるのか期待しているんだな。」
「残念。私達別働隊はフードを取らないの。これが正装なのよ。」
ジャニルとジュールのやりとりの間にもミンウは船を漕ぐ。
「少年。兵の邪魔にならぬよう端で横になれ。座敷が必要なら係の者に言え。許可は出してある。それと、着替えろ。身丈に合うものがあるかはからんが、麻くらいあるだろう。」
ジュールは、体より2回りは大きい鎧同士が擦れる音を立てて、その場から離れる。
ジャニルも離れようとするが、ライドは「少しいいか?。」と呼び止める。
「あら?。こんな夜更けにお誘いかしら?。ライドちゃん疲れてないの?。」
「そうだ。」
「丈夫ね。でも先にミンウちゃんを寝かせましょうね。もう寝ちゃってるじゃない。」
指摘の通り、ミンウは椅子と机に寄りかかって既に眠っている。ライドはミンウを抱えるが起きる様子はない。
ライドはミンウを兵士から少し離れた入り口の近くの空きに寝かすと、休憩する兵士達から少し距離を取る。煩くして睡眠の邪魔はしたくない。
「兵士は何故あんなに短い刃渡の武器を好んでいる?。持ち手のついた円形の鉄板も赤大蟻相手に使い勝手は悪い。顎に咥えられる。」
多くの兵士が身につける幅広の武器では外殻は抜けないし、肉の両脇の外殻に挟まれれは抜けなくなる。丸い盾は腕に固定して力は込めやすいが、捕まれば外せないことが欠点になる。素人目にも相応しくない。
「それが聞きたいこと?。まあいいわ。対人用の武器だからよ。」
ジャニルは面白そうにライドを見て、使い慣れてる方が安心でしょ?。と返す。
「彼らは衛兵よ。ローレンやキルケニーの街の紋章が混じってるわ。急募したみたいね。盾が丸いのは相手の顔に押しつけて使うからよ。盾で押し倒されれば、頭を前に体重移動できないし、肩も動かせないでしょ?。動けなくして、柔らかい場所を狙って刺すの。人は二足歩行だから頭を押さえれば立てないし、前に重心が動かせないとまともに攻撃できないわ。昔からよく知られた正規訓練の基本よ。赤大蟻相手に使う装備じゃないのは確かだけど、使ったことのない武器、突然怖くて使えないでしょ。間違って仲間を傷つけかねないもの。」
慣れた武器はその先まで何処にあるのか分かるからしい。まるで腕の延長のように。
不思議だ。偏った「知覚」ではなかろうか?。それともこの地の技術か?。
「ジュールが身につける鉄の鎧は?。あれは一度潰れれば、自分では脱ぐことはできない。体に食い込んだままになる。」
「そうね。鉄の防具はご指摘の通り。潰せる相手には諸刃の剣。かと言って厚くすれば重さで動きが鈍る。それだと速さがもたらす利点を損うわ。ちなみにライドちゃんは精鋭は何で強いか分かる人?。」
「『風』は早く動くほど粘る。だがそれを越えれば周囲と自分の時間軸がかわる。」
「あら詳しい。なら、動かずに同じ効果を得る方法もご存知かしら。」
「自分ではなく、周りを『風の壁』より早く動かす。」
「隠す気もないのね。若い精鋭さん。余計な気を使わなくて助かるわ。ジュール卿は後者。あの鎧は鱗式の鎧を応用した芸術品よ。ジュール卿が強化すれば、並の精鋭じゃ歯が立たないわ。」
更に鱗状に組み合わされた鉄の板は、仮に潰せても反り返り、体側に食い込まない工夫がされているという。
狙いは「強靭さ」だ。故郷では「重い」と表現する。
技術は自身の動きを効率化して、成果を最大化する側面と、相手の行動を阻害し一方的に有利な状況を維持する側面がある。この考え方は、ロニの動きからこの地域も故郷と変わらないと判断する。この後者の側面は技量が勝る者の強さの要だ。しかし、これを活かすには条件がある。相手に与える痛みや衝撃力が動きを止められることだ。止められなければ相手は攻撃を無視して行動する。
鉄という素材は、与える衝撃力が強い。同程度の体格なら当たるだけで人の「重さ」を超えられる。切り刻み、貫き、痛みという衝撃力に人は弱い。それが当てるだけで得られるなら、刃や穂先の鋭い武器こそ有利だ。
しかし、赤大蟻の鉄並みの外殻には痛みを与えられない。鋭い刃には重さが生み出す衝撃力も不足する。赤大蟻に適した武器ではない。攻撃を当てても赤大蟻は自由に動き続け、兵士は攻撃で生まれた隙に攻撃を受けて怪我をする。
「技量の高い兵士の主流は斧槍ね。間合いの広さはそれだけで攻守一体の力になるわ。一撃の威力は申し分なし。でも、攻撃手段が偏るから人同士だと見切られ易いのよね。」
そう言ってジャニルは腰から細く長い銀色の剣を抜く。打撃による衝撃力を捨て、刺突に特化した武器だ。
「私はこれね。」
ジャニルはその刀身に軽く口づけする。そよ刀身は見るだけで力を感じるほど、硬く、鋭い。
(鉄の比じゃないな。)
ライドは生唾を飲み込む。
「重さ」が意味するもの。普通は体の大きさがもたらす効果だが、死喰い人を相手にする時には誰しもが痛みの効果を思い知る。
体を何が突き抜けても止まらない。切られ、刺されたながら、自分の行動を強行する。
痛みで止めようとする技術を無視し、喰らった後に一呼吸遅れ、相手を粉砕しにくる。
それが十分な「重さ」を持つ利点だ。人の腕は軽戦士の身体の動きより早い。打撃や痛みの衝撃力が身体の「重さ」を上回るなら、僅かでも早く攻撃が届いた方が、相手の攻撃を無効化できる。それが人同士の戦いだ。しかし、「重さ」が衝撃力を上回るなら、常に攻撃が遅れた方にも衝撃力を与える権利が発生する。
ジュールはこれを人為的に作り出す。この戦い方は重戦士と特に相性がいい。その為の鎧だ。
ただ、重戦士の戦い方は誰でもできる訳ではない。重戦士は停止状態から、移動も攻撃も「力」を瞬間的に放出して行う。その放出に耐えられる断面積の大きな体格がなくては自滅する。先天的に向き不向きがある。
重戦士の利点は、同格であれば軽戦士より強いこと。打ち出す衝撃だけで相手の行動を阻害できるからだ。狩ではその効果が顕著だ。しかし、生き方に影響を与えるほどの欠点もある。衝撃で止められない程の格上には逃げる自由もない。食い殺されることが確定する。狩りで遠征を嫌うのは大抵重戦士だ。
吸血鬼は重戦士であり、軽戦士でもあるとライドは判断している。更に極端な回復力が相当な「重さ」をもたらしている。治ると分かっていれば、痛みは慣れ、無視できるものだ。
吸血鬼は大した怪物だ。戦い方が根本的に人と違うだろう。
「軍隊は衝撃力との競争よ。そして、その隙を突くのが機動性ね。歩兵に対して大楯を並べて制圧する戦い方が生まれて、盾を吹き飛ばす馬戦車が生まれた。その馬戦車は弓矢や分厚い壁に阻まれだけど、壁は攻城兵器に破られた。でもその攻城兵器は歩兵で簡単に崩されるってね。」
ジャニルはフードを取り去り、木により掛かって腕組みする。
その目は柔かにライドを向き、動きを観察している。
「格好いいでしょ?。美形のこの姿。」
ジャニルは笑う。そして闇を指差す。そこには微かな篝火の光の中、長い腕で四つん這いの石人形が幾つも鎮座する。
「あれは石人形。最近の主力兵器ね。元は石だけど、付与系の実式の最新技術の結晶よ。衝撃を放てる丈夫さがその証。ちょっと酸には弱いみたいだけど。ライドちゃんならあれとどう戦うの?。」
「戦わない。並べられたら近づけない。衝撃の内側は赤大蟻すら弾けたからな。だが無理に倒すなら、上からだ。」
「そうよね。風の柱から降りる時、使ってたもの。ライドちゃんは別の景色が見える人。空中で方向転換できるわよね。・・・困るわ。」
突然ジャニルが外向きの「力」をライドにぶつけ、剣を抜く。ライドは音を立てて一歩下がる。
その一歩の間、ジャニルは動かなかった。そして、剣を納めて元の姿勢に戻る。
「驚がない。誇らない。警戒も十分。ライドちゃん、今、「練気」漏れたわよ?。一歩下がれば対応できるって見切ったの?。そうね。命には届かなくなったと思うわ。動きは素人なのに判断は手慣れすぎ。何処の人?」
「山の集落の出身だ。」
ソドムと決めた架空の出身を貫く。問題はジャニルなら確認に行けてしまうことだが、ライドにも故郷は分からない。
迂闊なことは言えない。
「ああ、待って。うん。今確認したとこ。」ジャニルは誰かに語る。遠話だろう。「ライドちゃん。ローレンの地下からの調査隊が戻る一週間くらい前から広い範囲に圧迫感が生まれたの。ローレンを中心にね。ライドちゃんが「練気」を隠す理由は聞かないわ。使わない理由がないんだから、使えない理由があるんでしょ。でも疲れてないなら、少し夜のお散歩しない?。ちょっと助けて欲しいことがあるの。」
ライドは戸惑う。この流れでの依頼がまともなはずがない。
『ライド。ローレンから離れて熱りを冷ます筈が、逆になってる。言ったろ?。ミンウを置いて逃げるしかなかったって。』
ソドムは借宿でミンウを走らせた初日、この可能性を警告を発した。借宿に留まったのは、周囲を厚く包囲警戒され、ミンウを連れて逃げきれなかった為だ。しかし、包囲されただけで何もしてこなかった。包囲の目的はライドを閉じ込める為。その現実から目を逸らした結果だ。
ライドはできないと言う言葉を飲み込む。できないことはなかった。ただミンウは自分が連れ出した子供だ。見捨てて逃げるようなら、頭のない妹の手を振り払って逃げた傷が疼く。ライドの心が拒絶する。しかし、これはライド自身の理由で、一蓮托生になっているソドムには関係がない。
「俺を周りから見ているのは実式か?。実式は成り立ちから異質だ。」
「えーと。話が飛ぶわね。助けて欲しいんだけど、何が聞きたいの?。少しならいいわよ。」
「森の人が学院で完成させたと聞いた。精霊に対抗しうるものだと。森の人にとっては種族の利を捨てる行為だ。そこまで追い詰められたのか?。」
「発想が斜め上ね。ソドム殿とも話した上でしょうし、2人揃っての問いかしら?。」
新たな技術は過去の技術の上に成り立つ。だから古い技術は淘汰される。それがライドの故郷の常識だ。
しかし、実式と精霊術は互いに利点があり両方存続している。これは不自然だ。
それにセレ国統一前は、塀の人の勢力は分散していたと聞く、森の人が協力を申し出れば、塀の人が譲歩するのではないだろうか?。森の人を味方に、最低でも敵に回らなくできる。これは大きな利に思える。
つまり、塀の人に精霊術の技術を開示する理由がない。
『森の人から見れば、塀の人との約束は常に破られる。寿命が違いすぎる。』
ソドムはライドの意見に同意する。森の人が塀の人と協力するなど考え難い。
例えばライドの故郷で世代交代は50年ちょっと。これは第一線に立てる体力の期間だ。塀の人では20年と言われるらしい。世代が変われば、状況に合わない約束事は破棄される。何十年使われない約束なら無くなっても誰も気にしないだろう。この時、森の人の都合を考えるとは思えない。
そんな相手に、種族の特徴と言われるほどの利点を差し渡す。森の人から申し出なければ引き出せない条件だ。つまり、現在の精霊術と実式の技術が両立するのは、初めから森の人に予定されていたことになる。
意味不明だ。
「森の人にその決断をされせた理由は2つ。一つは人の嗜好で、もう一つは当時の技術ね。」
「嗜好?。見た目は綺麗だと聞いている。愛玩か?。」
「また子供らしくない言葉だわ。でも残念。もっと気持ちの悪い理由よ。不老不死は人の野心を掻き立てる物なの。体に取り込めば自分のものになるって思い込んじゃうくらいね。」
ライドはジャニルの答えに顔を歪める。食ったのか。自分と姿の似た者を。飢えて排泄物に手をつけ、死体の一部や、自分の体に手をつける。そんな狂気の話は聞いたことがあるが、「生きた」姿似の「全身」を「食った」と聞くと悍ましさが倍になる。
「本来、森の人は人の悪意なんて問題にしないわ。精霊術に長けた彼らは生き物として強者だもの。でも、ある国が『火薬』武器を生み出した。その技術は精霊術に対して凄く有効だったの。遠方から精霊の守りを撃ち抜く殺傷力があって。そして誰でも使えてね。少し訓練すれば単独で森の人を害せる程よ。まあ、精鋭には役に立たないから軍事的に広がらなかったけど、森の人を狩る目的の為には広がったわ。森の人は身体能力は低いもの。不意を打たれる森の人は少ないけど、居ない訳じゃない。種族の存続には大変な問題だったそうよ。」
「実式は『かやく』と言う技術を潰す為に生まれたのか。」
「そ、人にその技術を持ち込んだのは、一刻も早く完成させ、広める為。とある森の人は人より先に火薬を知ってたの。その対抗手段の構想を含めてね。ただ森の人に広めても呑気だから遅すぎるわ。だから人に接触したの。人の社会なら使えない技術はすぐに廃れる。」
「何が決め手になったんだ?。」
「実式は火薬を作動させられるのよ。例えば遠話の象形図の片割れを、互いに世界の端に持って話しながら移動するわ。その間にあった火薬は例外なくお釈迦ね。持っているだけで自分が死ぬ兵器は使えないでしょ?。」
「そうか。疑問は以上だ。聞こう。何処に連れて行き、俺に何をさせたいのか。」
「周りを調べたんでしょ?。随分時間かかったわね。でも、なら私の雇った傭兵も見えたんじゃない?。彼らに虫がついちゃったのよね。」
時間稼ぎの意図は筒抜けか。ライドは軽く息をつくと、先を促す。
「傭兵に任せてる役割をライドちゃんに引き継いで貰いたいの。彼等から実力行使をしてでもね。私の評判は気にしなくていいわ。彼等は嫌々だし、このまま任せても催眠に掛けられて役目は果たせないもの。ライドちゃんが聞いたバカ笑いの声の主はね。瞳術師なの。催眠の専門家。時々、何かの精霊と一体化しちゃった特異体質の人が生まれるんだけど、彼女はその1人。表の世界では気味悪がられて裏の世界で生きていく子供。そう言った吸血鬼は多いわ。」
「俺は囮か?。俺では吸血鬼の相手が務まるとは思えないが。」
「うーん。そうねぇ。時間を遡れる敵がいたら、何が1番怖いと思う?。」
「何の話だ?。」
「ライドちゃんの真似。話飛ぶと大変でしょ?。でも無関係じゃないの。」
「自分は一切表に出ることなく、未来を選択できる。相手は仕掛けられていることすら分からない。」
ソドムは馬鹿な質問だと一笑する。しかし、ライドはそう思わない。故郷にそう言う獣が居たからだ。
「そうね。迷いなく答えるのね。しかも、本人は身体の時間をずらすから守りも鉄壁。相手がいつ何処でどの時間に現れるか確認しながら行動できる。これ以上ない暗殺者よ。」
ジャニルは肩を竦める。
故郷の獣には知能が低いが、人が扱うとなると、厄介さか違う。
「ないとは思うけど、そんな特異を持つ子の動向が分からなくなってるの。私は明日、こちらに到着する森の人達とあの風の柱の生みの親達の邪魔に向かうわ。ローレンに守備が終結するまでの時間稼がないとだから。本来は昨日の子達が稼ぐはずだったんだけど、相手が警戒しなちゃって、動き始めちゃったから。実行力のない陽動は陽動にすらならなくなっちゃったし。」
ジャニルは仮に敵は妨害の為に赤大蟻の駆除を失敗させることを狙うったらどうかと話す。
赤大蟻があちこちに巣をつくれば、脅威の再来だ。
「今は此方に弱点が多すぎるわ。そした、時間を戻れる相手への対処は物量と正攻法。逆に時間を戻れる相手が狙うのは奇襲。可能性があるなら、成功する未来を選べばいいもの。私の補給物資に隙があれば必ず狙うわ。そこにライドちゃんが居れば、精鋭を連れてくると思うの。ライドちゃんの馬鹿力は中々越えられない正攻法よ。精霊が寄り付かない特色含めてね。だから、吸血鬼も連れ出せるかもしれないわ。」
「答えが分かっているなら仕掛けないだろう。逆に仕掛けてくるなら勝ち目はない。」
「あくまで可能性のお話。普通に撃退してくれればいいわ。誰も来なかったら、ライドちゃんの言う通りかもね。」
「俺の話はきいてたか?。俺は危なくなれば逃げる。だが、ミンウの教育は受けて貰うぞ。やらないなら受けない。」
明日、森の人が到着すれば、催眠にかかった対象者は一目で見破られる。動くなら今夜の可能性が高いと。
これは今思いついたことではなさそうだ。いつの間にか組み込まれてる。ソドムは不満タラタラだ。
しかし、用意周到に動けるのも、有利に進める仕掛けを散りばめられるのも、数の力だ。此処には軍が、背後には騎士院や学院と言った組織が、そして貴族という大集団がいる。ライドは、種族として破格の優秀さを誇る森の人が追いやられている事実に納得する。
ライドは己の力の相対的な位置づけに悩んでいる。だからこそ、精一応でも補助付きで精鋭と戦えるジャニルからの提案には惹かれるものはある。戦力が1.2倍違えば、1人多くて対等と言われた。鉄という素材は個人の総合打撃力を30倍は引き上げて見える。技量を加味した戦力はどの位変わるのだろう?。恐ろしくもあり、試してみなくては想像できない部分でもある。今回は囮とわかっての行動だ。守りに徹してもいい。これほど選択肢の多い戦いは滅多にない。
「受けよう。だが、手土産はないのか?。俺にはミンウの教育を受ける報酬がある。ソドムにも必要だろう?。」
「あら?。まだ気がつかない?。」
そう言うと、ジャニルは雰囲気を変える。赤い目が輝き、口元には狂気の笑みが張り付く。
「魂の劣化のないソドムちゃんが吸血鬼の身体を手に入れたらどう?。私はそのつもりでここにいるのよ?。アルタイフの住人なら次の脅威に対抗できる。でも私にはできないの。だから遠慮要らないわ。それに、まだ話せてないけど、仕込みが終わればソドムちゃんの家族のその後は知り合いに話をつけるわ。心配しないて。この場合、ライドちゃんのお願いや吸血鬼化の話は流れちゃうけどね。」
「意思を制限する仕掛けが疑われる身体は要らないそうだ。だが質問はある。アルタイフの住人とは?。」
ジャニルはソドムからの返答を聞くと、肩を落として「それで無視してたのね。」と嘲笑する。
「罠なんてないわよ。と言っても信じないでしょうけど。それと悪いんだけど、アルタイフのことは忘れて?。ソドムちゃんか領主様の元に言ってからじゃないと話せないことになったから。口が滑っちゃった。言えるのはソドムちゃんの事例は、世界初じゃないってこと。」
「俺としては、その報酬が2年後なら問題ないな。決めるのはソドムだが。」
ライドの問いに、ソドムは『ジャニル殿はない。』と否定する。
人の感覚を取り戻せる身体だ。強さは石や砂で作る体より劣るが魅力的だろう。だが、不安が拭えない以上、選択肢に入らない。
「捕虜を失ったらどうなるんだ?。」
「他の人で補給するわ。じゃ、行きましょ?。」
ジャニルは先導として歩き始める。
ソドムがあり得ないと疑問を口にする。ジャニルの所属する王の兵士との地位は多くの仲間の犠牲の上に成り立つ。そんな簡単に犠牲者を選べるなら、信用は得られないと。寧ろ、命に替えても決められた補給以外には手を出さない。そうでなければ、他の隊員ごと今の地位を失うことになっても不思議はない。
「迂闊なことは言えないわね。」
ソドムの疑問を口にすると、ジャニルは背中越しに方を竦める。
「ジャニルは自分の意思で吸血鬼になった。それだけの覚悟や目的があったとみる。だが命拾いしただけの吸血鬼に食事を制限できると思うか?。俺は思わない。何故増やす?。」
「概ね心配の通りよ。」
ジャニルはその危険より大きな脅威に対抗する戦力が欲しいからだと話す。
「その日は近いわ。寧ろもう起きてると思うの。今回の件もそう。彼等には彼等なりの人を存続させる為の目算があるの。脅威に対して必死なの。だからその時がくれば手を組めると信じてる。失うと気がつくのよ。どんなに人を憎んでいても、人の営みが消えてなくなることは望んでないってね。結局、人を辞めたつもりでも、辞められないものよ。」
「よく、分からないが。」
「失う前に気が付きたいんだけどね。」
話しながら歩くと程なく現地に到着する。ジャニルの雇った傭兵は、違約金を受け取ると肩をすくめて帰る。彼らは「烏の宿」の傭兵らしい。ジャニルが何者なのかは知らないようだが、ジャニルへの不信感に溢れていた。彼らの側には精霊の気配が「知覚」に映る。
彼等は精霊術を扱えない。ならば答えは一つだ。既に敵は仕掛けてきている。
精霊で意思を乗っ取ることはできない。が指向性は持たせられる。その細かな調整の為に、本来なら近くに居るはずの術者がいない。大雑把にジャニルへの不信感を植え付けただけだ。これが精霊術の怖さだ。意思を誘導される。故郷は5人に1人は精霊術を使った。だから相互監視が生まれたがここでは違う。
何かあれば森の人に冤罪がかかり、塀の人に精霊術師は逃げ易い。
「じゃ、後はよろしくね。私は森の人のお迎えと事前打ち合わせをしてくるわ。さっき言った通り、急な予定変更で何処も連絡不足なのよ。この遠話の普及したご時世に、よ?。どんなに技術が普及しても、本人にその気がなければ意味ないわよねぇ。」
ジャニルはそう言ってこの場をさる。結局、ライドは囮だ。ジャニルが離れてすぐに、傭兵が残した焚火を消す。
「な、なあ、あんちゃん。は、話を聞いてくれっ。化け物なんだっ。逃げないと殺されるぞっ。」
補給物資。ジャニルがそう呼んだのは生きた人間だ。
荷台の上に乗せられた木製の箱の中から声がする。隙間はあるが密閉されているように見える。
「重罪人だろ?。俺から見ればあんたも化け物と変わらない。」
「分かってねぇ。あんちゃん!。分かってねぇよ!。王が動がなきゃ何ねぇような怪物なんだっ。言葉にするのもおっかねぇっ。言っても誰も信じねぇっ。でも、マジなんだよっ!。お前も喰われるぞっ。荷車のままでいいんだっ。俺達が生き残る道はここだけなんだっ。生きたいだろうっ?。あんちゃんも殺されるんだぞっ。」
焚火が付いている時に確認したのか?。それとも「知覚」か?。闇の中、ライドの見た目を確認しているような口ぶりだ。いつ餌になるかわからない緊張感に苛まれ、排泄場所と保存食を置かれたこの箱に閉じ込められているのだ。「知覚」が芽生えても不思議はないし、元々使える可能性もある。早い者なら灯なく洞窟を歩くだけで身につく。その程度の技術だ。
「俺は誰も殺してねぇよっ。貴族を騙して偽物掴ませたんだよっ!。俺達平民は重罪にされちまうっ。不公平だろっ?。それで何で化け物の餌にされなきゃなんねぇんだよ。頼むよ!。俺にも親がいるんだっ。会いたいんだっ。」
嘘だろう。荷台の周りには時折白い塊が見える。これは闇の中で見える意思あるものの恨みや憎しみの集合体だ。定期的に殺す腕の良い地上班にはよくあるが、トドメ係にしか見られないし、維持するのは難しい。例えばジャニルには見られない。殺した数にもよるが、気配は期間が空けば四散する。いつ捕まったのかわからないが、この捕虜にはそれが残っている。
ライドはあたりを探る。しかし、注意深く探っても近場にジャニルの話す来客ほ気配はない。身を潜めているのか?。
いつ現れるのか不安だ。抑えた「知覚」は目を閉じて歩かされるような苛立ちに蝕まれる。
と、ライドの細長く振り回す「知覚」に人の姿が映る。そっと胸を撫で下ろす。
「来客だ。ソドム。隠れてろ。」
『さっきから視界は散らしてるよ。寧ろ終わったら一声掛けてくれ。』
ソドムの愚痴に軽く謝る。
先程の傭兵もそうだが、夜の闇の中、移動に困る様子はない。
ランタンの明かりだけでは周囲の一部しか見えない。何処に向かって進んでいるのか。それが分からない。だから夜間の移動はこの地で避けられてきた。これはライドの故郷でも同じだ。しかし、今は霊峰アンデレフェルトが昼夜問わずが輝いている。夜でも方角がわかる。赤大蟻が解放された夜、ロニが夜間の移動を決意したのも霊峰アンデレフェルトが見えるからこそだ。
突然現れた光続ける山も生活の一部に取り込まれる。人の逞しさを感じる。
来客は3人。今の紐状の抑えた「知覚」では姿が分かり難いが、1人は離れた場所に残り2人が来る。片方は戦士長だ。
ライドは軽く身体をほぐす様に跳ねる。
『やる気だな?。』
「ああ。何があってもただでやられる気はない。」
ミンウに適切な教育者を。
これはライドにとって非常に個人的な願いだ。喰われた妹の手を振り解いた日から妹にしてやれなかった、してやりたかったことがある。暮らす家と生きる手段を与えることだ。自分が連れ出した少年にその後悔を重ねて見てしまう。
この失敗を繰り返す気はない。
現れたのは軽装の戦士と、金髪碧眼の彫刻の様な造形の少女だ。
特に少女の方はジャニルとは別の意味でこの世のものとは思えない無機質な「美」だ。作り物ではなく、瑞々しさが溢れる。その耳は顔の半分もの長さで癖一つない髪の間から突き立ち、紺の木製の肩当てに深緑の厚手の布の服、布のズボンを履いている。
「森の人か。」
少し顎を上げ、細目で此方を見下す様な表情をする。故郷の精霊術師を彷彿させる。
精霊や精霊術師同士の交信する時の表情だ。
「君が吸血鬼の協力者?。でかい坊主は自分がしていることは認識しているのかい?。」
声を出したのは森の人と共に現れた軽装30過ぎの男だ。この男が戦士長だ。男はひょいと、腰の剣を鞘ごと外すと後ろに放る。
「殺すなとのことだ。なら君みたいな生意気な若者は、語るより黙らせた方が早い。そうだろ?。」
分かり易くていい。そして、此方も挑み易い。ライドは指を曲げてこっちに来いと挑発する。
「君に胸を貸してやる。」
「遠慮はしない。」
この男の自信に満ちた表情にライドは言葉の通り、全力でぶつかることにする。
おそらく手で掴めば勝ちだ。それだけの身体機能の差がある。
素手の取っ組み合いなら掴めないことの方があり得ない。ライドは長年の経験から、戦士の歩法なしでも頭の感覚だけなら最低限の戦士の歩法並みに切り替えられる。そして腕や足の動きの速さもこの身体機能を駆使すれば最低限の8割程度に持っていけるだろう。まだ不利だが、最低限なら、戦士の歩法と勝負になる範囲だ。
ライドは腕を突き出して突進する。男の身長は1.8メール、2メールのライドが腕を伸ばせば、腕以外に男が狙える場所はない。そして腕は素早く、技術で払われるほど身体機能の差は小さくない。
風の壁の半分程度の速度で走る。それでも足が滑る。
男は当然のように、風の壁を越える。激しい音、ライドの体を打ち付ける風。もう少し近かったら、服が破れたか?。地面は微動だにしないが、距離の近い大木が根元付近の幹から砕けて倒れる。未熟な戦士の歩法だ。周りに知られる恐れの高い水準だが、使用に躊躇はない。流れる音や風は拡散せずに途中で止まる。
精霊が止めている。
ライドは男の口にした殺せないとの言葉を反芻する。この襲撃者の目的にはソドムも含まれるか。ライドは目を細める。
しかし、手が届くと思った瞬間、脇から身体が宙に浮き、視界が回った。縦方向に投げられたからだ。そのまま、男はライドの後頭部を地面に叩きつけようとする。男が側面から足を引っ掛け、顎を打ち上げた結果だ。ライドは身を捩って逃れると、足から着地し、地面を転がる。
見えなかった訳ではない。動き以上に早く感じた。一歩、一動作に含まれる行動が多い。つまり無駄がない。
ライドが起き上がると間もなく、間合いをつめた男が足を地面に踏み出す。
辺りの地面が砕け、ライドは足場を失い宙をかく。あっさりと動きを止められた。軽戦士の恥だ。次の瞬間には打撃が襲う。
何度か防いだが、大腿部や鎖骨を上から拳が叩く。衝撃を分散できない。何度かの打ち合いで肘を頭に受けて、血が滲む。これだけの身体機能差があっても不利なのか?。戦士の歩法が使えないにしても技量差を痛感する。
ライドの故郷には戦士に必須の技術がある。衝撃を体全体に散らす技だ。故郷の獣は大型になれば打撃部が数十メール四方に及ぶ。風の壁を越えるこの手の攻撃は、初動を誤れば躱せないし逸らす先もない。受けるしかない。しかし、これを部位で受けたら戦士としての命は終わる。それを避ける為、衝撃を全身に散らす。この技は身体の体積と受けた断面積に比例して効果が増す。この為、故郷では身体が大きいことが戦士の条件だった。
その技術が使えない。足場を崩されまともに移動できず、上下に撃ち抜かれる。顎をかち上げられ、上から頭や鎖骨、大腿部に打ち下ろされる。地面から離れる方向に飛ばされる。特に、相手の腕と此方の腕が触れれば関節を壊れる方向で投げが来る。「知覚」を抑制していることもあるが、動きが捉えられない。
打撃一つとっても考え方が違う。
ライドの常識では、狙いを定め、その場所に向かって、足から腹、背中、肩に最も短い距離で力を伝えるのが打撃の技術だ。ここでは、威力を犠牲にしてでも速さに拘る。狙いは急所。2足歩行の人は元々立っているのが不安定な生き物だ。頭を動かされ、重心がずれれば動きは止まる。ライドは特に、男が振るう肘を曲げた形の横や下からの打撃に戸惑う。肘から先の長さの分、打撃が近くて発生する。分かった時には顔の側だ。そして動きが鈍ると肘や膝が頭を襲う。それは受け続ければ顔が腫れ上がる水準だ。
男の技術はロニより低い。姿勢や動きに惹かれないし、初動も見切れる。ただ、それでもライドには反撃の糸口がない。
更に未熟と思っていた男の戦士の歩法にも手を焼いた。未熟ではなく、そういう技術だと知る。自分の周囲を球のように覆った内側は、男の「力」に満たされ、初めから腕を掴まれているかのように制御される。
「嘘だろ?。お前、何なんだ?。「霞」できてないよな?!。あり得ないだろ?。何でついてくるんだ?。何なんだその頑丈さは。生捕ってのはお前のことか?。手足砕かなけりゃ無理だろ。」
少し間合いをとった男は、想定外のライドの頑丈さに肩で息をつき、ライドを怯えた目で見る。して捨てた剣を探し始めた。
混乱している。何とも辿々しい動きだ。その気持ちは分かる。格の違う戦士同士では、どんな武器も技術も役には立たない。だと言うのに、ライドは戦士の歩法なしで、近い動きを実現させる。
しかし、想定外に落胆することのはライドも同じだ。素手同士で相手を掴めないとは思ってもみなかった。
だが、戦力は劣っても剣を取られなければ負けはない。身体機能の差を活かす手段はまだある。
ライドは身を伏せ、地面を削るように走る。奇襲であり、足で地面を掴まず加速する為の手段だ。
剣を拾わせる訳にはいかない。
辺りの地面が砕け隆起する。男が戦士の歩法の為に保護する地面に、ただの破壊力だけで対抗し、粉砕する。
その砕けた地面の壁は森の人にも襲いかかる。地面が隆起し、土の壁が倒れる。牽制にはなるだろう。
精霊術は物量を動かすのは得意だが、物量から守るのは不得意だった筈だ。
男は戦士の歩法の為に下がる。男に砕けた地面を走れる「力」や技量はない。
ライドは男の探していた剣を先に拾う。
ライドの進む先から逃げようとする男の動きを「知覚」で掴み、拾った剣の鞘を投げて牽制する。
そして、足の止まった男との間合いを詰める。男の技術は自分の腕の届く範囲内に限られている。そして同格の大きさしか想定されていない。ならばそうではない姿勢をとる。それがライドの答えだ。
地面と並行のような格好で、弧を描きながら男の足元に飛び込む。
足首の近く。男の作り出す球の内側で、石を熱するように掌から身体機能に使う「力」を走らせる。
男の発する「力」の中で干渉する。力で満たす行為には欠点もある。相手の力を十分乱せる「力」と技術があれば、乱気流のようにうねりを起こせる。男は距離を取ろうとするが距離は取らせない。
瞬き一つの時間。ライドは数度の打ち合いで男の足を掴む。引き倒して足を折り、首の後ろを押さえつけて乗り掛かる。いつでも首を折れる。その意思表示のために一瞬、力を込める。
「まじ、か、よ。」
「胸を貸すと聞いたが、気のせいか?。塀の人。がっかりだ。だが目的は達成した。もう暫く待っていろ。」
森の人の言葉にライドは弾かれるように周りを見る。荷車が壊され、そこには森の人が立つ。地面の隆起は森の人の牽制にならなかったらしい。精霊術の扱いも故郷より優れているか。
荷台から降りて、走り去る捕虜の背中を見送る。
戦士長を自由にはしたくない。そのかわり、ライドは森の人の声音に疑問を投げかける。
「男か?」
どうやら女にしか見えない丸みのある顔つきだが、森の人は男らしい。
「当たり前だ。悪魔の餌の為に同族の命を弄ぶ蛮族め。未来に続く命を殺すのか?。」
怒りの言葉に反する、間の抜けたゆったりとした口振り。
「精霊術を使うお前が、まとわりつく白い塊が見えないのか?。」
「未来は決まっていない。過去に人を殺せば次もそうなるのか?。理由も知らず、推論で犠牲を決めつけるのか?。自分にそれが起きた時を考えろ。傲慢にすぎる。」
犠牲。それを強制するのはこの地の長の選択だ。貴族はそうしてこれ程の数を養う集団を作り上げた。正しさは普遍ではない。何を基準にするかで変わる。生きる権利を謳うなら森の人の価値観でも信賞必罰は命より重いはずだ。しかし、森の人の言葉には「罰」の概念が感じられない。
「俺にとって数を生かす道こそ正しい。捕虜の命は過去の罪の対価に、未来の利益の為に消費される。あの捕虜が失わせた命は失われて当然だとでも?。」
「命は存在することに価値がある。そんなに惜しいなら、同族の命を悪魔に焚べずに蘇らせるんだな。」
「罰は必要だ。そして罰はそこに活かされる。命はより多くの命の為に役立出せることができる。」
ライドの言葉にソドムがため息をつく。
『貴族に夢を見過ぎだ。貴族だって犠牲なりたくない。言い訳が見つかれば、その利点を誇張してもっともらしく逃げる。』
貴族にとって失敗の責任とは取り返すことを指す。罰は、命の価値を自分の都合で書き換えた者にのみ行われる。最終手段だ。では誰がそれを決め、判断するのか?。貴族だ。自分で判定を下せる存在だという。
ソドムの話す間も、ライドは森の人に問う。
「避けられる死を見過ごすのは奪うことと同じだ。あの捕虜の行動は予測できる。あの白い塊があるからな。あの男の求める庇護を与えられるこの近くの存在は賊だ。その手土産を最短で手に入れたいところで馬車に合う。お前は考えることを放棄しただけだ。その馬車にある人の命を失われてから評価するのか?。そして吸血鬼が救う命を考慮していない。人の手に余る脅威を野放しすれば集落が滅ぶ。吸血鬼はそれを防ぐ役割を王から与えられ実行している。どちらが数を増やし、どちらが数を減らすんだ?。」
「私の命は私のものだ。お前の命は違うらしいな。暴動を防ぐ為、英霊として使い易い記号に成り下がれと言われて「聖人」事業の為に命を捨てるんだな?。どうした。数が減らないぞ?。自決し、悪魔の血を減らせ。お前の判断だ。吸血鬼を減らす英霊になってみせろ。」
「ただの推論と実績、今も示される白い塊が示す証拠を何と比較する気だ?。比較の仕方も知らないのか?。暴動がどこにある?。逆に吸血鬼の命には大勢を守る力がある。そして、お前の逃した命は今まで命を奪い続け、何も代わっていない。」
森の人はライドの返答に侮蔑と嫌悪を込めてライドを睨む。言葉は丁寧だが感情的だ。
もうライドしか見えていない。挑発のしがいのある相手だ。ライドは時間稼ぎに乗る。
ソドムの言葉はその間も続く。
『貴族の統治方法には逃げ道があるぞ。そのせいで行き止まりだ。だから私は反対する。逃げ道とは、敵を作って価値を奪い、負債を全て敵に押し付ける道だ。この行為に慣れたら味方には何が求められる?。早さだけだ。中身は問われない。』
ソドムは一呼吸おく。
森の人はすぐには口を開かなかった。代わりにライドの四肢に微量な外力が加わるのを感じる。
森の人は森の人の目的で時間を稼ごうとしたか。成る程、思惑が噛み合った上での罵り合いか。
「ただの責任転嫁か。塀の人らしい。吸血鬼の持ち込む死は定期的に訪れる。齎す死こそ大勢だ。自分の命に価値を見出せない愚物が他人の命を語るな。吸血鬼は毒。初めから毒に頼る考えて脅威に屈するなら、陣取りゲームに明け暮れた愚か者達の自業自得だ。それを弱者に押し付けるとは恥がない。」
その森の人の言葉とソドムの言葉が重なる。ライドはそれをより分けて記憶する。
『最も早い結果はどう手に入れるか?。探して奪うことだ。そこに理解や知識は必要ない。奪う結果を間違えなければ、上手くいく。でもいつまでできる?。次の世代になり、内容を放棄して早さに拘れば、手に入るべき結果を持つ者はいなくなる。損するだけだからな。領民に考える力はなくなる。精々、失敗の責任を押し付けることくらいしか、考える先がない。こうなった集団が自分の身を守る手段は決まっている。都合の良い決まり事を作り、結果を制御できる決定機関を作る。約束事に沿わない手段を受け付けず、結果を操作し、さも上手くいっているように見せる。ここまで堕ちた領民に何かを挽回する力はない。頭がないからな。緩やかな衰退、自主的な滅亡だ。』
今のセレ国には、その道に入ろうとする兆候があるとソドムは見る。
『貴族には正当化する力がある。本来、考える力を育む機関は簡単にできる。発表の場と正当な褒賞や行使の権限を与えればいい。だが、そんな組織は貴族から見れば利権の山だ。旨味を知っているから見逃さない。間に入り、手続きを作り、参加権を制限し、自分の意に沿った方向に誘導する。それが貴族政治の行き着く先だと思っている。』
その仕組みの中に潜む危険を語るソドムの話は半分もわからない。しかし、だからこそ価値が浮かび上がる。
聖人君子にしか運用できない仕組みに価値はない。しかし、目の前に壮大な結果がある。この壮大な結果が犠牲なしに生まれるはずがない。それはライドの思い込みか?。少なくともソドムはそう指摘する。
なら、この仕組みは長である貴族の資質に関係なく効果が得られるものなのか?。格好の違うものが歩くローレンの通りの景色から違和感が消える。責任を押し付け、自分の都合で違反を黙認する見慣れた長の姿がそこに重なる。
心が軽くなる。ソドムの指摘する欠点はまだどうでいい。まずは仕組みを学ぼう。その行使者は故郷の長でもできることが重要だ。その上でソドムの指摘を改善できればいい。
「こちらに向かう馬車の護衛が2人死んだぞ。助けを求める振りをして騙し討ちだ。お前の怠慢が死につながったな。何故、解放した?。」
「結果論だな。それも吸血鬼が大元の原因だ。取り除がなくては繰返される。」
「その言い訳は死んだ命に言え。森の人の目的の為に犠牲になった、失われずに済んだ命だ。「せいじん」としてその死に理由をつけたらどうだ?。利用できなければ失われた命は無駄になる。命を失わせて、更に無駄にするのか?。」
囮は終わりだ。1人離れた場所にいた襲撃者を拘束し、此方に近づく姿を「知覚」する。
「時間稼ぎはお互い様だったが、結果は違ったな。」
森の人から答えは返らない。当然だ。ライドに仕掛けたであろう精霊による拘束が、今は森の人や足元の戦士を縛っている。ライドへの拘束はもう解かれている。拘束と呼び難い程の綿の糸のような拘束だったが、重なれば油断はできない。
そして、地面から黒い衣装を着た女が地面から染み出す。此方も新しく現れた美丈夫が拘束済みだ。
地面から染み出した女の鼓動が止まる。死んだ訳ではない。「知覚」に映る気配が人型の岩になる。吸血鬼だ。
「犠牲者への哀悼はいりません。あれはジャニル殿が用意した代替の補給物資だそうです。まだ捕まっていなかった罪人ですね。ああ、2人の青臭い言い争いに私からも一つ。塀の人は罪に罰を用います。しかし、無駄な死は望むところではありません。死が相応しくてもです。吸血鬼への補給は死を役立たせる手頃な手段であって、思想や理由はないかと。」
森の人の背後に立つのは、もう1人の森の人の男だ。ただし、身の回りに侍らせる精霊の気配は赤子の模倣より強烈だ。
「レンドレル。吸血鬼の口車に乗って吸血鬼退治とは些か呆れます。そちらの戦士の方はジュール卿に引き渡します。もう離れて平気ですよ。」
新たに現れた森の人が、地面に倒れて動けない小さな女の姿に鋭い風の刃を飛ばす。その首と左腕をつなぐ線で上半身が綺麗に切断される。次の瞬間、空中に血管が網の目のように伸び女の上半身が再生される。再生されたのは、成人女性の上半身だ。子供のような体に大人の頭と左腕が生える歪な姿だ。
レンドレルが不満気だった顔を驚きに歪める。吸血鬼だと思っていなかったらしい。
それにしても異様だ。
吸血鬼が、ではない。森の人の放った風が、だ。
風に人を綺麗に切断する力はない。重さが足りない。風の柱ですら人を砕いたのは、加速された「物」だ。しかし、今森の人が見せた風には水、いや、それ以上の重さがあった。精霊術師の見方が変わる。この地では精霊術もその技術の高さも文明並みに進んでいる。
「初めまして。レーヴェと言います。ライド君。この子、レンドレルは預かりますよ。この子はまだ性別がはっきりした80歳の子供です。教育が必要な年齢です。罰は我々の流儀で行います。そして、これがソドム殿ですね?。初めまして。」
『私の糸を掴まれるとは思いませんでした。初めましてソドムです。レーヴェ殿。』
「学院で実式を教えております。導師と呼んで頂けると嬉しく思います。役職とは別の思い入れがありますので。」
森の人は塀の人のように軽く礼をする。口調も間延びしていない。塀の人の作法に慣れた森の人だ。
ライドは、額の出血に触れ、手についた血の熱を感じる。
ここから動かなかったのも、馬車の周りにある命が失われるのを見過ごしたのも、ミンウへの教育者の確保の為だ。しかし、見過ごせるようになってしまった。そんな悩む自分に舌打ちする。風の柱では子供の命を奪ったのだ。今更何を悔やむのか。その資格はない。
ライドは血のついた手で膝の埃を払う。
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