第13話

ライドはミンウを連れて奥の森に入る。夕陽より前だ。一行は野営準備を始めた。


ここは湿原と森の境を流れる川の畔だ。この湿原は滑らかで水を吸わない石の上に積もった土が作り出した。草もまばらで背丈も低いが生い茂っている。空の渦はほぼ真上。しかし、周囲に術者らしい人影はない。


不気味な渦は、下側に空に真円を描いて突き出ている。そこで雲が回わっているのだが、目に見えるほど早い。


学院生の2人は何かに気がついて話し合っている。騎士院生は野営地準備をしながら辺りの警護にあたる。


随分調査対象に近い。学院生はそれを望んでおり、指揮官の青年は、遠話で何処かに文句を言っていたが、最終的に受け入れたようだ。


「こっちだ。」


ライドはそんな若者を置いて、嬉々として、走り疲れたミンウの尻を叩く。


「なあ、先に水!。そこのでいいから。ちょっと時間くれって。」


ライドは、ミンウの言葉に「それは飲めるのか?。」と尋ね返す。


「何でだよ。水だろ?。」

「よく見ろ。そして、進みたい時こそ一度距離を取れ。これは獣の住処で生きる為に必要なことだ。その湧き水を見て気が付かないか?。何故虫がいない。何故土が変色している?。おそらく熱く感じる冷たい水だ。触れてみろ。そのあと臭いをかげ。最後に舌をつけて問題ないと思ったなら飲め。これは飲めば死ぬ。」


ライドはそう言って小さな湧き水の水辺にミンウを連れて行く。


「何か臭ぇ。」

「中を見てみろ。生き物一ついない。川ですら何かいる。綺麗な水はいい。だが飲める水には生き物が棲むものだ。そして外では水は濾して飲め。石やゴミは飲まない方がいい、濾すには今着ている布が使いやすい。」


ミンウはそっと水面に触れ、「いてっ。あつっ。」と叫ぶ。


「この辺りはいい水場が多い。もう少し先に行こう。」


ライドは地下のような滑らかな遠浅の地面が続く大きな泉にミンウを案内する。ここなら浅瀬で獣に忍び寄られることもない。


一頻り水場で飲み終わると、ミンウは懐から小さな赤い玉を取り出す。表面が少し溶けてベタベタしているようだが、ミンウは嬉しそうに口に頬張り、指についたベタベタを舐めとる。のほほんとした顔の学院生から貰った「あめだま」というお菓子だ。ライドも興味があったが、嬉しそうなミンウの顔を見ると、貰いたいという気は失せる。


「うめぇんだぜ!。」

「良かったな。」

「なあ、何で急いでんだ?。見せたいものがあるって、絶対ろくなもんじゃないだろ。」

「大蛙だ。」


目を輝かせて伝えるライドに、ミンウが泣きそうな顔になる。


「走るとき、大蟻を考えてるぜ?。あれじゃダメなのかよ。」

「大蟻は強いが遅すぎる。狩りで死につながるのは、不意打ちが得意な素早い攻撃だ。」


故郷では、地上班になる為に、戦士が乗り越えるべき獣がいる。大蜘蛛、大蛇、そして大蛙だ。この3種との戦いには、単独で行う狩の全てが詰まっている。特に死者を出すのは大蛇と大蛙だ。共に丸呑みという即死に繋がる不意打ちを得意とし、遠くから攻撃してくるが故に気配を掴みにくい。強さで言えば大蜘蛛が圧倒的だが、大蜘蛛は巣が大きく、住処が分かり易い為、予め逃げる準備ができ、仕掛けを自由に設置できる。強いだけで然程脅威ではない。これらを一対一で倒せれば、晴れて地上班だ。


「大蛙を体験できるいい機会だ。体験するのとしないのとでは理解の深さが違う。正確に想像できる。」

「待てよ!。おれくたくただぜっ?。」

「くたくただから意味がある。疲れていれば獣は見逃してくれるのか?。逆だ。弱った獲物を優先的に狙う。」


青ざめるミンウに、ライドは口では上手く伝わらないと、手を引いて進む。


大蛙の舌は大蛇より早く、気配や予備動作が掴み易い。「知覚」を磨く上でも適した相手だ。知識としては伝えている大蛙だが、その姿を葉の茂みからみつけたミンウは、案の定、「デケェ。」と驚く。体長2メール。言葉で聞くのと、ずんぐりとした大蛙を見るのでは迫力が違う。ほぼ正方形の大蛙は、2メールの獣の中では最も重い。


空気が冷え、空には赤みが差してくる。夕方の気配が強くなる。


ライドは喉を鳴らすのをやめた大蛙を見てミンウに開始を告げる。


「鳴き声を止めた。気がついたか?。大蛙がこちらを見つけた証拠だ。目を逸らすなよ。大蛙は歩いて近づくこともある。」


頭の中でソドムが『可愛そうに。』と呟いた。


「初めから上手くいくと思ってない。まずは見ておけ。」


ライドはそういうと、茂みから大蛙の前に姿を出し、一歩、二歩と足を進める。すると、大蛙は鳴き声を上げるように喉を膨らませると、次の瞬間、鞭のように舌を伸ばす。その距離大凡8メール。粘り気があり、尚且つしなやかな舌は、ライドの横でパチンっ!。と音を立てて口の中に戻る。それを2度繰り返す。


「は、はえぇ。」


子供には早いだろうが、台座のついた弓矢の半分程度だ。初心者には辛いが、地上に出れば簡単な部類と気づくものだ。


「次はミンウだ。躱せ。」

「できねぇよっ!。食われるわっ!。」

「俺がいる内だ。食われる前に止めてやる。今のミンウが胃に入れば、全身押し潰されて骨まで粉々だ。俺がいる機会を逃すな。」


ライドの真剣な叱責に、「おれ、何やってんだろう。」と半泣きで立ち上がる。既に足は震えて上手く立てていない。


「恐怖で怯えた時点でミンウは餌だ。赤大蟻から学ばなかったのか?。」

「命預けるしかねぇんだ。怖ぇに決まってんだろっ!。」


ミンウが文句を言って、顔を大蛙に戻す瞬間、大蛙は2歩距離を縮めた。大柄だが、動きが鈍いと言った覚えはない。


ミンウがギョッとその距離に慄いた瞬間、大蛙の舌がミンウの首に延びる。流石に首に巻きつかられば折られて死ぬ。ライドは舌の伸びる位置を変え、少し動かした左腕に絡みつかせる。ミンウの目は舌を追っている。気のせいではない。目で見てはいない。未熟ながら感じている。そう確信する。


次の瞬間、ミンウの体は宙を飛ぶ。その体は大蛙の口元で、舌を握り潰したライドの手により解放される。ミンウの左手が不必要に長い。肩が外れたようだ。


ライドは痛みで声も出ないミンウの肩をはめる。ミンウの絶叫が響き渡る。その間に大蛙の頭を潰す。今夜の肉だ。


肩をはめた痛みに涙をボロボロ流して呻くミンウに、今のやり取りの検討をしながら飯にしようと宣言する。


ミンウは大蛙の舌を認識していた。これは行幸だ。「知覚」を自然と認識し、使おうとしている。


しかし、検討の機会は訪れなかった。


夕暮れの赤い光が強まり、離れた場所で狂ったような幼女の嘲笑が鳴り響く。


「上見ろっ!。上!。」


ボロボロ涙を流すミンウが、突然叫び出す。ライドがその指に導かれて空を見上げると、渦のように回る円が細くなり、回転を早めながら地面を目指して降りてくる。降りる場所は僅か400メールほど先。若者の野営地からは200メールもない。


赤から黒に変わろうとする空に、太い柱が降り立つ。


極太の風の柱だ。湿原の水が巻き上げられ、一瞬で当たりの草や土がなくなる。


遠くで、危急を知らせる笛が鳴る。スタイファの合図だ。


「全力で逃げろっ!。自分の身の安全だけ考えろ!。」


ライドはミンウの耳を押さえ、目の前の木がしなって揺れるほどの声量で叫ぶ。


風の壁の半分に届く強烈な渦は、隠れ里の2割程度の半径に収束され、樹々や岩を一瞬で巻き上げる。回転する風の流れが早い。


風の壁の速さの3割を超える。


赤から黒に変わろうとしていた空は、風の黒い柱に塗り潰され、うっすらとしら灰色の世界に変わる。


轟音を立て、突然風の柱が一気に里の全域ほどの太さに拡大した。


風そのものは大したことない。ナリアラでも飛ばされない為には戦士の歩法が必要だが、飛ばされても空中遊泳するだけだ。飛来物から致命傷には受けないだろうし、無事着地する。人の体はどの高さからでも風の壁の2割程度の速さ以上に加速しない。ディーンやハリスは助からないが、シャビの仲間であれば、死にはしない。しかし、ミンウは違う。着地の衝撃には耐えられない。


ディーンの予想が当たった。風の柱を見てそう思う。慧眼には驚かされる。


「ミンウ!。口を閉じてろっ!。」


すぐに離れればミンウに負担にならない速さで逃げ切れた。此処はまだ風の壁の1割に満たない速さだ。足はとられるがまだいける。


しかし、ライドは逃げるのではなく、風に流れる声に引き寄せられるように野営地に向かった。


普段なら「知覚」で確認するが、今の「知覚」の出力では「気配」が小さすぎて分からない。


辿り着いたライドが見たのは、3頭の馬が走り去る姿。その内一頭には軽装の、のほほんとした女が押さえつけられている。女の手は後方に伸び、しきりに叫ぶ。その手の先には、スタイファが木を掴み、地面に伏せている。もう片方の手で、体が浮きかける気の強い女を地面に押さえていた。


程なく気の強い女の体は、布地が風を受け、回転しながら、上空に消える。そして、金属鎧を身につけるスタイファも同じ道を辿った。


ライドも動けなかった。風の柱はライドに向けて進み、その速さは戦士でない大人が走るよりずっと早い。悩む間もなくライドの体も巻き込まれる。


ライドはミンウを抱えて風に乗る。風の抵抗を手足を開いて制御し、姿勢を立てる。そして風の流れと並行に飛んだ。


あちこちで速さや方向が微妙に違う飛ぶ岩や樹木が互いに衝突するのを見る。


ライドに向かって肩からちぎられた人の腕が飛来する。


誰の腕なのか?。スタイファか?。気の強い女か?。通り過ぎる肩から下の腕は、太さを確認するまでもなく視界から消える。


石や砂が多く、遊泳を楽しめる状況ではない。ライドはミンウに耳を押さえさせ、抱えるようにしてミンウの口の前に空間を作る。


「歪」を確認する。地面に降りる為に、地面が見える「歪」を利用しなくてはならない。しかし、「歪」の中には普段考えられない程の「歪」の獣が溢れていた。10や20ではない。何が「歪」の獣を引き寄せたのか?。分からない。その生き物の数が「歪」の距離を短くする。「歪」の先に空しか見えない。足場にできる物がない。


落下の加速が速くなれば、着地でライドが軽減できる衝撃は高が知れている。ミンウは助からない。


外向きの「力」は使えない。どこかにジャニルがいる。そして、ジャニルが追う者も。ライドは欠陥を知られることを最も恐れる。知られてしまえば、知られるまでの一瞬に生まれるであろう逃げる隙を捨てることになる。


何処までミンウを生かしたいのか?。誰より生かしたいのか?。


こんな悩みは戦士にあるまじき失態だ。戦士に拘ることをやめ、中途半端になったか。


ミンウは生かせるのか?。「歪」から覗く複数の獣と睨み合い、ライドは外向きの「力」で、その顔を消し飛ばしてやりたい衝動に駆られる。


「歪」の獣の外観は、馬の骨頭部の骨が一番外観に近い。その歯を全て牙に変え、人の手の骨のような前足を2つ隣につければほぼ同じだ。


嫌な汗が流れる。「歪」なしでミンウを地上に下ろす手段が思い浮かばない。


目の前に馬が2頭、キリ揉み状に飛ばされ、暴れているのが見える。


そして、2種類の叫び声。


どちらも石や砂に紛れる程度の弱い存在で方向が掴めない。


1人がライドにぶつかった。その鎧の胴を掴む。しがみつくミンウの首を抑え、飛んできた人の頭もライド自身の体を風除けに使う。


体勢の維持が難しくなる。


と、目の前を、逆さまにのほほんとした顔の女が過ぎ去る。ライドと目と鼻の先だ。逆さに流れる体の顔が丁度近い位置だった。女の髪がライドの顔にぶつかり、互いの視線が絡みあう。しかし、ライドに伸ばせる手はない。その姿は風に流され、茫然とライドにむけて手を伸ばしながら消えた。その姿が消えるまで、何の因果か目が合っていた。


外向きの「力」を使えば確保できた距離だ。自分の為に使えなかった。しかし、使う余裕はあった。


ライドは右手で捕まえた男を膝を曲げて固定すると、兜で身と耳を守るよう叫び、内輪に移動するよう、足で風を制御する。


やがて、風の壁の中央にたどり着くと、急に水平方向に風の流れが変わり、外に放り出される。天頂には黒い闇が広がり、地面があるはず下の方からは赤い光が差し込んでいる。ライドは回転しながら離れていく風の柱の上部を見る。ここは一体どれ程の高さなのか?。地面は緑の色石を多く並べたような景色で、雪山の頂が少し下に見える。明らかに息苦しい。上から眺める空の渦は、視界一面に広がる巨大な穴だ。巨大な生き物のように見える。


落下が始まる。


全身に強烈な風を感じる。


数瞬後、風の柱が地面に伸ばした足を引き上げ、空の渦に戻っていくのが横から見えた。再び姿を戻した風空の渦は、雲が流れる巨大な壁だ。


落下の加速は一定になる。しかし、このまま着地はできない。衝撃でミンウが持たない。かと言って、覗ける「歪」に地面が見当たらない。


ライドはもう片手に掴む命に目を向ける。この若者もまた、このまま着地すれば死ぬだろう。


ライドは「知覚」を一方向に伸ばし、遙か真下の「歪」を幾つも見定める。その中に同じ方向に飛ばされてきた瓦礫やゴミを蹴り込む。外れるものもあれば入るものもある。ある「歪」を通った瓦礫が、更に下方から上向きに噴き上がり再び落下する。


狙うべき「歪」を見つけた。


ライドは騎士院生と自分でミンウを囲うように覆って「歪」に入る。


重力が逆になる感覚。そして、若者の苦痛の声。「歪み」抜けた体は一度上昇して上空で静止する。


辺りに血が水滴のように散らばる。苦悶の声がすぐ近くで立ち上る。


ライドは兜が外れた苦悶の声の主、血塗れの若者を見る。そばかすの多い若者、カディスだった。


「あ、あかっ。ぎ.きゃ!。」


ライドの腕を掻き毟るようにカディスが握りしめる。鎧の隙間から火が飛び散る様子を見て、ライドは「歪」の獣が複数背中に食いついていると知る。


カディスは白目をむき、口から血の泡を吹く。


「助け!たす!たすけ!。痛い痛い痛いっ!。喰うなっ!。痛っ。喰わないでっ。やめてぐ、がっ!。」


風に遮られ、ライドにしか届かない声。これはライドがこの若者にしたことだ。


骨を砕く音も、肉を啜る音も聞こえない。心臓がなくなっても、体を食い尽くされるまで、意識も痛みも消えない。それが「歪」の獣の食事だ。


「かっざっ。あーざっ。ざむっ。い。かぁぶぁ。」


ただ、口から血を吐き、助けを求める若者の声をライドは無視する。その下半身は既にふにゃふにゃで、鎧の下にあり得ないほど長く伸びる。背骨を喰われたからだ。その首が後ろに倒れ、切れて落ちる。首を食い尽くされたからだ。ライドの腕を掻き毟る指が離れた時、そこには鎧しか残っていなかった。


その間、ライドは落下を続ける。加速を抑える為に、背中を広げて風を受け、ミンウを腹側に抱える。「知覚」を抑え、下を探る。「歪」を通り抜けるこの手はもう使えない。ライドだけではミンウを覆い尽くせない。


ミンウの生命力を信じて耐える。「知覚」が地面に届いてからは、地面の見える「歪」を通して、螺旋状に駆け降りるように減速を繰り返す。


何処からか再度女の子供の突き抜けたバカ笑いがする。腹立たしい。この声の主はこの件に無関係なはずがない。


減速の衝撃にミンウの頭が激しく揺られる。手で緩和するがミンウの鼻や目から血が流れる。


「ミンウっ!。」


故郷の者では、助かってもまともに回復は見込めないか?。しかし、この地域の人は異常な回復力を信じる。


地面に降り立つと、辺りには木や石の破片に混じり、軽装の衣服の破れかす、そして馬の一部が散乱する。潰れた鎧も視界に入る。


風の柱から飛ばされた残骸と、「歪」の獣に食い荒らされた残りだ。


ミンウの呼吸はしっかりしている。ライドはミンウを平らな地面に横たえ、体の状態を調べる。これでミンウも助からなかったら、ライドは自分を許せるのだろうか?。無駄な思考だ。考えるまでもなく赦す。故郷にこの地域の仕組みを持ち帰る為であり、俺の命を守る為の行為だ。


僅か数日で、これまでの価値観が崩壊していく。


この地が常識が違うからだけで済むことではない。ライドが目的の為に生き方を変えようと、急激な方向転換を繰り返した結果だ。何処かで身を落ち着け、この地の常識とライドの目指す価値観に折り合いをつけなくては、ライド自身が価値観を見失う。危機感を覚える。


辺りからは最後の赤い夕日の光が消える頃、地面に横たわるミンウは「知覚」で見る限り、身体の機能は無事なようだ、


気味の悪い回復力だ。しかし、今はそれが有難い。後遺症の有無は目が覚めてみないと分からないが、何もないと期待したい。


ライドは一息つくと、人らしい肉の一部を集めて穴に埋め始める。


これは誰の肉なのか?。最早個人どころか性別も分からない。しかし、若者の誰かの一部、その可能性が高い。


乗り手のいない馬が一頭戻る。怯えたように嘶き、ライドに首を押し付ける。


ライドが首を撫でてやると、安心したように弱々しく鳴く。意志を感じるような応答だ。獣にしては知能が高い。「うま」とは人懐っこい獣なのか。


馬の乗り手は途中で振り落とされたようだ。しかし、「知覚」を馬の来た道に人はいない。気絶しているか、落馬後に風の柱に飲み込まれたかだ。


ライドは自分の掌を無意味に見つめた後、硬く握り込む。


自分の意思で、自分の手で若者を殺した。戦士の矜持をこれでもかと踏み躙る行為だが、此処の社会の仕組みを学んでいけば、何れ自分の意思で犠牲者を作る時が来るとは思っていた。領地の利権は勝たねば増えない。増えねば領民の暮らしは向上しない。因果な仕組みだとは思うが、力を集めて競争した結果、地上にこれ程の人の数を養える土台ができたのだと思っている。


ただ、今回の犠牲はこの地の長の行い、仕組みには何も繋がらないだろう。命の取捨選択の結果で、救われた命がミンウであり、どちらかを犠牲にしなければ2人とも失われていた。それだけだ。


里で失われた子供の命は憤りの対象だ。しかし、その選択をした老人をライドに責める資格はあるのか?。老人はあの時、死体を見せなければロニから言葉を引き出せないと判断した。里にいる若者を守る為、外部の子供の命を犠牲にした。それしか道を見つけられなかったからだ。ライドは今、己の欠陥を隠す為に、使える手段を封印し、騎士院の青年、カディスを犠牲にした。


何が違うというのか?。


「人が、人の命を取捨選択するのか。」


より大切な人、より多くの未来の為に、命を選択する。その権利があるのはより強い方だ。強者には選ばないという選択肢はない。何もしなければより多くの命が失われる可能性がある。ただ、弱者には選択肢がない。


ただ、この場合、弱者とは腕力をささない。最も近い力は権力だろう。腕力を含め、生活を制圧できる力だ。


辺りから光が消え、闇が全てを隠す。埋め終えたライドはただミンウが目覚めるのを待って隣で佇む。


夜も更けた頃、ミンウが目を覚ます。意識もはっきりしており、思わず安堵の息が漏れる。


「みんな、死んじまったのかよ。」

「ああ。」


ミンウが震える声で呟く。その右手は服の裾を力一杯握りしめている。程なくかすれる声で、姉ちゃんと口にすると、顔をくしゃくしゃに歪めて咽び泣く。懐を抑えているのは、そこに服に張り付いた「あめだま」があるからだ。


「報告に帰る。騎士院生と学院生の働きを伝えたい。」

『それがいいね。これ以上、調査は進められない。ただ、ジャニル殿の姿が見えないのは気になる。』


ソドムと少し話をした後、ライドはミンウを馬の背に乗せ、自身は轡を引いて歩き始める。


周りは荒野で目印も音もない。しかし、ライドは「知覚」で地形が大体わかる。此処は野営地まで数刻の位置だ。風の柱に随分運ばれた。


無言で歩く。


耳に騎士院性と学院生の声を聞く。不意に視界が昼間の光で満ち溢れ、昼間の光景が色鮮やかに映し出される。


声高に意思と反目をぶつけ合う若者。未来に妥協しない荒削りな主張と意地。その動きが、声が、音が、ライドの目の前で現実のように繰り返される。しかし、やがて脳裏が映し出した昼間の姿が消え、闇が戻る。


静かだ。馬の歩く音と、ミンウの咽ぶ声だけが聞こえる。


「助ける気もないのに同行した。」

『彼等は助けられることを期待してた訳じゃないだろう?。それに彼らの死は無駄じゃない。特に学院生の方は実式で報告していた。学院だろうね。その成果は確実に伝わっている。』


ライドは拳を全力で握りしめてゆっくり開く。ソドムは最低限の役割は果たしたと言っている。この地でいう、正しく犠牲となった命だ。


当たりに熱気が漂う。後悔に苛まれる。徐々に。徐々に。蝕まれる。


あの時、ライドが野営地に残っていればどうなっていたか?。少しでも逃げる助けになれたのか?。何人かは逃げ延びられたのか。


ただ、生きていて欲しかった。


再びライドの隣から騒ぐ若者達の声がする。しかし、自分の手で死に導いたカディスの姿が後悔する資格はないとライドに突きつける。


カディスはライドが望んで殺したのだ。


『此方の仕組みにようこそ。ライド。自由と勝利、自責と後悔の世界へ。君の葛藤だけは、この地の長と同じものだ。』

「考えを読めるのか?。」

『君と私は考える道筋が似てる。』


それは奇遇だ。ライドはソドムの言葉に小さく笑う。ライドも地下でソドムにあった時からそう感じていた。


ミンウは助けられた。それは成果だ。そう思い直す。


「腹が減ったな。」

「おれもだよ。にいちゃん。」


泣き止んだミンウも疲れた声を上げる。実際、疲れ切っている筈だ。昼から走り込まされ、先程は極度の緊張に晒された。


「一人、同行者を増やそう。」そういうとライドは声を張り上げる。「ジャニルっ!。情報交換がしたい!。」


ライドが叫ぶと、遠くから「お酒とかどう?。飲みながら話さない?。」と声が返ってくる。その存在は、ライドの「知覚」には岩か石に映る。しかし、その形は紛れもなく人。そして動いている。ライドは夕暮れの時、ミンウの回復を待つ間にはジャニルを見つけていた。


「喉乾いたー。腹も減ったよ。頭の奥だけかっかしてんけどさ。」


馬の背に乗るミンウは務めて明るい声をあげる。泣いて故人を供養する時間は終わったらしい。迷いのない声だ。


その目は闇を通して、ライドを迷いなく見つめている。


「にいちゃん。やっぱ夜なのに見えてんだな。すげーよ。」

「感じ取ってるだけだ。ミンウ、お前も見えてるだろ。目があってるぞ。」

「えっ。あれ?。にいちゃんの顔は見えんな。でもこれ、見えてんのか?。何か形もぼやけて輪郭しかわかんねえ。」

「意識を凝らしてみてくれ。訓練しよう。まずは馬の背中、そして足だ。」


ミンウは見えている。ライドは口元を微かに緩める。


ライドは光のない闇の中、声のした森の方に進む。ジャニルが何故合流せずに離れているのか。疑問は多い。


ライドが木々との境に、たどり着いた時、ジャニルからは酒臭い匂いがした。既に呑んでいる。


「待ってて、灯りつけるから。でも驚いたら嫌よ。私って綺麗なの。」


ジャニルが灯したのは実式の白い光だ。それをキャシーのようにランタンの中で作り出し、蓋で調節する。


灯をつける前、ジャニルの案内でライドとミンウは適当な木のウロに腰掛ける。ジャニルから水と酒を振る舞われ、ミンウは水に飛びつく。ライドは初め、酒を望んだが、思った以上に喉が焼け、水を求めて飲み干す。どれ程の酒だったのか?。念の為、毒除去の為の身体機能の活性化は忘れない。


「まあ、不満はあるけどご苦労様。ミンウちゃんが生きて帰ってきたから及第点にしてあげるわ。報酬は荷物の損失の補填で消えるから。でも被害の請求は出さないわ。」


実質タダ働きだ。


ライドはため息をつく。ジャニルはピンクのフードを取り払い、顔を出す。香水の匂いが酒に混じって漂う。


ジャニルの容姿は確かに整っている、切れ長な目に形の良い口元。美しいが性別を感じさせない人造の不自然さがある。その肌は青白く、疲れて見える。白眼の真ん中の瞳は、染料の原液を垂らしたように赤い。


「化粧が凄いな。男だろ?。」


ジャニルは口紅と目の周りに、セリーヌのような女物の化粧をしている。


「いやねー。男とか女とか。そんなのどっちでもいいじゃない。私はジャニル。ジェシーって呼んでね。」


その言葉にライドとミンウも名乗る。


「男にジェシーはないな。死喰人でないなら、それでいい。」

「やっぱり気がつく?。でも反応薄くない?。意外よ。私はね、王に飼われる吸血鬼なの。どう?。驚いた?。」


続くジャニルの言葉にミンウが硬直する。ハッシュベルで耳にした名だ。しかし、特に感慨はない。


「風の柱が降りる時、何かと戦っていたな。俺は子供の馬鹿笑いを聞いたんだが、あれはなんだ?。」

「流されちゃった。脅かすつもりが逆になっちゃった。」


ライドの質問にジャニルは面白そうに頬杖をつく。


「飼い主が居るのだろう?。今ならその意味がわかる。興味ないな。」

「にいちゃん!。よくねぇだろっ?!。でも、待てよ。流石にねぇよ。自称ってやつか?。」


ミンウの問いに、ジャニルは、にこりと笑うと爪を手の大きさ程に伸縮させ、伸ばした爪で石を綺麗に切って見せる。


ミンウが目を丸くする。


「心音がない。話す時以外、呼吸もない。寧ろ何故存在を晒すのか知りたい。隠すものじゃ無いか?。人ではないと知られるのは何かと不都合だ。裏があると疑いたくなる。」

「「千里眼」が使える人に、心臓が動いてないのを隠しきれないわ。」


ジャニルはそう言うと、涼しい顔で、ライドに「知覚」の差し合いを仕掛ける。体外の「力」の働きを乱し、戦士の歩法を狂わせる技術だ。しかし、身体機能強化にしか「力」を使っていないライドには対して効果は低い。体内で制御された「力」を体外のから制御するなど、声で物を動かそうとする程難しい。


「「せんりがん」か。」


ここでの「知覚」の呼び名だろう。


「想像以上に慣れてるわね。もしかして、貴方がソドム=ゲシュタット?。」

「違う。本人と話すか?。」


ジェニルはライドの申し出に、笑顔を崩して悩む。


ソドムが『自分が異常と宣言してる。』と呆れる。ソドムはしっかり線を伸ばして聞いているらしい。


ジャニルは暫く悩み、否と返す。


「私、記憶、覗かれると不味いかもしれないわ。仕事柄ね。」


ジャニルは、残念。と肩を竦める。


「もうおれ、よくわかんね。」


ミンウは頭を抱える。この数日で、赤大蟻、大蛙とそれまでの人生で無縁だった獣と相対し、風の柱に呑まれ、今、「吸血鬼」と名乗る生き物と相対する。


ミンウにとっては人生、急展開だ。


「ソドムってのもおかしな奴なんだろ?。」


ミンウの意見にライドは同意する。一番おかしなやつだ。


「人ごとじゃねぇ。おれ、にいちゃんと風で飛ばされたよな?。どうやって降りたんだ?。聞きにくかったけどさ。にいちゃんも相当おかしいだろ?。おれ、もう一杯一杯だらな。」


ソドムやジャニルに並べられるとは心外だ。しかし、ミンウの視線は変化ない。


「凄いわね。ミンウちゃん。数日でそんなに素敵な出会いがあるなんて。」

「その親玉に言われたかねぇよっ。」


ミンウの叫びにジャニルは笑って応えるが、表情は真剣だ。


「ライドちゃん。数日見てたんだけど、それで隠してるつもり?。」


ライドの反応を見ていたジャニルが可笑しそうに目を細める。


「学院では常識なんだけど一つの体に意思は一つ。ソドムちゃんに乗っ取られてないライドちゃんはその時点で異常よ。昼間の学院の女の子達にも凄い睨まれてたでしょ。乗っ取られて見えなかったからよ。抵抗何て普通できないわ。」


ライドは眉を潜める。


ライドが時越えの人と知るキャシーやディーンは分かるが、金の刺繍の女やディーンの異母兄シャビはライドをどう見ていたのだろうか?。


「あとあの裸でのお祈り。体から湯気立ってたし。料理の方法も精鋭だと宣言してたわよ?。真似してみたけど、あの石を割らないように熱くするの、難しいの何の。」

「一つ訂正だ。」


ライドはジャニルの話の腰を手をあげて止める。その声音は真剣だ。


「ん?。何?。」

「祈りじゃない。鍛錬だ。体を鍛える行為だ。毛皮が腐ると臭いんだぞ?。脱いでやるに決まってるだろう。」


腕を組んでライドは怒りを抑えながらきつく返答する。ジャニルが「そ、そうなの?。」と引く。


「分かってくれればいい。」

「そこに拘るのね。返答に困るわ。」


乗り出したライドが座り直すと、ミンウも「変な宗教にしか見えねぇよ。」と呟く。此方にはオデコを指で赤味ができる程度に弾いて済ませる。


「ええと。私からの要件にうつっちゃおうかな。なんだか私も頭がこんがらがってきたから整理させて。いやねえ。こんがらがらさるつもりだったのに。」


ソドムはそう言って、自分の立場を話し始める。


「私の表向きのお仕事は、ソドムちゃんの確認と、ライドちゃんの監視よ。ライドちゃん自身の方が私には重要ね。ディーンちゃんから時越えの人って疑いの報告もあるわ。若すぎるけど、信じられそうね。」

「答える気はない。裏の目的は?。俺に相当な敵意があった筈だがその理由は何だ?。」

「あら?。あの「千里眼」の主もライドちゃんなの?。だとしたら、もっと若い子達助けられたと思うけど。」


ジャニルの声音にうっすら敵意が混じる。その答えが地上に出た翌日、ライドの「知覚」に声を乗せ、敵意を向けた者の1人だと白状している。


「よくわからないが、買い被り過ぎじゃないか?。俺は今目の前にいる通りだ。」



ジャニルはその答えに納得したとは思えないが、敵意を収めて言葉を続ける。


「人違いよ。ライドちゃんの気配は人だもの。私達が追ってるのは人じゃないわ。」

「それで張り付いて確認か?。暇だな。で、裏はなんだ?。俺をどうしたい?。暇でもなければ、態々時間を使うより、殺す方が早い。要求がある筈だ。」

「感じ悪!。でも、そうね。まだ話すの早いと思うんだけど。」


ジャニルは顎に指を当ててシナを作る。しかし、じっと凝視するライドを見て、まあいいか。と答える。


「死んだ時、吸血鬼化を試させて欲しいの。そして成功したら仲間になって。かと言って君を殺すわけじゃないから、寧ろ助けるわ。教育係として、立派に育ててあげる。どう?。表に出ない条件なら色々協力できるわ。例えばミンウちゃんの教育のお手伝いとか。私、騎士院を運営したこともあるのよ?。」


道中、相当側にいたらしい。ライドは内心渋面になる。紐状の「知覚」では対応できない。かと言って通常の同心円に戻すと、多分、ジャニルはライドの欠陥に触れてくる確信がある。ジャニルの「知覚」の技術はそれほど高い。


「老衰を待つ気か?。それは一生付き纏うと聞こえるが。」

「いやねー。大人になったら私と一緒に危険が多い仕事をして貰いたいなと思ってるだけよ。どう?。死んだ時に蘇れる可能性の提供よ?。素敵な申し出だと思うけど。」


随分丁寧な対応だ。今なら殺し易いだろうに、育てて強くしたら殺すこともままならない。ライドは訝しむ。


ジャニルは笑って否定する。


「仲間になって欲しいのに信頼して貰えなくてどうするのよ。それに、本人が望まなかったら、失敗するわ。この作業は本人の意志を精霊にどう伝えるかで成り立ってるから。教育する理由や、待つ理由は吸血鬼になった後の問題の為よ。吸血鬼になると成長が止まるの。身体も大きくならないし、精神的にも子供だとそのままなの。欲しいのは仲間よ。おままごとじゃないわ。どう?。御伽噺じゃない吸血鬼の話を聞いてみない?。考えるのにも情報は必要でしょ?。」

「聞こう。」


死んだ時に意志や記憶を保持して蘇れる。この提案に魅力を感じない戦士が居るわけない。それに今はソドムがいる。意見は色々聞ける。


ライドの返答にジャニルは大袈裟に喜ぶ。動きが気持ち悪く、距離を取りたくなる。女の真似をしているのだろうが、女らこんな動きはしない。


ジャニルは組織に属しており、その組織の正式名称は「近衛騎士団脅威討伐別働隊」というらしい。王の下で働く「吸血鬼」で、仕事は脅威撲滅だ。対価は良心の呵責のない鮮血の入手。ジャニルは最大の欠点として、鮮血が必要な体になると話し始める。


ジャニルとソドムの知識を合わせると吸血鬼とは次のような存在になる。


まず精霊は水、石、も含めて全てに宿るものだ。この常識は故郷と変わらない。


精霊は精霊界に住む存在で、こちらの世界には体の一部を乗り出して関与しているのだが、精霊界と此方では物の有り方が違う。最大の違いは時間の概念だ。


精霊界には時間の概念がない。


この精霊界の特徴をこちらの世界に取り込んだのが吸血鬼だ。此方の世界に残る体は、常に精霊界で認識される姿を保とうとする。病気、怪我、欠損、その全てはない筈として修復される。老化もだ。この維持能力は驚異的で、頭か心臓があれば、身体の全てを一呼吸で再生できると言う。


しかし、時間の概念から外れるのは肉体だけで、精神は時間の影響を受ける。精神の源を「魂」と呼ぶそうだが、「魂」は同種族の鮮血でのみ補充され、生きているだけでも一月30日で約0.6キ消失するという。その分補充が必要だ。体内に保管は可能だが、期間は約2ヶ月。


此処に大きな問題がある。


鮮血は風に触れないものに限る。つまり奪われる側は、動脈に穴を開けられる。失血死を避け難い。


「血にも味があってね。油料理が好きな血は、白くドロドロで、喉に張り付くの。吐き気を感じるくらいよ。でも健康な野菜や果物好きの血は、瑞々しいわ。それこそ果物みたいにね。男女の違いは好み。大抵は異性の血を好むわ。」


ジャニルは自身をロクでもない生き物と言い切る。


「私達は自分を人と認識してるわ。人を殺して生き続けるのよ。権力に養ってもらうのは良心の呵責を軽減する為ね。つまり、生き血の為に提供されるのは犯罪者よ。」


生贄に近い。ゾッとする。ゾッとするが、無闇に殺さなくて済むという点では頷ける。


「私もそろそろ戻らないとね。血を補給しないと。」


そういうジャニルは「あー楽しみ。」と笑うが、その目は昏く酷薄だ。


ライドに説明していて、笑い飛ばしたくなったのだろう。自分への嫌悪感を感じる。


他にも特徴がある。生殖行為は可能だが、生殖能力はない。汗はかかないし、呼吸も必要ない。体温や触感も体内の鮮血の量によるが、生前とさほど差はない。体力は無限だ。また、声を出す為には意識して肺に空気を吸い込み、吐きながら舌を動かす必要がある。生きていれば自然にできた行為が、吸血鬼になるとできない。睡眠もその一つだ。放置すると集中力が著しく劣化するが、日に数時間瞑想することで補う。飲食は可能。味もわかるが、唾液はなく、スープ系の食べ物以外食べにくい。食べたものはそのまま排出される。


吸血鬼になった時の身体能力が維持される為に身体的な訓練に意味はない。技術や知識は更新できる。吸血鬼化は身体能力を一定に近づける行為で、病弱でも精鋭近くまで引き上げられる。精鋭に足りない程度の力があれば、精鋭に引き上げられる。反面、上位の精鋭は引き下げられる。


まだある。


身体は一時的な整形が効く。この程度は、精霊に変化を認識されないらしい。しかし、部位が失われ、再生される時には元に戻される。骨はある程度自分の意思で伸縮できる。先程、ジャニルが意志を切ったが、爪ではなく骨だとか。結果的に外観に拘る吸血鬼は部位の欠損を嫌う。また、嫌うという意味では、吸血鬼は水を避けるとか。普段は変質した自分の体臭を香水で誤魔化すが、水に触れると流れてしまう。体臭が相当きついらしい。腐った肉の臭いだとか。


巷では不死と呼ばれるが、肉体は不死でも精神は不死ではない。肉体の回復には魂が使われる。その魂が失われれば肉体も消滅する。例えば魂が失われ自我がなくなる場合、食われて消化される場合、そして、日の光に焼かれる場合だ。


「火では死なないわ。精霊の再生力の方が強いから。皮膚の再生って、血の消費量が小さいのよね。吸血鬼に復讐したいなら火炙りは効果的よ。精神的に病ませること請け合いね。」

「日の光で焼かれるのにか?。」

「日の光が暖かいのは精霊が体に宿ってるからよ。私達も十分な鮮血を体に溜め込めば、血に宿る精霊で守られるから、裸でも2、3刻は耐えられるわ。どんどん身体は土気色になって気持ち悪いでしょうけどね。血がなくなれば、半刻で皮膚は消し炭ね。更に2刻もあれば、灰になって死ぬ。形が崩れるまでは生きてるから気をつけてね。」


この死ねる性質を、ジャニルは歓迎している。死ねるから生きたい。死ねるから、苦しくても耐えられるとか。理解は難しい。


これはソドムの知識と合わせて、正しい情報だと判断する。


「隠す意味ないもの。ミンウちゃんでも知ってるわ。」

「日の光で死ぬのは定番だぜ。でも食われて死ぬとか、血がなくて死ぬとか、聞いたことねぇよ。」


更に日の光に弱いが、吸血鬼は昼間の外出を好むという。夜、出歩いても面白くない。昼間の景色、そして人の活動の中で生きたいと。


ジャニルの暑苦しい装備はその為だ。厚手の服で日の光は簡単に遮断できる。そしてジャニル自身は暑くないし、汗もかかない。垢のような汚れもない。


ミンウの知る御伽噺では日の光の前では吸血鬼はあっという間に塵にかわるらしい。


「なあ?。血吸われた相手も吸血鬼になるんだろ?。勧誘する必要なくね?。どんだけの大人数なんだよ。王とかも、もしかしてみんな吸血鬼なのかよ。」

「吸血鬼になるには高価な道具と知識が必要よ。血を吸われてなれるものじゃないわ。今回みたいな勧誘を除けば、吸血鬼になるのは貴族だけ。神に背く邪法だから、1人でこそこそやるの。それに吸血鬼は平均寿命は500年ないわ。世の中って危険なのよ。」


ジャニルの話では、吸血鬼はある時期にまとまって死ぬという。脅威に自分の意思で挑み、死ぬ為だ。


「大きな周期がある脅威がいるの。王に望まれるのはそれを払う剣としてよ。」

「貴族様が人の為にかよ?。何か想像できねぇ。」

「吸血鬼になってしまえば貴族じゃないわ。元貴族。私達は子が残せないもの。血の継承を生甲斐にする貴族な訳ないじゃない。付け加えると、貴族が窮地に前に出てこないのは、その血を守る義務があるからよ。貴族は平民の為には死ねないわ。でも感情は別。故郷を怪物に踏み躙られて黙ってられる?。だから貴族の責務を捨てて、神に背く邪法、吸血鬼が選択肢に入ってくるの。まあ、正解の理論を組み立てられても成功の鍵は身体の強さ。精鋭でも成功率は3割。鍛えないと無駄死にね。今も王様が脅威を感じないくらいしか吸血鬼はいないわ。」


ジャニルの言葉にミンウが言葉を詰まらせる。脅威を滅ぼす。口調は軽いが隠しきれない強烈な意志の強さが滲む。その迫力に押されている。


作る笑顔が肉食獣の雰囲気を纏う。狂気をはらむ程、脅威を敵視している。


「それまではこの赤い酒が楽しみか?。拘るな。禁欲的な格好だしな。」

「ぶどう酒よ。美味しいのよねぇ。でも、禁欲的はないでしょ?。私も普段は趣味に生きる身よ。でも脅威を逃す気はないわ。これは私達「王の犬」皆に言えること。生きる理由。存在する意味。生まれた時代に捨ててきた繋がりに対する全て、よ。でもライドちゃんは吸血鬼になったら、相当弱くなるわ。引き下げられる幅が大きそう。その分成功率は高そうだけど。今回は可能な限り人の身で協力して欲しいわ。」


ジャニルの言葉に、ミンウが「何か、信じられねぇな。」と口を尖らせる。


「おれの聞いてる吸血鬼と違いすぎんだけど。吸血鬼って言っら、英雄に倒される脅威の定番だろ?。それが脅威に対抗するとか、逆じゃね?。」

「ミンウの知ってる吸血鬼について聞きたい。教えてくれるか?。」


ライドが促すと、ミンウはやや得意気に話し始める。その特徴に対するジャニルの返答を列記する。


心臓に杭を打たれると死ぬ(身体の自由がない場合に限る。失血による魂の劣化)。銀が怖い(怖くない。精霊を宿す森の人の剣は再生力を抑える効果がある。それは銀色だが銀ではない。)。視線で魅了する(大抵、外観を美男美女に作り替える。誤解と嫉妬の俗説)。聖水で焼け死ぬ(体臭の関係で水は全般的に嫌い。害なし。)。神のシンポルが怖い(ない)。不浄なる土で再生する(ない)。棺桶に棲む(ない)。蝙蝠に分離する(ない。しかし、王の私兵の制度前は洞窟に隠れ住んだ。)。


「吸血鬼は精霊との繋がり方の問題。神様から見たら、人と吸血鬼って、猪と豚くらいの違い鹿なんじゃないかしら。ミンウちゃんは教会の信徒?。」

「違うっ。もう信じるか!。」


ミンウは顔を赤くして否定する。


「大変だったのね。」

「分かったような口きくなっ。」

「ごめんなさいね。でも長く生きてるから、罪の無い人が生贄にされて殺される事例はいっぱい見てるの。思い出しちゃった。価値観に固執する人は否定されると暴走する。今回は御遣いって名前も悪いわよねぇ。教会を暴走させる為に名付けたのかしら。」


ジャニルは軽く謝る。しかし、ミンウの怒りは取るに足らない事例の一つ。そうも言っている。


「質問に戻る。風の中で俺の聞いた女の笑い声。その主も吸血鬼か?。」

「吸血鬼よ。見た目は女の子。中身はおばさんね。風の柱の作り主よ。彼女は精霊術が使えるの。精霊と仲がいいみたい。今回、吸血鬼が複数加担してるわ。御遣いの潜った地下を埋めて、立ち入り禁止にしたいの。その為にローレン毎瓦礫に変えて、近づけば死ぬ噂の場所にするつもりね。」


ジャニルはライドの問いに答える。


「なら空のあれは、また作れるのか。」

「一度消えれば、作るのに半年じゃ効かないわ。これだけ目立ったんだもの。もう実式を併用したとしても、生贄は簡単には用意させないわ。」


ミンウが生贄との言葉に身をすくめつつ、目を怒らせる。


何かに気がついたソドムが騒ぎ始める。


直接話さないというジャニルの意志を尊重するソドムは直接は話さないが会話は聞いている。


「ジャニル達以外の王の戦力は?。」

「私達だけね。近衛師団は実質公爵家の私兵よ。近衛師団長の「鷹使い」は王族と仲良いけど。」

「吸血鬼を手駒にするのは簡単に聞こえるな。全員が王の手駒か?。」

「・・・違うわ。私達、王の犬ともう一つだけね。規模も同じくらいよ。」

「脅威に対抗する目的は同じだな?。ローレンを死の都にする理由から想像できる。なら分かれた理由は貴族はの反感か?。勧誘した吸血鬼は平民で、力だけを基準にしているのか?。「ていおうがく」?を知らない平民に統治活動を行わせるのか?。」


ジャニルは少し姿勢を崩すと、片膝に肘をつき、指先を顎に当てる。女を意識した格好ではない。ライドに微笑みながら射抜くような視線を向ける。


ソドムからの問いと気付いたようだ。


「「貪る者」。その脅威の後生き残ってたのは3人だけ。自然発生を待っていたら、500年じゃ2人位しか増えないわ。その時助けになったのが、他人を吸血鬼化する研究ね。自分に波長を合わせるだけでも大変なのに、他人を制御できる理論を作っちゃうなんて天才って怖いわぁ。その人は、吸血鬼を組織して「貪る者」に対抗しようとしたの。諦めたみたいだけど。」


ソドムが『私も研究した。』と注釈する。追い詰められた時に隠した覚えはなく、引き継がれたのだろうと。


「その人は利害に聡くて、平民を吸血鬼化すれば、袂を分つと見越していたわ。彼は指導者が2人必要で、1人は平民の味方をしながら統治の方針を誘導して、もう1人が権力者に取り入って公式の立場を手に入れる計画を建てたの。敵対関係にある貴族が協力するための旗頭、力の弱い王族を作って、そこに取り入ろうなんて!。統一国家セレの誕生は、結局彼の発案に沿った巨大共同体とよく似てるわ。でも、そんな彼も平民が力を持つと、貴族の上に立つ選民意識を強めるとは思わなかった。今の彼らは制御の効かない困ったちゃんよ。」


ソドムは『私の考えだが・・・?』と呟く。これはソドムの考えをジャニルと仲間が流用していると見ていいのか?。


つまり、その頃、ソドムに近しい者が吸血鬼になったということか?。


ソドムの落ち着きがなくなる。500年後の廃墟を調べたところでソドムの知りたい情報は見つからないだろう。しかし、知りたい手掛かりが突然現れた。


「生憎、私は当時、もっと北が担当だったから、長居はしなかったんだけど。こうしてお会いできたのは嬉しいですわ。ソドムちゃん。私ならその吸血鬼と橋渡ししてあげられないことないけど。」

「条件は?。」

「私がソドムちゃんを呼び出すことはできないわ。私と自然に接触できる機会を作って頂戴。それにライドちゃんからは、私のお願いに承諾の返事を貰いたいわ。破格でしょ?。」

「対価には何を?。」

「それはその時に、ね。」


要求が無い筈がない。それがこの地の流儀だ。しかし、ジャニルはソドムへの要求を伏せる。それはジャニルが飼い主である王に内密にしたい案件があることを伺わせる。これは事前に忖度して見せろと言う挑発か?。ソドムにとって何にも変え難い家族の情報を握り、「利害に聡い」と言った上での提案だ。タチが悪い。ソドムが呻いている。


「「貪る者」の顛末の情報、それと俺とミンウの教育をつけてくれ。だが俺にはどう担保をとる?。」

「あら?。死んだ時、全てを失う道を選ぶの?。想像してなかったわ。そうねぇ。担保は、私のライドちゃんへの信頼かしら。」


ライドは承諾する。成長のない吸血鬼化はとにかく、付き纏ってくれるのはの有難い。


王直属の兵士という地位は周りからは飼い主に見える筈だ。長の勢力は、何あればジャニルを通し、姿を隠して手軽に確認できる。


これは時間を稼げる手だ。


言葉が違うことを知るキャシーやディーン、そしてソドムが側にいることに危機感を覚えている。今、故郷が見つかれば、故郷は負け、その言葉の違いから、理解は得られず滅ぼされるだろう。ライドが貴族を頼りに常識を知る手段を嫌う理由だ。


離れる為には常識が必要だ。行く先々で目立つようでは意味がない。ジャニルからの追撃を躱す手段は他ならぬジャニルから切欠を掴んだ。


これらを形にする為、2年は時間を稼ぎたい。誰にも知られずにだ。


「私の素性は口外しちゃダメよ。疑われるのは構わないから、肯定しないこと。肯定したら命の保証はできないわ。」


そう話すジャニルを、ライドは目を細め伺う。理解できる危機感が、この地で生きる実感を与えてくれる。自然と身が引き締まる。

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