第12話
闇の中で移動を初めて2刻。まだ夜明けは遠い。遠くから響く炸裂音は続いている。ロニと住民は無事だろうか?。
やがて目的の岩の裂け目にたどり着く。この地を覆う断崖の西の壁だ。その一角の裂け目の奥に崩れた穴があり、奥は先日目覚めた地下に繋がる。ライドがここを見つけたのは、里で樹木の家を借りた翌日だ。
「音が聞こえるだろう。地下水だ。壁を伝って上流に進め。徐々に広くなる。大河並にな。その先、左側は天井が低く、遡れば、古い地下の集落が見えてくる。そこには調査隊がいる。正面は白く細かい骨が敷き詰められた中洲がある。大蛇の巣だ。ナリアラに勧めるのはこっちだ。その先、右手側に壁があり、雨水が溜まる大空洞がある。里並の大きさだ。その高い天井には所々、光が差し込む程の穴がある。地下に留まるか、外に出るか、選べる。」
ライドは裂け目側にナリアラとシャルを押しやると、大蟻が上から突き下す顎を手で掴んで抑える。濡れた顎だ。蟻酸が顎のみらず、体面を覆っている。仮に服が残っていてももうボロボロになる。シャルやミンウでは、この酸は致命傷になりかねない。ナリアラは無傷だろうが、衣服が失われれば、ライド以上に動きに支障が出る。結局、酸はライドが受けるしかない。
此方に進む蟻は少ない。赤大蟻は同族の多量な生死、つまり軍との攻防に引き付けられている。
赤大蟻の頭部は、ライドの顔と同じ位置にある。その骨格は全て鉄並みの強度を誇り、表皮は強烈な酸が水に濡れるように吹き出している。里の者からすれば、手の打ちようのない恐怖の象徴だろう。上に突き出す武器でその表皮を傷つけるなど不可能に近く、細かく動く棘だらけの足は触れただけで肉を抉られる。そうでなくても細かな飛沫に触れれば、皮膚は数十呼吸のうちには黒く焼かれる。しかも動きは子供やように早く忙しない。
ライドは大蟻の顎を掴むと、捻るように一回転させる。途中、抵抗が強くなるが、赤大蟻の首の力は体を持ち上げるよりは楽に首が抵抗を失い、ぐるりと回る。注意点は赤大蟻の力は強く、もたもたすればライドが上に放られることだ。
「俺とミンウはローレンに戻る。」
ライドはそのまま、中に入って最初に待ち構える生き物について情報を渡す。
ナリアラはライドのその声を聞くと、シャル抱えて立ちどまる。
「大蛇が、いるのかい?。中洲を作るほどの大物?。それを、子供連れで、灯も、なしで?。」
ナリアラの声に躊躇が滲む。
ナリアラの横で、赤大蟻の顎が脇の岩盤を突き崩す。ナリアラは咄嗟にシャルを抱え込むが、当のシャルは「ひっ。」と短い声を上げただけだ。目覚めたシャルの股下はとっくに決壊している。ミンウと同じだ。
「大きいだけ遅い。音がしてから1呼吸は余裕がある。シャルを小さな穴に入れば安全は確保できる。その間に食料に変えればいい。ナリアラなら出来るだろう?。」
「狭い洞窟、足場は水と骨。簡単にはいかないよ。」
「なら、蛇は気にするな。周りは見えているな?。闇の中、足取りは確かだった。その感覚を研ぎ澄ませ。逃げる者には必要だ。」
「ここは追手も来にくい場所さ。でも、よりにもよって、蛇かい。」
「死喰人も多い。水の中では気をつけろ。」
「業の深い場所だねっ。あぁ!。くそっ。クレイルっ。次会ったらただじゃ置かないからね!。」
ナリアラは蛇と死喰人が苦手らしい。散々手間取った挙句、無意味に走って、穴に飛び込む。
『次、か。』
「ナリアラのことはここまでだ。手を出せない。まずは、毛皮で服を作りたい。ミンウ?。」
ライドの右腕にしがみついたまま、硬く目を閉じて硬直するミンウがいる。
「少しは慣れろ。」
周囲ではまだ、10匹ほどの赤大蟻が襲おうと忙しなく動いている。水の中で鉄を擦り合わせるような音や、前足を打ち鳴らす音が幾つも重なって響く。
『軍の包囲は無事かな?。馬の軍団の突撃とは、衝撃が比較にならない。足も大差がないのに重い。力も強いし、酸が辛い。桁違いだ。』
「落ち着いてるな。」
『ライドの心配はしてないからね。』
「形成は軍が有利に変わった。」
ライドはミンウを右手で抱えながら、赤大蟻の頭を次々にねじ切る。そして、最後の一匹の頭部を投げ捨てる。
『時越えの人、か。』
ソドムがしみじみと呟く。
『赤大蟻が封じられた時代にも英雄がいた筈だ。そんな脅威が君1人で苦もなく殲滅される。言葉がないよ。』
「その英雄よりは俺の方が身体機能は高いんだろうな。この手の虫は身体能力が勝る相手には滅法弱い。逆に足りなければ滅法強い。現実の俺個人の力はナリアラより弱い。斧槍の刃は顎とは違う。俺の表皮を切り裂く。加えて技量が違う。防げない。」
ナリアラの武器を含めた戦士の歩法の一撃は、戦士の歩法なしで受ければ、首に貰えば皮膚を裂く。目や動脈を傷つけうる。
『・・・負けたことあるか?。』
「何を言ってる。俺が何より自信があるのは逃げることだ。勝てない相手は沢山いたからな。俺は敵に狙われれば泥を啜ってでも生き延びる。生き延びれば敵の障害になるからな。敵に後顧の憂いなく楽をさせる気はない。しつこく叩いて最後には勝つ。」
酸で泥濘む土の中から素足を持ち上げ、乾いた地面で水気をとる。
「ミンウ。仇討ちをするんだろう?。お前の親の仇はナリアラの仲間を含めて退けた。大蟻より弱いと思うなよ。それとも、諦めて里の老人相手に仇討ちを果たして満足するのか?。」
ミンウはライドの右腕にしがみつき、自分の体並に大きな蟻の頭部を凝視する。その周りでは、頭を失った足がそこかしこで酸臭い泥を音を立てて跳ねさせる。ミンウは闇の中、それを見ている。
「知覚」か?。恐怖の中で切欠を掴むこともある。それだと良いと期待する。
ライドはミンウの頬を左の親指と中指で挟み、強引に視線を自分に向かせる。
「怖いのは当然だ。ここで止まるな。食われて、死んで、終わるのか?。それは餌の生き方だ。」
「お、おれ。おれ、は。」
ミンウは突然目に力を戻すと、頬を掴むライドの手を叩いて、頬を摩る。
「いてぇよっ。そんなに抑えんなっ。」
「元気で何よりだ。何処かで飯を食って、体力作りと身のこなし方から鍛えよう。俺は毛皮で服を作る。その前に川か。俺は酸臭いし、ミンウは尿臭い。」
ライドはその場を後にすると壁沿いに歩く。蟻は殆どが軍の包囲との戦闘に引っ張られている。ライドの追手もそちらに引っ張られていることを願う。
途中、「いのしし」という頭と体が一体化した獣を捕まえる。
夜が明けてから川で体を洗い洗濯する。
そして、朝を迎えた頃、樹木の家で肉と「塩」のみの朝食をとった。
寝不足のミンウを寝かせ、干していた熊の毛皮で、腰巻とほっかむりに分かれた服を作ってみる。故郷では衣服は一枚物と決まっていた。ただ穴を開けたり、紐で縛るものだが、新鮮な気分だ。しかし、処理が甘いせいで獣臭い。
ライドは「知覚」で包囲と赤大蟻の様子を伺う。石人形の一撃は赤大蟻の足の機能は壊せるが、止めには5撃以上必要らしい。外殻に衝撃は相性が悪い。
死ぬまでの間に少しづつ進む赤大蟻に石人形が崩され、蟻の撒き散らす酸を浴びながらの人の白兵戦が起きている。台座のついた弓矢も歯が立たない。
ライドは石人形の相性を無視した一辺倒の行動に呆れる。
『これまでは相性なんて考える必要がなかったんだろ?。この兵器には。鉄の表皮を衝撃で壊す。既に破格だよ。』
そんなにソドムの意見を聞きながら、ライドはこの場所で2日、ミンウの基礎体力を知る為の訓練を課している。
大したことではない。緩急や足の上下を素早く繰り返す動きをさせながら走らせる。それだけだ。走るという行為は人の基本だ。素早い運動を交えた移動は、走る力だけでなく、腹筋や背筋、首や肩周りの筋力向上にも繋がる。その過程で、身体を自由に掌握する力も一定まで引き上げられる。
その間、ミンウの傍で、ライドは評判の悪い鍛錬を繰り返す。
更に3日、ライドはミンウの動きを確認する。立体的な体の動かし方を含めた障害物走だ。樹木や岩場の多いこの辺りでは目標を作って、そこを通過する繰り返させる。重心を意識して、軸足から、背中、腹を使い、体の捻りを短時間で、かつ無駄なく伝達する訓練だ。これは故郷の訓練法で、身体が小さいうちの方が身につけやすい。大きくなると必要な体力をつけるだけでも一苦労になる。
この頃、包囲が赤大蟻の掃討戦に入った。ロニも参戦したようだ。ロニの力も軍の中では中々に大きい。
ライドはミンウが滞在する借家は前線から然程遠くない。しかし、夜通し煩い炸裂音を、この借家は見事に遮断する。素晴らしい家だと思う。そして、ここには蟻が来ない。「威嚇」がよく効いている。
「真面目な指揮官だな。結局掃討戦に入るまで漏れの監視を怠らなかった。」
『私達もその対象だぞ?。緩んだのはどっちの意味か気になるね。』
ライドはミンウを呼び、ここでの最後の食事のつもりで肉を焼く。火を焚く訳ではない。手頃な平らな石を外向きの「力」で覆い、握力で均等に潰して赤く熱するのだ。故郷では隊の料理番は戦士長の役目だった。
ライドは、この外向きの「力」を内側に所属する「力」で行う。制御不能の体外の「力」を制御しようと足掻いた結果、生まれた副産物だ。体のすぐ側で制御する調理や治療にしか使えないが、行動の幅は少し増えた。
そして、その過程で今のライドの引き出しには、体外の「力」を制御する手段がないと思い知る。
ライドは、肉に軽く塩をまぶす。小さな小瓶に入ったもので、元はこの借宿を借りた初日にロニが持ってきた差し入れの一つだ。
ここまで戻って来た最大の理由がこの「塩」だ。ライドの故郷でも「塩土」とでも名付けるべき似た味の土があったが、料理に使う発想はなかった。
「にいちゃん。土食うとか本気かよ。」
故郷の話にミンウは喉に手を当てて、舌を出す。心底嫌そうだ。
そんなミンウだが、「塩」を塗した肉は大好物だ。今も全身汗だくで頬張る。
ミンウの運動能力に見るべき点は無い。敏捷、体力、体の使い方。どれをとっても足でも悪いのかと思いたくなるほど酷い。尤も酷いとしても改善は見込んでいる。その根拠はミンウのやる気だ。一昨日、吐くまで走り込めと言ったら、ライドが止めなければ本当に吐くところまで追い込んだ。
良いとは言わない。寧ろそれを毎日嬉々としてこなすミンウは不気味に見える。
それでも教える側としては嬉しい資質だ。何処で抑えるかに注意が必要だろう。
このやる気の源についてミンウに尋ねると元気の良い返答があった。
「毎日腹一杯肉が食えるんだっ!。ただ走るだけでっ。!。」
動機は食欲か。
ライドはミンウに1人でも生き残れる手段は教え込むつもりでいる。それはライドが幼い頃、地上で培った技術。今はそれを活かす為の「知覚」及び運動能力と体力の訓練だ。獣から逃げるだけなら知恵と仕掛けで何とかなる。
「なあ、にいちゃん。ミラジ行く前に、この里にある墓に行きてぇ。」
肉を頬張るミンウに、ライドは串に刺した肉を渡す。体の割によく食べる。訓練でミンウの体重は目に見えて下がる。それを食べることで戻す。ライドが小さい頃に試して、身体を丈夫にするのに一番効果があったと思う訓練法だ。しかし、迷いはある。成長期のミンウにはまだ早いかも知れない。しかし、ミンウが貴族院の未来を掴む為には目を瞑る。こんな機会は多くはないはずだ。
「そうしよう。」
「おれもにいちゃんのことは紹介したいしな。頼りになるけど変なのと一緒にいるってさ。それと、もう一個、ローレンのミラジ側にある丘によれねぇ?。母ちゃん、父ちゃん、にいちゃんが居るはずなんだ。埋めてやりてぇ。おれ、男兄弟でさ。おれが埋めてやんねぇと。」
「ローレンの門兵が片付けてる筈だ。聞けば分かるらしい。寄って行こう。」
「時々変だよな。自分で言ってる癖に、人から聞いたみてぇに話すし。でも、そっか。まとめて埋められたんか。」
呟くと、ミンウは神妙な顔で動きを止める。土の下で、家族が他人と一緒に折り重なって埋まっている。想像すれば複雑な気持ちになるのはわかる。
「俺は兄弟と妹がいた。皆もういないが、思い出すな。」
「にいちゃんも家族なしかよ。」
「そうだ。」
「似たもん同士、仲良くやろうぜ。」
ミンウは笑う。
遠くでは、まだ蟻と戦いが続く。戦士の矜持に従うなら見過ごしてはならない状況だが、ライドは参加しない。それで良いと思っている。この里の一件に、もうライドの居場所はない。見境なく立ち入れば、自分もミンウも利用されることになる。その流れは今回、嫌と言うほど学ばさせられた。
この地域の常識は、故郷と似ているようで大きく違う。しかし、この常識が地上にこれだけの人数を養うのだ。故郷の常識では養えない。どちらがより正しいのかは考えるまでもない。多くの人数を生き残らせることが、戦士の矜持の根幹だ。ここの仕組みを理解し、吟味し、故郷の常識に近づけて成り立つようにする。その上で、持ち帰り、広めるのだ。ふつふつと使命感が湧き上がる。故郷が蹂躙される様は見たくない。この地域と衝突する日はいつか来るはずだ。その時、今のままでは一方的に負ける。それを避け、交渉に持ち込む為には簡単に負けない力がいる。
「戦いがそばにあるのにその外にいる。不思議な気分だ。この件に関われてよかったと思っている。。俺自身、今後の目標を定めることにも役に立った。」
そう話すライドの足元で何かが動く。地面に小さな土のが球が2つと、土の板とその一方向に並ぶと5本の棒の塊があり、それらが揺れるように動いている。ソドムの作り出す「目」と「手」だ。大きさは大人の男程度。ソドムの話では、元の体と大きさや形が近くないと感覚を共有できないらしい。今は此方とソドムのいる場所をと繋ぐ唯一の通り道だ。
「ものが流れる仕組み。これがこの人数を養える理由だと思う。そして利の扱い方、何を目指して、その為にどう布石を打つのか。学びたい。」
「あんちゃん。考えてることが口から漏れてんぞ?。隣に住んでた一人暮らしの爺ちゃんみてぇだ。」
ライドの言葉に、頬を肉で膨らませたミンウが反応する。ライドは是非を言わずにただ頷く。
『商人に弟子入りかな。利は利用しないと学べない。でも、今の立場だと教会に吸い上げられて残らないな。』
ソドムは謝礼を言うと、私にもライドに望む対価がある、と再び考えこむ。
対価とは、ソドムが領主の用意する方法に馴染めなかった時の救助、そして、ライド自身が生き残り続けることだ。
「動けるようになるまで。だな。」
『先は見えないけどね。』
ライドは考えをソドムには任せて顔を上げる。来客だ。振り回す「知覚」に触れる影がある。ロニよりはマシな者が1人。あとは側にいたとしても気がつかない程度だが、数は少なくない。いや、人型の岩のようなものが一つ。
問題は、ここは不安を駆り立てる「威嚇」の内側ということ。調査、若しくはライドがいると知っての行為になる。
後者は好ましくない。しかし、近づく集団の中にディーンの姿を見つける。後者だ。ライドは覚悟を決めて。出迎えのために席を立つ。
「知覚」で確認する姿は全部で9人。ディーンより弱い6人は遠くで待機する。
「力」を感じる1人はストール=レドールの横にいた全身鎧の老兵だ。ナリアラより若干背が高く、兜を小脇に抱え、身体を一回り大きく見せるほど分厚い板を組み合わせたような黒い鉄鎧で全身を包む。その鎧の重さはライドの体重では効かない。
最後の1人は頭からすっぽりとピンクのフードをかぶる外套に隠れた人物だ。しかし、「知覚」に映る感触には既視感がある。岩のような感覚。「知覚」に言葉を乗せたライドを追う者に似ている。驚きで心臓が跳ねるが表情には出さない。この男は気配を偽装している。未知の技術だ。
「やあライド。色々突っ込みたいけど、何でそんな格好を?。」
顔を知るディーンが視認できる程度の遠方から声をかける。立ち上がっていたライドは一礼する。ディーンは庶子でも貴族だ。他に随行者がいる以上、貴族として対応した方が良いだろう。視線を下げると、ミンウと目が合う。食事をやめ、ライドの隣に立って礼を真似る。そして怪訝な顔でライドを見上げる。
「ライド=フォン=クレイル。俺の名だ。向こうの先頭を歩く男は知り合いだ。後の2人は知らん。」
「あんちゃん、貴族かよ。」
「俺が貴族な訳ないだろ。単にそう言う名前をつける集落があるだけだ。」
ディーンは相変わらず口元しか見えない。それでも、ライドの前に来ると、後ろの2人とライドの間に立つように移動する。
アウデリアと話した時と同じ、ソドムとの仲立ちを務めるのだろうか?。
「アズール=セレ将軍より、国王からの通達を申し上げます。ソドム殿との接触は禁止されています。依代である少年とは話し合いのみで。」
ディーンの言葉に、老兵は顎の白い無精髭を撫でながらじっとライドを見る。その目には光がある。キャシーやディーンが見せる実式の光だ。ソドムを見ている。その視線は強い。訪れた沈黙にミンウが小さく身動ぎする。
「確かに不思議な現象だ。この膜がソドム殿か。依代に入らず周りを覆っている・・・ように見える。」
老兵の呟きにディーンが、「ソドム殿の意思と聞いております。ジュール卿。」と答える。老兵は貴族だろうか。ディーンがへり下る。
ハッシュベルで聞いたことを思い出す。精霊や霊は、依代の体の支配権を奪うらしい。ソドムは入り方が分からないと言っていたが。
「ジャニル殿は何かありますか?。」
「ジェシーよ。ディーンちゃん。」
「気持ち悪いので遠慮させて下さい。」
ディーンはピンクの分厚いフード付きの外套から聞こえる低めの美声に即答する。此方は貴族ではないようだ。
「私の用事は後でいいわ。そうそう。ライドちゃん?。顔を見せられなくてごめんなさいね。私、お肌が弱くて。こちらの坊やはどなた?。」
「この里に避難していた子供だ。」
ライドの紹介にミンウが和かな笑顔を浮かべ、トフソーが祈りの間で見せるように片膝を地面につける。
これは挨拶だったのか。
「ミンウだ。騎士院を目指してん・・・ます。」
「僕はディーン。ライドと一緒にいるなら今後も会うだろうね。よろしく。此方は勲爵位ジュール卿と、王直属兵ジャニル殿。今回は調査の随行の依頼だ。いいかな?。ライド。」
「見ての通り、私には武器はありません。荒ごとには適さないかと思いますが、何をお望みでしょう。」
ライドが流暢に話すと、ディーンが目を丸くする。ロニからほぼ毎日教育を受けた言葉遣いだ。抑揚はとにかく、語彙は多い。
ライドの言葉にジュールと呼ばれた鉄の板を着る老兵が白い口髭をへの字に曲げる。
「君がライド君か。まあ恨言は言わんよ。さて本題だが貴族院と学院の生徒によるあの雲の調査への随行を依頼したい。勿論、君に声をかける以上、ソドム殿の働きに期待している。」
ライドが里にいたことは知っているとの意思表示か。
それにしてもあの雲とは?。ライドがディーンの視線を追って見上げると、木々の枝が一斉に動き、空が見える隙間ができる。ディーンの仕業だ。
ディーンの手には小振りの硬い木の棒が握られている。その杖の示す空にあるのは、分厚い黒い雲が何重にも折り重なって渦を巻く異様な風景だ。その中心にある黒い穴を見ているだけで、誰しも嫌な予感を感じずにはいられない。「知覚」で届かない程上空なのに、そう思えないほど迫って見える。
この渦巻く雲は迫力がある。自然現象ではないらしいが、ソドムも知らないという。
「いつからですか?。」
「平民は「はい」と答え、指示通りに動けばいい。」
ライドの質問に、ジュール卿はシワの多い目元を光らせる。
「私の命は私のものです。先の見えないものに従えません。」
「言い方には気を付けろ。今は見逃すが公式の場ではそうはいかん。貴族の軍事命令は受ける以外に選択肢はない。平民の自由はその後だ。見つかれば罰するが、故意に脱走を首謀しない限り、逃げても態々捜さない。」
「それは・・・分かりました。」
「そうしておけ。覚えておくべきことは、貴族は領地の発展に貢献できる者には優しく、領地の力を落とす者には厳しいということだ。」
老兵、ジュール卿はちらりとミンウにめをやり、ライドに語る。ミンウの昏い願いに感づかれたか?。
「お受けします。」
ライドの確認に、老兵は鷹揚に頷く。知っていればできることもあろうが、此処ではその「できること」が末端には不要らしい。
随分と詳しい「教え」だ。才覚と知識に貪欲な若者がいれば期待する。ジュールの目には、ライドがそう映ったようだ。
「私の愚痴だ。本来、護衛の任は対象が生還して初めて帰還を許される、平民の名誉ある役割だ。当然、生還を求められるお前には適さない。だか、ジャニル殿がお前を推薦した。理由を伏せてだ。私も整理できていないのだよ。」
ジュール卿の嫌味にも動じず、外套の中からジャニルが「よろしくね。」と明るく声を返す。説明を求める声は黙殺だ。
「ミンウ君はジュール卿にに預けるんでしょ。お願いしておきなさいよ。折角指揮官が前にかてくれたんだから。」
「騎士院からの来客対応の筈だった。それにおかしな仕掛けで平常心を失う者が多いからな。ここは。」
ジュールは憮然と後方に目を向ける。そこにはライドと同い年か少し上の少年少女がいる。しかし、それだけで大人の姿は見えない。
ライドはミンウを騎士院生に触れさせる目的を含めて同行させると答える。
ジャニルは少し在り来りの言葉で静止するが、ミンウが同意すると、一呼吸開けて、「頑張ってね。」と返す。
「それはそうと報酬の話がありませんが。」
ライドがそう問うと、ディーンが「成長したなー。」と呟く。
単に物欲が出ただけだ。あの軽くて便利な服は欲しい。今の獣の皮はあの服に慣れると臭くて、ざらざらして嫌だ。
「騎士院から出る。ローレン子爵預かりのソドム殿を動かすのだ。金貨は動くだろう。」
『金貨ね。一度も話したことのない私に対して?。どうも扱いが変だな。』
ソドムはアズール=セレからの伝言と今の扱いを埋める要素がないと不信を口にする。しかし、愚痴られてもライドには判断できない。
「話はまとまりましたね。では、同行する騎士院生と学院生を呼びます。ライド、以降、指示は騎士院生の指揮官に従ってくれよ。」
ディーンはそう言って奥の人影に手招きする。その合図に後方の6人が、男4人の戦士と女2人の軽装杖持ちに分かれてこちらに来る。戦士の方は年相応に鍛えられた動きだ。小走りで此方に来る。軽装杖持ちの方は運動している程度で、小走りに向かう4人を嫌そうに見る。
戦士は老兵ジュール卿の前に並ぶと背筋を伸ばして後ろ手に立つ。その背後に、軽装杖持ちの2人が立つ。
目を見開いて此方を凝視する。目に実式の輝きがある。ソドムを見て驚いているようだ。
「指揮官は?。」
「はい。騎士院4回生。スタイファが務めます。私はここから南の荘園の出身です。土地勘がありますので、調査に志願しました。」
ハキハキとそう答えるのは、一番背の高い褐色黒髪の男だ。
「年は?。」
「19歳です。」
「よろしい。ではスタイファ。出発準備を。この者は君達の荷物を預かる「物」だ。長持ちさせよ。以上だ。」
老兵ジュール卿の言葉に再度背筋を伸ばすと、ライドに「遅れるなっ。」と言葉を発して小走りに戻り始める。
「ソドムへの説明は?。」
「行きながらするよ。」
ジュール卿が走り去る騎士院生を見ながら、「つい口癖でな。」と顎を撫でる。外套を被ったジャニルが笑い声を残して去る。慌しいが作戦開始のようだ。
ライドとミンウは、ディーンを伴って騎士院生の後を追う。ディーンがソドムに触れて話せる程度の速度でだ。
『何故ここに?。それにジャニルって王の兵って言ってたけどなに?』
「王が直接指示を出す兵士だよ。その程度の知識しかない。僕には関係のない上の話だからね。そもそも僕は本来ロニ様の為の交渉で来たんだ。それが伝言係さ。遠話でやって欲しいよ。」
ディーンは虚な笑いに怒りをにじませる。色々大変なようだ。一先ず、ロニや住民の多くは無事とわかり、胸を撫で下ろす。
しかし、ピンクの外套に隠れた男はライドを追ってきたのかのではないだろうか?。確信はないが、気がつかないうちに観察されたとすれば、不意打ちでライドを仕留めることもできた筈だ。これまでは「知覚」のお陰で相手の情報を一方的に入手できる側だった。受ける側になってその怖さを痛感する。
ディーンは、あの渦は何れ地表に降りて風の柱を作ると予測する。根拠はない。しかし、その言葉は断定的だ。距離や大きさが分からないが、空の渦の雲の流れは、風の壁の3割に満たない。しかし範囲が広い。この範囲内全てにその風が吹けば、戦士の補法なしには地面に留まらないだろう。木々はなぎ倒される。
『何かあったら人助け。できるのかい?。ライド。』
「何が起きるか分からない。厳しいに決まっている。」
全員助けたいなら、この若者たちをここで帰すしかない。しかし、拒否されるのは目に見えている。
「次会うのはローレンだといいね。」
ディーンはそう言い残すと、呉々も接触人数を増やさないように、と念押すと、ミンウと少し話をして陣の方に戻った。
騎士院生は流石に早い。
ライドは途中、普通に歩く軽装杖持ちの2人の女を追い抜く。彼女達は歩いていたが、途中まで走っていたのか、息が軽く弾んでいる。
「走らないのかって?。私達は用意は終えてるからいつでも出発できるわ。手際が悪いのよ。彼ら。」
途軽装の女はライドが問いかけると警戒を強くにじませ、鼻を抑える。数日経ったが毛皮の獣臭は健在だ。
『彼女達は、今年の高等生昇格試験の合格者らしいよ。』
先程、ディーンとソドムの会話であった情報だ。つまり、ディーン以上に実式を扱える。
しかし、まとまりがない。
『貴族は平民を同格とは見ない。庇護対象とみる。でも、彼女達を含めてライドを見る目は汚い人だ。彼らはおそらく全員平民だね。偶然でないなら、この先には危険が予測されている。相手の情報を手に入れ、何かあっても被害は調査の人数に限られる。学院なら森の人がいる。精霊術師を集めて対抗するのが解決の為の正道だろう?。彼等は斥候なのか。捨て石なのか。実式は本当に景色を一変させる発明だよ。これじゃ実式を知らない国に勝ち目なんてない。」
汚い人と呼ばれ、「おい。」と声を出すが、ソドムは綺麗に無視する。
『問題は赤大蟻と交戦しながら、まだ余力があるこことかな。ナリアラ女史とシャル君には厳しい現実だね。』
「元々、喧嘩を売れる相手じゃなかったか?。」
『当然だろう?。でも相手がミスしたお陰でいい線行ったよ。元々、詰んでた事例だ。それをここまでかき回せた。追手の心中は穏やかじゃないくらい、活躍したね。』
ソドムはソワソワした声を出す。気のある女の安否だ。心配だろう。
程なく先行した騎士院生に追いつく。里を覆う森の出口で、前には平地が広がる。良い天気だ。青空は渦がない方角に広がっている。
騎士院生は其々自分の馬に水や草を与えていた。しかし、誰も荷馬車は確認していない。
「荷物の確認と準備だ。急げっ。」
スタイファからライドに指示が飛ぶ。
「物資の確認は?。」
「それを確認するのが仕事だ。」
ジュールに馬車を用意されてから、ここには見張りがいなかった。何を受け取ったのかさえ覚えている者はいない。中々劣悪な環境だ。
「数と種類を確認する。」
「移動が優先だ。進みながらやれ。時間が惜しい。出発するっ。」
随分物資を軽視した隊長だ。しかし、これがこの地域のやり方なのか?。
全員が騎乗したのを確認すると、青年は、意気揚々と声を上げる。戦士達は2、3軽口を叩き合うと馬をゆっくりと進ませる。
指揮官がそう言うなら、できる限りで意に沿わねば隊は成り立たない。ライドは馬の轡をミンウに引かせ、荷台に飛び乗ると、ロープを結びながら、故郷式の員数確認する。ロープを使った本数が種類。ロープの結び目が樽や袋の数だ。その中身まで数えたりはできない。一応、ソドムに尋ねてみるが、ソドムも分からないものが多かった。
『私の父が元商人とは言っても、服飾だからね。』
ソドムはそう言いつつ、騎士院の教育水準が知れると呟く。どうやら物資に対するソドムの常識はライドよりのようだ。
「学院のお嬢さん。遅れるなよ。」
スタイファの仲間の言葉に、2人の女が噛み付くように睨む。準備はとっくに終えていると。
「なあ、お嬢さん達、自己紹介しないか?。襲撃があった時、どう動くか決めときたいんだ。」
「騎士院は騎士院で、私達は私達で、お互い関わらずに行動しましょ。情報交換でしたら、夕方の打ち合わせで十分。今から役割を決めても上手くいくと思えません。」
スタイファと気の強そうな赤髪の女が先頭でジャレ合っている。
「高等生はエリートだぅたな。確か。卒業後は王都勤務決定だってさ。」
「俺達見下されてる?。」
騎士院生の1人が、少し怒りのこもった目でのほほんと馬を進めるもう1人の女を見る。
言葉は届いている。のほほんととした女は和かに微笑み、はっきりと答える。
「私達だけなら昨日のうちに現地調査は終わりましたね。ずっと近いローレンから出発した皆さんがなぜこれ程遅いのか。まずは反省からどうですか?。」
のほほんと穏やかなのは顔だけだった。騎士院生と学院生の言葉の売り買いが続く。
ライドは何度か口を挟もうとして辞めた。これはライドの隊ではない。スタイファという若者の隊だ。口を出すのは休憩に入ってから、スタイファに言うことにする。まだ、この隊の掌握を任された長の訓練の範疇だ。
代わりにミンウに訓練を指示する。
「ミンウは制動を意識して走れ。蛇行しながらだ。あまり離れるなよ。しっかり地面を蹴る方向と、重心、捻る力を進む力に変えることに集中しろ。背筋は伸ばせ。腿はあげろ。」
「その格好、恥ずかしくねぇっ?。」
ミンウの悲鳴は無視する。跳ねるような姿になる。それを調整するには走り込みが必要だ。
騎乗する学生達は急がない。荷馬車がついてこられる程度の足取りて馬を進ませる。夕方には着く予定だという。本格的な調査は明日からだ。
荷馬車の背後をミンウが1人、蛇行しながら走り回り始めると、軽装杖持ちの女2人の目を引いた。くすくす笑う。文句の言い合いをしていた騎士院生は、その姿を見て部隊としての運用を諦めたようだ。完全に2つに分かれてしまった。
「中々ミラジに向かえないな。邪魔させているみたいだ。」
『何を今更。ライドへの包囲だよ。』
ナリアラへの襲撃者にライドは警戒された。赤大蟻を逃さない為の包囲をライドがいる場所集め、子供連れでは抜けられない程度に固められた。ジュール卿は残念だったろう。蓋を開いてみれば、ライドは手を出し難い相手だった。
しかし、ソドムへの対応は調査への参加であって確保ではない。見張りをつけて見失わないようにするだろうが、今一スッキリしない。
『ナリアラ女史への襲撃者は腕利きだったんだろう?。自分のしたことを冷静に振り返ったらどうだい?。』
「俺の動きは中途半端だった。警戒しすぎだろう。」
ただの反感だ。4人程が並走しているのを確認する。ナリアラの捜索以外にまだ人手を割いてくる。
「ミンウ。体が流れてきたぞ。水をとって休め。」
「うぃー、ちょっと、水。」
ライドが声をかけると、滝のように汗を流すミンウが、虚な視線で荷台に乗り込む。ミンウは時々、憎しみを糧に運動を続けている。疲れた時に出る体力を考えない全力疾走がそれだ。初めのうちはそんなものだろう。ライドは幼い頃の自分を思い出す。
「なぁ。にいちゃん。にいちゃんの独り言って、ソドムってやつと話してるんだろ。なんなん?。取り憑かれたか?。」
「そうだ。だが、実式が使えないと話せないぞ?。」
ライドの言葉に、ミンウがつまらなさそうに口を尖らせる。そして、荷台によじ登り、日陰で、馬車の幌に寄りかかって休む。ライドは一昨日見様見真似て作った干し肉を投げる。ミンウは喜んで噛り付く。水袋を片手にだ。水は貴重だ。しかし、ライドは用足しと称して川で水を飲み、汲んで来ている。しかし、周りはそろそろ疑問を持つ頃合か。
「俺はカディスって言うんだけどさ。このままだと、野盗の群れにも拐われそうなんだけどさ。荷物番として、どう思う?。」
馬を寄せて声をかけてきたのは、金髪白肌と南部の特徴の強い雀斑の多い騎士院生だ。金属の胸当てと足腰を守る吊り下げ形の板が特徴的な青い鎧、そして顔の殆どを守る頭を覆う形の兜をつけている。彼らの「力」は塀の中にいた衛兵よりマシ程度だが、この地域の年齢を考えれば悪くはない。
「ライドだ。騎士院生も学院生も調査の為に派遣されたのか?。」
「勿論さ。危険を排除しつつ、現状を調査、確認。原因を排除する。」
周りが聞き耳を立てているのが分かる。ジュール卿の推薦だからか?。ソドムのことを聞いているのか?。ライドに話仕掛けるのは勇気がいる行為だったようだ。ほぼ同い年だというのに何故だろう?。格好せいか?。とライドは我が身を見回す。
「これは実戦だ。得意なことに拘ったらどうだ?。協力が取れないなら、初めから宛にしなければいい。理想的に守れないなら理想は捨てればいい。」
ライドの言葉にすぐに反応したのは、話しているカディスではなく、先頭のスタイファだった。
「散開隊形だ。馬車を守る。いつも通りやろうじゃないか。」
「初めから期待してないわよ。何で3流が保護者気分なのかしら。」
赤髪の気の強い女が鼻を鳴らす。その言葉にライドは苛立つ。流せない。
「この石は矢だ。しっかり迎撃しろ。」
ライドは女の前で岩を砕いて小石に変えると、その一つを指で弾いて空に投げる。およそ10個。
「えっ?。何?。いたっ!。」
一呼吸もしないうちに女の頭に小石が降り注ぐ。
「発動に一呼吸もかかるんだろ?。実式だけを頼みにどうやって身を守るつもりだ?。痛みには強い方か?。」
「えっ?。何?。何言ってんのこいつ。私の頭に石ぶつけた?!。あんたっ。何しくれてんのっ?!。」
「矢は幾つ突き立った?。不意打ち以外で矢が飛んでくると思うか?。対応できる自信はどこから来る?。過信だ。」
嫌悪と反抗の2対の視線を受ける。特にのほほんとしていた女の怒りは、石をぶつけられた気の強い女の比ではない。
「許せない暴力です!。」
「協力は不要なのだろう?。俺も求めない。互いに仕事を済ませよう。お前の仕事は目の前には精霊術の影響がある現象の調査と聞く。済ませたらどうだ?。」
「自分の罪が分かっていないのですかっ?!。動物以下ですっ!。不届き者は出て行きなさいっ。」
のほほんとした女の剣幕に、ライドは態と酷薄に口元を歪める。安い挑発だ。
「許さないなら帰ればいい。俺を外す権限はお前にない。お前自身が離脱する権限もな。だが、それを持つ者がいる。現場指揮官だ。」
我関せずを決めている指揮官を巻き込む。しっかり判断をして貰おう。ライドとしてはどちらでもいい。元々押し付けられた役割だ。
軽装やのほほんとし表情の女は、ライドの挑発に顔が赤く染めるが、スタイファが続く言葉を中断させて叫ぶ。
「離脱は認めない。荷物番、お嬢さん方両方だ。」
「その判断は誤りです。空の変異の調査を私達なしでできるとでも?。やるべきは私達の仕事の環境を整えることでしょう?!。」
「君達は協力を拒んだ。都合のいい時だけ隊員なのか。護衛を預かる身としては、今、君達は荷物番が放った放物線を描く小石一つ捌けないお荷物であることを確認した。実力を疑う事実だ。だから荷物番の指摘の通り、我々は我々の仕事を果たす。馬車の護衛、そして、現地の調査だ。君達は仕事を果たすのか、放棄するのか、選ぶだけだ。」
スタイファは馬を止めて振り返ると、思いの外強い言葉で女に言い返す。自然と全員が停止する。
「責任逃れですか?。お好きにどうぞ。私達は学院の高等生。王都からセレ国の未来を担う者です。あなた方はこの荷物番の犯した罪すら測れない。まずは自分の能力のなさを省みなさい。」
「判断は終えました。お嬢さん方が学院にどう報告しようが私の判断は変わらない。私の騎士院への報告は今話した通りです。では、出発しましょう。」
「環境を整えろと言ったのですっ。」
「それは協力要請かい?。」
「建設的な提案です。優れた指揮官なら賛成するでしょう。」
「建設的が聞いて呆れる。それは君の都合しか入っていない。私達は君の手足ではない。そして、この隊の指揮権は私にある。私を指揮者に任命したジュール卿への反抗かい?。それこそ、学院生でそれが可能だとでも?。」
まだ何か言いかけるのほほんとした女を、石を当てられ、放心していた女が「平気だから。」と抑える。
のほほんとした顔の女は声を荒げようとしたが、これも気の強そうな女が止める。
「こんなことで悪い噂が立てられたらたまらないわっ!。私達はこれからなのよっ。あの無作法者に罰を与えるのは後でいいわ。」
「協力できるようになったら、いつでも受け付けますよ。」
スタイファの言葉に、騎士院生の表情は引き締める。やることが明確になった安堵の声が聞こえる。
「待って。」
気の強そうな女は、すぐにスタイファと自己紹介や通常の隊列、緊急時の隊列を打ち合わせると、ふふんとライドに鼻を鳴らし、新たな隊列に従う。のほほんとした女の方は、人でも殺せそうな目でライドを睨んでいる。
「高等生の貴重さを知らないアホは困るわ。私達と貴方達の違いを教えてあげる。私達は調査を終え次第先に帰るの。後の後始末を終えて帰るのは君と騎士院生よ。危険を背負うのも君達。それが私たちの価値よっ。この価値を私達は自分の力で勝ち取ったの。君達とは違うのよっ。」
周りの騎士院生からため息が漏れる。こう言った手合いが初めてではないのか、黙々と作業に入る。
その様子を眺めた気の強い女は、自分の意見が通ったと思ったのか。勝ち誇った意味で鼻を鳴らす。
何とも面倒な性格だが、若者らしいとも言える。ライドは集落なら即矯正対象だが、この地は大らかなようだ。
『接触すればバレるのが痛いな。言葉が聞こえない。でも何となく向上心と権力思考の塊で間違いなさそうだね。でもその貪欲さは伸び代にもなる。私は評価するよ。それに容姿も将来性あるじゃないか。お近付きになったらどうだ?。将来有望だぞ。』
「子供すぎてな。」
『年増趣味か!。範囲は?。』
「ここでいう20〜35くらいまでだ。」
『具体的だな。』
「強ければモテたんだよ。集落では。」
『お、聞きたいね。私の秘密の戦果もライドに開示しちゃおうか。』
外の会話が聞けない不満のせいか。ソドムが下ネタに走り始める。ソドムの性格も随分分かってきた。クソ真面目な実利主義者で、義理や建前はなく、息抜きは「色」。話を聞く限り、実に経験豊富だ。
4人の兵士達は、慣れた役割に戻り、頼り甲斐が出る。会話もピタリと止まる。逆に軽装の2人の女は居心地悪そうに書類を見ては閉まったりを繰り返す。
『後衛担当は取っ付かかりが見つからないと焦るからね。』
その様子を、ソドムは楽しそうにそう見ている。
暫くすると、のほほんとした顔の女が馬を寄せてきた。一番ライドを嫌っているかと思っただけに意外に思う。
「その衣装、臭いんです。それに貴方の体の周りにある膜はなんなのです?。気になって集中できません。」
好奇心のようだ。ライドは見えないが、ソドムが見えるものにとっては、空の渦と比べても不気味だろう。
「臭いのは済まないな。良い消臭があればお願いしたい。だがこの膜は今はそういうものだと思ってくれ。」
ふらふらと手を伸ばそうとして、ライドに止められると、残念そうに眉を伏せる。こうしてみると、育ちの良い令嬢だ。その気質はある意味母性の塊か?。気の強い女に対して無私の味方のような激しさがある。
まだ17、18とロニより少し若いが体つき含め、早熟のようだ。
「「後衛」は、作戦の花形。やりがいはありますが切欠を見つけるまでが大変で。「前衛」やその苦労もない方が羨ましく見えることもあります。」
「「前衛」が稼いだ時間で「後衛」は調査する。そう聞いた。なら、「前衛」は「後衛」を支える役割なんじゃないか?。現場の情報は「前衛」でしか手に入らない。ただ、ここには「支援」がいない。「支援」のない「前衛」が、「後衛」を圧迫してるのかもしれないぞ?。切欠を掴めるまで、「支援」に回ってみたらどうだ?。」
「えっ?。「支援」って水とか軽食とか、作って配るだけの?。まあ、考え事をしながらでもできますね。」
女は少し考え込むと、馬を荷馬車の後ろに乗り込み、物を物色する。その様子は何処か甲斐甲斐しく、男受けしそうな家庭的な様子に見える。
「誰でもできる、か。」
ライドの思い出す「支援」といえばディーンだ。その利益調整能力だけでも誰もができるとは思えない。しかし、のほほんとした顔の女は素で見下している。
これが学院の考え方なのか?。
「随分、友人に肩入れしているな。」
「彼女は目映いですわ。」
荷台で動かす手を止めることなく、女は答える。気の強そうな友人がどれほど「後衛」に向いているのか。その資質がどれほど高いのか。
「彼女が宮廷で辣腕を振るう姿を側で見る為です。私も頑張らないと。」
女は水袋と保存食の袋を手に馬に戻り、スタイファのところから、世間話を振りに行く。
ここに居る若者には目的や夢がある。物おじせずに突き進む活気がある。良いと思えば行動し、反感があれば損得関係なく毅然と否定する。
その姿は輝いて見える。
その微笑ましい状況とは裏腹に、ライドの頭の中は混迷の最中だった。先が見えないほどの闇だ。
ミンウを連れ出した。今度こそ、この子供に悔いのない手を差し伸べたい。これは失った妹への代替行為だ。
ミンウはライドへの弱点に見えるように扱える。弱点があれば追求の速度は落ち、いざとなれば利用できる。これは保身と打算だ。
空の異変が活動すれば、その大きさを見てもミンウ一人守り切れるか確証はない。この若者の集団は見殺しになる。
何故調査を止めなかったのか?。止めても別の集団がくるだけだからだ。何故ついて来てしまったのか?。流されて判断を誤ったからだ。この段になって、この若者の集団を止める手段はない。何かことが起きれば見殺しになることは変えられない。せめてその場に立ち合わないことくらいは出来た筈なのに、その道も選ばなかった。
ライドにはまだ、この地に自分が居ることが馴染めないでいる。何処か夢の中のような、ふわふわとした景色だ。
ライドは目を細めて、異変のある空とは逆側の、よく晴れた青空を見上げた。
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