第10話

日没が近い。天頂には闇が広がりつつある。辺りを赤く染める夕方の光だ。


ロニの気配が遠ざかる。ライドは「知覚」でそれを確認する。反応は分からないがシャルを連れているはずだ。


ロニはナリアラが暫く離れるとすぐにシャルに飛びついた。里長は態々ナリアラか逃げ出したと宣言する。ロニがそう誘導したのだろう。


作戦の第一段階は動き始めた。


しかし、何とも不安な状況だ。ソドムはないと言い切るが、相手がロニを宥めて確保する行為に出れば、その時点で作戦は終了だ。


『今の指揮官は今までの真綿で締め上げる柔軟性重視の指揮官じゃ無い。条件が変わらないうちに結果を求める攻撃力の高い指揮官だ。いきなり未確認の時越えの人が敵に参加するなんて予想する方がおかしい。』


ソドムは楽しそうだ。軍の指揮官は「前衛」の要素のない「後衛」が手綱を握っているのか、分かり易くて良いと言う。


ライドは里長に話をしに行った時のことを思い出す。里長は庭先で使用人に引かせる台車を準備していたが、自分の家具を台車に括り付けて悪びれなかった。台車は本来なら、老人や子供、病人を運べるはずのものだ。それを使う予定がない。里長の意思は十分見て取れる。


その後、里を走り回ったが、里の住民は避難を考えていなかった。準備を進めるのは里長と狩人達だけ。狩人の家族は里から離れた場所で、隠れるように集まり馬車の運用を話し合っていた。


ロバの馬車2台。これは里にある唯一の交易用の馬車だ。


里の長は生き残っても辛酸を舐める道しか無い住民を切り捨てた。生活力があり、里でも権力側であった狩人だけを味方として護衛に選抜したのだろう。


この行為で得られる褒賞を里長と狩人達で分ける気か。


重傷のナリアラが運び込まれた夜。ライドはロニの観察に夜や明け方に里に忍び込み、そこで献身的なロニを確認すると同時に意見の集約に長け、聞き上手で自分からはあまり話さない里長の姿を確認している。こうもあからさまな切り捨ての行為に出る男だとは思えなかったり追い詰められた時に人の本性は現れる。よく聞く話だ。


ライドは自身の本性を知っている。だから失望はしてもとやかくは言わない。言えない。


故郷で集落が滅んだ時、仲間を見捨てて妹を取り、妹が喰われた時には、握り締める妹の手を払って逃げる。それがライドだ。


『里長の感謝がロニ嬢と軍、どちらに向くかは明白だね。』


ライドは頷く。


犠牲覚悟で住民を「歪」に通すのは拙い。範囲外まで「歪」を中継すると、1人あたり複数回通ることになる。それが約150人。これでは「歪」の獣が集まり餌場になる。戦士の歩法で移動すれば抱えた住民は死ぬし、戦士の矜持を無視して追手や包囲を取り除くなら、助けるよりも殺す人数の方が多くなる。赤大蟻を殲滅するのが戦士の矜恃に則った最良の選択だが、住民が救われる代わりにナリアラ、シャル、ロニの3人の人生は終わる。これではディーンとの約束を反故するだけでなく、助けたい相手への引導だ。何しに来たのか分からない。


つまるところ、ライドにできることがない。


「荒事は腕力で解決できるものだと思ったんだけどな。」

『間違ってないたろう?。ナリアラの件はその場しのぎの荒事じゃなかった。それだけだね。』


ソドムのいう荒事は、目の前の暴力行為のことだ。でもライドは相手に意思を強要すること全般を「荒事」という。


この違いは、習慣、つまり常識の違いだ。この手の違いが多すぎて困る。


「ソドム。連絡しておく。さっき馬車を移動させる時、「知覚」に言葉を乗せた相手に捕捉された。少しずつ近づいている。もうローレン辺りにいる。」


この問題も気のせいではない。今まで感知されなかった薄い「知覚」が、今は朧げに辿られている。言葉を乗せてきた時も思ったが、触れられているような不快感がある。これが今の技術だろう。


しかし、今は「知覚」をやめられない。変化を読み取り損ねれば作戦が崩壊する。


ソドムは即座に作戦の中止を提案する。


『君は勿論、その追手にも光を感じられる可能性がある。私としては他人を助けてる場合じゃない。』


ライドは危なくなれば、作戦をやめて隠れるが、今はまだその時ではないと答える。その答えにソドムはあっさり引き下がる。よく分からないが助かる。


ロニが住民の説得に失敗しても、シャルと一緒にいた3人の子供の避難くらいは成功させたい。


「洞穴を崩す。」


ライドは予定通り、赤大蟻の住む洞穴に入る。中は急設されたランタンが一定距離でかけられ、奥まで見える。


直径3メール程の歪な台形の穴だ。入り口にいた人気が今はない。赤大蟻の動きが目で見て分かるようになり、監視の住民も逃げている。


この崖の岩質は硬く、里の者では崩すのに数刻はかかるだろう。崩すのは間に合わない。だから逃げたのだ。しかし、ライドとしても明日の朝までは出てきて貰っては困る。入口崩落の言い訳は何でもいい。封印が解けたからと言えば、やる気のない住民には何でも通りそうだ。


洞の中で見る赤大蟻は、大きく重かった。それが2000匹前後ひしめく。この岩盤あってこその巣だ。動き出してすぐに数が把握できる程の「力」を感じる。念の為、赤大蟻の強度を確認する。ライドは最も硬いであろう左右の顎に片手ずつ伸ばす。赤大蟻の頭はライドの少し上にある。顎の大きさは1メールほどで体の大きさに対して大きい。手の中で顎が砕ける。足一本持ち上げるのに、呼吸10回以上かかる赤大蟻の目が赤く染まる。手応えは粘り気のない鉄だ。殴った場合、仕留めるまで素手で2〜3撃と読む。殲滅ならとにかく、住民を守り切るのは難しい。


(右は左の6、7割か。)


細くなった右腕の出力も確認する。


『手で砕くとか、凄いな。昔の記憶で悪いけど女王蟻は残したい。いいか?。その方が住民の生存率は上がる筈だ。』


巣穴に餌を運べば、その分、追いかける蟻は少なくなる。そう提案するソドムは赤大蟻に詳しい。軍隊蟻でなく。巣穴を作る種類の蟻だと言う。普通、この種類の蟻は死骸を持ち帰るが、赤大蟻は殺して持ち帰る。しかし、女王蟻を失うと、軍隊蟻の性質に変わるらしい。


『屋敷の生態記録を見るのは趣味でね。本に載っていた生き物のことなら大抵わかる。』


素晴らしい趣味だ。


ソドムの説明を聞きながら、ライドは100メール程奥から入り口まで、天井にぶら下がっては深めに穴を穿つ。


「詰みを回避するにはどうする?。」


ソドムは道なく追い込まれることを「詰み」と呼ぶ。今回のナリアラの状態だ。ここに今、歪な抜け穴ができている。


方針の違いによる隙間。しかし、追い詰められないに越したことはない。


『手を出されない最強の力を手にすること、それを目指すことさ。個人としては夢物語としても、集団に所属すれば可能だよ。その集団より小さな相手ならほぼ確実にね。』


ライドは無表情に頷く。ここの現実を見れば納得はできる。だから、強い貴族の周りには人が集まり、勝手に忖度する。


忖度される長の力はその分、更に強くなり、力を維持しようと動く。忖度する側にとっては自分が生き残る為の先行投資になる。


「俺の故郷だとガキ大将の論理だ。長が守れる範囲が小さいからな。だが、人に対抗するのには人が一番長けている。此処の長、貴族の守れる範囲は相当広いんだな。」

『考え方に若さがないね。でもその通りだ。これだけの数を束ねる貴族の権力は怪物だよ。』


雑談を終え、外に出る。空は赤い。夕暮れだ。崖下は暗い影に隠れ、里を囲うように並ぶ木々は風でざわめく。全ての足元に、囲うように薄らとした灰色の影が伸びる。篝火の光が生み出す黒い影とは随分違う。


と、森の中から風が通り過ぎた。女の慟哭が風のように通り過ぎる。


この風はロニの声だ。確信する。ライドは紐のように「知覚」を伸ばし、ロニの周囲を確認する。


ロニは地面に座り込み、地面に上体を投げ出している。地面を両手で叩いたか?。辺りの木々がロニから外に向くように傾げるが、そこにシャルの姿はない。周囲に「知覚」を伸ばせば、ナリアラが誰かを追っている。シャルは奪われたらしい。対応が遅れた。「知覚」を抑えた弊害だ。常に確認し続けられない。


「ナリアラがシャルを追っている。追う相手は5人。実力差はあるから大丈夫だと思うが。」


シャルを囮にする計画は勘づかれたか?。しかし、ロニを確保する動きはない。胸を撫で下ろす。


ロニが単独なら、向かうまでに少し頭を冷やす時間をとりたい。その間に「歪」を覗き、崖の上にいる5台のロバ馬車を確認する。簡単な罠を作り、それを維持する為に「歪」で時折確認している。故郷では戦士長が使う弱い獣避けだ。どうも近くに1人、軍の手の者がいるようだが、気配を殺しており「知覚」で掴めない。ソドムの見解では、相手はシャルに対する実式の監視役だ。しかし、この場所はライドにとっても譲れない。里の者から馬車を隠し、尚且つ一度の「歪」で里に下ろす為には絶好の場所だ。


しかし、罠にかかる気配はない。馬車に気がついていないのだろうか?。


『ライド、下を見なよ。里の住民だ。これが今の状態だよ。』


ソドムの言葉に崖の中腹に面した洞の入り口から、眼下を見下ろす。50メールほど下には畑と建屋が広かっているのが見える。それは木々が茂る場所まで伸びる。夕陽で赤く染まる建屋から出てきた人影が、通り過ぎた風の風上を見つめて立ち尽くす。数人はその場で膝をついて項垂れる。


『大蟻の顎は頭の上から降りてくる。あの大きさだ。トゲだらけの足に絡みとられれば、彼らが逃れるのは無理だ。それがこれから現実になる。こういった状況で士気を高めるのも「前線」の役割何だがね。』


ライドはソドムの言葉を聞きながら、出入り口の上部に横から腕を差し入れる。乾いた音が響き、ガラガラと入口の天井が崩れる。


辺りに砂埃が舞う。音を聞きつけた視線が集まる前に、ライドは場を離れる。


『此処では重視されて、君の故郷では重視されない力がある。数だ。十分な数の誘導者を里の外から用意できれば、それだけで彼らは誘導できると思う。少なくとも難度は大分下がる。より多い意見に引っ張られて「大衆化」すれば後は勝手に士気も上がる。ナリアラ女史がジュヌ教徒の集団に紛れたのも、追手が執拗に人手を削ったのも数を意識してだ。無関係の他人だろうが、数は打開の糸口になる。手紙一つが事態を変えることもある。今回、ナリアラ女史は内からも外からも人手を取られた。だから詰んだ。多少の時間があっても、何一つ実行できないからね。』


大衆をどう利用して、敵に利用させないか。それが重要だと言う。ソドムの指摘の通り、故郷にはない考え方だ。


ライドは「覚えておく。」と答えると、人目を避けて「歪」に入る。


移動しながら、ライドはソドムの話を反芻する。


「ナリアラは多分シャルを取り戻した。包囲も退却していない。上手く掻き乱している。赤大蟻は迎撃する気なのか、石出てきた人形が数体持ち込まれた。」

『石人形?。今の兵器か。信頼が得られる時間があれば、ナリアラ女史に指揮させてみたかったな。』


ライドは「歪」を抜けた先で一旦止まる。今聴くべきかわからないが、聞いておきたいことを思い出す。


「話は変わるが、ここはミラジが近い。終わったらソドムの故郷を調べるか?。何も残ってないかも知れないが。家族のその後は知りたくないか?。」


ソドムは政治犯だ。内容はよく分からなくても、犯罪者の家族のその後が明るいようには思えない。


「ああ、そうだね。頼むよ。何にしても、まず見てみたい。故郷がどう変わったのか。何が残っているのか。」

「なら決まりだ。」


その答えを聞くと、出来る限り早く走る。戦士の歩法と「知覚」なしで走るのは難度が高い。戦士の歩法なら速度に応じて相対的な体感速度は遅くなるし、足元も滑らない。だから「知覚」の情報を処理するのも容易だ。対して、戦士の歩法に満たない速度では、加速した分周りの景色は流れるし、足元が滑る。目的地を定めて、その間までの間情報を処理して実行するだけで精一杯になる。とても戦闘では使えない。


近くまで来た時、ロニは「知覚」で見た時と同じ姿勢で突っ伏していた。ロニの前側は扇状に土が削られ、木の根が露出している。


『これは・・・叩いているじゃ済まないね。』


ライドは歩いて距離を詰める。


すると、ロニはライドの立てた物音に反応して立ち上がる。その髪は乱れ、眼は腫れるが怪我はない。


「きっ、貴様!。クレイル!。」


ロニはライドを見るとジリジリと後ろに下がる。


「それがロニの目指す戦士の姿か?。無様だな。ロニの譲れないものは軽そうだ。高々屈辱程度で足踏みか?。力が足りなかった。考えが甘かった。だから何だ?。誰か助けてくれるのか?。都合の良いように事態が変わるのか?。落ち込む姿に価値があるのか?。」


ロニはライドの言葉に目を白黒させ、次第に顔を朱に染める。怒りだ。


「里に戻り汚名を注げ。ロニがすべきことは何だ?。感情を発散するような楽な方に逃げるな。逃げればその時点で機会は失われる。」

「私が!。何をしていたのか、知ってて言ってるのか?。」


ライドの言葉に額に青筋を立てて、歯を向く。表情とは裏腹に前向きな答えだ。ライドは短く肯定する。


「師・・・ナリアラ殿は、シャル取り返したのかっ。」


ロニは現状を問いかけながら状況を整理する。ライドは再び短く肯定を返す。


「私は、いつから道化なのだ?。」

「朝の話し合いからだ。」


ロニは口にしかけた言葉を飲み込む。そして、憤怒の形相で側に投げ捨てられていた「斧槍」を拾い上げる。


「貴様如きに私の仲間の想いを軽いなどと言わせない。」ロニの指先が震えている。「だが考えを聞かせて貰おう。私に利があるんだろうな?。あるなら、役割を果たそう。」

「まずはナリアラに言うべきことを言え。ロニはナリアラの信頼を裏切り続けた。助けた時以外はな。」

「言われるまでもない。お前には、感謝を。」


ロニはそう言って優雅に片膝をつき、頭を垂れる。強かった敵意が、その一瞬だけ消える。


その所作は見る者にロニからライドに敬意を持って居ると錯覚させる美しさがある。形ではなく、その意思を相手に感じさせる行為。これが礼儀か。


ロニに散々言われてきたが、目の前で見ると納得する。終えるとロニは目に敵意を戻す。


「封印は戻らないんだな?。」

「そうだ。そんな方法はない。しかし、住民を逃す助力はあると思っていた。それもない。」


辺りは夕暮れが進み、闇の気配が強くなる。闇の帳が降り、ロニの表情はもう見えない。


ライドはシルエットのようなロニの顔に「何故ナリアラを助けた。」と問う。しかし、返答はない。


残された時間は少ない。返答のない問いに拘ることはできない。ライドは歩きながらロニに経緯の確認を行う。


辺りに闇の帳が降りる。


灯はない。ロニは道具があれば実式の明かりを作れると言うが、道具も視界もない状態では使えない。そもそも実式の光は目立ちすぎる。


完全な闇の中を包囲の兵士が灯す篝火を背に、里で灯す篝火を前に手探りで歩く。


ロニは侯爵家との契約については、問われるままに話し始める。ロニは跡目を継げたとしても、キルケニー家か弟を跡取りとして認めており、他の領地との関わりは上手くいかないと言う。打開にはより強い貴族からの承認が必要で、レドール侯爵なら申し分ないそうだ。それをレドール侯爵が承諾したとか。


『ディーン君の読みは外れたね。流石に跡取りの後援はないね。』

「キルケニーは跡取りに口を挟んでいるように見えるけどな。」

『親族繋がりじゃないか?。』


ライドの声を聞き止めたロニが、キルケニーは祖父の兄の家だと説明する。


「キルケニー伯爵の祖父はまだご存命だ。家長としての宣言のつもりなのだろう。隠居の自覚のない方だからな。」


ロニは跡を継いだ時の、領主としての承認を正式な書面を交わした。しかし、相手は侯爵自身とは思っていない。跡取りである長男と結べれは御の字との認識だ。対してロニが支払う対価はナリアラとシャルを里に導き、目的地を聞き出すこと。そして目的地に急ぎ向かうようにナリアラを説得することだった。


「ナリアラ殿を害する話など、したこともない。」


ロニはそう言葉を詰まらせる。先程は返答しなかったのではなく、できなかったようだ。


ロニの返答にソドムが常識がないにも程があると唸る。貴族の常識では、陣営を定めた以上、陣営のより上の意思に沿い、反しないのが当たり前らしい。ロニは陣営の最下層だ。ソドムは貴族として生まれた以上、普通、常識は身につくものだと評価する。帝王学以前の問題とか。


しかし、ライドは笑えない。ライドの常識では、ロニの判断は妥当だ。聞く限りナリアラが死んでしまっては、ロニは約束を果たせなくなる。


『ああ、そうか。ミラジとローレンしかないこの地域に追い込んだから、ロニ嬢を単独で走らせたのか。嫌な侯爵だな。』


ソドムの呟きをライドは聞き流す。考えをまとめているようだ。生憎ライドにはさっぱりだ。逆にロニに言っておきたいことはある。


「ナリアラと蟠りは残すなよ。時間はそれほど残ってない。」


ライドの言葉に、闇から「分かっている」と、ぶっきらぼうな返事が返る。背中から浴びる敵意は朝に比べれば随分小さい。ライドは嫌われた子供の世話をする感覚を思い出して苦笑する。久々の生きている感覚だ。


目覚めて以降、この地上の空気に馴染めない。憧れていたと言うのに、夢ではないと分かっているのに、現実感を感じない。常識の差がその一因だ。


『目覚めは再誕。子供は生まれる場所は選べない。慣れるしかないさ。』


ソドムは楽しげだ。それを、指摘すると、人が取り乱す姿を見ると、自分の気持ちが落ち着く。と答える。


「そうだな。腹は立つが。」


ライドは苦笑する。地下でソドムと出会ったとき、ライドは文明の差に気が動転した。しかし、ソドムのお陰で冷静さを取り戻した。それと同じだろう。


ソドムは今、何に気を奪われているのか?。問えば、『家族のその後を調べると思うとどうもね。』と返される。


理不尽な死を迎えていたら、謝罪は届かず、憎むべき相手もいない。その苦しさは胸の内に秘めるしかない。それは辛いことだ。そして、それを予感させる情報はある。アウデリアはゲシュタット家は宗教に傾倒し、国の舵取りを教会に預けたと話した。革命や革新の原動力は、熱意だけではない。裏には必ず憎悪がある。


ライドはただ頷いて返す。


『話を戻そう。ロニ嬢に里を纏めてもらう。私としては仕組みで動いてくれた方が安心できる。ロニ嬢はどうかな?。』


そう言って、ソドムは「領地間の争いで、護衛のつく技術員の排除方法について。」ロニに質問する。


ロニは人を雇い、誘惑して引き剥がす時間を作ると答える。悪いとは思わない。しかし、ソドムはため息をついて切り捨てる。


『仕組みを作って住民を動かすのは無理かな。護衛が目標のそばを離れるのは、直接的な命の危機が時だけ。欲や情報を調べる為に離れるような下っ端なら苦労しない。そもそも、護衛がいない程度で敵陣の奥に入って出てこられるかい?。死にに行けといわれて肯く人材なんて滅多にいない。』


ソドムが言うには、外出させてからの襲撃が基本だと言う。ただし、倒す必要はなく、引きつければ十分。あとは警護と護衛其々に何を撒き餌にするか、中の情報をどう手に入れるか?。何処で目標を油断させる場所を作るか。だそうだ。


『素人でも、緊張している間は手強い。だから油断させる。外出先で襲撃、誘導可能な善意の第三者に目標を部屋に護送させる。その間に手の者に侵入させて仕込みは終える。不在時の侵入者の有無を知る仕掛けは善意の第三者が堂々と押し入って有耶無耶にする。中に入れば、どんな行動を取るのか?。目標に毒入りの飲み物を勧める?。お菓子を勧める?。仕込みはその辺りだけでいい。敷地内に立ちいれる権利を持つ者を調べて、その者と入れ替わる算段がつけばここまでの実行は目の前さ。次はどの道すぐには動けない。そしてこの手は何度だって形を変えて使える。』


ライドはソドムの言葉に頭の中を整理し直す。狙われるときには、こう言う発想をされるのか。善意を装う者を見抜く必要は多々あったが、善意そのものを疑う必要を感じたのは初めてだ。しかし、理解はできる。


そんなことを考えながらも、ライドは淡々とロニに計画を説明する。


「クレイル。お前がどこの手の者でも今は味方だな。頼らせて貰う。」


今後の絵図を一通り話すと、ロニはクレイルを誤解する。敵意が目に見えて低下する。本当に素直な若者だ。


信用がないなら誤解させる。ソドムの方針は明確だ。怖いが、それを頼もしく思う自分がいる。半分呆れる。ソドムがいなければ、ライドはただ無駄に暴れて皆揃って不利に追い込まれただろう。ソドムの発想は真っ黒だが、真っ黒でなければ望む未来への道は見えない。


しかし、ソドムに言わせれば、ライドが誤解するように仕向けたと言う。訳がわからない。


「この里は母の生地だ。ローレンの意向に反しはしない。心配はいらない。」


ロニは住民をまとめることに自信を見せるが、ロニの論理ではまとまらないだろう。それはライドにも分かる。しかし、任せるしかない。


里の篝火がその形を掴める距離になる。闇に浮かぶ炎は暖かい。闇は元々寂しく、空虚だ。光は微かであっても心に生きる意思を生み出す。


ライドは篝火の光を見ながら、ただ、怯え、後悔に背中を押されながら我武者羅に生きた日々を思い出す。


煙の臭いが漂い、パチパチと枝の焼け弾ける音が聞こえるようになる。里の入り口、篝火の横にはナリアラがいた。里長もいる。篝火の光を受け、闇に赤みのある黄色に染まった上半身を、闇の中に浮かび上がらせる。


「ロニ様。よくご無事で。」里長が恭しく一礼する。「お疲れのところ申し訳ございませんが、皆がロニ様のお言葉を待っております。」

「分かった。だが先に顔を拭かせてくれ。里長殿、案内を。ナリアラ殿も一緒に来られませんか?。」


ロニの言葉に、ナリアラが無表情で後に続く。十分に話し合う時間はない。それでも、次に会った時には笑顔で会えて欲しい。ライドはそう願う。


ライドは、松明を掲げる里長に先導される3つの背中を見送る。


『集会の準備、里長の懐柔。ナリアラ女史は良い仕事をしてるね。計画に全面的に乗ってるし、ロニのこともよく分かってる。正直、あんなライドの説明で何故と思うけど有効だったみたいだね。』

「シャルが前向きになってくれたからだろ?。上手く話せた自信はない。」


ライドは予定外の滞りのない展開に、少し肩透かしを覚えながら、里の中を歩く。辺りには煌々と沢山の篝火のが炊かれ、うっすらと里の景色が浮かび上がっている。里に保管された薪は全て使うつもりかと言うほどの明るさだ。


しかし、異常に静かな夜だ。虫の声もしない。数日の生活でこんな日はなかった。爬虫類の感覚の鋭さには、目覚めて以降驚かされるばかりだが、虫の危機感知能力の高さにも驚かされる。いや、赤大蟻が発する何かがあるのか?。見た目より危険な蟻なのかもしれない。


ライドは意識を切り替える。静かだが人がいない訳ではない。皆建物の中にいる。建屋の近くを通ると、静かに纏まって座っているのが分かる。恐怖に震え、絶望に支配されている。家族がまとまって平和に暮らせる最後の夜だ。この後は例え生き延びても、飢えと重労働に苛まれる日々が待っている。


脅威が迫まれは排除する。これは故郷でも同じだ。戦士長だった母親は、その度に豪華な料理と泣きそうな笑顔で子供を迎え、明るい食卓を演出した。そして決まって子供達をだきしめたが、その腕が震えていたのを覚えている。


幼い頃は忙しかった母に構って貰える数少ない機会だった。大抵下の兄弟が優先されたが、母を困らせる獣を追い払うと、弟と共に意気込んだものだ。


里の中で一番明るい場所に向かい、辿り着く。そこは里の中央にある広場だ。灯に引き寄せられる虫の気分だ。その中央、4つの篝火に囲われた一角に、更に2本の大きな篝火が焚かれ、その間に木製の台が置かれた場所がある。ここでロニは住民に報告と避難を呼びかけるのだろう。


この周囲には大勢の人の気配がある。しかし、光に照らされる範囲にはいない。闇の中に約30人、60個の白い目が闇に浮かぶ。物音もない。浮かび上がる目は恐れ、怒り、悲しみを示す。貴族の都合で住む場所を追われ、飢えて死ぬ未来を強要された憎悪と絶望の目だ。彼らは逃げる意思がないのではない。何処に逃げれば一番幸せに暮らせるのか、逃げ先を探している。


しかし、その視線が集まる一角に目を向けたライドは、口から白い息を吐いて歯を剥き出す。篝火に照らされた木の台の前には、2つの小さな姿が折り重なっている子供だ。ここに連れてこられた3人のうち2人。その虚に開いた瞳に虫が止まる。


『やりやがったっ!!。』


ライドは思わず故郷の言葉で短く叫ぶ。その声は篝火の光を大きく揺らし、突風のように周囲に拡散する。丁度、ロニの叫びが風を起こして広がったのと同じように。小さな積み上げられた骸に触れると、首は固まっているが体はまだやわらかい。手を下したのは夕暮れか。


ロニの回収に向かわず、里に居れば気がついただろうか?。いや、小さすぎて見落とすだろう。これは追い詰められた住民が、自分の苦境示す為に行う示威行為だ。ライドはそう言うことがあることを知っていた。犠牲になるのは子供や部外者だ。なのに見落とした。


『死んでるのかい?。』


ソドムの言葉に無言で頷く。


戦士の矜持において、子供の命より価値の高いものは少ない。だが、死んでしまえば今生きている者の命に勝ることはない。この子供達はライドが守りたかった価値の一つだ。戦士としての最低限の仕事だ。それを取り零した。ライドは衝撃で手が震えるのを止められない。殺意が立ち上る。


数人の気配がライドの背後に立つ。


ライドは口元を噛み締めて小さく喘ぐ。「力」の塊をぶつけたい衝動に駆られる。やれば背後に立つ弱い者の命などすぐに消える。しかし、戦士が民に手を挙げるなど言語同断だ。彼等は生者で、子供は死者だ。どちらを優先すべきかは考えるまでもない。それが戦士の矜持、命の順位だ。


「部外者よ。大人しくしておれ。」


腰の曲がった老人が、ライドを見上げると犬猫でも追い払うような仕草をする。


近づく殺気立った集団は手に太い刃物「なた」や棒の先に棘のある鉄「くわ」を携える。里の者の感情はもう抑えが効いていない。どうせ死ぬなら、何処でもいい。そう言うことか?。集まった者達の目には生きる意志より怒りと悔しさに彩られてる。


「この子らを殺したのは、お前達だ。だが過ぎたことは言わない。ただ隅で自分の罪を目ん玉に焼き付けぃ。」


集団の中にいる壮年の男が声を絞り上げる。飢えた時、人は普通では選ばない選択をする。その醜さをこの里の者は知っている。声音がそう確信させる。


次に杖をついた老人と老婆が数人、前に出る。静かにライドを睨み上げる。


「骸に変わるのは、子供達だけではないぞ。皆じゃ。自分のしたことを、よぉーく噛み締めぇよ。」

「ロニ様には身を削って私等を救うて貰わねばならん。良いとばっちりじゃ。」

「里の者が被害を受けることはあってはならん。持ち込んだ罪は外の者の中で済ませなくては。」


適当なことを。ライドは目を細める。ライドは、怒りが熱のない深いものに変わるのを感じる。


「お前達はあの子供達を受け入れた。里の子だ。俺に責任の逃れ方でも教えるつもりか?。あと1人はどうした?。」

「お前達の罪を問うている。気になるなら自分で探せ。面倒は自分でみぃよ。」


老人がライドに唾を吐く。ライドはそれを躱す。老人は、躱されると一層不機嫌に前に出てくる。


「どれ、一つ教育してやろう。膝をついて言うてみぃ。ありがとうございます、とな。はよせいっ!。ものを教わるのに礼はどうした?。膝ををつかんかっ!。道理も知らんか!。若造っ!。」


老人が杖の先でライドを突く。さらに躱す。その度に集団の顔に憎悪が滾る。この里は滅びる。飢えて死ぬと言っている。この獲物の多い地上でだ。甘えすぎではなかろうか?。ライドが剣呑な雰囲気を纏うと、老人が叫ぶ。


「殺すか?!、本性を見せおったぞ。

皆の衆。人殺しっ。人食い鬼だっ。」


ライドの敵意に、住民は敵意で応じる。


『ライド!。刺激するなっ。』


ソドムの鋭い声に、ライドは躾が必要だと呟く。子供を殺して開き直るような命なら、この先存在価値はない。躾は最低限の処置だ。


「無駄に年をとったようだ。」

『何を考えているっ。折角の機会を潰すのか?!。里の住民がロニ嬢への協力を拒めばナリアラ女史とシャル君にも先はない!。ロニ嬢にもだ。ここで崩すくらいなら初めから手を出すべきじゃなかった!。』


ソドムの指摘にライドは止まる。


『一番の罪人は、ライド。君だぞっ。手を出すなら5日前、シャル君を追手に差し出すべきだった。そうすれば犠牲者は一人。そして、里を陥れたのはロニ嬢と追い詰められた側に加担した私達だ。ライドは里に危害が及ぶことを分かった上でこの策に協力した。その罪を無視して1人で正しいつもりかっ。私達は里に何の説明もしていない。里の住民を巻き込んで利益を見込んでいるのは私達だっ。』

「この獲物の多い地上で、食べる努力もしない。こんな言い訳が・・・。」

『今は生きる為に狩より優先すべき仕事がある。それを知らずに!。知りもせずに!。彼らの生きてきた時間を否定するのかっ?!。』


生き方を、その努力を否定する?。俺がか?。ライドは目の前に見えない壁がそびえ立つのを感じる。


そして気がつく。集団行動は、事態の混乱させず纏めるところから始まる。無法地帯にしない為の躾は重要だが、後でも良いことだ。


何故今に拘った?。


「すまない。」


ライドが謝罪の言葉を口にすると、周りの老人達は捨て台詞を残して散る。


ライドに不満はあっても、老人達もロニから強力な支援を引き出したいのだ。ことを荒だてたいのではない。


この場でライド自身の望みを壊すのは、ライド自身しかいなかった。


『ライド、君は出会った時は年上かと思った。それが徐々に年相応に思えて来た。本来は好ましいことだ。でも君には周りに影響を与えざる得ない力がある。意思を押し通せる。悪いが今のままなら無駄な死者が増える。子供でありたいなら、大人に管理されるべきだ。君は個人で自由な振る舞いを許される程、成熟していない。』


ごもっともだ。ライドは力ない足取りで少し離れた場所のに座ると手で顔を覆う。


『まずは教会で、真面目に常識を学び直すんだ。全てはそれからだ。』


ソドムの叱責が堪える。自分が逆の立場なら、戦士未満の半端者にかける言葉はない。


故郷では「力」そのものが価値を持っていた。それは社会が未熟で、力に対抗する手段が考えられてこなかったからか。


こんな激情を感じたのは久しぶりだ。自分の不甲斐なさに呆れる。トラウマとの久しぶりの付き合いで、疲れが溜まっていたのか?。これでナリアラ、シャルの逃亡まで失敗すれば完敗だ。ソドムの話では、指揮系統から人手を奪い、乱し、足枷をつけても稼げるのは2、3日。対してミラジ、ローレンを通り抜ける為には、調査、計画が不可欠で、入り口を通るだけでも数日は飛ぶという。つまり、この地から外には出られない。


頭を抑える手に爪が立つ。力が入る。僅かに血が滲む。


掌の間から折り重ねられた子供の死体に目を向ける。5日前の生きてきた時の姿が目に浮かぶ。


程なく2つの足音が広場に近づく。闇の中の白く浮かび上がる瞳が一斉に篝火の炊かれた台座に集まる。ロニが里長に先導されて歩くが、篝火の下で足を止める。篝火に照らされた小さな重ねられた骸が原因だ。ロニは表情を崩さず、すぐに壇上を通り過ぎ、小さな骸の前に立つ。


「里長。弔いを。」

「なりませぬっ。これは我々の未来の姿。そこから目を逸らした言葉など誰一人聞きとうありませぬっ!。」


ロニの言葉に、数人の老婆が闇から篝火の光の当たる場所に歩み出る。


「これが未来のお前達の姿?。ならば、私の役割はない。貴族は生きる意志のない者の手を握らない。」

「この里を滅ぼして責任一つ取れんと?。ならばこの先、誰一人、貴方様を支持する者などおりませぬ。見損なったわっ!。」

「主張とは、生きる者が生きる為にすることだ。誰かの手を待つ者の恨み言など世の中に掃いて捨てる程ある。仮にこのまま里が滅んだとしよう。生き延びる者が私を糾弾したとする。その言葉に私は堂々と答えよう。ただ救われることを願う愚か者だったと。ローレンの住民として相応しくない。それが貴族としての私の判断だ。この子供達の犠牲は無駄だ。領民の生死で貴族の判断が変わることはない。貴族の時間は、絶えずより多くの領民が富み、栄える為に費やされる。」ロニは大きなよく通る声で、老婆達と相対する。「再度問おう。これがお前達の思い描く未来の姿か?。」

「俺達は静かに暮らしてたんだ!。」闇の中から壮年の男の声が響く。「この里を追い出される!。命もだ!。あんたの所為なんだよっ!。」

「世の中の一例に過ぎん。判断を誤ったのは、私か。だがそこから自分の足で歩けない者は領民たるに足りん。」


ロニは主張を一蹴する。


「ロニ様。それはあまりなお言葉。我々はロニ様の求めに応じて受け入れました。その結果に対して責任がないとおっしゃるのかっ。」


老人が声を震わせる。


「お前達こそ何もしていない。ただ胡座をかいてきただけの生活を、さも自分達が手に入れたかもののように言う。この里の平穏は先人達が勝ち取ったものだ。それを諸君は享受していたに過ぎない。諸君の手にした成果ではない。」


ロニは挑むような目で周りを見回す。


「平穏は勝ち取った者にのみ与えられる。そのことを諸君が知らないはずはない。その歴史に立ち会っている。セレ国は何故統一された。かつて栄えた国は何故滅んだ?。近隣の村の興亡はなぜ収まらい?。そこに住む者達に落ち度かあったか?。ありはしないっ!。村が賊に焼かれる時、村人に罪があったのかっ。ないっ!。」


ロニの声は大きいが、耳に煩いと感じない。寧ろ力強く耳に残る。


「ならば、何故失われたっ。暮らしてきた平穏は、勝ち取ったものではないからだ。何故貴族は街を作るっ!。平穏を勝ち取る為だ。何故、国同士は争うっ。平穏を作り出す為だっ!。」


文句の言葉を考える里の者も、矢継ぎ早に紡がれる大声に、不満を挙げる機会を掴めずにいる。


「諸君。私が子供の受け入れを願い出た時、受け入れたのは何故だ?。里が遠からず滅んだからだっ。これ程子供のいない里の未来を、諸君はよく見えている。諸君は緩やかな滅びを選ばず、戦う意思を示した。」


ロニが少し声を落とす。しかし、今度は声は上がらない。


「諸君、我々は常に勝者を讃える。それは貴族だけではない。大きな獲物を討ち取った狩人、豊作を迎えた農家、新たな家族を生み出した者。我々はそれを称える。諸君らの祖先は、赤大蟻の脅威を遠ざける為、ここに里を作った。だがこんな僻地にも商人が訪れる。それは商人が祖先の功績を称えたからだ。それが長い間、維持され続けているのは何故か?。先人達が価値のある生産品を生み出す努力を続けたからだ。」


ロニは小さな骸と住民の立つ。篝火はロニの背中を照らし、ロニの顔が見え難くなる。


「諸君の血には、この地に赤大蟻を封じた勇士達の血が流れているっ。諸君は生まれながらに争いを愛しているっ。痛みやぶつかり合いを愛しているっ。諸君らが小さかった頃、誰を賞賛したっ。物語なら英雄や騎士。身近な者ならば足の速い者であり、弓矢の上手い者だっ。私もそうだっ。諸君は勝者を愛し、敗者を認めない。平穏は勝者にのみ訪れる権利だっ。そして、戦いを否定する者、戦いを諦める者は勝者になれないっ。」


ライドは集会の広間を少し離れ、建屋に寄りかかる。


「諸君は私の母を知るっ。私の母はこの里からローレンに移住したっ。私には諸君と同じ血が流れているっ。母が私を産んだのは、新たな生活に流されたからではないっ。父の好意を勝ち取ったからだっ。戦いとは全て!。この身の全てを注ぎ、発揮し、それ以外の全てを消し去るものだっ。」


時代が進めば何でも洗練される。ライドは改めてそう思う。まだ若干20歳のロニの演説は、ライドの知る長達の歌うような隙のない演説より心に届く。それは里の者も同じだろうか。表情が固まっている。


「明日、皆は戦いに身を投じる。この中の数人は訪れる困難に殺されるかもしれない。赤大蟻は怖ろしい。戦は怖いっ。怖くないという者がいるなら、そいつは嘘つきだ。しかし、勝利は戦い恐れながらも前に進む者だけが掴み取れるっ。1人で戦ってはならない。英雄気取りは屑だ。その者は本当の戦いを知らないのだっ。里の諸君は共に食べ、共に眠り、共に戦う共同体だっ。そして、我々は例外なく里への帰還を望むっ。しかし、諸君が倒れていては叶わない。これを乗り越える最も単純な方法があるっ。諸君がこの困難を生き延びることだっ!。」


ライドの側に人影が増える。家の中から、ロニの声を聞く為に外に出た者達だ。その表情は一様に暗いままだ。


「そして、我々は最低な糞大蟻の痕跡を、その一切合切を一掃するっ。そしてっ、とっととこの地に戻り、里を再興するっ!。その為にローレンと里を繋ぐ道を敷くっ。材料集めや設計は貴族にやらせろっ。貴族は平穏を勝ち取ろうとする者と共にあるっ!。」


ライドはその場を離れることを決める。


通り過ぎる建物の脇で、「小娘。」「口だけ。」と言った様々な言葉を聞く。ロニの演説は広場から離れた場所でも明瞭に響き渡っているらしい。


里の住民は、家の中から外に足を運び、文句を口に出しながらも、避難を前提に動き始めている。


ロニの言葉は動けなかった者達を前に進ませた。内容は評価の対象ではない。動かない住民の足を動かした。この結果が全てだ。


命を救いにきて、命を救えない行為に意味はない。ライドがしてきたことがそれだ。


小さな骸を守るように立ったロニの姿は、一層赤く輝いて見える。ただ立つ位置を変えた。それでもライドより余程小さな骸の為になって見える。


「私はいつでも諸君と同じ血が流れることを誇りに思っているっ。共に戦えることを嬉しく思うっ。」


ソドムはその場を離れるライドに『悪くない誤算だ。』と話す。ソドムは途中からだが、ロニにその紐のような線を繋げたらしい。


ざっと20メール。届かせた達成感に高揚している。


「諸君っ!。私の意思は分かっただろうっ!。明日朝、我々は移動を開始するっ。勇敢なる諸君を率いれることを、私は誇りに思うっ!。」


ロニの言葉がライドの耳を打つ。


『流れができた。偏屈者を除けば、皆ロニに従うさ。里長や狩人もね。ロニは言葉で住民を大衆化させた。大衆化すればあとは流れる。これは私の苦手な感覚派だ。でもああ言う感覚派も前線では有能だよ。』


結局、ライドだけが不要だった。気落ちしつつ、ナリアラとシャルのいる家を目指す。


集合場所を決めていた訳ではない。見つけただけだ。勝手に見つけると話した時には、ナリアラに呆れられたが、この里ではナリアラの「力」はよく目立つ。予め場所を決めるより安全で確実だ。扉を短い間隔で2度叩く。この作法は見様見真似だ。程なく中からナリアラが顔を出す。その目は一瞬、篝火の多い広場に向けられる。


「クレイルか。ロニは上手くやってるみたいだね。ここまで声が聞こえるよ。」


ナリアラは嬉しそうに応える。ロニとの話合いは悪くない結果だったのだろう。


「夕飯食べてきな。この後は暫く落ち着いて食べる時間はないんだ。」

「その前に人探したい。5日前連れてきた子供が1人行方不明だ。」

「・・・とにかく中に入りな。」


ナリアラは少し目を左右に動かすと、有無を言わさずクレイルを建屋の中に引っ張る。


中に入ると、ナリアラはすぐに扉を閉め、顎で奥を指す。


建屋の中は奥に、この建屋の殆どを占める平たい場所がある。


その真ん中に木枠で囲われた穴があり、砂が敷かれている。その上には火が焚かれ、天井から吊るした紐に吊り下げられた鉄の容器を熱する。


そこからは野菜や肉を煮た汁物の良い匂いがする。


その容器を囲うように2人の子供がいる。1人は11才の子供でシャルだ。姿勢良く座り、ライドに軽く会釈する。もう1人は12歳程度の子供で、膝を抱えて壁に寄りかかる。ライドのことは眼中にない。その双峰は怒りと憎しみで溢れている。


5日前、馬車でこの里に引き取られた3人の子供の1人。ライドが探そうとした子供だ。


「クレイルは千里眼が使えるみたいだね。私は結構苦手なんだが、その若さでやるもんだね。」

「「せんりがん」はよくわからないが、子供は小さすぎる。ナリアラはこの里の中では一番大きい。」

「大きいって・・・身長じゃないだろね?。まあ、まずは座りな。」


ライドはナリアラに進められるまま、火の側に近寄る。ナリアラは慣れた手つきで椀に食べ物を入れ、ライドに渡す。


「鹿の肉で作ったスープだよ。保存食の残りだ。お食べ。」


囲炉裏には奥にナリアラとシャルが座り、手前は壁際で膝を抱える子供用の椀が置かれている。


「美味い。」

「ありがとよ。」


ライドの言葉に、ナリアラは柔らかく笑う。そのスープはすぐに飲み干された。


ナリアラは時折野菜を鍋に追加しながらライド、そしてシャルの椀にスープを分ける。子供の椀にも残ったのでープを戻し、暖かなスープを入れ直す。手際が良い。しっかり自分も食事をしながら仕切る。シャルは「ナリアラの料理は私も好きだ。温まる。」と笑う。


「で、この子はどうするんだい?。私は連れていけないよ。かと言って里の者にも頼めない。」

「俺が連れて行く。話は変わるがロニとは上手く話せたのか?。」

「師弟は解消したよ。ケジメだ。ロニには振り回されたしね。」


ライドの問いに、ナリアラは笑顔で答える。これからは年の離れた友人として付き合うと。短い時間でその約束が交わせれば十分か。


ロニの裏切りの経緯について、聞けた範囲でナリアラに伝える。


「ロニはこの策に乗る。問題は俺が手に入れてきた5台の馬車だ。病人や弱い者を乗せたいが、この里では狩人が強いらしい。ロニに抑えられるか?。」

「問題ない。ロニがそのつもりなら上手く捌くよ。あれは人の扱いが上手い。それに何人いようが力で負けるような鍛え方はしてないね。」

「そうか。」

「クレイルとお仲間の役割は?。」

「里での作業は俺だけだ。ローレンで作業がある。よく気がついたな。」

「漸く認めたね。」


ナリアラは軽く頭をかきながら、「まあ、聞かないでおくよ。」とぼやく。


ソドムが『ディーンのことを言ってる訳じゃない。』と注釈する。なら誰のことか?。問い返すとため息をついてはぐらかされた。


その後、今後の予定を話し合ったが、その間、1人の子供が全く食事に手をつけなかった。


ライドはその目の昏い光に、かつての我が身を重ねて不満を吐く。


「食べておけ。飯も食わずに恨みを晴らす日が来ると思っているのか?。やる気があるなら真面目にやれ。」


ライドの言葉にナリアラが渋面になる。が、子供はライドの言葉にのそのそと動き、椀のスープを口に詰め込む。


「これは巡り巡って返って来るもんさ。自分が救われることはないよ。」

「それは代わりになる価値を見つけた者の言葉だ。明日死んだら悔しか残らない。」


ナリアラがライドの言葉に深呼吸しながら目を逸らす。


「クレイル。この子、ミンウだけど教会に預けられないのかい?。」

「試すつもりだ。しかしサティとザードの例がある。ザードは復讐に取り憑かれて教会の規則に従う意思がない。教会から追い出されると聞いている。教会も今後、復讐に取り憑かれた者は受け入れないだろう。それに受け入れられても、規則が守れなければ同じ事だ。」

「ミンウに求めることはあるかい?。」

「教会に残る為には、日が出ている間、従順に周りと同調する忍耐力が必要だ。それができれば寝る場所と食べ物が手に入る。復讐の為に鍛えることもな。ザードにはその理解が足りなかった。」

「繰り返すが焚きつけるな。」


ライドはナリアラの言葉に返事をせず子供を見つめる。復讐は焚き付けられるものではない。抑えられずに湧き上がるものだ。これは何年も維持し続けることは難しく、迷い、悲観し、諦める。それでも時に思い出しては爆発する。ライドは体験済みだし、故郷でも見慣れた感情、見慣れた光景だ。


子供は口元を腕で拭うと、怒りに染まった目をそのままに、期待を込めて笑顔を作る。少し歪だが意味は伝わったようだ。


「ナリアラ、シャル、幸運を。」


ライドの言葉に、ナリアラは承諾の返事を返す。


「ミンウ。お前の覚悟試したい。俺にも確信がいる。」


その言葉に子供が立ち上がる。その姿にシャルが姿勢良く穏やかな笑顔を浮かべて言葉をかける。


「ミンウ。必ず、また会おう。そのときは互いに成長した姿で。クレイル。私は楽しみを得てみせる。世話をかけた。」


シャルもまた笑顔の中に昏い光を放つ。


「シャル。それが復讐なら私は許さないよ。ミンウもだ。一緒にはいてやれないが覚えときな。復讐が成功したら、あんたの大事な人は、復讐した相手に殺される。説得は無駄だよ。」


ナリアラは制止の言葉を放つが、応える様子はない。ナリアラもそんな一言で止まると思ってはいないのか、ため息をつくと、厚めの唇を尖らせ、クレイルを睨む。童顔気味の美人とは言え、戦士の顔だ。威圧感はある。


しかし、ライドはこの手の威圧感には滅法強い。「選べることは大切だ。」と正面から返す。


「俺とお前は違う。」


ミンウはシャルにそう返すと、ライドについて建屋から出る。


ナリアラとは、この先、別行動になる。軍と大蟻の衝突が始まった後、ローレンの地下を目指す。


地下への入口は地図に示している。岩場に地下水か流れる裂け目だ。戦士の歩法が使えるナリアラなら問題はない。


「さっさと行きな。世話になったよ。」


ナリアラは忌々しげにライドを見送る。機嫌は急降下だ。険しい顔で追い出され、ライドはミンウを連れて遠くの篝火を目指す。

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