第9話
◯ローレン北西部、街道沿いの平原
「仕込みを終えたことは評価する。短期間でよくやった。だが下手を打ったな。その点は反省しろ。」
「私は下手など打っておりません。ナリアラを始末しなかったあの娘の失態です。一体何を考えているのやら。」
日除けの布の下で、20半ばの厳つい青年が折り畳み式の椅子の上に座る。顔だけ見れば地上げ屋の若頭だ。上質な群青の衣にオーダーメイドの高級なブーツと身なりは高貴で、所作は見る者に涼やかな印象を与える。それは身につけた教育の賜物だ。髭を綺麗に剃り落とし、寝癖もない。粗暴な言動と風貌とは似つかわしくない。
「運び込まれたナリアラの生死を確認せず、相手の言葉を鵜呑みにしたのはお前だろう?。ロニは協力者止まりだ。」
「任務外ですな。」
「やることなすこと一々穴がある。たまには他の者の手を煩わせずにきっちり締めて見せろ。そうすれば扱いも変わる。いつまで現場にいるつもりだ。」
体の大きな粗暴な言動の青年に叱責されるのは、膝をついて屈む40前後の痩身の男だ。旅慣れた服装に草臥れた靴。白肌、青い眼は20半ばの青年と同郷であることを示している。しかし、飄々とした態度同様、膝をついて首を垂れる男に反省の色はない。その冗談の様なちょび髭と、面長な頭部にギョロッと見開かれた大きな眼で、瞬きもなく青年を見つめている。
周囲の完全武装をした男達からは、諦めのため息が連鎖する。
「まあいい。ご苦労だった。休んだら、ローレンの跡取りがバカをやらかさない様に見張っておけ。」
「畏まりました。」
青年の言葉に、40前後の痩身の男は立ち上がり、退出する。
「器用な男だ。どんな難題でも骨子は整えて見せる。その癖に容易な仕事でも落とし穴を残す。」
青年の呟きに、隣に控える老獪な兵士が「それがダレルと言う男なれば。」と答える。
20半ばの青年の名前は、ストール=レドール。北部連合を打ち滅ぼした軍神ドリアン=レドール侯爵の次男だ。上には長男と姉が、下には妹が2人いる。
「そう言えば聞いてなかったな。赤大蟻か。体長4メール程度の蟻。何故この程度の小物が封印されたまま討伐されていないのだ?。ローレンは武闘派キルケニーの分家だろ。」
「黒大蟻の体長は2メール。大きさが倍なら、体重は8倍、力も数倍になりましょう。同じ様には行きますまい。」
「習性は変わらん。大きくても蟻は蟻だ。まあ、我々の戦力は過剰だ。問題はその都度対処すればいい。特に急ぐ用事もないしな。」
「ローレン地下に眠ると言う存在に対応する為の軍です。蟻が目的ではありませんからな。」
「だが里の封印に手を出す予定はなかった。封印は残っていた方が交渉に使える。それに第一段階の成果は十分だ。次の計画に移って問題はない。少し性急すぎないか?。」
「時間には何より大きな価値があります。これだけの軍を動かしたのです。一日遅れれば、この人数全ての一日が無為に変わります。」
「私としてはあの子供を手元に戻したい。サミュエル伯爵の言う通り、鍵を宿したのだとすれば、使い道がある。」
「女傭兵に5日も時間を与えたのです。目標と退避する程度、造作もないでしょう。既に餌に食いついた魚、まずは泳ぎ疲れさせるのが良いかと。それよりカルバニ=ローレン子爵に恩を売るまたとない機会です。これがなされれば兄上の携わる計画が進め易くなります。」
「その女傭兵を随分信頼している。その時から何年経つ?。相手も衰える。年には勝てんぞ。」
「敵でもあり、味方でもありましたな。まるで妖魔のように手段を選ばぬ者です。しかし、目的に対しては真摯。腕前も4人打ちから生き延びた程。錆びてはいないかと。」
老獪な顔に自信が浮かぶ。何か手を打ったのかもしれない。青年は厳つい顔立ちの太い眉を動かす。
ネズミを忍ばせて誘導する為か?。思い当たる節はある。しかし、だとすれば追手は手加減しなくてはならない。これは明らかな隙だ。気になる。
この老獪な鎧の大男は、勝利の実感を求めて、若くして貴族の地位を捨てた狂人だ。それが今では勲爵士。狂人だが、その才能と実力は折り紙付きだ。その男がシャルに対する手筈は手配書をもって済んだと興味を示さない。
厳つい青年にはどうにも嫌な予感が付き纏う。これは独自で事前策を用意しておくべきか?。
「こちらに残る問題はあの娘ですな。今尚堂々と恭順を語る。頭のネジがおかしい。尤もそれも若さ。手柄欲しさにこの事態を仕切って見せると息巻いているのでしょう。しかし、この度の里の住民の被害。その責任を負わせるべきかと。あれでもその血筋はキルケニー伯爵家の流れ。新たに伯爵となりました新興貴族の血を高める褒賞には丁度良いかと。」
「軍に政治を持ち込むな。政治屋はどこで帳尻を合わせているか分からない。」
厳つい顔立ちの青年に、老獪な大柄な兵士が鎧の下で「御意」と控える。
「あの娘には会ったことがある。権力志向には見えなかったが、弟があれでは考えも変わるか。凡才の俺からすれば姉弟揃って羨ましい武才だ。その暴走癖も己の力の過信が原因か。」
「父の領内に独自の勢力を持ち、翻意を示しているにも関わらず単身で動く。愚の骨頂ですな。現場の対処と全体を俯瞰する指示は全くの別物。それを同時に熟そうとは。高い授業料になりますよ。」
「末端には失敗しても取り返さない様に念を押しておけ。現状維持は崩すなよ。俺はその間に次の準備を進める。」
「この策は信用できませんか?。」
「信用してる。私は諦めるのが早かったらしい。」厳つい顔の青年は、その野性味溢れる乱暴者の顔に笑みを湛える。「だが、まだ次の計画までに猶予がある。なら、折角の軍の威光だ。利用できる安い手で遊ばせて貰う。我々が優位な点は数だ。策を同時に進められることが個人に対する組織の強み。そうだな?。教官殿。私の努力が無駄足になる吉報を待っている。」
「ご期待下さい。」老獪な兵士は恭しく一礼する。「時にあの娘との約束は守られるのですかな?。」
「「次期」侯爵である「兄」がな。貴族の契約は守られねばならない。だが、まずは生き残ることだな。」
「生き残って頂きたいですな。同僚の意地悪が原因で失われるには惜しい血筋です。」
老獪な兵士は、ストールの言葉に笑顔で応じる。仕掛けが転がる様子は楽しいものだ。
その場を後にした青年は、1人天幕の奥に進みながら表情を引き締める。
「性急な上に緩い。師も老いには勝てんか。さて、どう手を打つべきか。」
厳つい顔の青年は幾つかの策を検討する為に、一つの天幕を目指す。
兄の課題の補助が青年の役目。しかし、今回は手配書の成立の速さを父に褒められた。誇らしく思っていたが、裏を返せば、父ならもう少し遅らせてでも別の手も進めていたということだ。ストール=レドールは人脈も経験も父より遥かに少ないのだ、父より早くできる筈がない。早くできたということは、抑えるべき穴が残っている。
厳つい青年は、ある部屋で広げられた地図に目を走らせ、全体の配置や動きに再度神経を尖らせる。
「この軍が出し抜かれるとすれば、それはどんな時なのか?。」
青年は、その呟きが誰かの耳に届くとは思わなかった。
◯ ローレン市街裏通り、「烏の宿」
ローレンの大通りは露天商か立ち並ぶ。
馬車で一日かからない距離に交易都市ミラジがあり、物資は豊富でそれを扱う商人も多い。ディーンは世界で一番豊かな露天商だと思う。
その一本裏側の道沿いに「烏の宿」がある。区画としては商人や技術者が入り混じる職人街だ。
宿とは名前が付いているが、城壁にほど近いこの砦は無骨で堅牢だ。大通りを挟んで反対側に立つ似た大きさの塔と石の橋で繋がっており、一種の門の役割を担っている。侵入防止の門ではない。敵が浸透した時、敵中に残り、勢力を分散させる為の埠頭。いわば囮だ。
その性質上、中は独立した兵舎としての機能を持つ。倉庫は大きく、石造りの分厚い壁は投石機でもそうは崩れない。3階建てで、1階には広間のような食堂と大部屋の寝所、見張りの駐屯所、武器庫と整備場が、2階には応接室と個室の寝所、治療室が、3階には会議室と資料室、指揮官用の寝所がある。
今は1、2階を元傭兵に安価で解放し、3階は「烏の宿」を運営する一家の私室兼事務所だ。
此処にいる元傭兵は、皆どこにも声がかからず衛兵としても馴染めなかった者達だ。その数約80人。この兵舎の許容人数の半分にも満たない。
「山岳の悪魔」も人減らしの為、多くが参加する予定だった。
まだ崩壊の事実はまだ伏せられている。お祭り将軍に調査が引き継いだ後、発表する計画だ。尤も既に多くの権力者の耳に入っていることだろうが。
「烏の宿」の仕事は、一言で言えば治安維持業務の下請けだ。当然、治安業務の責任者は領主であり、設立には領主も深く関わっている。
領主の狙いは2つ。
一つは、衛兵に馴染めなかった傭兵が、生きる為に賊になる問題への対処だ。これは急務で、高度に組織化された賊の出現に繋がっている。この溢れた元傭兵達の受け皿を用意することで、賊以外の選択肢を作り、勢力の拡大を抑制するのが目的だ。
次いで商人からの庇護要請に対する対処。御遣いの登場以降、賊の数倍の規模を誇る暴徒から財を守る為、商人は高度に武装化を始めた。しかし、その戦力を維持できる商人は一部だ。独自に戦力を維持できない商人は、賊や貧民街の武闘派結社を頼り、結果、賊や武闘派結社の資金源になっている。ここにも別の選択肢を与えることで賊や武闘派結社の資金源を抑える効果が期待されている。
しかし、宿の主人の思惑は少し違う。以前から手の回らなかった農村への妖魔や害獣駆除を絡め、安価な少数対応組織として「烏の宿」を設立した。安価な人手を確保する仕組みは単純だ。上限を6人と抑え、人を減らし、補給部隊を排除した。それでも、その報酬は村が妖魔や害獣の撃退に報奨金を払える範囲から模索された為に、熟練の傭兵としては額に青筋が浮かぶ程に安い。3、4人でなければ妖魔の駆除は請け負えず、その人数では、不覚を取りやすい。傭兵の危険度が跳ね上がる。しかも、依頼期間の設定は期間ではなく達成報酬。移動に1日以上かかるなら、頻繁に依頼をこなさねば生活ができない。
様々な問題を抱えて発足から2年。
傭兵を呼び込む為、階級を分け、最低賃金を決めた。依頼をこなす安価な人材として、武名を求める若者を募集した。彼らの道徳の水準が低さが新たな問題も引き起こしたか、概ねその変化は好意的ニ受け取られている。仕事の評価項目に、依頼の達成率や依頼人からの評価が加わることになったのにも、傭兵達は肯定的だ。
別の領地でも「烏の宿」の模倣が始まったと聞く。喜ばしい話だ。
1階にある長机の並ぶ居酒屋権食堂で、ディーンは机に突っ伏している。その表情は、トレードマークであるダボついた帽子に隠れて外からは見えない。
ディーンの周りでは、最近、依頼内容がおかしいと酔っ払いが管を巻いている。身元の確かな依頼人でも判を押したように似た運搬依頼が多いとか。
歴戦の傭兵の勘だ。無視できない。聞き耳を立てる。彼等は誰かが大きな仕事の為に「烏の宿」を利用していると考えていた。
他人の記憶の一部は実式使用者が共有可能になった。今では衛兵に学院出身者が配属され、仲裁や犯人特定の一端を担いつつある。しかし、記憶の証拠能力は高くない。洗脳による改竄、思い込みによる挿し代わり、人の記憶が曖昧であることもこの実式は次々と明らかになっている。質問の仕方によって多少は引き出す記憶の操作までできる。忖度し放題だ。
それでも有益な手がかりに繋がる貴重な手段に変わりない。仕掛ける側にとっては、恐ろしい手段だ。
この手段への対抗策がこれだ。仕事の細分化と、似た事例を増やして特定し難くすること。流石は密偵密集地帯ローレン。勢力の活動の影には事欠かない。
「疲れた。」
ディーンは半泣きで呟く。5日前、衛兵に監禁され、根掘り葉掘り問い詰められた。一昨日漸く解放されたが、今日は朝からセリーヌに呼び出され、ライドについて詰問を受けた。セリーヌにとって、ライドは地下捜索を進める鍵としての価値を失っていない。お祭り将軍が調査と御遣いのお迎えを引き継ぐと言うのに理由がわからない。
しかし、ディーンは表向きはセリーヌに協力を進言しても、実際には行動するつもりはない。調査隊を撤退に導く為、侯爵まで巻き込んでいる。ソドムが無事ローレン子爵に譲渡され、野営地の運営を軌道に乗せることが至上命題だ。
ただ、これが精神的に堪える。
ディーンはため息をつきながら、最近出回ったという「誘拐犯」の手配書を見る。誘拐犯として、女傭兵の特徴や履歴が書かれている。統一戦争初期にセレ国に滅ぼされた南部の武人の娘とのことだ。本人も相当な使い手でディーンも名前だけなら知っている。罪状は「貴族殺し」そして「男爵子息」の誘拐で、北部の男爵家が懸賞金をかけている。随分な大罪だ。
しかし、この手の王国印の付いた手配書が、こんな理由で貴族会で認められるとは珍しい。手配書は貴族にとって統治における看過できない障害を取り除く為に出されるものだ。例を挙げるなら、「神の遣い」を名乗り、領民を扇動するなど。彼等は領民の手によって捕縛、焼き殺されることが殆どだが、本人達は聖人として祭られ本望なのかもしれない。
ディーンはこの手配書の意味に疑問を持つ。ローレン発の手配書だ。子爵が動く以上、キルケニー伯爵かレドール侯爵の意向だろう。
ローレン子爵は基本金魚のフンだ。この2家の動きに追従する。
「はーい。ディーンさん。ご注文の品だよ。午後もしっかりね!。」
ディーンはその声に応じて手をあげる。
この帽子は中からは外がよく見える。髪の毛程の太さの丈夫で弾力のある繊維で編まれており、その繊維の間は適度にスカスカだ。
ディーンは目の前の小皿に盛られたソーセージを口に入れると、添えられた野菜を啄む。野菜より肉だ。しかし、肉は安くない。比較的安いのはソーセージだが、塩っぱくて野菜と飲み物なしでは食べ難い。干し肉の高級版だ。
「前、いいか?。」
太い声が頭上から降る。そして大柄な男がディーンの前に座る。椅子が小さく窮屈そうだ。
見覚えのある安物の服。この宿では特に目立たない微かな血の匂い。均整のとれた体型なのにスマートさを感じさせない隆起した筋肉。
いや、そうじゃない。なぜここに?。
慌てて立ち上がる。ディーンはライドに「移動したい。」と告げると、運ばれた料理もそぞろにライドの腕を引いて階段を上る。
こんな申し訳程度のフードを被って変装したつもりなのか。
『慌てなくても外では誰にも見つかってないと思うよ。ディーン君。』
「たった今人目に晒されてますがっ。」
ソドムの呑気な声に軽く怒りを覚える。2階に借りた自室は元々手狭で、巨体のライドが入ると身動きも取りにくい程、窮屈になる。
「時間がない。知恵を貸してくれ。俺は今、その手配書の女戦士とロニという女戦士と行動している。ここから2万メール程の森の中だ。」
「ロニ?。ロニ=ローレン?。」
ディーンの呟きに、ソドム殿がロニの身体的な特徴を挙げる。間違いない。
訳が分からない。何故犯罪者の名前とローレン領主の娘の名前が並んで口から出てきたのか。防音機能のない部屋では話せない内容になる予感しかしない。
ディーンはライドを部屋に待たせると、打ち合わせ用の応接間を借り、そこに更に移る。応接間は6人掛けのソファーのある小綺麗な部屋だ。貴族も通すことがある。その中でディーンは腰の小振りの樫の木の杖を握り、脳裏に象形図を浮かべる。すぐに部屋は屋外のような白い光に満たされる。実式の明かりだ。
「この5日間上手く潜伏したね。密偵が皆泡食っている噂を聞いたよ。」
「この塀の内側にいなかった。」
軽く世間話。しかし、ディーンはライドの答えに首を傾げる。門兵の検問を通る者の確認は基本だ。時越えの人、ソドムが補助する以上、密偵は塀の警戒はしているだろう。しかし、ライドは日々教会に現れ、密偵は足取りが掴めず焦っているとの情報がある。
『先に確認したいことがある。いいかな?。』
しかし、ディーンが疑問を口にするより先に、ソドムが時間がないと口を挟む。
『ディーン君は実家の指示で動いてるね。身分を捨てて傭兵をしている庶子が4席を名乗るのはおかしい。』
ソドムには気付かれる。地下の話し合いの時点で覚悟していた問いかけだ。ソドムには聞こえないとタカを括っていたが、ライドが逐一報告していたと聞いた時には驚いた。国は違っても元伯爵。ディーンは和かに笑みを浮かべながら、続く言葉を待つ。
『ハッシュベル駐屯地での撤退の運びは見事だった。実家の協力を含めて、貴族でなければできない仕事だ。だから地位を使わざるを得なかった。セリーヌ殿や商人にも気がつかれてもね。そして、一度知れ渡ればすぐ広まる。』
ディーンはただソドムに話を進めるよう促す。
『ストール=レドールという青年が言っていた。ローレン子爵の跡取りには問題があるそうだね。ローレンがキルケニー伯爵領の統治の委任地なら、伯爵は問題のある跡取りは望まない。ロニ嬢を跡取りにして、実家との窓口になることが君の役割では?。どうだい?。実家に所属する庶子は、道具だからこそ使い勝手がいい。指示は名目。放任だ。』
貴族は常に尊重されなくてはならない。これは不文律だ。領地内の継承に介入してはこの不文律を侵すことになる。発覚すれば信頼は地に落ちる。それが不文律の怖さだ。そこで庶子の出番になる。ディーンは使い勝手の良い道具だ。不要になればすぐに捨てられる。実際、4席はロニに近づく手段として、交渉力の維持の為に、父に無理に願って勝ち取ったものだ。
ソドムの指摘の通り、地下調査撤退の交渉では実家を頼った。この失態を理由に地位は遠からず剥奪されるだろう。ディーンにとっては痛い消失だが、あのまま危険な地下調査に忙殺される訳にはいない。この判断は仕方がなかったと思っている。
『神の代理。その名目は甘美だ。別の統治形態を持つ国に負けない限り、貴族制度は変わらないよ。』
「ソドム殿は政治犯でしたか。」
少々不穏当なソドムの言葉。ディーンはそれを突いて嫌味を言ったつもりが、ソドムに喜ばれた。
『正解。打てば響く。まさに君のことだね。本当に16歳かい?。』
「試しましたか?。もしかして初めから態とですか?。からかってます?。何しに来たんですか?。」
『分かってるだろう?。情報を売りに来た。共闘したい。』
気に食わない言い草だ。しかし、ソドムの読みに間違いはない。ディーンにとって、ロニは貴族である為の生命線だ。流石に元領主か。
ディーンはため息をつく。
ソドムは学者肌の領主だ。それが自分を材料に実験を行った結果が今の姿。普通に研究するなら別の生き物でどんなことか起きるのか確認してから行うだろう。しかし、ソドムは今の自分の姿に混乱していた。追われて逃げ込んだ結果、今の姿になったと考えたくもなる。そこに先程の貴族制度に否定的な見方。これは、貴族が嫌う行為だ。ならばソドムを追いかけた相手は普通の貴族。
ソドムが政治犯だとの疑いはハッシュベルで話をした時から持っていた。それが先ほどの発言で誘発されたに過ぎない。
と、目の前、机の上に紐に通した貨幣が置かれる。価値にして小さな店であれば販売権毎買えそうな額だ。
「犯罪に手を染めたのか?!。」
「違う。報酬として貰った。これで依頼をしたい。準備を揃えてくれ。ディーンの良い案を期待する。」
「僕を出納として雇いたいの?。悪いけど用事がある。受けられないね。それに出されたってことは、受けられなくても受け取っていいのかな?。」
「受けられないならダメだ。」
「ついでに報酬はわかったけど、準備に使うお金は?。これは報酬だ。報酬を削って必要経費に使う傭兵はいない。」
ライドはあからさまに困った顔で、含めて依頼はできないのか?。と狂ったことを聞いてくる。
『はっきり言って欲しい。私が話をしても効かなくてね。』
ソドムの疲れた声にディーンは「教育の出汁に使わないで下さい」と答える。先程の唐突な質問?試験?も、話す前から報酬を渡すと効かないライドへの咄嗟の静止だったらしい。常識の違いだろうが、ソドムは相当難儀しているようだ。ソドムが取り憑いて居なかったらどうなって居たことか。ライドは目立って仕方なかったことだろう。
ライドはソドムにもっと感謝していい。
ディーンは妥当な雇用報酬と、今後、ロニの為の仕込みの必要経費を多めに取って、硬直するライドに返す。
「次はこんな教育はしないよ。」
一通りライドに注意をすると、ディーンは話を進めるように促す。自分はこの程度の役割で楽をしている。ライドに命を救われたのはソドムと同じだ。しかし、その恩は異質な言語を隠すことで返したと思っている。そして、ディーンのライドへの打算はある。これからのディーンの計画では、力が手札になるからだ。その時に協力を得る為の投資だ。そして、この関係を維持する為なら、期待に応える気構えはできている。だから、注意や助言で済む間は無私でライドの世話をするつもりでもいた。しかし、ソドムがその役割を担ってくれている。更に献身的だ。暇も有るだろうが、ソドムにはまだ目的がないせいだと思う。貴族に重要なのは目的を掴む行為だ。
『本題に移ろうか。此方も時間が押しててね。多分、ディーン君もそうなる。』
口ぶりからして、ソドムにもディーンにも互いに関係のない部分でも利益があるのだろう。正しく相互利益が結べる交渉らしい。
「ロニ様が関わるなら引けません。」
情報を聞き漏らすまいと気を引き締める。元伯爵の提言だ。ディーンの目的はそれだけ危険な場所にあると見る。
そして・・・
「詰んでますよね?。」
話を聞いたディーンは帽子の下で眉間を指で抑える。1人になったら絶望感で潰れそうだ。
『穴はある。そこを利用する。』
「僕には見えません。」
ソドムの言葉に縋る思いで、可能性を探る。外の力に頼るのか?。しかし、女傭兵の依頼人は、女傭兵の口封じをしに動くだろう。女傭兵が逃げるなら、餌を吊り下げて味方を名乗り、女傭兵をおびき出す行為を、弱るまで繰り返す。家を守る為にはそこまで考える段階にある。
連絡を少し遅らせる可能性はあるか?。釣るつもりなら当然、試してみるだろう。何しろロニ様を包囲している軍で思い当たるのは一つしかない。地下に封じられた脅威に対抗する為の保険として駐留している侯爵家次男、ストール=レドールの軍だ。同時に網を張る余力は十分だ。だめだ。この外の力は既に監視下。役に立たない。
更にディーンの実家はレドール侯爵の盟友。そのことをソドムに伝える。敵に回ることはできないと。
すると、ロニが侯爵側につきながら、不利益を与えたとの情報が返ってくる。意味がわからない。ロニを救う為には対抗が必要ということか?。
「あの御転婆。頭には何が詰まってるんだ?!。」
『ディーン君。共存の方向で。君の都合を全面に出して、侯爵側に損のない案を用意できればいい。君やロニ嬢との繋がりは既に得難い利になる。』
軍は手配書の効力を維持する為に、女傭兵を行方不明にする気らしい。これは直接聞いた情報だとか。ライドの巨体が潜めるとは思えない。ならソドムが糸のような元素の架け橋を伸ばしたか?。ディーンはソドムの危険性を上に修正する。
「ですが赤大蟻の解放はロニ様を狙ってますよね。住民への被害、故郷と生活基盤を奪われる怒りはロニ様に向きます。それを何とかしなくては住民は協力しないでしょうが、ロニ様には権限がありません。目的は分かりませんが、ロニ様を別に利用しようとしているとしか思えません。」
ロニが生き残る為には貴族的な手柄が必要だ。この場合、明確に住民の支持を得て救出することになる。あれこれ考える必要は無くなったが、ハードルは絶望的に高い。まず生活基盤を奪われるとは、何のコミュニティのない場所に追いやられることを意味する。体力のない者は死ねと言われるに等しい。若者でも辛酸を舐めることになる。その原因がロニを含めた来訪者となれば、誰が感謝するのか。感謝がなければ、ローレンへの凱旋を演出できない。凱旋を受けられるほどの手柄がなければ、ロニへの処遇は住民の注目を集められない。つまり、ストール=レドールとの交渉にたどり着かない。
里の人口は約160人。ローレン郊外のジュヌ教徒の野営地の倍以上となれば、順当に考えれば、開拓地送りだ。道具を支給し、自助努力で未開の地をあてがわれる。軍の指揮官は、里の住民を利用させないために赤大蟻を利用した。そう考えるのが自然だ。人手は奇跡を起こす基盤になる。その人手をロニからも女傭兵からも取り上げた。慎重な一手だ。
しかし、ソドムの見え方は違うようだ。
『多くはロニ嬢に従う。ロニ嬢が方針を示して、里長が支持すればね。その場を用意したい。ロニ嬢才覚に期待する必要はない。地位を利用して意気揚々と里を捨てる宣言をしてくれればいい。私は半数近くは乗ると見る。越えるべき山は、如何に短時間でロニ嬢を此方に引き込むかだ。』
ディーンは絶望感で勝手に視野が狭まっていたと自覚する。不足で済むなら大きく見せる為に苦労すればいい。
まだ間に合う可能性があるなら、全てを尽くすのみだ。
ソドムは里長には、軍から里長だけを優遇確保する伝言は届いている筈だという。軍にとっては里長の肯定の証言があれば実態は関係ない。
これは一つの制限時間だ。里長を逃す前に、住民の意思をロニ嬢の説明を求める状況に持って行かねばならない。
『ロニ嬢には住民を引き連れて軍に匿ってもらう。これは翌朝、赤大蟻と移動速度の勝負になる。これを前衛に展開する軍の撤収より早く駆け込ませる。』
軍の仕事は後顧の憂を断つこと。平民の救助ではない。特に相手が脅威ともなれば尚のことだ。その中で住民を保護させるには、貴族としての建前を隠させない見張り役がいる。それがロニ嬢。守らせる相手は軍の指揮官であろう貴族出身の兵士達だ。住民からのロニへの信頼はそこで稼ぐ。方法は丸投げされたが時間は作れるという光明を見せられた。だが、住民を盾にして、兵士の士気と忠誠を稼ぐ犠牲に焚べられる未来は避けられる。この意味は小さくない。
これも今日中に達成すべき制限だ。日が暮れるまで、里の近くにいる軍を一部でも足止めしなくてはならない。
ディーンは飲み物を頼んで頭を整理する。全体から道筋を見つけるのが「後衛」の役割とはいえ、ソドムにとっても時間はなかったはずだ。この程度のパズルは造作もないことなのか?。父より底が知れない。
ソドムはディーンのことを「目」と呼んだ。おそらく今で言う「支援」に近い意味合いだろう。
その「目」の役割を机上の話合いだけで進めることを求められている。失敗上等の綱渡りの道ということだ。
それでもディーンはこの綱を渡る以外に目的に続く道がない。
「少し、考えをまとめさせて欲しい。」
ディーンはそう断って、改めて頭の中を整理する。「支援」の作り上げるパズルは基本、命題に沿う形で最良の道を繋げることだ。必要なのは、物資の数量と距離と時間。「後衛」のように膨大な知識が有利になるものでもない。そのかわり、人の反応や準備の時間と言った答えのないものが入り込む。
ロニは「勝てる馬」だと証明する為に先走った。周りの支援者が口先だけの「後衛」「支援」であることは疑いようがなく、そのことをロニ=ローレンが自覚していることは嬉しい情報だ。入り込む余地は大きいとみる。
弱小勢力は、旗頭の魅力しか武器がなく、旗頭が勝ち馬でなければ支持者は集まらない。指示する相手は、大抵生活と天秤にかけるものだ。だからロニは功績がない身を焦った。そして、勝馬を示す機会を与えたのは、手配書の女傭兵だろう。女傭兵は数年前まで、ローレン子爵の姉弟の武の師範をしていたはずだ。
その師を追手は更に裏切らせた。
ロニが師を裏切ってまで飛びついた以上、跡目争いに結びつく内容を疑う。しかし、それはあり得ない。跡目争いに口を挟む貴族はいない。貴族は尊重されなくてはならない不文律がある。これは貴族にとって重い規則だ。ロニは単独で先走ったところを追手から誤解できる文章を与えられ、釣られたとみる。どんな内容でも不文律に触れる解釈をすれば、解釈した側の失態だ。常識を疑われる。普通ならこんな手に引っかからない。しかし、弟と違い、ロニは帝王学を学べず、貴族の不文律や慣習に疎い。可能性だが、ディーンは一先ずこの仮定を元に動くことにする。
翻ってソドムの目的は何か?。女傭兵ナリアラと誘拐された子供の救出だ。誘拐された子供の実態は、おそらくナリアラに保護されているのだろう。
しかし、一度詰んだ平民を貴族から逃すなど不可能だ。貴族にはあらゆる街の住民すら監視の目に変える力すらある。それでもボンクラ貴族なら逆転の可能性もあるだろうが、相手はよりによって軍神レドール侯爵。武闘派の頂点だ。
武闘派とは喧嘩の速さや強さを示す呼び名ではない。軍事的な強さや練度は勿論、凶悪な政治力や戦略眼で戦の仕掛けどきと停止どきを見極め、自在に操れる人材が揃い、裏稼業やそれを統括する組織や経験に長けたものが充足することを示す呼び名だ。
「レドール侯爵は現在は武闘派の頂点とって言っていいかと思います。」
『軍神とか呼ばれるそうだね。普通、どんなに活躍しても呼ばれる二つ名じゃない。』
ならば監視の目から外れて自由に動ける時間を作ること、そこを目的に置くしかないことは分かっているだろう。だからこそ軍に住民とロニを保護させ、指揮官の手足を奪い、赤大蟻への対応で時間を奪うのか。「前衛」の嫌がることをよくご存知だ。
ディーンは口元を綻ばせる。
「すみませんでした。僕も頭の整理がつきました。陸の孤島、ローレンとミラジは今後も追い込みの場所に利用されそうですね。」
『早速だけど進もうか。詳細は伏せるけど、馬車も手に入れば運搬に宛がある。赤大蟻の進行と数の管理も問題ない。ディーン君。選択の余地はあると思ってないが敢えて聞こう。やれるかい?。』
「勿論です。私の考える賭けがあります。強引ですが、ロニ様に言葉で仕掛けられているはずの罠の解除と合わせて肩ずれます」
ディーンは確信を持って応える。ロニには仕掛けられた罠がある。それが裏切りへの自覚がなく、自信満々である理由だと見ている。
方法は自分が計画の中にいると錯覚を与えること。珍しい話ではない。仕掛ける側は、信頼のできない味方に裏切りへの予防策を施す。自分の行動で計画が進捗していると錯覚させることだ。放置されて不安になれば、一時的な内通者はすぐに転がる。だから箸にも棒にもかからない仕事を与える。
今回、里の者がロニ=ローレンに望むのは赤大蟻の再封印だ。当然追手も分かっている。なら誘拐された少年の義侠心をくすぐる方向だろう。誰にでもできる。これから里に降りかかる不幸を少年に語らせ、かつ少年の命は投降しても守られることを伝える。ロニにはおそらく、ごく最近まで赤大蟻の解放は伝えられてはいないだろう。だからこそ、不安に思い、この無意味な仕事に本気で傾倒する。
考えれば分かることだが、この策には実効性がない。女傭兵は子供の意思を尊重しないし、投降する隙を作らない。それに気がつがないロニは、温室育ちの令嬢らしいといえ、跡取りの資質としては問題有りだ。
領主の仕事は騙し合い。不慣れは教育で補えるし、住民への魅了もある。ディーンは支え甲斐はあると考えを整理する。
「ロニ様にシャル君を軍に引き渡して頂きます。奪還はその後に。ナリアラ殿はシャル君を、ライドはロニ様を。」
「相手がロニに現実を伝えるのか?。」
「シャル君が手に入るなら、ロニ様のことなど構ってられないさ。手早く切り捨てる。手配書の目的はシャル君の救出。軍の末端に裏の意思を伝えて統制できる指揮官何て聞いたことがない。末端は手配者の通り、シャル君の救助を中心に考える。」
ライドの問いにディーンは笑顔で答える。連絡を受けた少し上の指揮官は直ぐに判断できるだろうか?。損切りとして上にシャル君確保を報告する道を。いや、悩む間に救出の為に現れるナリアラとの争いの報告を受け、嬉々として参戦するだろう。末端に難しい説明をせず、かつ上の要望を満たせる相手の出現だ。里に近い部隊の足止めはここで行う。
1番恐ろしいのは、冷静にロニを確保されることだが、そこはライドにかける。
ロニを確保しても問題はここからだ。自棄を起こさせず、此方につく理を理解させ、立ち上がらせなくてはならない。ここはロニの資質に頼るしか無い。こういう時には現場慣れした先立ちの助けが1番なのだが、この作戦では師であるナリアラにはお願いできない。ロニはその裏切りをシャルを差し出すという形で示してしまうからだ。
それでもロニが明け方前、準備が間に合う時間までに立ち直れば、作戦はほぼ成功するだろう。
敢えて最後に回しているが、問題はもっと初めの部分にある。
『ほらな!。ディーンなら道が見える。言った通りだろう?。素晴らしい「目」の素質だよ。』
ソドムは楽しそうだ。ライドはただひたすらディーンを睨んで唸っている。ディーンは少し誇らしげに胸を反るが、内心はさして感情は動いていない。これは役割の違いだ。ソドムがあっさりこの難解な状況を解いて見せたように、ディーンにとって、この状況は一つを除いて然程難しくない。
「今は「後衛」「支援」「前衛」と言います。この区分けは戦時臭が強いですね。」
『そうか、私のいた頃は、「頭」「目」「口」「腕」と呼んでいた。差し当たって、「目」の情報戦が実式の遠話に喰われたね。』
「また独立するかもしれませんよ。情報の重要性と複雑さは年々存在感を増すばかりです。それを読み解き、整理する専門家が必要になります。」
ディーンの説明にソドムは納得を示すが、ライドは話についてきていない。しかし、説明は後でソドムにして貰うことにする。時間がない。
ここで後回しにした問題に立ち戻る。ナリアラに一時的にシャルを手放させることだ。信頼関係のない相手からそんなことを依頼されて頷く者はいない。
一か八か、正論で追い詰める案を提示すると、ソドムは同意し、ライドは反対した。
『こっちの言葉を使うぞ。』
そう言うと。ライドは、出会った頃の訳の分からない言葉を使い出す。
『正論など耳に入らない。朝、ナリアラと話をした。ナリアラは漠然と命の危険を感じている。目を動かす間に決められない情報は検討しない。腹芸をさせる拐われるシャルにも納得がいる。子供には希望を見せ、ナリアラの説得の助けにしたい。』
「考えを聞こうか。こっちの事情は知らないのに、時代錯誤の君が何を判断するつもりなのか。」
ディーンは些か不快を覚える。無知未熟。それがライドへの評価だ。今は時間が何よりも惜しい。無知未熟の為に消費できる時間はない。
しかし、無下に扱い、機嫌を損ねていい相手でもない。ただ面倒な展開だ。
『ディーン。地下で粘性体の捕食行為に抵抗した時を思い出せ。ナリアラは今、そこにいる。そんな精神状態の戦士に通じる言葉、欲しい情報は?。』
ライドは布紙に滲むインクで描かれた地図を広げる。縮尺が分からないが、地形と包囲の軍の展開は分かり易い。まるで鳥が障害物を無視して地上を見渡したような情報だ。そこには逃走経路として有力な道筋と、地下洞窟への入口まで記載されている。その上でライドは判断の為の情報と目指す目的を優先順位で示すべきだと語る。
いつの間にか話合いはライドの主導で進んだ。しかし、悪くない。手慣れた運びだ。僅か18歳で。
去り際にライドが女傭兵と子供の手配書を求めた。ディーンは少し考え、内容を写し、手配書に書かれていない情報をつけ加える。背後にいる侯爵、そして男爵の存在と女傭兵達の行方不明を狙う可能性への言及だ。女傭兵に意味が伝わると期待する。
これは願いだ。女傭兵達がこの地で生き延びられる時間は長くない。半年は厳しく、1年は絶望的だ。既に包囲は終わっている。レドール侯爵が手配書を利用したい真の目的はいつ発動されるのか?。その期間が長ければ、その間に女傭兵に外から伸ばす救いの手は漏れなく引き摺り出され、女傭兵と同じ底無し沼に引き込まれる。
しかし、それは「今」の見通しだ。時間が経てば思わぬ橋が作られる可能性はある。
残された時間を自棄を起こさず使い切れるか?。助かる可能性があるとすれば、それだけだ。
その後、ライドに遠話の実式の使い方を教えて解散した。
ディーンはこの後、自身の目的を隠し通せず、それが却ってかつての仲間達を多くロニの支持勢力として吸収、成長できた。更にはロニの基本支持母体である旧家の下部組織からの信頼も勝ち取り、未来のロニの勢力の礎を築くことに成功した。
◯ローレン南東部、森林の端、山間部
陽の光は天頂から傾き、夕陽の様相を見せ始める。辺りが赤く染まり、物の周りにぼんやりと同心円状に影が広がる。
ナリアラは川辺で佇むシャルを、木陰で腕に斧槍を抱いて眺めている。
シャルからは目を離せない。里の住民からシャルを隔離する必要がある。森を封鎖され、自分達の命と暮らしに害を与えられた里の住民は、シャルに自分達を救う為に投降するよう促した。ナリアラが現れると、そそくさと悪態を残して逃げ出す。既に敵扱いだ。
シャルは賢い子供だが、判断する為の経験がない。里の者を救う為に行動しても、望む結果は得られないことを知らない。かと言って、里の者はローレン領主の娘であるロニの味方だ。ロニにも迂闊な情報は漏らせない。そもそもこの動きの背後にロニの姿を幻視する。
ロニの裏切りは確実だ。しかし、この里から出る準備がないナリアラにはそれを指摘できない。シャルを野営させ続けるには準備がいる。
ナリアラはみすぼらしい朝布の服を着た大柄な少年を思い出す。
身長は2メール弱。体重は100キ前後。1.8メールと並の男より大柄なナリアラを超えるが、その体格は運動に適した均整まで保っている。あんな変態のような鍛錬を好む者だが、出来上がった体格を見れば頭から否定もできない。戦士として羨ましさを感じる作品だ。しかし、姿勢からして猟師で、戦士ではない。僅かに前に屈み、背と膝をしならせて佇む姿は巨大な猫を思わせる。右手だけが比較的細く色白で、他人の腕のようだった。
勿体ないと思った。
しかし、今その評価は勿体ないから、警戒すべき怪しい相手に変わっている。
ナリアラはその少年、クレイルが持ち込んだ地図に目を落とす。この辺りの駐屯地や兵士の展開がざっと描かれている。
確かに朝、これが必要だと話した。しかし、距離や時間を考えれば間に合うはずのない範囲と精度だ。なら誰が何人で作ったのか。この地図が正しければ、金貨が動く。それを惜しげもなく寄越して何も言わない。
持ち込まれた物は他にもある。切り分けられた肉。捌くだけで4刻などすぐ過ぎる量がある。時間が合わなさすぎる。
あからさまに仲間の存在を示唆する行為だ。それを口に出さない理由は何か?。まずは依頼主に送られた協力者の可能性を期待する。この状況ではどこの所属であっても身元を明かさないだろう。命をかけて。そうでなければ、手配書の犯人に依頼主が加担している証拠を与えてしまう。
ただ、この場合、味方なのは「今は」「まだ」だ。次に命令が更新される時、ナリアラの口を封じる暗殺者に変わっても不思議はない。ナリアラは依頼者にとって不都合な記憶を持つ生き証人だ。実式で記憶を見られる今、この存在を放置する理由がない。
この手の動きは追う側として経験がある。ナリアラは追われる者に命がけで味方した。信頼を勝ち取り、その目的地を聞き出す為だ。きつく目を閉じる。この先、どんな協力者も信頼できない。これは子供連れには厳しい条件だ。
ナリアラは頭の中で、先程齎された内容を振り返る。
大きな少年クレイルから手配書の「写し」を見せられた時、すぐに台から下ろした。見たくなかったし、信じられなかった。ナリアラの罪状は、男爵家の第二夫人を殺害後、シャルを誘拐しローレンに潜伏、誘拐の罪を重ねたこと。勿論事実に反する。怒りと呆れが胸中を暴れ回る。そもそも「写し」は幾らでも捏造が効く。信じる方がおかしい。しかし、少年はもう一度よく考えろと、その「写し」を机上に戻す。
少年はこの追手がストール=レドールだと告げる。軍神の次男だ。レドール侯爵といえば、この辺りの主、キルケニー伯爵の盟友で有名だ。
この里を包囲する軍は侯爵家の兵士だ。それはナリアラ自身、確認している。本命は別にあると宣言されたようなものだ。これが本物なら、その本命の「ついでに」死を望まれた。やるせなさで憤死したいところだ。
手配書は簡単には発行されない。貴族殺しは重罪だが、手配書になれる理由ではない。手配書は貴族の統治を脅かす敵に対して出される物だ。前回発行された時は、住民扇動する使徒を名乗る教会信者だった。
今回、手配書が発行されるとすれば、もう一つの理由。子供の大量誘拐だろう。これが御遣い騒動の激震地、ローレンで引き起こされた。子供の誘拐は小さな村にとっては死活問題だ。今は各地で下火となった暴動だが、震源地ローレンて火種が燃え上がれば、再び世界中で収集がつかなくなる。その可能性は考えられる。だから手配書が生まれたのだろうか?。
(襲撃で生き残ったジュヌ教徒はロニが門を開いて避難させた。この時追手も紛れ込める。ローレンの領民を装って、暴動を装って衛兵に訴えれば、犯人の情報は情報も提供の形で操作できる。第三者から衛兵に齎された情報なら手配書は作れなくない。)
襲撃が仕組まれていなければ、ローレン内で呼応させる動きは取れない。つまり、ロニを含め、あの時周りにいたものは殆ど内通者だったことになる。ローレン内で再合流できなかった仲間は、必ずしも死んだ訳ではないと言うことだ。
(始めから、だろうね。)
一度は否定した過程が現実味を帯びてくる。計画段階、初期から情報が漏れていなければ、どうやってローレンで準備を進められるのか?。
狩は緩い網で誘導し、徐々に網の目を狭める。大きな少年の言葉だ。ナリアラの用意した用心棒は殆ど内通者か、初期のうちから内通者になったとみる。
更に手配書の持つ他の領地への立入り権限を守る為、ナリアラ達を人知れず行方不明にする見通しが書かれている。本来の目的の為、ナリアラは拭不明の方が捜索の口実になる。話が繋がる。ナリアラはクレイルの示した地図を凝視して固まる。
この手配書は潰せない。
侯爵の動いた手配書を崩すには別の侯爵の権限がいる。そして、侯爵同士の審議での長は王だ。王に審議を開く利益があるか?。敵のいない統一国の王にとって、ナリアラの貴族殺しの冤罪がどちらに転ぼうが関係のない話だ。
頭が白くなる。動揺のあまり、思わず経緯の一部を漏らす。
「殺された貴族は私の友人だ。」
何故友人の夫である男爵は何も言わないのか?。呪詛を口にするナリアラに、クレイルは短く、夫は追手の陣営だと告げる。
しかし、少年はこの難題に可能性を示して見せる。赤大蟻を利用する馬鹿げた案だが、精鋭なら不可能とまではいえない程度の案だ。そして確かに、監視の目からは逃れられる。その逃げ込み先が噂の「御遣い」の潜った地下に繋がる地下水路で、その先の地形も簡単に説明してみせた。
少年との会話の再検討を終え、ナリアラはシャルを呼ぶ。此方に近づいた子供の肩に、しゃがんで手を置く。
「悩みは整理できたかい?。」
シャルは意思を感じる視線でナリアラを見上げる。漸く吹っ切れたのか?、シャルの視線をしっかりと受け止め、見つめ返す。この旅の間、シャルは流されるまま、無感動だった。母親を失い、父と離れ、先日、姉代わりの少女とも別れた。
「追手は軍神の次男だよ。里の封印を解いたのは、指のダレルだろうね。」
ダレルは導師級と言われる実式の天才。快足や短剣使いとしても最上位の使い手だ。
本当に軍神を相手にして来たのか?。その手腕の悪辣さに、シャルの肩を掴む手に思わず力が入る。
「痛いぞっ。」
「あ、あぁ。すまないね。」
ナリアラはシャルの指摘に力を抜くと里の奥にある崖に目を向ける。封印が解かれていることが知れ渡ったのは昼前だ。今はロニが血相を変えて走っている。この里は赤大蟻に対する防人の末裔だ。今も封印の外に体の一部を出した赤大蟻を処分する伝統は続いている。
封印は範囲内の時間の流れを限りなく止めるものだが、年に大人の一歩程は前に進む。赤大蟻の外殻は鉄のように硬いが脆く、それを繋ぐ筋肉の粘り気で強度を保つ。この粘り気は刃物でも容易に割けず、里の狩人では、1日をかけて間接を一つ落とすのがやっとと聞く。赤大蟻の体長は4メール、重さは約800キ。かつて領地を滅ぼす災害とまで言われた黒大蟻の倍の体躯で、その素材は黒大蟻以上に酸の臭みが強く、再利用ができない。正真正銘の厄介者だ。
ロニの亡き母は、この里の出身で、ナリアラの歳の離れた友人だった。その里がナリアラの持ち込んだ厄介ごとで歴史を閉じようとしている。
「食料の準備を進めるよ。明日は早い。そのつもりで休みな。」
「この里の者はどうなるのだ?。」
「軍がが大蟻を始末するさ。私達はその前に離れるよ。」
「・・・そうか。また、皆に別れも言えぬのだな。」
シャルは共にこの里に来た同年代の子供を友人と思っている。シャルの身分を知らない友人だ。
ナリアラはしつこく知られてはならないと念を押す。情報が漏れれば薄い可能性は更に消えかかる。最早、ナリアラ1人が生き延びることも難しいのだ。
手配書が出回るとはそういうことだ。
それでも逃げ切ればナリアラはシャルの母として何処かの僻地て暮らすのだろう。子育てができなかった自分が、上手くやれる自信はない。それでも楽しみに思ってしまう。戸惑いはあるがこんな状況にならなければ得られなかった機会だ。
「保存食の準備を始めるよ。」
ナリアラはそう言って細かく分けて獣の毛皮に包まれた塊に目を移す。扱い易く分割されている上に、獣の臭みも洗い落とし、臭い消しに草で巻かれている。少し離れると獣臭が分からない。これを作った者の細やかな対応を感じる。
(まだ暖かい。冗談みたいな話だね。毛皮は干してあった熊のを使ったのか。肉は鹿だね。)
どちらもこの辺りでは見ない獣だ。
「今、言っておきたいことがある。」
シャルが立ち上がろうとしたナリアラを引き留める。その笑顔は決して明るくないが、強い意志が宿る。
「なんだい?。」
「私はナリアラが私の為に動いてくれるのが嬉しい。感謝を。共に生きてくれる者がいる。それがナリアラでよかった。私もナリアラにそう思って貰えるようになりたいのだ。」
ナリアラが自分を置いていくとは微塵にも考えない信頼の視線でシャルがナリアラを見返す。ナリアラはその視線を受け止めて柔らかく表情を緩める。
「望むところさ。改まることじゃないよ。」
ナリアラの返答に、シャルは少しホッとした表情をする。
「楽しいことは作り出すものと言われた。一つは鍛えて学ぶこと。そして、もう一つが親しい者に楽しさを与えること。できることが増えれば楽しいし、親しい者が喜べば自分も嬉しい。こう言うことを言うのだな。」
クレイル少年はナリアラか地図を凝視する間にシャルと話をしていたらしい。気がつかなかった。自分の動揺の深さに気を引き締める。
「初めは傍若無人な物言いに腹が立った。だが、私は思いの一面に囚われていたことに気付かされた。亡き母に生き抜いたと胸を張りたい。ソアにもだ。そればかりだ。だが、私は生きる限り、ナリアラへの感謝を忘れぬ。そのことを一度として伝えていなかった。だから伝えたかった。」
ナリアラは「そうかい。」と短く答えるとシャルの頭を撫でる。そして、決意を固め、賭けに出たいとシャルを地図の前に導いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます