第24話

 昼を過ぎても信二さんがこなかった。信二さんは前日の帰宅がどれだけ遅くなっても昼までには必ず釣り堀にきていた。目にくまを作りながら、今日は近所で頼む、と切実に祈る信二さんの姿は滑稽だった。

 どうしようもない不安に駆られ、私は釣り堀を飛び出した。東陸家へ向かう足取りは自然に速くなる。

 東陸家の周りには何台かのパトカーが無造作に止められていて、張り巡らされた黄色のテープをくぐって、紺色のジャンバーを羽織った人々が出入りしていた。

 不安が恐怖に変わる。

 群がる小賢しい野次馬を半ば蹴散らすようにして家に近づくと、玄関先で新花ちゃんを抱えたまましゃがみこんでいる信二さんを見つけた。

「信二さん」

 私は二人の元に駆け寄ろうとしたのだが、何故か黄色いテープと警察官が私を止めた。

 私の手は空を切った。

 あっ……。

 そこで私は思い出した。

 私に家族はもういないのだと。

 

 今日釣った分のきっかけが籠の中で暴れていた。

 私はそれを運ぶ。空は曇天、吹く風もどこか危機をはらんでいたが、私は傘を持たずに釣り堀を出発した。案の定雨が降り出す。アスファルトに点々と黒い丸模様ができたと思ったのも束の間、大きな粒の荒々しい雫が街並みを連打する。

 私は泣きじゃくった。ひたすらに泣きじゃくった。

 釣って渡すだけ。そんな私にできることなんて何もない。

 釣って渡すだけ。二人にとって私はあくまで他人。

 他人。

 ダラダラと歩く私に、きっかけが痺れを切らして暴れ始めた。

 私はその場に跪きたかったが、歩いた。

 傘を持っていかなくてよかった。雨が止んで太陽が出るまでずっと歩き続けることができたから。


 女性は釣り堀から出た。空模様は悪くない。春が近づき、木々の匂いも豊富になっている。

 くしゃみを一つ。

 花粉症なので手放しで春を喜べるわけではないが、冬よりはいい。片方の手をパーカーの腹ポケットに差し込み、もう片方の手で鎖を握る。

 きっかけに道を先導させてはいるが、直感的にどこに向かっているかはわかっていた。だからこそ、春を感じられる余裕があるし、足取りも軽い。

 家までの距離が縮まる程に口角が上がってきてしまう。玄関に立った女性は、すぐにはインターホンを鳴らさず、口角を両方の指で無理やり引き下げた。

「はーい」

 軽快な声で誰かが返事をし、ドアが開けられる。

「わっ」

 新花は腑抜けた声を出して後ろを振り返った。だが、後ろにいた信二が娘以上に驚愕の表情を浮かべている。

「ど、どうしたの?」

「仕事よ」

 女性は腕の鎖をほどいて、新花に真っ赤なゴムボールを手渡した。

「私に?」

「うん」

 その赤いボールを受け取った新花は、口を縦長に大きく開けた。そしてそのまま女性にダイブする。

「うわぁっ」

「ありがとう!」

 女性の顔はみるみるうちに真っ赤になって、助けを乞うように信二を見たが、信二は驚きと微笑ましさで硬直しており、まるで助けにならなかった。


 私は新花の顔を初めてしっかりと見た。

 信二のしんに、愛歌のか。新花。

 まさしく二人の子だった。

 

 私は理想になることができないけれど、理想の人々を繋ぐことはできる。

だから、ずっと傍にいさせて欲しい。


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