第23話

 釣り師が行う釣りを、レジャーの釣りと同じだと考えてはならない。単純な力ではなく、どちらかというと精神的な力を使う必要があるのだ。油断したら水中に引きずり込まれてしまいそうな凄まじい迫力が竿を持つ手に伝わってきて、緊張感と焦燥感が体を襲う。脊髄に謎の疲労が一斉にたまり、自らの骨がきしむ痛みを堪えながら吊り上げるのだ。言葉では表現できないが、ともかく、外見ほど楽じゃない。

 

 おじいちゃんが死んだ。

 無理もないことだった。八十を超える老体に加え、自らの子どもに裏切られた精神的損傷もあった。負担が大きすぎたのだ。

 正直、私には両親が消えた時点で職業の選択肢がなかった。だが、消極的な理由で釣り師を続けるつもりもなかった。おじいちゃんの希望を叶えるという役目が終わった今、私は能動的にこの仕事を選択しなければならない。死ぬまで続ける仕事なのだから。

 知らないうちに、私はこのときのために準備をしてきたのだと思う。釣り師という仕事とは何のためにあるのか。どんな楽しみ、やりがいがあるのか。

 おじいちゃんの遺影に向かって私は覚悟を落とし込んだ瞳で喋りかける。

 両親はお通夜にも葬式にもこなかった。

 私は、両脇に立っていた信二さんと愛歌ちゃんの手を握る。

 二人は複雑な目で私を見下ろした。

「安心して」

 と私は三人に語りかける。

「私、やるわよ」


 時が流れ、数年後。二人が子どもを連れて釣り堀にやってきた。

 私は今すぐにでも駆け寄りたい気持ちを死に物狂いで抑えて、二人が入ってくるのを待った。

「久しぶり!」

 と愛歌ちゃん。少しふっくらとしていたが、いつも通りの笑顔で登場したことにほっとする。そして、その腕には赤ちゃんの姿が。

「うわぁ、可愛い」

 思ったままの声が溢れ出てしまった。

「でしょ、でしょ、そうでしょ」

 私に詰め寄る夫婦。図々しいが、そこに嫌味がない。

「名前は?」

「新花よ」

「信二のしんと愛歌のか」

「そうそう。漢字は違うけどね。漢字が一緒だったら絶対反抗期とかに名前捨てられるから」

 と信二さん。

「怖い、反抗期怖いわ。ババァとかって言われるんだわ、私」

「女の子じゃ言わないでしょ、そんなこと」

「そう、嫌われるのは父だ」

「まだまだ先の話だけどね」

 そう言いながら愛歌ちゃんが新花ちゃんの顔をわしゃわしゃとすると、新花ちゃんは笑顔を見せた。

「笑った、笑ったぁ、新花が笑ったぁ!」

 赤ちゃんの可愛さもさることながら、私には、赤ちゃんの動作一つで大騒ぎする二人の姿がたまらなく嬉しかった

 私が釣ったきっかけを、二人が届けてくれる。繋がり。私がきっかけを釣ることで、二人の笑顔が増えていく。

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