第22話

 きっかけの具現化がいつから生じた現象なのかはわからない。一応書物がいくつか残ってはいるが、それぞれ書いてあることが一致せず、どれが正しいのか確定できない。起源が中国だったり、アフリカの山奥だったり、宇宙だったりする。

 そんな中、誰かがきっかけを吊り上げ、誰かがそれを渡した。それは確かだ。

 釣り師は、最初に吊り上げたその誰かの血筋だけで構成されている。なぜなら、その血を保有していない者はきっかけを吊り上げることができないからだ。もし中国が起源ならば、私には中国人の血か流れていて、もし宇宙が起源ならば私は宇宙人の血が流れていることになる。長い年月をかけて世界中に広まったその血が、時代を超えて人にきっかけを届けている。 

 奇跡的で美しい話、とでも言うと思った? これは、人生を強制的に決定されることだ。仕事は自分で選ぶもの。少なくても今の時代では、最初から決められている人生は、つまらなくて可哀想と見なされる傾向にある。

 行動を起こしたのは両親だった。ある日忽然と家から姿を消したのだ。束縛されて一生を終えることに嫌気がさしたのだろう。気持ちはわかる。だけど、私を置いていったことが許せない。多分私は造られた娘なんだと思う。釣り師という仕事から逃げたいが、釣り師という伝統を自分の代で消す覚悟はない両親が、身代わりとして生んだ子。

 理不尽すぎて涙を流す気持ちも起きなかった。家に残されたのはおじいちゃんと私の二人。私以上に打ちひしがれるおじいちゃんの姿は、辛かった。引退した身に鞭を打って全国を飛び回り、私の学費やお小遣いを稼いでくれるおじいちゃん。おじいちゃんの望みは、自分の健康よりも、私が立派な釣り師になることだった。

 親の身勝手な策略にはまるのは嫌だったけれど、私はあいつらみたいな自己中にはなりきれなかった。


 インターホンが鳴った。

 私の口角は反射的に上がったが、すぐにでもドアに飛びつきたい衝動を抑制して、ゆっくり五秒指で数えてからドアを控えめに開けた。

「ん、開いた開いた」

 外には、両手いっぱいに食材を抱えた愛歌ちゃんと、両手をいっぱいに広げて大きなホットプレートを抱えている信二さんの姿があった。

「きたんだ」

 と言いながら私はドアを全開にし、二人をリビングに案内した。

「きたよ」

「あ、お父さんこんばんは」

「いやいや悪いねぇ、今日もきてもらって」

「全然、全然、私たちも楽しいですから」

 この二人が今の運び手。

 元々は信二さんが一人でやっていたが、数年前に結婚すると、奥さんの愛歌ちゃんも仕事を手伝うようになった。

 二人は月に数回このように私たちの家で料理を披露したり、バーベキューを企画してくれたりした。自分たちのためと言いながら、私とおじいちゃんの負担を減らそうとしてくれている。

「今日は何?」

 私が聞くと、愛歌ちゃんがいじらしく笑顔を広げて顔を近づける。

「気になる?」

「……別に」

「焼肉だよ」

「焼肉!」

 私は思わず歓喜の声を上げてしまい、またまた愛歌ちゃんの術中にはまった。愛歌ちゃんは食材を机の上に置くと、「可愛い」と叫びながら私を抱きしめてもみくちゃにした。私は逃げようとしたが、放してくれない。

「ちょっと、机の上に食材置かないでよ。腕もう限界、限界じゃ!」

 ホットプレートを持つ手が小刻みに震えている信二さん。机の上にホットプレートを置いて楽になれると思った瞬間に愛歌ちゃんが机に食材をばらまいてしまい、地獄が訪れた。

「あぁ、ゴメン! 今どける」

 どっちが焼肉を焼くのかじゃんけんで敗北した信二さんが、責任を持ってトングを扱う。煙がモクモクと夜空へと流れ、肉が焼けるパチパチとした音が楽しげな雰囲気を増幅させた。おじいちゃんはハラミが大好物。私はタンが大好物。惜しみなくそれらを焼き、どさくさに紛れて買っていた愛歌ちゃんの大好物のエビも大量投下された。

 プルコギも参戦し、ご飯を食べる手がとまらない。段々と少食になっているおじいちゃんも、この日ばかりは若かりし頃を彷彿とさせる豪快な食べっぷりである。

 もやしが降下、キャベツが侵入、こうなったら麺が出動するしかない。もう限界だったお腹だが、焼きそばにソースがかけられた瞬間に、余分なスペースが増築される。私は頬を膨らませながら麺を頬張った。口周りについたソースを愛歌ちゃんが拭ってくれた。

 興奮して飲みすぎたおじいちゃんはソファで寝息を立て、愛歌ちゃんと私は一緒に皿を洗う。その傍で信二さんが後れを取り戻すかのように肉を高速で胃に送り込んでいた。

 私は皿を洗いながら、心から零れ落ちるように声を発した。

「愛歌ちゃん」

「ん?」

「……どうして愛歌ちゃんはきっかけ屋になったの?」

 愛歌ちゃんは少しだけ考えるように唸ったが、その表情は明るい。

「そりゃ、信二がやってるからやってみたってのが始まりなんだけど、でもやっぱ楽しいよね。日本中のいろんなところにいけるし、しかもいく場所は決まってない。そんな旅、やりたくてもやれないでしょ」

「ふーん」

「まぁ、正直に言うと、旅費が出るのが大きいわね。それに意外と給料がいいのには驚いた」

 きっかけ屋には長い歴史がある。その中で、ときとして各分野のトップに立つような人にきっかけを届けることもある。それが不幸なきっかけならば申し訳ないが、トップたちは大抵きっかけにチャンスを見出し、後に大成功を収めることが多い。そういったトップたちがきっかけ屋に恩を感じ、あらゆる方面から手助けをしてくれる。それが受け継がれ積み重なっていくので、旅費は出るし、意外と給料もいいのだ。

「そっちの理由の方が納得いく」

「ちょっと、どういうことよ」

 とはいえ、運び屋たちの仕事は釣り師がきっかけを釣る限り続くので、週休ゼロもしばしば。家に帰ってこれないこともしばしば。また、旅に出る楽しさはあるが、仕事に対する達成感は薄い。奇怪な見た目をしたきっかけが、その人のどんな選択に関わるのかを知ることができないからだ。この世に、楽なだけの仕事は存在しない。

 仕事事情はともかく、釣り師は仕事を半ば強制的に決定されるが、運び手はされない。自由に職業を決めることができる中で、どうして運び手を選ぶのか。私にはそれが疑問で仕方がなかった。彼らの気持ちが知りたかった。

「信二さんは?」

 と私は聞いた。コーンにかぶりついていた信二さんが顔を上げる。

「どうして運び手になったの?」

 んん、と唸る信二さんは、本当に悩んでいるようであった。

「この仕事を知ったのは、母にきっかけが届いたことなんだけどね。そうだなぁ……やっぱり、繋がっていく感じ、が好きなのかも」

「どういうこと?」

「きっかけは良くも悪くも人を動かす。でも、もし俺が仕事をしなければ、その動きは起きない。釣り師が釣って、俺が運んで届ける。この過程があって人が動くんだ。そういう繋がりを感じる瞬間が渡すときにはあって、それが楽しいかも」

「でも、どんなきっかけかはわからないよ」

「不思議だよね。サッカーでも点を決めて褒められるのはフォワードで、ディフェンス陣は滅多に点を決めることはないんだけど、必死に体を張って守って、ひたすらパスを前に出すんだ。そしてフォワードが点を決めたら自分が点を決めたかのように大はしゃぎする」

「それが繋がり?」

「サッカーだけじゃないよ。全ての仕事は結果を求めている。でも、結果までにはいくつものプロセスがあって、目に見える結果を手に入れられるのは最後のプロセスを担当した人だけ。その他大勢の人々は、誰かから託された仕事を、誰かに託すことしかできない。でも、彼らは知っている。その繰り返しが、その繋がりこそが、最後には結果を紡ぎ出すことを。俺にとってきっかけ屋は、そういった繋がりをよりよく感じられるところなんだよ。…………全然答えになっていないかな」

「うん」

「え」

 正直な私の言葉に打ちのめされる信二さん。けれど、愛歌ちゃんは静かに微笑んでいたし、私自身も言葉をかみ砕こうと脳が働いているのはわかっていた。

 皿洗いが終わって、お開きかと思いきや、愛歌ちゃんのしつこさが私を襲った。

「一緒にお風呂入ろっか」

「嫌だ」

 二人で一緒にお風呂に入った。

「洗濯機回しとくね」

「自分でやれる」

「回したよ!」

「……」

「あ、そうだ。明日の朝ごはん作ってあげるよ」

「いらん、いらん、いらん」

「ちょっと待ってて」

 キッチンに立つ愛歌ちゃん。

「熱っ!」

 私はため息をつきながら首を横に振るが、無理に止めることは決してなかった。氷を持ってきて火傷した愛歌ちゃんの指を冷やしながら、嬉しそうに悪態をついた。

 少しでもこの時間が続けばいいと思っていた。家族みたいなこの時間が。


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