第17話

 信二は新花を連れて釣り堀に向かった。

「え?」

 女性は裏返った声を発した。

「それって、新花ちゃんに話したってこと?」

「うん。というわけだから、数日間仕事の方は休ませてもらっても……」

「いい、いいよ! 私、頑張る! ……頑張る」

 拳を固める女性を見ながら、新花は意外そうに微笑んだ。

「私の名前知ってるの?」

「そ、そりゃまぁ……」

 そのやりとりを見て信二も口角を上げた。

「もしかして新花、この人のことクールな都会系美女だと思ってた?」

「うん」

「全然違うから」

「おい!」

「もう、全然」


 車輪が地面をこすり上げ、翼をもった人工物は空の世界へ。信二、新花、時約の三人は、防寒具を必要以上に買い込んで飛行機に乗り込んだ。いくらなんでも過剰な防寒だろうと他の乗客たちは奇怪な目で彼らを見たが、信二には九年前の苦い思い出が脳裏に染み込んでいる。時約と新花を何度も説得して服を着させ、逆に乗客たちに憐みの目を向けるのだ。北海道を舐めるなよ、と。後で後悔する姿をしかと見届けさせてもらおう。

「北海道! 北海道!」

「こら、静かにしなさい」

 初めての北海道に喝采する新花を必死に抑え込む時約。信二は窓の外を見ながらせんべいを頬張っている。

 時約は頭を抱えた。

「ちょっと待て。どういうテンションでいくかだけ教えてくれ。もっとなんかこう、復讐に燃える、みたいな感じかと」

「そういう気持ちでいきたいんですけど……」

 と座りながら飴を口に放り込む新花。

「私、ママの記憶がないんです」

「そうなのか」

「はい。あっ、でも全くないわけではないですよ。ママとパパと一緒に公園にいった記憶だけはあります。丘の上に大きな木が立っている公園で――」

 ママは私の目線の位置にまでしゃがみ込んで、赤いボールを私に渡した。

とても明るい人だったと思う。顔ははっきりとは思い出せないけど、えくぼがとても可愛らしくて、眩しかった。

「ちょっと一人で遊んどいてね」

 そう言われてボールを渡されたと思う。だから私はそうした。丘の上だったから、軽く蹴っただけでボールはコロコロと下に落ちてゆく。私は蹴って拾いにいってを何度か繰り返して遊んだ。

 ふと目線を上げると、ママとパパが何かを喋っていた。

「……という記憶です。寒かった気がしますけど、何歳頃の記憶かはわかりません。そういうわけで、あまり実感がないんですよね。ママが死んでしまったことも、ママが生きていたことも」

 時約と信二が意気消沈する。

「あぁ、そんなに落ち込まないで二人とも。でも、パパは覚えてないんだよね、このこと」

「本当に申し訳ないが、全く」

「子どもにとって何が記憶になるかはわからないからな。俺の息子だってね。何度も何度もいった鉄道博物館のことは何にも覚えていないのに、一回、それも滞在時間が僅かだった花鳥園のことははっきりと覚えていたんだ。親としては複雑だが、それがきっかけで今息子は花鳥園でハシビロコウと仲良くやっとる」

「昔の記憶がきっかけになることはよくありますよね」

 新花はもう一度母の顔を思い出そうとしたが、やはり笑顔の口元しか浮かばなかった。

 新花は、父親のために動いていた。

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