第16話
「愛歌は自殺した」
信二は話の勢いのまま苦の言葉を流暢に言いのけた。
「飛び降り自殺だ」
新花は静かな目を携えて、落ち込むでも激昂するでもなく情報を促す。
「遺書はあったの?」
「あぁ。俺たちへの謝罪と感謝。二人ならうまくやっていけるって。それから、六破のことを」
「六破はどうなったの?」
「そこなんだ。俺が新花に話すのを躊躇っていたのは」
「まさか、捕まっていないの?」
信二は頷いた。
けじめがつけられなかった。妻の自殺も、自殺に追い込んだ人間が捕まっていないことも、全てが不完全で幕を閉じた。信二と過去が太い鎖で繋がっているのはそのためで、前を向いて歩いていこうとする度に後ろから引っ張られる。壊れた心を直そうと奮闘するも、修繕されるのは外面だけ。結局外を固めるためには内部に何かが必要で、その何かが過去という始末。視界に映る成長していく娘の姿は、情報として体の内に入り込む過程で自分の過去に何度も何度も執拗にすりつぶされ、届かない。
きっと、脳内の別の世界線と比較しているのだ。別の世界線とはすなわち理想、すなわち願望。
何もかもが未解決の事実と脳内を、新花に話したところでどうなる。娘にまで一生消えないしこりを生じさせてしまうのではないか。新花は彼女に似ている。また一人で知らない間に覚悟を背負って、手の届かないところにいってしまうかもしれない。
だが、新花は信二の積年の思考を数秒で瓦解させた。
「じゃあ、私たちが六破を捕まえなきゃ!」
信二は数秒間目を丸くした後、苦笑しながら首を振る。
「もう過去に戻りたくはない」
「いつも戻ってるくせに」
新花は顔を傾けて信二を軽く睨んだ。信二はむずがゆさを感じ、入射場所を変更する。
「それに無理だ。当時も警察たちが必死に探したが見つからなかったんだ」
「不甲斐ない」
二人の耳に、図太い声が鳴り響いた。顔を上げると、肉付きの良い老人が。
「時約さん……」
「今日は愛歌さんの命日だろ。家にいなかったからこのあたりにいると思ってな」
「何しにきたんです?」
「新花ちゃんと一緒だ。六破を捕まえたい」
「えっ」
二人は同時に同じ母音を発したが、含まれている感情は異なる。
「正直、あの当時は立て続けに殺人事件が起きてこっちも混乱していた。完璧な捜査だったかと聞かれたら……すまんがそうは言えない」
信二の顔が曇った。
「後数か月で俺は定年だ。やり残したことがあるか自問自答をした。もっと前にするべきだったんだ。答えはすぐに出た。刑事人生の恥、人生最大の汚点。いいや、俺なんかどうでもいい! 信二から、愛歌さんから、俺はずっと逃げていたことに気がついた」
時約は信二に向かって深々と頭を下げた。
「すまなかった……あいつを捕まえさせてくれ」
震える父の腕に、娘がそっと手をのせる。
「パパ。過去を乗り越えるために過去に戻ろう。三人で助け合えば大丈夫だよ」
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