第4話

 インターホンを押すと、聞き覚えのある声が聞こえた。

 ドアが開いて、とても六十代半ばとは思えないがっしりとした体格の老人がしかめっつらで顔を出す。だが、信二を見て思わず甲高い声を上げた。

「お、東陸さん」

「お久しぶりです。時約さん」

 信二は丁寧に頭を下げる。新花もとりあえず真似をしておいた。

「いやぁ。最近何かと詐欺まがいの訪問客が多くてね。ついつい警戒してしまったんだよ。彼女は娘さんかい?」

「はい」

「知らない間に随分と成長したな」

「私のことを知ってるの?」

 信二はすかさず二人の間に割って入った。

「あー、あー。時約さん、今日は仕事できたんです。娘はその見学に」

 時約は小声で信二を咎めた。

「言ってないのか」

 信二も小声で返す。

「なら早くアイツを捕まえてください」

「……」

「パパ?」

「ええっと」

 信二は声を元の大きさに戻した。

「今日はきっかけ屋として、時約さんにきっかけを持ってきました。こちらです」

 手鏡は白い実を振り回しながら宙を散歩して時約の肩に飛び乗る。肩でステップを踏む手鏡を振り払おうとまではしなかったが、時約は戸惑っていた。

「俺の、きっかけなのか? 妻ではなく?」

「ええ、あなたのです」

「おかしいな。俺は今の生活で十分満足しているし、そもそも何かを願ったりするタイプじゃない。行動するタイプだ。その俺が、一体どんなきっかけを?」

 信二は笑った。

「知ってるでしょう。何がきっかけなのかは過ぎ去ってから自分で決めるものです。俺にはわからないし、例えわかっていても、それは可能性のほんの一部にしか過ぎません」

「あぁ、そうだ、そうだ。そのわけのわからん説明を前にも聞いた気がする。わかった。とりあえず……ご苦労さん」

「いえ」

「新花ちゃんも、お疲れ様」

「はい! ……ありがとうございます」


 暗くなる前に仕事が終わったのは奇跡的だった。安堵の表情を顔一面に浮かべる信二。だが、新花には聞きたいことが山ほどあった。

「ねぇパパ、どうやら私に何か隠しているようね」

「へ」

「私の目はごまかせないわ。さては、仕事を見せるのを躊躇っていた理由も、私に何かをバレたくなかったからね」

「何もないさ」

「時約さんとどんな関係なの? あの人私のことを知っていた」

「ただの飲み仲間さ。本当だよ。そりゃ、娘自慢の一つでもしたくなるって」

「怪しい。これはあれだ。ママがまだ生きていたときに、パパはあの釣り堀の女性と関係があったんだわ」

「あの女性と? そんなわけ――」

「そしてそれが時約さんにバレた!」

「どうしてそうなる! そんな、最低じゃん、お父さん」

「本当のこと言って、パパ。私は動じないから」

「違う、断じて違う! そんなことしてないって」

「ふうん……」

「新花に仕事を見せることを躊躇ったのは、この仕事が誇れるものじゃなかったからだよ。自衛官とか看護師に勝てるわけない。それどころか、カルト的だって思われて、新花が学校でいじめられたりでもしたら……」

「そんな悪い友達いないって。いたとしても私は大丈夫。写真とか動画もばっちり撮ってあるから」

「いつの間に?」

「言いがかりをつけてくる人がいたらそれを見せる。それに、何をしているのか全然わからなかったけど、パパの仕事はそんなに卑下するものじゃないよ」

「そう……」

 新花は苦笑しながら肩をすくめた。何か言おうとしたが、口にすることができなかった。

 父はいつまで経っても変わらない。もう、揺らぐことすらないのだろうか。

 新花は立派な大人になってしまった。


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