第3話
三人は新幹線に乗っていた。
運よく自由席が空いていたので座ることはできたが、信二にとっての問題はそこではない。
頭を抱える信二。
今日だけは近い場所であって欲しかった。娘の折角の土曜日が……。
一方の新花は魚を抱えてご機嫌な様子である。
「ねぇ、パパ。どこまでいくのかな?」
「わからない。近くであってくれ。頼む。近くであってくれ。何故電車に乗らなかった。電車だけならまだ県内で……」
「パパ、しっかりして。こういうときはこう考えるのよ。あぁ、飛行機じゃなくてよかったなぁ、って」
「いや、どっかで降りてそこから飛行機という可能性もある……一度それで東京にいった後に大阪にいかされたことがある。それに今回は二つも届ける物がある。もし……」
新花は魚の口を強引に開け、うずくまる父の頭に被せた。
「ええっ?」
「パパ。落ち着いて」
魚を持っていることに驚きつつもなんとか冷静さを保っていた乗客たち。だが、いくらなんでも魚を頭に突っ込む奇行には目を丸くした。どよめく乗客。
信二は自分で魚メットを外した。
「中は意外と臭い」
「新発見だね」
乗客たちは全精力を集結させてシャウトの衝動を抑え込んだ。
苦笑する信二。
新幹線は、景色と時間を切り裂いた。
「次は、名古屋」
二人の人間はそれを聞いてもまどろみ続けたが、一匹の魚類はその三文字を聞いて飛び上がった。するりと新花の手から抜け出し、あの海鳥のような高い泣き声を密室の中で披露する。
耐える乗客。
飛び上がる二人。
「名古屋だ、名古屋だ!」
急いで荷物をまとめ、近所迷惑な暴れる魚を力づくで抑え込む。二人が関与したことでより近所の被害が増幅したのは言うまでもない。
どたばたしながら名古屋の駅に降り立った二人。乗客たちはやかましい親子が消えてさぞかしほっとしただろう。
「随分遠くまできたなぁ」
と信二。
「祝! 初名古屋!」
と新花。
だが、どうやら魚の目的地は別のところにあるようだ。魚は電車に乗りたい素振りを見せる。二人は大人しく追従した。土地勘のない二人にとって名駅はさながら迷駅といったところだ。
橙色や銀色の電車を短い感覚で乗り換えていく。
都会からどんどん引き離されていき、見える景色もビル群から平凡な住宅群へ。一瞬野球ドームらしきものが見えたが、それ以外名所らしき名所も発見することができない。やや不安に包まれる。
一人ならどんな辺境地帯に飛ばされ、そこで日が暮れてしまっても適当な宿で適当に過ごすことができる。だが、今回は荷物が二つ、娘が一人。そんないい加減な夜の過ごし方はできないし、夜までに仕事が片付かない可能性が高い。せめて、なるべく近い場所にきっかけの主がいて欲しい。
そんな信二の祈りが通じてか、一時間程度で魚はとある小さな駅に興味を示した。急行に乗らなくてよかった。急行列車なら余裕でこんな駅通り過ぎてしまうだろう。
「よし、ここだ」
二人は駅前の極小ロータリーに降り立った。賑やかな飲食店はなく、それどころかロータリーのくせにタクシーの一台も止まっていない。田舎では決してないが、都会では断じてない。
「普通だ……」
信二は思わずつぶやいた。
「愛知にきた気が一切しないね。多分この町、どの県にもあるよ」
新花の恐ろしく失礼な発言に、信二は素直に頷く。
魚だけがこの普通の世界に最大の興奮を示した。嬉しそうに鳴き、二人を急かす。
「近いようだな」
十分も歩かない内に、淡い赤色をした家に到着した。一軒家であり、車も二台止まっている。
「絶対家族で住んでるよ。誰のきっかけかわかるの?」
「ん? 大丈夫。出てきた人がその人だよ」
信二はインターホンを鳴らした。
はい、と家の奥から声が聞こえ、引き戸が開けられる。二十歳前後の若い男性が出てきた。
「こんにちは、きっかけ屋です。きっかけを届けにきました」
信二は興奮している魚を掲げた。
きょとんとする男性。
当然そうなるわ、と新花は思った。もし突然知らない人が、きっかけ屋です、とか言って謎の大魚を差し出してきたらひく。間違いなく、ひく。
「あぁ……きっかけ」
しかし、男性はきょとんとした顔のまま大人しく魚を受け取った。信二は魚から丁寧に鎖を外す。もう逃げ出したりはしない。ここが魚の目的地だ。
「それでは」
信二は名刺を渡した後、詰問の余地を許さない速度ですぐに身を引いた。
「え、ちょっとちょっと」
新花は早くも家の敷地から出た父の背中を追いかける。
「どうした? 一つ目の仕事終了だよ」
「終わり? あの人何もわかっていなかったみたいだよ」
「うん。ほとんどの人はきっかけが具現化することなんか知らないからね。でも受け取るんだよ。潜在的にわかるのかな」
「説明しなくていいの?」
「俺の仕事はきっかけを運ぶことだ。そのきっかけを何かのきっかけにするかしないかは、その人自身だ。説明は必要ない」
「そ、そういうもん? てっきり全部わかっているのかと」
「まさか。何もわかってないよ」
「えぇ……あの魚が何のきっかけになったか凄く気になるんですけど」
「いや、まぁそうなんだけどね。あ、ほら、次の仕事を終えないと」
信二に言われて気がついた。今まで大人しくしていた手鏡が、自分の番がきたかと新花のポケットからするりと抜け出し、その場でダンスを踊り始めたのだ。
すかさずそれを掴む信二。手鏡の必死に抜け出そうともがく姿が可愛らしく、やや不満げであった新花だが、思わず顔が綻んだ。
「いこうか」
「うん」
「これ以上遠くにはいきたくないなぁ」
手鏡がでんでん太鼓のように首を震わし、白い実をゆらゆらと動かした。
「こっちだ」
再びちまちまとしたローカル線を乗り継ぎ、迷いの駅へ。魚とはうってかわって手鏡の行動は規則正しく落ち着いていて、さらに遠い県にまで飛ばされる可能性があるのにも関わらず、二人は妙な安心感を覚えた。呑気に汗と涙を流しながら台湾ラーメンを頬ばり、のんびりとした歩調で新幹線まで向かった。
「他の客に睨まれる心配がなくなるな」
「睨まれてたっけ?」
二人の期待通り、手鏡は戻りの新幹線に乗ることをせがんだ。
満腹になった二人は車内でぐっすりと眠った。
手鏡は、二人の家のすぐ近くのマンションに興味を示した……。
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