第2話
釣り堀。
信二と新花の前で、巨大な魚が美しい女性によって釣り上げられた。
女性は、大人しくなった緑色の魚に太い鎖を巻きつけながら二人を出迎えた。
信二は思わず唸り声を上げる。
「でかいなぁ」
「またSNSで話題になるわね。おかしな魚を持った人と遭遇、とか言われて」
低く妖艶な声を出す女性。凛々しいのは姿形だけではない。
「最悪だよSNS。すぐ人を変人扱いして笑いものにする」
「変人なのは事実。……あぁ、私が毎日信二さんの写真を投稿したらフォロワー伸びる気がしてきた」
「ダメだよ。そんなことしちゃ、新花もね」
目の前のあらゆる光景に衝撃を受けた新花は頷くことしかできない。女性は新花に一瞥もくれず、鎖の先っぽを信二に渡す。信二はそれを自らの手首に巻きつけた。
「どうも」
「残念だけど、今日はもう一個あるわ」
「ええ?」
眉間に皴を寄せる信二。立ち上がった女性は再び竿を持ち、釣り堀に糸を垂らす。
「パ、パパ」
信二のコートを引っ張る娘。表情に脳内の混乱が浮き出ている。早急に説明が必要なようだ。
「ここは人々のきっかけが集まる釣り堀。そして彼女は釣り師。彼女はきっかけを具現化できるんだよ」
「きた」
女性は竿を持ちながら呟いた。
「そして困ったことに、今日は調子がいい。大抵一日一個なんだが……」
女性が獲物を水しぶきと共に吊り上げた。
今回吊り上げられたのは、魚ではなく小さな手鏡だった。もちろんただの手鏡ではなく、持ち手に太い紐が括りつけられており、真っ白な玉が付属されている。
「受け取って」
新花は恐る恐る手鏡を受け取った。重みがあり、汚れ一つない鏡面が陽光を存分に反射する。危険はなさそうだ。
触ってみると、真っ白な玉というのは人工物ではなく、何かしらの実であることがわかった。見た目と感触的には柑橘系である。だが、曇りなく白い。
「以上よ」
「あぁ、ありがとう」
女性と信二は頷き合った。女性の表情はほとんど帽子に隠れて見えないが、新花にはその一瞬、彼女の周りに物寂し気な空気を感じた。ほんの一瞬だったが、その滲み出た雰囲気は新花にとって馴染み深いものであるように感じた。
「いくよ、新花」
「うん」
新花は信二の背中を追う。宙を泳ぎながら魚もふてくされた態度でそれに従い、新花はそっと魚に手を触れてみた。
暖かくも、冷たくもない。ぬめりはなく、本当にただの紙を触っている気がした。
「あれ? 濡れてない」
よくよく考えれば、魚も手鏡も水から飛び出てきたのだ。濡れていないはずがない。
「なんでだろうね」
信二は娘の新鮮な反応に愛おしさが止まらない様子。思わず笑ってしまう。
「父さんも最初は原因を突き止めようとしたものさ」
釣り堀を出ると、大人しかった魚が騒ぎ始めた。グルグルと信二の周りを回ったり、空に向かって突撃しようとする。
「どこかにいきたがっているみたい」
その様子を見た新花は言った。
「ご名答、その通り。具現化したきっかけは、きっかけの主の元に一人でいこうとする。いくより帰ると言った方がいいかな。だからこれから俺たちは、こいつの言いなりになるんだぁぁぁ!」
強く引っ張られた信二が半ば引きずられながら走り出した。
「ちょっと!」
新花も慌てて追いかける。
「どこまでいくのよ!」
「こいつがいきたいところまで!」
「それはどこ?」
「北は北海道、南は沖縄まで!」
「そんな……」
「大丈夫、交通費は経費で落ちるさ」
魚は自分勝手に岐路を歩む。立ち止まったり、急発進したりはもちろん、車道を横切ろうとしたり、建物を突っ切ったりしようとさえする。
信二はその度に鎖を引っ張ったり、ときには魚をつついたりして巧みに魚を制御する。なかなかの重労働だ。
「壊れたり、一部が破損しただけでも、きっかけとして機能しなくなることもあるんだ。なるべく傷つけないようにしないと」
誰かの家に不法侵入しようとした魚を慌てて止める信二。
「生きてるみたい」
「確かに。あくまで俺の経験に過ぎないけれど、きっかけの行動は主に似る傾向がある。主の一部としてある意味生きていたりして」
「へぇ」
止まったり、走ったり。この魚の主は相当騒がしい人なのだろう。
魚は二人を駅に導いた。
「電車に乗ろうとしているんだ」
と信二。
「遠くない場所だといいけど」
「ねぇ、本当に北海道にいっちゃったりするの?」
「ああ。帰りが遅いときは遠いところになってしまったときだ」
「ごめん。今までキャバクラにでもいってるのかと……」
「おま、どこでそんな言葉を……!」
二人は何気ない足取りで改札に向かった。だが、二人の間違いを指摘するように魚がしきりに首を振る。
「何?」
「お前の望み通り電車に乗るんだ。ついてこい」
引っ張るが、引っ張り返される。首を傾げる二人。
「まさかコイツ……新幹線に乗ろうとしているんじゃ――」
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