第1話
「親の仕事発表?」
信二は大根を切りながら言った。
「そう、学校の課題なの」
娘の新花はジャガイモを洗っている。今年から中学生になった新花は、段々と大人びた落ち着きのある表情をするようになったが、喋るとはつらつとしていて、親でありながらそのギャップに驚くことがある。
信二は唸った。
「やる意味あるのかなぁ」
「意味の問題じゃなくて、やらなくちゃいけないの。それに、パパの仕事全く知らないから見てみたいし。クラスのやつら皆自慢するの。前田君のお父さんは自衛官で、佐藤ちゃんのお母さんは看護師――」
「ちょっと待って、お父さんの仕事はそんな立派なものじゃないって」
「だから教えてってばぁ」
「ううん……」
「お父さんかお母さんのどっちかでいいって先生は言ってたけど、うちママいないし」
急にしんみりとする新花。慌てる信二。
「わかった、わかったよ! いいよ。じゃあ今度の土曜日。お父さんの仕事についてきな」
「やったー」
新花は剥いたジャガイモの皮を盛大に空中にばらまいた。ほとんどの土が信二に降り注ぐ。
「やったー、って。土曜日だよ。休みの日が潰れるんだよ」
「いいよいいよ。久々にパパと出かけられるし」
信二は言葉を詰まらせた。
妻の愛歌が死んでもう九年になる。そこから一人での子育てが始まったわけだが、信二の不器用さを反面教師にしてか、新花は驚くほど立派に成長した。学校の成績は言うまでもなく、家事も無駄なく丁寧に行えてしまうし、信二が高校一年でマークしたシャトルランの記録はもう破られた。
親としてこれほど誇らしいことはない。
だが、その姿がどうしても、愛歌と重なってしまう。
愛歌もそうだった。頭がよくて、パワフルで、何でもできて、愛嬌があった。
新花には母の記憶がほとんどない。信二にはしっかりとある。
恋心が芽生えるとかそういうことではない。ただ、考えてしまうのだ。もし三人で暮らすことができていたなら……と。
自分でも気づかないうちに娘を遠ざけることが多くなっていた。だが、それこそ新花は優しい人に育ってしまったから、父の領域には踏み込まない。
ふとこぼれた娘の言葉で、いつも信二ははっとする。後悔する。
「ほら、パパ。手止まってるよ! 落としたジャガイモの皮拾って!」
「あぁ、はいはい」
信二はジャガイモの皮を回収し始めた。
「……いや、これ新花が落としたやつよ!」
新花はケタケタと笑った。
見覚えのある笑顔だ。
カレーが無事に完成した。信二の水配分のミスでしゃびしゃびの甘ったるいカレーになってしまったが、とりあえず形にできたことで二人は満足した。四人掛けの机に、二人で向き合って座る。もはやスープのようなカレーライスだが、のどごしがよくて意外にも美味しい。
「おぉ、悪くないね!」
「そうだな」
「……」
「いつも辛いカレーを食べるけど、たまには甘口もいいかも」
「あぁ」
「……」
会話がうまく続かない。
新花はしきりに会話の火種を飛ばしてくれるが、信二は尽くそれを吹き消してしまう。自分の無能さを呪いつつ、それでもやはり無口にはなるまいと必死に自分から火種を起こそうとした結果、結局仕事の話を切り出していた。
「親の仕事発表の件だが、まずは座学をしなくちゃな」
「えぇ? 座学ぅ?」
嫌そうな顔をしながら、目を爛々と光らせる新花。信二はその目線から避けながら言った。
「父さんの仕事は、なんというか、本当にふんわりしているんだよ」
「パンケーキ屋さん? 意外!」
「違う」
「布団職人!」
「それも違う」
「トランポリン屋さん?」
「違うよ、そもそも何だトランポリン屋って」
「もったいつけないでよ。私本当に何も知らないんだから」
一瞬、信二はまた躊躇ったが、一拍置いて言った。
「父さんは、きっかけ屋という仕事をしている」
新花は表情を曇らせた。
「知らん」
「だろうね。きっかけ、はわかるか?」
「ううん、なんかこう……物事の原因、とか?」
「そうそう、それで間違っていないよ。それは過去を指すきっかけだね。過去にあった出来事を、きっかけという言葉を使って説明する。病気になったきっかけ、頭がよくなったきっかけ――」
「カレーがびしゃびしゃになったきっかけ!」
「う……そ、そうだね。……それからもう一つ、未来を指すきっかけもある」
「未来?」
「未来というか現在というか。願望に近い存在だ」
「あぁ、退屈すぎて何か起こらないかなぁ、何か面白いきっかけないかな、っていうあれ?」
「うんうん、それそれ」
「それで、そのきっかけがどうしたの?」
「きっかけを届ける。それが父さんの仕事なんだ」
「……は?」
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