第2話 善悪の基準

ひどい二日酔いを最悪の目覚めで迎える形になってしまった。

音のする方向。

埃の溜まった窓枠越しに空で戦っている二人が見える。

「ぃやい! サムギョプサルマン! 今日という今日こそギッタギタにしてやる!」


「サラヘ、サラヘェ、やってみてチュセヨ。僕は負けないカムサムハムニダ。喰らえキムパンチ!」

サムギョプサルマンの拳がバイガイマンの延髄を捉えた。

嫌な音がした後、バイガイマンは放物線を描きながら落下する。

「ヒーローがバックハンドブローかよ」

アイバイマンは呟く。

僕ならあーいう戦い方はしなかった。

いつだって正々堂々、バイガイマンと立ち向かった。

卑怯な勝ち方をしても、意味がない。

子ども達への手本として己の生き様を示した。

意味があったかは答えを出せずにいる。

表に出てみると、バイガイマンは地面に倒れ、意識を失っている。

サムギョプサルマンは子ども達に野菜で巻いた焼き肉を配っている。サムギョプサルと言うらしい。

よく見ると若い女が幾人も群がり、奇声をあげている。


「ったく…、おい、だらしねえな、起きろ! バイガイマン」

バイガイマンの頬を何度か叩く。

背中の小さな羽がピクリと痙攣し、バイガイマンは目を覚ました。

「ぃ、いやい! アイバイマン!」

「落ち着けよ、僕はもうヒーローじゃない」

バイガイマンの口から血が流れている。体は痙攣していない。どうやら脊髄に損傷はないようだ。

「昔のよしみだ、家すぐそこだから、休んでいけよ」


「かつての正義のヒーローの代名詞、アイバイマンの住む家か?こりゃ」

包帯を巻かれながらバイガイマンは悪態をつく。無理もない。

自分で材料を集めて、見様見真似で建てた掘立て小屋の様な物だ。

まだ空を飛べた頃の話。

辛うじて雨と風とプライバシーくらいは防げる。

「貯金はあったから建築業者に設計依頼したんだけどな。誰も取り合ってくれなかった」

「……例のゴシップが原因か」

それには答えず、冷蔵庫からビールを取り出した。

ラベルを見るだけで吐気が込み上げてくるが、構わずに飲む。

15分もすれば、良い気持ちになる事は経験で知っていた。

いつからか、精神的にも肉体的にもアルコールに依存する様になっていた。

止める術は分からない。

「バイガイマン、君も飲むか?」

質問への返答の代わりにビールを差し出す。


「さっき延髄食らったばっかりなのによ…」

悪態を吐きつつ、しっかりビールは受け取る。

奇妙な乾杯だった。

かつて幾度となく正義と悪のメタファーとして闘い続けてきた彼らが、時代に取り残されてアルコールに頼り、傷を舐め合う様は、他者から見ると滑稽に写るだろう。


「今度は何やらかしたんだ、バイガイマン」

バイガイマン。語感の懐かしさと、バイガイマンと酒を酌み交わす異様さにアンパンマンはつい苦笑した。

「関係ないだろ。ちょっと悪さしただけだ」


「もういい加減に悪い事はやめないか。……世界の何もかもが嫌になる気持ちは、分からないとは言わないけど」


「アイバイマンの口から出す言葉じゃねぇだろ。……カタギと違ってはい辞めますで辞められねえんだよこっちも」


バイガイマンから近況を探って得た情報がある。


ロキンちゃんと食パン男が交わってカビパンマンになり、現在バイガイマンは彼に支配されているという事。

カビパンマンは近々世界自体を滅亡に導こうとしている事。


バイガイマンはそれに対して懐疑的である事。

……そして、サムギョプサルマンとカビパンマンがどうやら癒着しているらしい事。


「俺様は、俺様ぁ、こんな情けねえ事の為に悪事は働きたくねえ。あくまで、人を少し困らせてからかうくらいのものだった…。今じゃ上の指示でもっと汚ねえ事もやる。思えば、アイバイマンとやり合ってる頃は良かったな。」


「君のしていた事も、正当化はされないよ。だけど、僕のやっていた事も、正義か悪かで言えば…。結論は出せない。未だに。食パン男の野郎、何だってそんな事してんだろうな、僕が言えた義理でもないけど。」


「ロキンちゃんが、俺様の全てだったんだ」

カビパンマンは最低の野郎だが、あの肉体の半分はロキンちゃんなんだよ。

バイガイマンは涙を滲ませた。

それは初めて見る彼の涙だった。

それから何缶か空けた後、バイガイマンはUFO型のアレでバイガイ王国に帰っていった。

「アイバイマン、また今度酒でも飲もうや」


「おう、人目をはばかってな」

夕陽が溶ける。バイガイマンの姿がキラリと光った後、消えた。

「バイガイキンキンキーンのセリフ以外であれ見るの、初めてだな」

馬鹿馬鹿しくて笑った後、もう一度布団に潜り込んで泥の様に寝た。


サムギョプサルマンがバイガイマンを殺害したニュースが流れたのは翌日の事だった。















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