2. shuttered
『グリトニル』。
『ストーンヘンジ』という団体が改名して発足した。その後幾度かの変遷を経て現在の名称に行き着く。
前身であるストーンヘンジが起こした『ストーンヘンジ事件』を理由に、特別観察処分を受けている。
「そういう曰く付きの団体さん。まあ、だから悪い、なんて言うつもりもないけど。ストーンヘンジ事件は知ってるでしょ?」
「………………」
知っている。なんてものではない。
「まあ、一応ね」
お姉さんはわたしの方を伺っている様子だったが、すぐに視線を外した。
「ストーンヘンジ事件……二年前に起きた凄惨な事件」
お姉さんはそう言うと図書館の扉を開く。
入館証を作っていなかったので二人揃って手続きをする羽目になったが。
「科学を信奉するアメリカの非営利団体だったストーンヘンジは、元々その苛烈な勧誘の手口、悪質な商法などからある種のカルトと同じ扱いを受けていた」
お姉さんは書類に必要事項を書き込む。
「けれど保有している特許や、たしかな技術力が批判を封殺した。国内外の企業がストーンヘンジの技術に頼っていたという意見もあるくらいだから」
お姉さんは必要な本を迷いなく手に取る。
「でも、事故は起きる。……この場合、事故じゃなくて、明確な悪意のもとに行われた凶行だけれど。だけど、誰が悪意があったと証明できる?……ともかく、一つだけ言えるのは、明快に被害者のいる構図が描かれたということ」
薄暗い書庫の中で本を探す。大切な蔵書を保管するために、僅かに換気扇から漏れ出る日光以外は完全に遮断した書庫の中で、お姉さんは目的の本に手を伸ばす。
「その日、ストーンヘンジから逃げ出した男性が警察に駆け込んだ。男性の腕は生まれ持ったものではなかった。ストーンヘンジは人体実験をしていたのね。男性は他にも自分と同じ被害者が31人いると言った。それは、男性を含めた、男性が助けを求める3ヶ月前に、世界中で起きていた失踪事件の人数と一緒だった。事件はすぐに表沙汰になった」
お姉さんは新聞を手に取っていく。自分が取るべき日付が分かっているようだ。
「やがて他にもストーンヘンジが犯していた罪が明るみに出た。クローン研究、様々なウイルス、生物兵器、キメラ、人工的な新生物の生成……研究倫理を大幅に逸脱した研究は人々の避難を買う。何より、傷ついてしまった人が多すぎた。元から危険視されていたストーンヘンジは、その事件を機に完全なカルト系危険団体へと様変わりした。代表ジョン・ハーバートは逮捕、即立件されて実刑判決。他にも上層部の幹部が根こそぎ逮捕された。ストーンヘンジによる非道な人体実験の被害者は全員開放され、専門家によるアフターケアを受けながら日常へ復帰しようとしている……というのが、ストーンヘンジ事件の概要」
時間はすでに夕方。日は傾きオレンジ色の光が室内に差し込んでいた。館内には、もうすぐ閉館のアナウンスが鳴り響いている。
「けど、事件が解決しても話は終わらない。ストーンヘンジは上層部が根こそぎ逮捕されても解体されたわけじゃない。その後も名前を変えて存続している。それが……」
お姉さんが指した新聞の一面。そこに書かれていた名前が
「……グリトニル」
「そう。そして、その本部がここ札幌にある。それだけじゃない」
お姉さんはまた別の新聞を広げた。
「これを見て。ここ。ここ最近失踪者が増えているって記事」
「ありますけど……それが?」
お姉さんはまた違う、今度は本のあるページを広げた。
「これはストーンヘンジ事件で失踪した人たちのリスト。この名前を見て。同じ名前じゃない?」
「……本当だ」
お姉さんは他にも同じような記事を見せては、失踪者に同じ名前があることを確認した。
「これだけの偶然が重なったら、それはもう偶然じゃない。何か意図のある思惑になる。そして、同じようにグリトニルに追われていたあなたも」
事ここに至りその切っ先はこちらに向いた。
瑠璃色に似た瞳がこちらを見つめる。よくよく見てみればその瞳はウルトラマリンブルーの色合いをしていた。
深い海の中の瞳に見つめられ、なぜだかわたしは隠し事をする気がなくなってしまった。
「……正解。わたしもストーンヘンジ事件の被害者の一人」
「……やっぱりね」
お姉さんは目を細めながら言った。
「わたしの本当の名前は永瀬景。生まれも育ちも北海道。だから、まさか海の向こうのカルトがここまで手を伸ばしてるなんて思いもしなかった」
わたしは昔の話を始めた。
昔の友人からの久しぶりの連絡。無視しても良かったそれに反応してしまったのは、今に満足していなかったからだろうか。いずれにせよ、それが分かれ道だった。
友人と会って大騒ぎして、やっぱり気の許せる友達はいいなあなんて呑気なことを考えていたら、友人の方から提案があった。
わたしが親と折り合いが悪いのを知っていた友人は怪しげなバイトを紹介してきた。新製品を会場でモニターしてほしいというそれを最初は断ろうかと思ったけど、友人もやってるという言葉に断りきれなかった。遊ぶ金が欲しかったのも事実だ。
何日かしてバイトの日になった。わたしを入れて数十人はいたと思う。友人も当然いた。でも、それがほとんどストーンヘンジの団員だなんてことは、全部終わってから分かったことだ。
わたしはそこで気絶させられて、アメリカまで運ばれていたらしい。らしいというのは、わたしにとってすべては闇の中で起きたことだから。
言葉の通じない相手に、無理やりいろいろなことをされた。いろいろなものを見られた。勝手に身体を切り開かれたりもした。
抵抗するだけ無駄だから考えないようにして、一体今がいつで、あれからどれだけ経ったのか、そんな感覚もなくなった頃、大きく変化が起きた。
何か慌ただしい雰囲気がこちらまで伝わってきた。そして、わたし達──日本から連れてこられた人たちがまとめて捕まってた檻が開放された。
どこかの国の特殊部隊みたいな人たちだった。でも、見たところあまり統一感がなくて、よく分からなかったけど、外に出れるなら何でも良かった。
その人達に連れられて、日本に帰ってきた。
後から知ったけど、あの事件で軍隊や警察は出動した記録はないらしい。となると、わたし達を助けてくれた人たちは何者なのか。気になるけど、もうどうでも良かった。
そしてわたしは家族のもとに戻ることができた。
「めでたしめでたし、ってわけ」
閉館時間を迎えた図書館を後にして、日の沈んだ夜のアーケード街をお姉さんと二人で歩く。
こちらはまだ飲み屋街でないこともあって、街灯以外の光が少しずつ減っていく。
「……めでたし、じゃあ終われないのが人生だよ。私が読んだ本には『永瀬さん』のことは載っていなかったけど、『永瀬さん』がどうなったのかは想像がつく」
お姉さんはこちらに目を向けずに言った。
「事件の被害者はマスコミの過激な報道や、一部の心ない意見、何よりストーンヘンジに行われた実験によって日常へ復帰できていない人が多い。あなたも……そうなんじゃないの?ジョン・フォードさん」
「……いい加減永瀬でいいって。まあ、そういう人もいたみたいだけど……わたしはそんなに困ってないよ。この眼も慣れれば悪いもんじゃないしね」
「眼……」
お姉さんはわたしの眼を見つめる。
「流石にジロジロ見られると恥ずかしいんだけど」
「ああ、ごめんね。でも、なんとなく感じてた違和感はそれだったんだね。あなたの左眼、普通とは違うみたいだから」
「ずいぶんはっきり言うんだね……その通りなんだけど」
「あなたの場合、それが……」
「そ、実験で改造された。なんでも、人間では知覚不能な特殊能力を見るためのものらしいけどね。わたし、元々人より目は良かったから、長所を伸ばす形で改造したんだって。見る?取れるけど」
「いや、いい」
お姉さんはそれだけ言った。ずいぶんとあっけない。
「おかげで普通の人には見えないものが見えるようになって、最初のうちはずいぶんと困ったけどね。慣れれば普通の視力の良い目と変わらない」
「私の動きを追えるのは普通の目じゃないと思うけどね」
「それはそうだけど」
「それよりも…………ッ!」
お姉さんは突然わたしの身体を抱えると跳び上がった。
次の瞬間、わたし達が立っていた場所は爆発を起こし、熱い空気を感じる。
「まさか……ここまで強硬策に出るとはね」
お姉さんが見据える先を見ると、そこには白い格好をした人たちが。
普通と違うのは、銃火器で武装していることか。
「ろ……ロケラン?」
着地したお姉さんはわたしを下ろし、構えを取る。
「狙いはやっぱり君だよ。どうする?倒せるけど」
「どうって……お姉さんは、なんで……!」
私が尋ねようとしたとき、二発目の弾頭が発射された。
お姉さんはそれを見て、その場ですさまじい速度の回し蹴りを放った。
強烈な暴風が吹き荒れ、弾頭は風に押し返され空中で爆発した。
「ゆっくり話してる暇はないか……悪いけど、ついてきて」
「ついていくって……わッ!」
お姉さんは再びわたしを抱きかかえると、ガラスの天井に向かって跳んだ。
「怪我したらごめんね!」
「ちょ……!」
ガラスをぶち破って空に飛び出たお姉さんは姿勢を制御して着地し、そのまま天井の上を駆け出した。
肝心のわたしは急加速と衝撃で頭がくらくらして、すでに意識が遠のいていた……。
*****
夢を見た。
なぜ夢と分かるのか、いわゆる明晰夢というやつだった。
夢にもいろいろあるけれど、これは過去の記憶を再演するタイプの夢だった。
二年前……ストーンヘンジから開放され、警察の事情聴取が終わり、大学の友人から心配の連絡が来て、どこからか自宅にマスコミが連日押しかけていた頃。
わたしはあの頃、非日常と日常の境目の上に立っているようなものだった。
平凡な学生生活に飽き飽きして、中学時代の悪友と再開して、明らかに怪しいとわかるバイトに参加して、左眼を改造された。
そんなわたしのことを両親はどう思っていたのだろうか。
わたしは親が嫌いだし、それは今も変わっていない。
良い子ぶって生きているのは今もそうだけど。
でも事件が起きてから、両親のわたしに向ける視線は明らかに変わったと思う。
その変化を自覚した日の記憶だった。
マスコミや世間の目に晒されることに父親が耐えかね、母親の実家に引っ越すことにした。わたしは大学があるから一人で札幌に残ることにした。
その引っ越しの日。家具が無くなって伽藍堂になったわたしの家に母親と二人。
「ごめんね、迷惑かけて」
空っぽのリビングを見つめる母親に言った。
「いいのよ……一番大変だったのはあなたなんだから」
「そうだけど、わたしはもう……大丈夫だもん。それよりも、お母さんたちの方がきっとずっと大変だよ」
「……景はいい子ね……」
「なあに、急に……」
わたしは母親の顔を見た。
このときの視線を未だに覚えている。
感情のこもっていない空っぽの視線。まるで目の前にいるのが死人かのような。
そのとき悟った。
この人にとって、今のわたしはわたしじゃない。
事件に巻き込まれた哀れな被害者であり、愛すべき娘じゃない。
何より──
もう二度と気持ちをわかってあげられないとでも言いたげなその視線が、何より不愉快だった。
*****
「起きた?」
「まあね……」
寝覚めは最悪に近かったけど、そのことは黙っておいた。
あたりを見渡すと、大通公園のようだ。大きな噴水がライトアップされている。時刻はすでに深夜に差し掛かるほどだが、まだ人は多い。
「そうそう、さっき君が聞こうとしていたことだけど……」
「え……ああ……そのこと……」
「私がなんで君を助けるか、ってこと?」
「…………そういうこと」
改めて考えると。
お姉さんが味方である保証は一切ない。
もしかしたらストーンヘンジ……その後継であるグリトニルの一員で、わたしを助けるふりをして信用を得てあっさりと連れて行く、という作戦である可能性もある。
それにしてはやや大掛かりすぎる仕掛けだが、二年経ってなおわたしを狙っているような連中の考えることだ。多少常軌を逸していてもおかしくない。
それに、お姉さんの実力は本物だ。わたし程度、手を……いや、指を曲げるような気軽さで倒せるだろう。
お姉さんの目的は何なのか。そもそも何者なのか。冷静に考えると、異常に強いということ以外わたしは何も知らないことに気づいた。
「君が考えてること、当ててあげようか」
「え」
「冷静になって、私が何者か考えてる。もしかしたらグリトニルの手先で、これまでのは自分を攫うための大掛かりな芝居。その可能性が一番高い。どう?」
「それが当たってる、って言ったらどうなるの?」
「さあ……どうだろうね?」
途端に張り詰めた空気があたりに立ち込める。
次の瞬間には、自分の首が飛んでいるかもしれない。
死ぬことなんて怖くなかったはずなのに、いざ死の危険に直面すると、こんなにも身体が動かなくなるのか。自分の中途半端さを改めて呪った。
「ふふっ、ごめんね。冗談だよ」
「え……」
「証明する手がないのが残念だけど、私はグリトニルじゃない。ただの通りすがりの『能力者』。だから、君に手は出さないよ」
あまりにもあっさりとそんなことを言うから、わたしは一瞬固まってしまった。
我に返ったわたしは、ぶんぶんと頭を振って聞き返した。
「じゃ、じゃあなんでわたしを助けたの!?お姉さんにわたしを助ける理由がないでしょ!」
「それはね……まあ、ちょっと失礼な理由かもしれないけど、君が私を見ていたから……かな」
よく分からないことを言われ、わたしは改めて固まってしまった。
そんなわたしを尻目に、お姉さんは自分の話を始めた。
「私ね、能力に覚醒してからずっと一人だった。こんな力いらないって、何回も死のうとした。でも死ねなかったんだ。だから色んな所に行って色々と試してみたんだよ。死ねなかったけどね」
思ったよりヘヴィーな身の上話が始まって、わたしはどのような面持ちになればいいのか分からなかった。
「喧嘩も……アングラな格闘場でも戦ったりしたな。私は格闘技とかはやっていないんだけど、能力のおかげで身体を動かすのに苦労はしなかったから。そこでも私と同じ……いや、私について来れる人もいなかった。沢山の人に化け物だって言われた」
「……」
「でも君は違った。私をはっきりと見ていた。私を怖がりもしないしね。だからつい、声をかけちゃったんだ。そのことで不愉快にさせてたら、ごめん」
「……じゃあ、お姉さんがわたしを守ってたのは、もしかしたら、自分と同じ化け物かもしれないって思ったから?」
「……そういうことになるね」
「ッ……」
「私が仲間を探していたのは否定しない。自分と同じ相手を探していたことも。でも、私が君を……!」
「もういいですよ!」
わたしは咄嗟に叫んだ。
「悪かったですね、騙してて……わたしなんてただのちょっと目がいいだけの改造人間ですもんね!」
「違……そういうことじゃ……!」
「違わないですよ!自分と同じじゃないからお姉さんはがっかりしてるんだ!そんな人に命がけで守ってもらいたくない!」
わたしはお姉さんに目もくれずに歩き出した。
お姉さんの呼び止める声が聞こえていたけど、無視した。
最初の方こそ怒り心頭、もう二度と顔も見たくなかったけど、歩いているうちにだんだんと頭が冷えてきた。
頭が冷えてくると、自分が吐いた言葉の重さも熱も分かるようになる。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、あれは嘘だ。熱いお茶はだいたいお腹の中でも熱い。
自分がなんてひどいことを言ったのか、じわじわと顔に熱が広がってくる。
周囲から違うと言われて、居場所がない辛さは、わたしもよく知っているのに。
きっとお姉さんの辛さに寄り添えるはわたしだけだったのに。
お姉さんが嘘をついている可能性は今も消えていない。もしかしたら、あの身の上話だってでっち上げかもしれない。
でも……。
でも、お姉さんが嘘をついているとはわたしには思えなかった。
深い海の中の瞳は、お姉さんの言葉は、あまりにも悲愴に満ちていたから。
あれだけの感情が、あれだけの感情を、嘘と切って捨てられるのだろうか。わたしはそう簡単に割り切れない。
地下鉄駅へ続く連絡口の前でしばらく立ち止まる。
このままなかったことにしていいのだろうか。
一方的に傷つけたままで終わらせていいのだろうか。
謝ったとしても何の意味もないのかもしれない。それでも……。
「わたしは……お姉さんに伝えたい……!」
そう思って振り返り、お姉さんのもとに戻ろうとした瞬間、
「ぅあ」
わたしの後ろに立っていた白装束の人に突き落とされた。
背中から階段に身体を打ちつけ、一度全身が跳ね上がる。
今度は横身を打ち付けたと思ったら、斜めのまま階段を転げ落ちる。
視界が回転する中ひときわ大きな衝撃を受けて、階段の一番下に落ちたのだと分かった。
「ぅはぁ……つげほっ……ごほっ」
口の中が生暖かい。身体中妙に熱い。ぼんやりとした熱気と対照的な寒気が身体を駆ける。
腕も足も動かない。視界がぼやけてよく見えない。
耳もよく聞こえない。誰かが話している声が聞こえる。
身体を持ち上げられる感覚がある中、わたしの意識はそこで途切れた──
*****
永瀬景が攫われた翌日のとあるニュース番組からの引用。
「────北海道札幌市内のストーンヘンジ後継団体「グリトニル」のオフィスに本日、正体不明の人物が襲撃しました。この襲撃で少なくとも41人が負傷。うち19人が重傷を負っています。犯人は現場から逃走し、警察が行方を追っています。警察によると、本日午後2時ごろ、グリトニルのオフィスがある建物の前に女性と思われる人物が現れました。女性は建物の扉を何らかの手段で破壊すると、守衛を素手で気絶させ侵入。そのまま────」
「──……永瀬」
「…………ん……」
わたしを呼ぶ声で眼を覚ますと真っ白な天井が目に入る。
ぼんやりと前後の記憶が蘇ってきて、それに伴い身体中の痛みを再び感じ始める。
視界が復活すると目の前にいる人物が誰なのかも分かるようになった。そして、なぜここにいるのかということは分からなくなった。
「お姉さん……?」
「……もしかして、名前、覚えてないの?」
「そういうわけじゃないけどね」
お姉さんに抱きかかえられた状態を自覚したわたしは一人で立とうとしたが、足の痛みにそれは叶わなかった。
「無理しないほうが良い。折れてはいないだろうけど、かなり痛めてるから」
「みたいね……」
そう話していると、お姉さんは突然顔を上げた。表情は険しい。
「何……」
「ごめん、ちょっと余裕ないかも」
通路の端にわたしを下ろすと、臨戦態勢を取る。
わたしも何とかお姉さんと同じ方を見て、ようやく誰がいるのか理解した。
「大事な『患者』を勝手に連れて行かれては困るな。彼女は我々が管理しているのだから」
そう言いながらこちらに歩いてきている、白い装束に身を包んだ女の人をわたしは見た覚えがあった。
あれは二年前、わたしがグリトニルに捕まっていた頃。
一度だけわたしの前に姿を見せたことがある。その時の事は、いつもと様子が違ったので強く印象に残っている。
グリトニルの代表。
『アルカンジュ』と呼ばれていた人物だ。
アルカンジュは白い装束で全身を覆っていて、髪も隠れているほどだったが、どことなく身体から……オーラのようなものが出ているような気がした。それはお姉さんを初めて見たときと同じ感覚だった。
「管理?」
お姉さんの声音が一気に低くなる。それを知ってか知らずか、アルカンジュは笑みを浮かべながら言葉を返す。
「そう。彼女の身体にあるテクノロジーは我々のものだ。だから、我々は彼女を管理する責任と義務がある。当たり前の話だろう?」
「永瀬を何だと思っているの?」
「言っただろう。『患者』だ」
刹那。
お姉さんは地面を蹴り砕き、猛烈なスピードでアルカンジュへと殴りかかった。
しかし、その身体は逆にすごい勢いで減速していき、アルカンジュへ拳が到達する前に完全に止まってしまった。
「ッ!?」
空中で体勢をなんとか立て直し着地したお姉さんだったが、向かってくるアルカンジュへの対処が遅れてしまった。
アルカンジュの鋭いパンチがお姉さんの胴を捉える。
まともに攻撃を食らったお姉さんは呻きながら後ろへ下がった。
「ッ……!?」
「驚いているな。無理もない。貴様はシンプルな増強系の能力だろう。こういうタイプとは戦ったことはないか?」
「……こういうタイプ、ってことは……あなたも『能力者』ってわけ?」
お姉さんの言葉でわたしもことを理解する。
超常の力を持ってる人にこんな短期間で二度も出会うなんて。
「能力者か……言葉は正確に使ってほしいものだな。我々はそれを『
「『
お姉さんたちが言っていることはよく分からないが、アルカンジュはお姉さんが出した『財団』という言葉に対して、露骨に顔色を変えた。
「『財団』だと?」
「知ってるんでしょ?あんたらとはずいぶんと争ってるみたいだけど」
「あんな偽善者と同じにしてくれるな!我々は薄っぺらな藁のような理想を掲げている者たちとは違う!真に人類を救済するための存在なのだ!」
「……話にならないね……ッ!」
再びお姉さんは、今度は飛び蹴りを仕掛ける。
しかし、やはりその攻撃はアルカンジュへと到達する前にスピードを失ってしまう。
ノロノロと動き、やがて空中で止まったお姉さんの足を殴り飛ばしたアルカンジュは、そのまま回し蹴りでお姉さんを地面へと叩きつけた。
「ぐッ……!」
「貴様のような増強系は大した脅威ではない」
アルカンジュはそう言うと装束の中に手を入れ、拳銃を取り出した。
「貴様には部下を傷つけられた借りもある。このまま死んでもらおうか」
引き金が引かれ、すぐにも銃弾が撃たれようとする瞬間。
あまりにもあっけなく、わたしが声を上げる暇すらないその一瞬に──
コロコロ……と音を立てながら小さい黒いものが転がってくるのが見えた。
視界の端でそれを捉えた時には、大きな音を立てながら爆発するそれがスモークグレネードだと気づいた。
「スモークだと!?」
アルカンジュが叫ぶ。
わたしは起きていることに必死で、何がなんだか分からない状態の中、突然抱きかかえられ半ばパニックのような状態になった。
「ちょ……!」
「静かに。あなたを助けに来たの。オーカの仲間よ」
お姉さんの仲間だと名乗るその人物の顔を見ることはできなかったが、お姉さんの名前を知っているということで、とりあえずは信じることにした。自分が抱えられているというのもあったが。
「ひとまず逃げるわ。あなたがまた捕まったら話にならない」
「でも……お姉さんが……!」
「オーカなら大丈夫。彼女の能力は知ってるでしょ?あの子は死にはしないわ」
そう押し切られ、お姉さんの仲間によってグリトニルの本部から脱出することができたのだった……。
連れられた先は普通に病院だった。ただし、お姉さんの協力者の経営している病院なのか、大怪我しているはずのわたしを特に訝しむことなく治療された。
肝心のお姉さんは後からふらっと血まみれの格好でやってきた。ただ、怪我は一切していなかった。本人曰く、
「あれくらいなら能力で治っちゃうから」
らしい。
わたしの治療と、お姉さんの診察が終わったあとで、わたしを連れ出してくれたお姉さんの協力者がわたし達の病室に来た。
初対面のときははっきり姿を見ることができなかったけど、改めて見ると結構身長が高い。お姉さんとは頭一個分違うけど、おそらく平均身長くらいは超えているだろう。というか、お姉さんが高すぎるのだが。
ブロンドがかった金髪を後ろで一つに結んでいて、碧の瞳がよく映えている。
「改めて自己紹介かな。私はマーサ・シュローデル。『
人好きのする笑顔を浮かべこちらに手を差し出してくる。
わたしは握手しながらも、マーサが言ったことに困惑していた。
「ネオロンド……?それに、能力者って……」
「ん?ああ、永瀬ちゃんは一般人だったっけ。まあ、色々と大変なことに巻き込まれたり、オーカのことも知ってるみたいだし、一応分かってはいるだろうけど……」
わたしが知っているのは、この世に『能力』を持つ人がいるということくらいだ。そしてそのせいで、二年前には色々と苦労した。
言葉を切ったマーサはお姉さんの方を見た。
「ちゃんと説明してあげたら?私はそういうの、あまり覚えてないから」
「お前ねえ……自分もそうだって自覚を持てっていつも言ってるだろ」
「だって、別に関係ないし」
「関係しかないだろ!はあ……」
マーサはわたしの方に向き直った。
「じゃあ、説明していくよ。まずは『能力者』からかな。『能力者』って言っても一般に使われるのとは意味が違う。いわゆる超能力者と同じような意味だけど、これも正確じゃない。超能力者と呼ぶには範囲が広いし、能力と言うには常識を外れすぎてる。そこで使われてるのが『
「『
わたしはその言葉を復唱する。アルカンジュも言っていた言葉だ。
「この言葉は『クラーク財団』が提唱した言葉だ。『財団』のことは知ってるかな?」
「そりゃあ……あの慈善団体でしょ?すごい有名な」
『クラーク財団』。
世界中の貧しい人々の救済を掲げ様々な分野で支援活動を行っている団体。国際的組織とも連携していたりするすごい団体だ。
「でも、そんな『クラーク財団』がなんで……」
「理由は簡単。財団は『
衝撃的な事実が明かされた。世界的に有名な団体が、いわば非現実的なことを研究しているとは。
「元々『財団』自体、『
「そうなんだ……」
所変わればというが、まったく知らないこの世の一面を見せられ、驚きに満ちた気分になった。
「そんな『財団』の研究で、今では『
「防衛機能……それで、お姉さんや、あのグリトニルの代表は『能力』を手に入れたってこと?」
「そうなる。だから、一概に超能力というのはどうかと言う人もいるわけだ。なにせ、単純な超常的な力じゃなく、自分を守るための身体の機能であるわけだからな」
自分を守るための機能……それにしては、お姉さんの能力──身体リミッター解除──はどういう理由で発現したのか想像もつかない。口には出さなかったけど。
「とはいえ、外から見たら単なる超能力者と区別がつかない人もいるし、突然発現するせいで逆に日常生活に支障をきたす人もいる。うちの団体……ネオロンドもそういう人たちが集まってできた団体だ。あまり言いたくないことだが、能力のせいで差別される人もいる。そういう人も助けたいって想いで私らは活動してるんだ」
お姉さんはマーサが話している間黙っていたが、その表情からは感情は読み取れなかった。お姉さんは以前、死のうとしたと言っていたことを思い出した。
お姉さんには、一体どういう過去があるのだろう。
「それで、ここからがようやく本題。君は知っているだろうが、ストーンヘンジも『
マーサは苦々しく吐き捨てた。
「ストーンヘンジが科学を異常に信奉するカルト的な団体だということは知ってるだろう。その行き過ぎた信仰は、人間の定義へと及んだ。超常の力を持つものはヒトではないと言い、その『異常』を治すための研究をしていたのさ」
「異常って……」
「みなまで言わなくても分かるさ。あいつの言ってることは狂ってる。だが、狂気の前にそんなことは関係ない。そして不幸なことに、それを実行するだけの科学力と財力が奴らにはあった。いつから研究していたのかは定かじゃないが、数年……少なくとも3年以上は確実だ。そしてその果てに行われた凶行が……」
「……二年前の事件」
そのときの事は、忘れたくても忘れられない。言われたことの細部はおぼろげながら、何度も飛び交っていた言葉は忘れない。特に、自分が実験されるときのことは。わたしの眼は『能力者』へと対抗するための眼らしい。おそらく、だから人には見えないものが色々と見えたのだと思う。お姉さんや、アルカンジュからオーラが見えたのもそれだろう。
「君は二年前の当事者だったな。辛い記憶だろうが……」
「大丈夫。もう、終わったことだから」
マーサは哀れみを込めた視線でこちらを見ていたが、すぐに話を再開した。
「『
マーサはわたしの顔、いや眼を指していった。
「ストーンヘンジ……その後継のグリトニルはスポンサーへの借金を未だ抱えている。かつての代表はすでに逮捕されてるけど、それでスポンサー達は納得するわけもない。それでグリトニルが考えた苦肉の策が、実験台にした人たちをスポンサーへと売り渡す……って事。最近起こってる、過去の事件の被害者の連続失踪は、グリトニルが被害者達をスポンサーに売り渡したって事になる」
「売り渡したって……」
「文字通りさ。借金の形に身体を売るようなもんだ。被害者の親類には申し訳ないだろうが、戻ってくる確率はないに等しいだろう。永瀬ちゃんは運が良かったな」
「そんな……」
自分たちの都合で人の人生を狂わせた挙げ句に、勝手に終わらせるようなことをする。
自分にも深く関わっていた事柄に対して、改めて向き合い、その悪辣さに怒りと恐れを感じた。
もし少しでも何かが違っていたら、自分は階段から突き落とされたまま二度と目を覚ますことはなかったのかもしれない。そう考えると血も凍る。そして、わたしを助けてくれたお姉さんの感謝と、疑問も浮かんでくる。
ふと、気になったことを聞いてみた。
「そう言えば、マーサさんはなんでそんなに詳しいの?ネオロンドって団体に所属してても、グリトニルの裏側まで知ってるなんて……」
「ああ。それは簡単だ。私はグリトニルにスパイとして潜入してるからね」
あっさりと言ってくるものだから一瞬理解できなかった。
「……え?」
「私があの代表と戦ってるとき、タイミングよく助けに来たでしょ?あれも、グリトニルの一員として本部に潜り込んでいたからなの」
お姉さんが補足説明を加える。
「そういうこと。こいつは私と昔からの知り合いだから、私の現状を知ってネオロンドに協力を依頼してきたわけだ。ま、こちらとしても久しぶりにオーカと戦力に引き込めたんで良かったけど」
「……私は別に、協力してほしいなんて言った気はないけど」
「は?」
お姉さんとマーサの間で口論が始まる。いや、怒っているのはマーサだけで、お姉さんは笑って受け流しているようにも見える。マーサの方も、本当に怒っているよりはふざけていると言ったほうが合っているだろう。
気兼ねなく話している二人の様子を見て、本当に知り合いなんだと実感する。わたしには、入りたくても入れない距離。自分にはいつから心を許せる友人がいないだろうと思った。
「……はあ、まあ、お前の処遇については後で話し合うとして、今は二人でしっかり話し合えよ。永瀬ちゃんも何かと一気に聞いて大変だろうからさ。お前もちゃんと気遣ってやれよ」
「うん」
お姉さんの返事に訝しげな表情になったマーサであったが、やはりため息をついて病室を出ていった。
気を遣って二人だけにしてもらったのは良いのだが、いざ二人にされると沈黙が部屋を支配した。
そもそも、助けてもらったとは言っても、助けてもらう前は派手に喧嘩していた。いや、喧嘩にすらなっていなかった気もするが。
何にせよ、わたしの方からひどいことを言ってしまったという負い目もあって、なんと切り出せば良いのかまったく分からなかった。
「……ねえ、永瀬さん」
わたしが悩んでいると、お姉さんの方から声がかかる。
「ちょっと外の空気を吸わない?」
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