【完結済み】place

水野匡

1. unknown

 居場所ってなんだろう。

 あまり考えたことはない。

 わたしにとってそれは、移り変わるものではなく、同時に選ぶことができるものでもなかった。

 ただそこにあるものを受容するだけ。

 まして、他にそれがあるなんて、思いもしない。

 

「騒がしいなあ」

 ガヤガヤと少しの声は聞こえてくるけど、それは外縁部だけの話。

 中心に近くなるほど声は小さくなって、代わりに中心からひときわ大きな声が聞こえる。

 なんて言ってるかはわからないけど、あまり愉快で嬉しいものではないことはたしかだ。

 わたしは自分の小さな身体を活かして群衆の間をすり抜ける。一番中心に近い場所まで行くと、何が起きてるかを把握できた。

「なんかの因縁でも吹っかけられてるのかな?災難だなあ、お姉さん」

 筋骨隆々肩幅広めのデカい男に絡まれてるのは対照的な細いお姉さん。

 対象物があるせいで余計印象強い気もするけど、それにしたって細い。ちゃんとご飯食べてるのか気になるくらいだ。腰に至ってはわたしの頭と同じくらい細い。折れそう。

 これじゃあ勝負は見えている。

 もちろん、お姉さんの勝ちだ。

「わ」

 少し強い風が吹いて、前髪が揺れる。

 髪を整えてお姉さんの方を見ると、デカ男がその場に突っ伏していた。

 泡を吹いて気絶した、の方がおそらく正しい。

 周囲がざわつく。当然だ。見かけじゃあデカ男の圧勝だろう。しかし彼我の戦力差を量ることができない程度の奴にあのお姉さんは倒せない。

 周囲のざわつきを聞いていれば一撃で倒したと思われているのは明白で、事実はそれとは異なる。

 お姉さんが一発腹に入れたところが一般人に見える範囲で、実際にはその前に顎に掌底を入れて首に手刀からの腹パン。これを右腕だけでやってるから驚きだ。

 風が吹いてきたのはお姉さんの動きが速すぎたから。

 これに気づいてるのはきっと私だけだろう。わたしには特別な眼があるから。

「面白いもの見れたな」

 わたしは満足したので、その場から速やかに退散した。これ以上居座って面倒に巻き込まれるのはごめんだ。

 しばらく狸小路商店街を歩いていると、急に声をかけられた。

「ねえ」

 振り返って見てみると声の主はさっきのお姉さんだ。

 さっきは姿を観察する暇はなかったけど、よくよく見ると常人離れした容姿をしている。

 きれいなロングの銀髪に、スレンダーな長身。瞳の色は瑠璃色に似ていて、気だるげな顔にあって美しさを損なっていない。

「きれい」

「?」

 不思議そうに首をかしげるお姉さんに、慌てて謝る。

「あ、ごめんなさい。いきなり失礼だった。それでわたしに何か用?」

「ああ。そうそう。あなた、私の動きが見えてたでしょ」

 単刀直入に話を切り出してくるから逆に焦ってしまった。

「えーと……何の話?」

「……私がさっき変な人に絡まれてたとき、あなただけが私を見ていた。他の人はみんな相手を見ていた。理由は分かる。私が勝てると思う人のほうがずっと少ないだろうから。でもあなたは違う」

 そう淡々とした調子で話すお姉さんは、生きている人を相手にしている気にはなれなかった。死人と会ったこともないけど。

「あなただけがあの中で、私の動きを目で追っていた。私の実力を見切っただけじゃなくて、完全に動きを追えていた。あなた、何者なの?」

「何者って言われてもね……」

 どう説明したものか。わたしのことはあまり話したくない。

「わたし、人よりちょっと眼がいいの。そういうお姉さんこそ何者なの?それに、人に素性を聞くときはまず自分からって教わらなかった?」

 お姉さんは少し考えた素振りをしてから、言った。

「別に教わらなかったけど」

「あっそ……」

 本質はそこじゃないけどね。

「私はオーカ・ニエーバ。あなたは?」

 結局名乗るんだ。

「私は……フォード。ジョン・フォード」

「……それ、嘘でしょ」

「あなただって嘘をついてないって保証はないじゃない?」

「……それもそっか」

 納得されても……。

「それで?あなたの目は『能力』?それとも別のもの?」

「ちょ……!」

 わたしはオーカと名乗ったお姉さんを掴むと、人気のない路地の方まで連れ込んだ。

「何?どうしたの?」

「お姉さん、あんなところでそんな話しちゃだめ!誰かに聞かれたらどうするの!?」

「……誰か、って?」

「それは……誰かは誰かだよ。とにかく、『能力』の話は隠密にね!」

「……?」

 お姉さんはあまり分かっていない様子だった。

「それより、『能力』の話を知ってるってことは、やっぱりあなたも?ジョン・フォードさん」

「………………あ、わたしのことか。まあ、それはいいでしょ。そんなことより、も、ってことはお姉さんは『能力者』なの?」

 『能力者』。

 この世界には、普通の人では絶対に発揮できない『能力』を持っている人がいる。その能力は様々な呼ばれ方をしていて、分かっていることはあまり多くないらしい。超能力的なものと捉えてもらっても構わない。

「うん。私の『能力』は身体のリミッターを外すこと」

「……それだけ?」

「それだけ」

「ずいぶんとシンプルだね」

「色々試してみたけど、多分間違いない。正確に言えば身体のリミッターを外して、それに耐えられる身体を手に入れる『能力』かな」

 シンプルな能力ほど強い……とは、さる不良が言っていたことだけど、このお姉さんもその質だろう。

「ある時期死にたくて、ご飯を食べてなかったんだ。そうしたら、この『能力』に知らずと目覚めてた。その時の癖が抜けなくて、今もあまり食べないんだけど……」

 初対面の人にペラペラとよく喋るなあこの人。ちょっと心配になってきた。

「それで………………あまり話している時間はないみたい」

 お姉さんが言った言葉の真意をつかもうとする前に直感的に理解することになる。

 周囲を高いビルで囲まれ、道路の幅も狭い薄暗い路地の両端からガラの悪そうな人たちがゾロゾロと歩いてきている。

「知り合い?」

「まさか」

 心当たりがないのは本当のことだった。むしろ、先程の状況を踏まえればお姉さんに報復しに来たと考えるほうがまだ理にかなっている。

 その場から動かずじっとしていると、集団の中で一番偉いと思われるスーツ姿のスキンヘッドが先頭に立った。

「こんにちは!ちょっとしたお願いがありましてね」

 わたしに話しかけているのか、それともお姉さんに話しかけているのか。両方なのか。

 ひとまず無視しているとスキンヘッドは続けた。

「そちらの小さいお嬢さんをこちらに引き渡してほしいのですが、よろしいですか?」

 そのセリフで、連中の目的がわたしだと理解する。

「……え?」

わたし?なんで?

「一応聞きたいんだけど」

「何でしょう」

「どうしてこの子を連れていきたいの?」

「それはあなたには関係ないことです」

 お姉さんがスキンヘッドに尋ねるが、はぐらかされ望んだ返答は返ってこないようだ。

「私としては、今、この子を連れて行かれるのは困るな。明日にしてくれない?」

「我々としても待つ理由はないわけでしてね。どうしてもというなら我々とご同行なさいますか?」

 一触即発の空気が周囲に満ちるのを感じる。

 わたしは今すぐにでもここから逃げ出したい気持ちになったが、わたしではあの人数相手では到底かなわないだろう。

 お姉さんはしばらく考えた様子で、こちらを見た。

「……このあと、時間ある?」

「えっ?うん、まあ……」

「良かった」

 そう言うとお姉さんはスキンヘッドを見据えてはっきりと言った。

「この子は連れて行かせない。私と一緒にいるから」

 そう宣言した瞬間、糸を張り詰めたような緊張感が生まれる。

「おやおや……困りましたね。こちらとしても手荒な真似はしたくなかったのですが……致し方ないですねえ」

 スキンヘッドは拳銃を懐から取り出す。それに続いて周囲のガラの悪そうな奴らもドスやらスタンガンやらを構えた。

「お前ら!昼間なんだ、静かにやれよ!」

 雄叫びを上げることなく臨戦態勢に移行したヤバめな人たちをわたしは思わず後ずさっていた。逃げ場などないというのに。

「ジョンちゃん、ちょっと待っててね」

 そんなわたしにお姉さんは言う。

「すぐ終わらせるから」

 次の瞬間わたしの視界からお姉さんは消えた。

 いや、速すぎて移動したのだと理解するのに時間がかかった。

 目で追った先ではスキンヘッドが宙に浮かされていた。

 そしてスキンヘッドが地面に落下する前に、一人、また一人とガラの悪い人たちが吹っ飛ばされていく。

 わたしがさっき見たお姉さんの喧嘩は全然本気じゃなかったと理解するまでに時間はかからなかった。

 時折響くサプレッサーの乾いた銃声にも、音より速く反応して銃弾を蹴り落とす。

 事態を把握した奴がドスで防御をとってもドスを砕いて殴り抜ける。

 縦横無尽に群を抜き敵をなぎ倒していく姿は一騎当千。

 わずか数十秒後──わたしにとっては無限のような時間だったけど、ガラの悪い人たちは全員倒れていた。

「おまたせ」

「おまたせって……」

 お姉さんには傷一つなく、気になるところと言えば少々服が乱れているくらいだ。

「ちょっと騒がしかったかな。でも急いでたから。怪我はない?」

 そう言うとなにかに気づいた様子で、近くに倒れている人の手からナイフを拾い上げた。

「そりゃないけど……そういうお姉さんは大丈夫なの?」

「うん。怪我がなくてよかった」

 そう言いながらお姉さんはナイフを思いっきり投げつけた。

 命中したのは意識を取り戻した人の腕で、手に持った銃の銃口はこちらに向いていた。

 あれがもし撃たれていたらと思うと背筋が寒くなるが、そんなわずかな兆候を掴んでいたお姉さんにも少しぞっとする。

 そんなお姉さんは真っ先に殴り飛ばしたスキンヘッドの元に行くと、身体を持ち上げてスーツのジャケットを引っ剥がした。

「ちょっと、何やってるの?」

「多分このあたりに……あった」

 そう言うとスーツの内ポケットから取り出したものをこちらに放り投げる。

 なんとかキャッチして受け取ったものを確認した。

「Glitnir……グリトニル?これ、名刺?」

「こんな物騒な奴らでも名刺くらい持ってる。まあ、自分たちが倒されるとは思ってないだろうからね。その名前に心当たりは?」

 記憶の中で些細な違和感を覚える。刺さった針が抜けないような感覚。

 けれどその違和感はすぐに隠れてしまった。

「うーん……特にないかな」

「……なら、『ストーンヘンジ』という団体に心当たりは?」

 その単語を聞いた瞬間、慄然とした。

 けど、そんな様子を出さないように努めた。

「……いや、知らないなあ。遺跡の方なら知ってるけどね」

「……そう」

 お姉さんはわたしの態度に気づいているのか気づいていないのかそれだけ言った。

「ここにいたら危ない。グリトニルって奴らのことも気がかりだし。とりあえず移動しよう」

 わたしはお姉さんの案に乗っかることにした。

 わたしを守ってくれたということには変わりないし、強いし、良い人だとは思う。

 けど、気を許すことはできない。

 この人が一体何を知っているのか、どこまで知っているのか。

 それを確かめなければ安心することはできない。そう考えて、わたしは自分で考えていることがおかしくなってつい笑ってしまった。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

「そう?」

 わたしにもまだ自分可愛さというものがあると分かり、自嘲的な笑いが出てしまった。

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